上手に自分をあきらめよう

髭男爵の山田ルイ53世は言う。「一発屋たちも、最初から負けをグビグビ飲み干すことができたわけじゃない。葛藤して、さいなまれて、ようやく『俺は一発屋だ』と飲み込むことができたんです」

    上手に自分をあきらめよう

    髭男爵の山田ルイ53世は言う。「一発屋たちも、最初から負けをグビグビ飲み干すことができたわけじゃない。葛藤して、さいなまれて、ようやく『俺は一発屋だ』と飲み込むことができたんです」

    《一発屋は、本当に消えてしまった人間なのだろうか。否である。彼らは今この瞬間も、もがき、苦しみ、精一杯足掻きながら、生き続けている》

    かつてお茶の間を席巻したものの、いつの間にかテレビで目にする機会の減った「一発屋」芸人たち。

    一発屋を自認するお笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世は、そんな彼らを追跡取材し、新刊『一発屋芸人列伝』にまとめた。山田は言う。

    「契約がとれたとか、企画が当たったとか、誰しも自分の『一発』がある。一方で『あれ? 最近、何もないな』という時期もあるでしょう。そんな時に、一発屋たちの華麗な溺れ方、生き様を見て、しぶとさを感じとってほしい」

    それでも、人生は続く――。栄光と挫折の高低差に打ちのめされながら、したたかに生き抜く芸人たちの姿から見えてくるものとは。

    「一発」が終わった

    山田は1999年、相方の「ひぐち君」こと樋口真一郎と髭男爵を結成した。

    シルクハットをかぶってワイングラスで乾杯する「貴族漫才」で人気に火がつき、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)への出演を機に、2007年末ごろからバラエティー番組で引っ張りだこに。

    「ルネッサーンス!」「〇〇やないかーい!」の持ちネタで一世を風靡したが、ブームから2年を待たず、スケジュール帳には空白が目立つようになっていた。

    「一発」が終わったのだ。

    テレビ局は人気者から順番に出演依頼をかける。一発屋へのオファーは当然、後回し。収録2時間前に「今から行ける?」と聞かれることもザラにある。

    「営業とかで、台本に違う人の名前が残ってることもありますよ。『ここで大西ライオン登場』とあって、大西ライオンすら受けなかったのか、みたいな(笑)」

    「おもんないねん!」とヤジられ


    とある地方の営業先に向かう途中、ネットでエゴサーチをしていると、地元の高校生と思しき投稿がふと目に飛び込んできた。

    《こんなド田舎まで来るなんて、髭男爵も終わりだな》

    「自分を育んでくれた故郷をバカにしてまで、俺たちをこき下ろす。どんだけ言いたいねんっていう」

    「おもんないねん!」。しっかり笑いをとったはずなのに、客席から容赦ないヤジが飛ぶこともある。要はナメられているのだ。

    「僕は『肝試し』と呼んでいるんですが、若い子がコミュニティーのなかで勇気を試すために、一発屋を使うんです。勝負を挑んでくる気配を感じますね」と苦笑する。

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    企業のパーティーに呼ばれれば、社長や専務から冗談交じりに「スベったらギャラなしだからね」と雑にいじられる。

    「いやいや、勘弁してくださいよ〜」と笑みを浮かべ、グッと言葉を飲み込む。一段見下されるぐらいは当たり前。いちいち腹を立てるまでもない。

    「そういう時は結果で示すしかない。帰りがけ、『本当に盛り上がりました。ありがとうございます』と言っていただくと、『よかった』というより『勝った』と思います」

    愛すべき一発屋たち


    『一発屋芸人列伝』を書き上げる原動力になったのは、一発屋に対する世間のイメージを変えたい、という思いだった。

    登場する一発屋たちは、誰もが愛すべき魅力にあふれ、どっこい、したたかに生きている。

    「チクショー!」でブレイクし、一発屋界の奇人とも称されるコウメ太夫。

    百発百中でスベる技術が評価され、「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退」というテレビ番組の企画まで生まれた。私生活では離婚も経験。シングルファーザーとして子育てに悪戦苦闘しながらも、アパート経営でしっかり収入を確保している。

    「なんでだろう」のテツandトモは、年間180本の営業をこなす売れっ子だ。

    事前に主催者への「裏取り取材」を行い、ご当地ネタや我が社ネタを盛り込んでイベントを盛り上げる。その甲斐あって非常に高いリピート率を誇る。

    「脱力系ラップ」で知られるジョイマンの高木晋哉は、詩集『ななな』を刊行、哲学的な作品で高い評価を受けている。

    「ジョイマン最近見ないけど、どこ行った?」「死んだの?」。Twitterでこんな声が上がるたび、「ここにいるよ!」「生きてるよ!」「これからも生きていくよ!」とこまめに返信。「生存確認」を欠かさない。

    アンケート芸で人気を博したハローケイスケは、パチスロで細々と生計を立てている。

    「おにぎり」という芸人との間で、1年更新の師弟契約を結び、今年で15年目。年の瀬の更新期が近づくと妙に優しくなり、おにぎりに食事をおごる。その師弟愛は、又吉直樹の『火花』さながらだ。

    「一発売れて、テレビから消えて、そこで時間が止まっている。まるで一発屋たちだけが別の世界に行ってしまったかのような感覚が、お茶の間にはあると思うんですね」

    「だけど、そうじゃない。みんなが生きてるこの世界で、一発屋たちも毎日もがいてる。そのことを知っていただけるだけでも、何かが変わるんじゃないかなと」

    異例のジャーナリズム賞


    単行本化に先立って『新潮45』に掲載された連載は、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞の作品賞を受賞した。過去の受賞者は腕っこきのジャーナリストばかり。芸人としては異例の快挙だ。

    取材相手の懐深くに潜り込んで本音を引き出しつつも、むやみにベタ褒めはしない。対象との適度な距離感が、乾いたユーモアとなって軽妙な文体に宿る。

    「ギター侍」として名を馳せ、現在は福岡で活動する波田陽区には、《世紀の〝スキーヤー〟波田陽区。相変わらずスベっているようだ》

    最近、「欅坂46」のモノマネで話題になったキンタロー。にも、《愚痴も多いし、面倒臭い。世間が思い描く、明るく楽しいイメージとは程遠い実像》と遠慮がない。

    もちろん、愛とリスペクトがあればこそ。当人にとって耳の痛い苦言もいとわないのは、一発屋の実像を正しく伝えたい、という生真面目さゆえだ。

    「お互い芸人同士で、一発屋という境遇も似ている。傷の舐め合いみたいになるのは気持ち悪いなっていう感覚があるんです」

    「尊敬する人、すごいと思う人の芸の『発明』や生き様を伝えたい。距離感を見誤って、かばい合いのように映ることで、カッコ良さを伝える邪魔になるのは嫌やなと」

    では、一発屋のカッコ良さとは何なのか。

    「たとえば波田君やったら、腹の括り方がすごい。芸能の仕事で、拠点を変えてまで家族を養っていく覚悟です」

    「正直、東京にいる時の波田君は目が濁ってましたが、九州に行ってからは顔はブスやけど目がキラキラしてる。すべての負けを飲み干した、男のカッコ良さがありますね」

    神童から引きこもりに


    厳しいペン先は、自分自身にも向けられる。最後の1章は「髭男爵」に割いた。

    兵庫の名門私立中学に合格し、神童と呼ばれた輝かしい日々。しかし、登校中に「大」を粗相してしまったことをキッカケに、一転6年間の引きこもり生活に突入する。

    大検を受けて愛媛の大学に入ったものの、結局中退。東京の養成所に通い、芸人を目指すことになる。あばら家で極貧生活を送っていたころに出会ったのが、相方のひぐち君だ。

    長い下積みを経て、ようやく掴んだブレイク。しかし、その勢いは長く続かなかった。

    「優等生から引きこもりになった経験があったので、仕事が減って一発屋になっていく時も『この落下感、ちょっと知ってる』と思えた。動揺するひぐち君を尻目に、猫のように完璧な着地の体勢をとることができました」

    自分をあきらめよう


    そんな経験を踏まえ、「挫折」の重要性を力説する。

    「人間である以上、ノーミスで棺桶まで行くことはできない。ケガしたり、失敗したり、挫折は絶対ある。それなら、早め早めに失敗を重ねて、『ここやったら行ける』という道を見つけた方が効率的でしょ。人生、なるべく早く失敗した方がいいですよ」

    「夢はいつか叶う」「可能性は無限だ」――。メディアではポジティブな言葉とサクセスストーリーばかりが喧伝され、SNSには「友達」のキラキラしたセルフィーが次々とアップされる。

    人生のハードルが上がりすぎている、と山田は危惧する。「キラキラしてなきゃ自分じゃない」「何者かにならなくてはいけない」。そんなプレッシャーが強まっているという。

    「『成功の秘訣はあきらめないこと』なんて言われますけど、たまたま、あきらめる前に成功が来ただけちゃうんですか。勝ち組の平均値みたいな意見を押し付けられると、やっぱりしんどいと思うんですよ」

    「だからこそ大事なのは、自分の可能性をキチンとあきらめてあげること。一発屋たちも、最初から負けをグビグビ飲み干すことができたわけじゃない。葛藤して、さいなまれて、ようやく『俺は一発屋だ』と飲み込むことができたんです」

    「一発会」は今

    2015年ごろから年数回、一発屋たちが参加する「一発会」なる会合が開かれている。髭男爵の「ルネッサーンス!」で乾杯し、ダンディ坂野の「ゲッツ!」の唱和で締めくくる食事会。参加できるのは、自らを一発屋と受け入れた者だけだ。

    「第1回の集まりは、LINEか何かのグループで『何月何日、どこ』って言うたら、すぐに決まった。ところがこの間の一発会は、なかなか日取りが決まらず、かつあんまり人が来なかったんですよ」

    一抹の寂しさの一方で、それ以上の喜びを噛み締めている。

    「みんなちょっと、忙しくなってきたんかな。いい流れですね」

    負けを認めたところから、もうひとつの人生が始まる。

    〈山田ルイ53世〉 本名・山田順三(やまだ・じゅんぞう)。お笑いコンビ「髭男爵」のツッコミ担当。1975年、兵庫県生まれ。名門私立の六甲学院中学を中途退学。引きこもり生活の果てに大検に合格、愛媛大学法文学部に進学するも、中退し上京。芸人の道へ進む。1999年に髭男爵を結成。著書に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)、『一発屋芸人列伝』(新潮社)。

    ※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事を再編集したものです。

    BuzzFeed JapanNews