不滅の男、エンケンが逝った。がん闘病中だったシンガー・ソングライター遠藤賢司さんが10月25日、70歳でこの世を去った。生涯かけて「純音楽」を突き詰めた異端のミュージシャンは、そのものスバリ「俺が死んだ時」という楽曲を残していた。そこに込められた思いとは――。
エンケンは1969年、「ほんとだよ/猫が眠ってる」でデビュー。「夜汽車のブルース」(1970年)や「カレーライス」(1971年)など、数々の名曲を生み出してきた。
30年を超える親交があるという音楽評論家の湯浅学さんは「『純音楽家』として自分の音楽だけを突き詰めてきた。とにかく純粋で素朴な人」と語る。
名曲「カレーライス」では、何気ない日常をささやくように淡々と歌う。カレーをつくる女性のかたわらで、ギターをつま弾いたり、寝転んでテレビを見たり。
ところが不意に、三島由紀夫の割腹自殺を思わせる「誰かがお腹を切っちゃったって」という不穏なひと言が忍び込む。聴き手はハッとさせられる。
湯浅さんは「だけど、政治的な意図はまったくない。カレーをつくっている時、本当にたまたま(自決の様子が)テレビに映っていたというだけなんだ」と明かす。
「ワッショイ」はピストルズから
デビュー当初はフォークシーンを中心に活動していたが、ほとばしる異才はジャンルの枠に収まりきるものではなかった。
「弾き語りでもテンションはハードロック。自分のことをフォーク歌手だとは思っていなかったんじゃないかな」
「ロックはもちろん、歌謡曲も大好き。山田耕筰や芥川也寸志、早坂文雄の交響曲や映画音楽も含めて、本当にいろんな音楽を愛して、熱心に聴いていた」
「音楽にヒエラルキーはない。いいものはいい、というスタンス。音楽に対してフランクで柔軟だった」
1979年に出した「東京ワッショイ」は、日本のパンクの先駆けとも言われる。
セックス・ピストルズの『Holidays In The Sun(さらばベルリンの陽)』のコーラスが『ワッショイ』と聞こえたところから発想したというから、空耳アワーも真っ青だ。
アンプをリュックのように背負い、ステージを駆け巡りながら「ワッショイ!」と絶叫する様は、「カレーライス」のささやき声が嘘のようにパンクでエネルギッシュ。「静と動」を地でいく人だった。
「頑張れエンケンって言ってくれ!」
代表曲のひとつ「不滅の男」(1978年)には、《「頑張れよ」なんて 言うんじゃないよ》という歌詞がある。
そんな反骨の男が、昨年9月に渋谷クラブクアトロであったライブでは一転、「頑張れエンケンって言ってくれ!」と呼びかけた。客席からは「頑張れエンケン!」のコールが湧き起こったという。
湯浅さんは「もしかしたら最後のライブになるかもしれないという思いもあって、最初は重苦しい雰囲気だった」と振り返る。ライブの3ヶ月前に、がん闘病が公表されていた。
「エンケンに『頑張れ』なんて言うのは失礼なんじゃないかと遠慮してたけど、本当はみんな『頑張れ』って言いたかった。あの掛け声で思いが解放された気がする」
歌詞の通りの人生
2012年のアルバム「ちゃんとやれ!えんけん!」には、「俺が死んだ時」という曲が収められている。
そう俺が死んだ時 俺の凄さが解かるだろ
俺の遺影に 上っ面な手を合わせながら お前はこう思う
ああこいつは音楽だけは 逃げずにやってきたんだと
湯浅さんは言う。
「本当にこの歌詞の通りの人生。恋愛から人類愛、宇宙愛まで、広い意味でのラブソングを歌い続けてきた。自分のことを歌っているうちに、私小説のように普遍的な共感を得る。その美しい例だと思う」
「俺が死んだ時」の最後は、こんな言葉で締めくくられている。
でもざまあみろ 少しは生きる肥やしになるだろう
自らの生き様を誇る歌なのに、「少しは」という言い回しが妙に謙虚だ。エンケンの諧謔的なセンスにクスッとさせられながら、歌が現実になってしまったことを悟って胸が締め付けられる。
肉体は滅びても、エンケンの歌と魂は不滅だ。きっといまごろ、ボイジャーと一緒に宇宙を旅でもしながら、あの琵琶みたいなギターを鳴らしているに違いない。
きょうはカレーライスかオムライスを食べよう。ラーメンライスもいいな。