彼女はなぜ、イレズミを焼いたのか? 沖縄女性がタトゥーを「汚い」と蔑まれた悲しい理由

    沖縄県立博物館・美術館で開催中の「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー」。公立博物館では異例となるタトゥー展の狙いとは。企画者で『イレズミと日本人』などの著書もある、都留文科大学の山本芳美教授に聞いた。

    かつて、沖縄の成人女性の大半が「ハジチ(針突)」と呼ばれるタトゥーを入れていた――。

    沖縄のハジチと台湾原住民のタトゥーを紹介する企画展「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー」が、沖縄県立博物館・美術館で開催されている。

    会場を借りたインディペンデント展とはいえ、タトゥーへの偏見が根深く存在する日本では、公立の博物館や美術館での展示は非常に珍しい。

    企画者で『イレズミと日本人』などの著書もある、都留文科大学教授の山本芳美さんは「ここでやらなければ、向こう10年はできない。かつてハジチは若者の文化でもあった。展示を通じて『郷愁のハジチ』というイメージを刷新したい」と語る。

    水草の花のような美しさ

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    「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー 歴史と今」。主催は株式会社Nansei

    沖縄や奄美の女性たちが、両手の甲に墨で深青色の文様を施したハジチ。その歴史は、少なくとも16世紀までさかのぼる。

    初潮を迎えた印、婚姻の証、あの世へ渡るための「パスポート」…。地域によって様々な意味合いがあったとされる。

    山本教授は言う。

    「水草の花のようだ〈ミジクサヌ ハナヌ ゴトシ〉と歌に詠まれるほど、美しいもの。女性であるからには、絶対入れなければいけないものだと考えられていました」

    「ハジチによって初めて完璧な人間になる。痛みを乗り越えることで出産も乗り越えられ、喜びになるという発想。入れずに死んでしまった場合、不完全でかわいそうだからと、亡くなった女性の手に墨で描いてあげたという話もあるぐらいです」

    明治の「ハジチ禁止令」

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    都留文科大学の山本芳美教授

    明治に入ると、日本政府のイレズミ規制が沖縄にも及び始める。

    1872年、東京に違式詿違条例が施行され、彫師がイレズミを彫ること、客として入れることの両方が禁じられた。同条例は旧刑法の違警罪(1882年)、警察犯処罰令(1908年)へと引き継がれていく。

    1879年の「琉球処分」によって「県」となった沖縄では、内地から時間をおいて1899年にイレズミ禁止を含む違警罪の全法令が施行された。今年は「ハジチ禁止令」から120年の節目でもある。

    「内地並みの法律をすぐに適用すると混乱が起こるからと、延び延びになっていましたが、この年にようやく施行された。実質的な同化政策ですね」

    塩酸でハジチを焼く

    イレズミの摘発は、内地以上に苛烈を極めた。

    1899〜1903年の5年間、東京での違警罪によるのべ検挙者数は40人にとどまる一方、同期間に沖縄では692人が検挙された。実に17倍だ。

    それ以前から野蛮な習俗としてハジチを忌む風潮は広がりつつあり、なかには教師に迫られ塩酸でハジチを焼いた女生徒もいた。

    さらに禁止令が決定打となり、タブー意識は抜きがたいものになっていく。ハジチを理由に結婚が破談になったり、移住先の国の日本人社会で非難の対象となり、送還されたりした人もいたという。

    「人間としてあるのが当たり前だったハジチが、恥ずかしいもの、隠さなければいけないもの、遅れた社会の遺物のようになってしまった。外的な圧力もあったし、沖縄の人たち自身が内側から『風俗改良運動』を推進し、変えていこうとした面もありました」

    「汚い」「気持ち悪い」と蔑まれ

    「美」から「恥」への転換。

    かつては水草の花にたとえられ、男性から「あんなきれいな手でご飯をつくってくれたら、さぞおいしいだろう」と羨望の眼差しで見られたハジチだが、規制によって「汚い」「気持ち悪い」と疎んじられるようになっていく。

    山本さんが注目するのが、「ヤマトンチュ」(内地人)や「アメリカー」(米国人)など、外部の男に「連れていかれる」「妻にされる」という理由でハジチを入れた女性たちの存在だ。

    ハジチを入れれば連れていかれずに済む――。

    そう考えること自体、ハジチが傍目には「醜く」映るという価値観を、当時の沖縄女性が半ば内面化していたことを意味する。

    「女性として綺麗になるために入れていたはずが、『身を守るため』という風に意味合いが変わっていった。ある種の防衛反応ではないかと考えています」

    ハジチはおばあの文化?

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    タトゥーサプライヤー「Wizard T.S.」提供のシリコン製の腕に、彫り師のMayさんがハジチを施した

    こうして、ハジチは廃れていった。

    専門の施術師は次々に廃業。子どもが友人同士で指にごく小さなハジチを突き合う「ハジチアソビ」と呼ばれる風習が、かろうじて昭和初期まで命脈を保っていたと言われる。

    現在でも、「ハジチアソビ」を経験した高齢者はいるものの、完全な形のハジチを持つ女性はほぼ存命していないとみられる。山本さんが調査を行なった1990年代の半ばの時点でさえ、対象者は100歳前後の高齢者ばかりだった。

    「ハジチ=おばあの文化」。そんなイメージを変えることも、今回の展示の狙いのひとつだ。

    タトゥー用品のサプライヤーから提供を受けたシリコン製の腕に、彫り師が実際に施術することで、若い女性がハジチを入れていた往時の様子を再現しようと試みる。

    展覧会のポスターにも、沖縄と台湾のパイワン族の若い女性を描いたオリジナルイラストを使っている。

    「現在では、おばあさんが入れているところしか見たことがない、という人がほとんど。でも、ハジチはそもそも若い人たちの文化でもあった。シリコンの展示やイラストを通じて、イメージを刷新したいですね」

    異例のタトゥー展

    提供 / Via webnansei098.wixsite.com

    企画展のポスターに描かれた、沖縄とパイワン族の女性。イラストはNAIMEIIEMIANさん

    入浴施設でのタトゥー禁止をはじめ、日本社会ではタトゥーに対するアレルギー反応が依然として強い。

    公立博物館・美術館での展覧会は大きなチャレンジだが、地元メディアに相次いで報じられ、10月5日の初日から3日間で来場者はのべ1000人を超えた。

    開催に先立って運営資金を募ったクラウドファンディングでも、218人から178万円が集まった。

    「ハジチを知らなかった」「企画してくれてありがとう」といった声も寄せられており、山本さんは確かな手応えを感じている。

    「国内ではどこの美術館・博物館でも、『タトゥー展はあり得ない』という反応が大半で、これまで議論の俎上にもあがりませんでした」

    「今回の展示を東京や大阪で観たい、台湾に持っていきたいという声もあがっているので、今後は巡回を目指していけたら。イレズミやタトゥーを語ることすらはばかられる閉塞的な状況に、風穴を開けていきたいです」

    提供

    山本芳美教授

    山本芳美(やまもと・よしみ) 1968年生まれ。文化人類学者。都留文科大学文学部比較文化学科教授。修士論文で沖縄女性の手のイレズミであるハジチ(針突)を取り上げ、博士論文では沖縄・台湾・アイヌ・日本の各地域のイレズミ史をまとめた。著書に『イレズミと日本人』(平凡社)、『イレズミの世界』(河出書房新社)など。沖縄県立博物館・美術館で11月4日まで「沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー」を開催中。クラウドファンディングは終了したが、会期末まで運営資金を募っている。問い合わせはこちら