20年以上にわたって毎日のように自宅の庭で首を吊り続けてきた、パフォーマーの首くくり栲象さんが3月31日、肺がんで死去した。70歳だった。
ホームページを管理する武藤守さんによると、首くくりさんは今年1月から腰痛を訴えており、精密検査したところ、がんが判明した。4月3日に密葬を済ませたという。
BuzzFeed Newsの取材に対し、武藤さんは「言葉にならない。残念としか言いようがない」と語った。
「明日から首吊っていこう」
首くくりさんは1947年、群馬県安中市に生まれた。
18歳で上京し、路上やギャラリーでのパフォーマンスやアクションを開始。美術家の風倉匠や松澤宥、高松次郎らの薫陶を受けた。
1969年から首吊りのパフォーマンスをしていたが、本格的に取り組み始めたのは50歳を目前にしたころのことだった。
昨年1月、前職の朝日新聞記者時代の筆者(神庭)の取材に対し、首くくりさんはこんな風に語っていた。
首吊り一本でやるようになったのは、明日から50歳になるっていう時。赤羽の居酒屋で若い連中と昼間から飲んでいて、「いくつになるんですか」と聞かれて。「50」って答えた時に、パンと思い浮かんだの。明日から首吊っていこう、と。
山田孝之の番組にも出演
1997年ごろから東京・国立の自宅にあるツバキの木で連日首を吊り、2000年代からは月に1度、数日間の「庭劇場」を一般公開してきた。
だらんと垂れ下がった手足、口もとから垂れるヨダレ…。首吊りの様子はあまりに真に迫っており、パフォーマンスと頭でわかっていても、思わず心配になるほどだった。
2016年には記録映画「首くくり栲象の庭」が公開され、昨年テレビ東京で放送されたドキュメンタリードラマ「山田孝之のカンヌ映画祭」にも出演した。
フジファブリック 「カンヌの休日 feat. 山田孝之」のミュージックビデオでも、鬼気迫る存在感を放っている。
「オギャアと生まれた時、死はなかった」
誰も見ていない時でさえ、毎日5回は首吊りを繰り返してきたという首くくりさん。肉体には大きな負荷がかかり、歯も抜けた。三半規管に異常をきたし、客に助けられたこともある。
2013年には肺気腫で2週間入院したが、退院の翌日には首吊りを再開した。なぜ、そこまでして首吊りを続けるのか。筆者の問いかけに、首くくりさんはこう答えた。
オギャアと生まれた、あの瞬間なのよ。オギャアと生まれた時、死はなかった。死がない世界なんですよ。ずっと生き続ける世界、意欲の世界なんだ。
パッと開いた目のなかに死なんてない。だんだん大きくなるに連れて、それが出てくるだけで。生まれてきて、なぜここにいるのか。そこに興味があるから、続けられるんです。
「詩人」であり「哲学者」
「重力っていうのはふるさとなんですよ」「前進する動きのなかには、後退する時間が含まれている」
首くくりさんの言葉は詩的で、訥々とした語り口は哲学者や宗教家を思わせた。
その所作はまるで儀式のようで、パフォーマンス中は庭に心地よい緊迫感と静謐さが満ちる。庭劇場が終わると打って変わって相好を崩し、観客を家にあげて手料理でもてなした。
「生」への強い意志
「首吊り」という死に直結するテーマを扱いながらも、首くくりさんの目には「生」への強い意志が宿っていた。
わたしという細胞群がこぞっていうに、生と死を分けたり隔てたりするな。同じものだ、切断するな。
首くくりさんはかつて、こう綴っていた。だからあえて、冥福を祈ることはしない。彼のパフォーマンスは、見た者の心のなかで永遠に生き続けるはずだから。