「誰かの靴を履いてみること」息子のテストの回答に思わずハッとさせられる

    ブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が発売2ヶ月で5万部を突破。口コミで人気が広がっている。

    「各章を読み終える度に泣けてくる」「社会批評だが、一編の小説のよう」「読み終わるのがもったいない」…。

    保育士でコラムニストのブレイディみかこが、イギリスの中学校に通う長男の成長を綴った『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)が注目を集めている。

    口コミで人気が広がり、発売2ヶ月で累計5万部を突破。「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」の候補作にもノミネートされた。

    格差や分断など、作品で描かれる英社会の課題は日本にも共通のものだ。そうした問題とどう向き合っていくべきか、ブレイディに聞いた。

    子どもはすべてにぶち当たる

    《「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。若者はすべてを知っている」と言ったのはオスカー・ワイルドだが、これに付け加えるなら、「子どもはすべてにぶち当たる」になるだろうか》

    『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の序文は、これ以上ないほど適切に、本書の内容を要約している。

    格差・差別・分断…。労働者階級の子どもが多く通う「元底辺中学校」で、息子は英国社会が抱える厳しい現実に次々と「ぶち当たって」いく。

    タイトルの由来

    印象的なタイトルは、アイルランド人の夫との間に生まれた息子が、ノートの隅に書き記した言葉に由来する。

    母の故郷の福岡に赴いた際、息子は「ガイジン」「ハーフ」といった呼ばれ方に違和感を抱く。といって、「ダブル」も何だかしっくりこない。

    「『ハーフ』とか『ダブル』とか、半分にしたり2倍にしたりしたら、どちらにしてもみんなと違うものになってしまうでしょ。みんな同じ『1』でいいじゃない」

    みずみずしく柔らかい息子の言葉は、読み手の感性を揺さぶり、凝り固まった思考を解きほぐしてくれる。

    「1でいいじゃない」

    ――「1でいいじゃない」という息子さんの言葉にハッとさせられました。

    たぶん、数量にこだわるのは数学が好きだからだと思うんですけど。何でいきなり半分になったり、2倍になったりするの?って。

    小さいころ福岡でバスに乗っている時に、じろじろ見られたりしたこともあって。本人からすると、そういう思いなんだろうなと。

    どちらの罪が重いのか

    ――息子さんの同級生も多彩なバックグラウンドを持っていますね。裕福なハンガリー移民のダニエルが公営住宅に住むティムを「貧乏人」とあざけり、ティムが「ファッキン・ハンキー」(中東欧出身者の蔑称)と言い返したら、ティムの方が学校から厳しい罰を受けた。息子さんはそこに疑問を抱きます。

    ヘイトスピーチは法に触れるから、教育者としては「違法なことはしちゃいけないんだよ」と教えた方が将来その子のためになる、という判断なんでしょうね。

    ――しかし、「貧乏人」と罵ることの方が罪が軽いかというと…

    そうじゃないですよね。政治的判断はさておき、それって人間としてどうなの? おかしいんじゃないの?っていう。

    レイシスト的な発言の方が法的に重いし、警察沙汰になるかもしれない。だから、先生がそっちを叱るのはわかる。

    でもウチの息子はそういう大人の常識とか、世の中的な「当たり前感」がないので「それじゃまるで犬のしつけみたいじゃないか」と言うわけです。

    法に触れないようにしつけているようなもので、人間として本当に正しいかどうかを教えていないと。それを何で?とまともに問うてくる。確かにアンフェアですよね。

    私自身、遠い昔に向き合った本質的な問いを、息子と一緒に再び問い直している感じはあるかもしれないですね。

    多様性は簡単じゃない

    ――ところが、ティムに「ファッキン・ハンキー」と罵られたダニエル自身も、黒人の女の子に対して「ジャングルのモンキー」と人種差別発言をしたりする。複雑な現実が描かれています。

    現実はわかりやすくない。単純な二項対立には絶対なりません。

    多様性、多様性って一言で言いますけど、人のアイデンティティーって別に一つじゃないですから。

    ――しかも、ダニエルは「時代遅れのレイシスト」として同級生からいじめられてもいる。被害者であり、加害者であり、やっぱり被害者でもある、という。

    レイシスト認定っていうのは「ダサいもの認定」なんです。あの年代ってクールか、クールじゃないかがすごく大きい。だからアンクールなヤツはいじめるんです。

    息子もダニエルのことは放っておけないみたいで、友達づきあいを続けていますね。

    東欧系ってイギリスで一番差別されている対象でもあって。ウチの連れ合いもダンプの運転手をしていますが、ガテン系の人たちは「俺らの仕事を取りやがって」と彼らを快く思っていないことが多いです。

    誰かの靴を履いてみる

    ――この本を読んで初めて「エンパシー」という言葉を知りました。

    学校のテストで「エンパシーとは何か」という問題が出て、息子は「誰かの靴を履いてみること」と書いたそうです。英語にそういうことわざがあるんです。

    「シンパシー」と「エンパシー」って似ていて、英語圏の人もごっちゃにしている。英和辞典だとどちらも「共感」と出てきます。

    でも、英英辞典で見ると明らかに違う。

    シンパシーは自分が同意する人や、同情する人に対して、感情が動いたり、感情的に入り込むこと。

    エンパシーはたとえ自分が賛成しない人、意見が違う人であっても、その人の立場になって想像する能力。「アビリティー」とはっきり書かれていました。

    「共感できる」とか「かわいそう」というんじゃなくて、わざわざひと頑張りして、誰かの靴を履いてみる。

    たとえば「あいつの経済政策は気に入らないけど、ちょっと勉強してみようかな」とか、あえて踏み込んで考えてみる。それってすごく知的な作業じゃないですか。

    これから世界を前に進めていくうえで、エンパシーはキーワード。それが欠けると、世の中がすごく悪くなっていくと思います。

    緊縮と多様性は合わない

    ――実際、そうなっているような気もします。ブレイディさんは共著『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう――レフト3.0の政治経済学』(亜紀書房)で、「反緊縮」のスタンスを打ち出しましたが、緊縮的な経済政策によって、人心が荒廃している面もあるのでしょうか。

    緊縮的な「しばき経済」をやってると、人の心ってすごくしぼんでいく。2010年から厳しい緊縮財政が取られてきた英国で、肌でそれを感じてきました。いまレイシズムがこれだけ取りざたされるのも、無関係ではないと思います。

    多様性を推し進めようと思ったらお金がいる。財政支出です。でないと、不満が出てきます。「外国人が増えて公共サービスが劣化した」と外国人のせいにしたり、排外主義を煽ったり。

    緊縮の世の中ではエンパシーも育ちにくい。緊縮と多様性は合わないんです。

    日本もアベノミクスで第1の矢、第2の矢を飛ばしたというけど、全体的にはまだまだ緊縮気味。そこに外国人労働者の方々が入ってきた時に、不穏な世の中にならないか心配です。

    「性悪説」より「性バカ説」

    ――「性悪説」というわけでもないのですが、現在の分断されたネット言論の状況を見ていると、エンパシーという概念が果たしてどれだけ浸透していくか、心もとなくも感じます。

    私は割と性悪説というか、「性バカ説」みたいなところがあって。

    福岡のスーパーでエレベーターに乗った時、赤ちゃんがウチの連れ合いの顔を見て、ギャーって泣き出したんですよ。

    眠りかけていたのに、連れが入ってきた瞬間、目をパッと見開いて「何、この生き物?」っていう感じで。

    でもそれはレイシズムでもなんでもなくて、知らないからそういう反応をしてしまうだけ。慣れれば泣くこともなくなりますし。

    向こうで保育士をやっていても、1歳とか2歳の子たちは私を見て同じ反応しますよ。逆に職業意識が湧いてきて、絶対仲良くなってやる!と思うから、すごく目を掛けるようになる(笑)

    何年か経って卒園するころには、一番仲良くなって、泣きながら抱き合ってますから。

    やっぱり人間は学んだり、経験したりしながら変わっていく。習うより、慣れろですよ。机上やネットの世界ではなく、実地での体験であり、生活です。

    息子たちを見ていても、そう感じるんです。習うより、慣れろ。考えるより、ぶつかれ――。考えてないから結構、蛮勇もやらかすんだけど。

    最初は反発しあっていた息子とダニエルも、ふとしたことで友達になりました。一足跳びで飛び越えていっちゃうんですよね。

    学校で起こるトリッキーなシチュエーションを、日々実地でいなしながら生きている彼らと接していると、思うんです。

    この子たちが大人になる時は、世の中そんなに暗くないんじゃないかなって。

    〈ブレイディみかこ〉 保育士・ライター・コラムニスト。1965年、福岡市生まれ。県立修猷館高校卒。1996年から英ブライトン在住。日系企業での数年間の勤務を経て、英国の保育士資格を取得。託児所で働きながらライター活動を始め、2017年に『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。