
新井英樹の名作漫画『宮本から君へ』の劇場版が、9月27日に公開された。原作者でありながら、主人公・宮本浩の父親役で出演した新井は、ヒロイン役の蒼井優から手荒い洗礼を受けたという。
断られると思ったのに…
――宮本の父・武夫役。見事にハマってました。
だまされました!
監督の真利子(哲也)君からは「宮本を映像化したい」「うまくいきそうです」「やっぱりダメになりそうです」みたいな話を散々聞かされていて。「自分に協力できることがあったら何でもやるよ」とは言ってたんです。
そうしたら、まずドラマ版(昨年、テレビ東京で放送)で父親役をやってくれないかと。いくらなんでもズルいぞと思いつつ、「一人でもよくないって言ったら俺は断るから」と条件付きでOKしました。
宮本役の池松(壮亮)君は真利子君以上の原作原理主義者。「漫画家の俺を出すのは、プロとして違う」と反対してくれると計算してたのに……。

――誰も止めてくれなかった(笑)
そうそう。
ドラマが終わった後も、色々すったもんだがあって。ようやく映画化ってなった時に、真利子君は「新井さん大丈夫です。今度は新井さん出ませんから」と言ってたわけ。
それなのに撮影開始の1ヶ月ぐらい前に、やっぱり出ることになったらしくて。
「蒼井優慣れ」しなくちゃ

――映画は「出なくていい」という話だったんですね。
だって気が狂ってるでしょ? 素人がいきなり池松壮亮や蒼井優とテーブル囲んで演技するって。キツイでしょ、普通。
これは「蒼井優慣れ」しておかなきゃいけないと思って、撮影現場を見に行きました。
あるシーンのリハーサルで、池松・蒼井の2人がバーって泣いて。蒼井さんは激怒して立ち上がって、目の前の机に置かれたラムネの瓶を持って行こうとした。
でも、途中でやめて「あ、これは持っていかないか」って急に普通のテンションに戻ったんです。いやいや、あなたいままで、ものすごい感情高ぶらせて泣いてたじゃんって。
こんな一瞬で切り替わるんだっていうのが衝撃で。慣れようと思って行ったのに、ますます幻影がでかくなりました(笑)
「アレはかましてきてた」

――まったく気圧されることなく演じているように見えましたが。
いやいや、キツかったっすよ。
テンションが高くてハードなシーンが多いなかで、その日は少しのんびりできるシーンだったみたいで。2人ともギリギリまで雑談してるんですよ。「よーい、はい」の直前まで。
しかも俺にも話を振ってくるの。ああ、こういう雰囲気でやるんだと。合わせて喋ってたけど、頭の中はすごくテンパってました。
――先生の緊張をほぐそうとする、蒼井さんなりの配慮だったのでは?
いや、アレはかましてきてた。いじりだと思う。遊ばれてましたね(笑)
池松を必死で止めた

――池松さんは「原作原理主義者」というお話がありましたが、宮本を演じるために本気で歯を抜こうとしていたそうですね。
真利子君と2人でウチにやってきた時に「歯、抜きますよ」って言うから、「いや、ちょっと待って」と。俺とカミさんで必死に止めて。
「俺、ほかの映画だったら止めないけど、俺原作の作品でそれはやめて」って。
やっぱり歯を抜くと、いろいろバランスが崩れるだろうし。思考回路だって変わっちゃうかもしれないし。歯の本数と認知機能にかかわりがあるとも言われているから。
本気だということがわかった時点で、「もういいよ」と言いました。人生があって、そのなかに役者の仕事がある。その気持ちだけで十分でしょ。
Twitterで生存確認

――宮本と真淵拓馬(一ノ瀬ワタル)との非常階段での決闘シーンは手に汗握りました。
あのシーンは、怖くて撮影を見にいけなくて。池松君から連絡もないから、心配になって翌日に「池松壮亮」でTwitterのリアルタイム検索をかけました。誰かが「池松君を見た」と書き込んでたので、じゃあ大丈夫だったんだなと。
――直接聞くこともできないし、Twitterで生存確認して(笑)
そうそう。
「こんなの撮れるの?」

――宮本と中野靖子(蒼井優)が愛し合う場面が、非常にしっかりと濃密に描かれていて。それだけに、その後に2人を襲う試練を見るのはとてもつらかったです。
2人の一番いい時間の描き方が、すごくいいなと思って。表でキスするシーンとか、初めて部屋に行って飯を食うシーンとか。
すごく失礼な言い方だけど、真利子君こんなの撮れるの?って(笑)
宮本と中野靖子がどういう手順を踏んでああなったのか、脚本段階ではそこまで描いてなかったので、「届くのかな?」と思ってたんだけど、「届くでしょ、これ」って思った。
蒼井優が「素で泣きました」
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『宮本から君へ』90秒予告
――「試練」について、具体的なネタバレは避けますが、映画のパンフレットでは《25年前にボクが片付けられなかった「あのシーン」の顛末、ずっと残っていた心の罪の想いを ボクのこどものような歳のふたりの演者が救済してくれました!!》と綴っていますね。
解決できるって思ってたんだけど、いろいろ話を聞いたり、自分で描いたりしているうちに、これは解決できないなと。
いくら宮本が頑張っても、中野靖子のなかできちんとした整理をつけない限り、救うことができない。
宮本がやった非常階段のケンカだとか何とかっていうのは、何の意味もないことなんですよ。それを2人が認めたうえで、中野靖子が宮本という男をのみ込むかどうか。
できあがった映画を見たら、池松君の声が非常に良くて。蒼井さんに感想を聞いたら、「いやもう私、素で泣きましたよ」と言ってくれて。ああ、あの蒼井優が素で宮本を受け入れたんだったら、俺もういいやって。
――作者としても本望だと。
そこでもし、蒼井さんが「私だったら無理だけどね」と言っていたら、また持ち越しになったと思うんだけど、素で受け入れてくれた。
中野靖子の問題を、中野靖子役の蒼井優がのみ込んだ。ああ、この男をよしとしてくれたんだったら、もう誰に何を言われてもいいや、と思いましたね。

新井英樹(あらい・ひでき) 1963年、横浜生まれ。明治大学卒業後、文具メーカーを1年で辞め、漫画家を志す。1988年、ちばてつや賞入選。翌年、『8月の光』でアフタヌーン四季賞・夏の四季大賞を受賞し、漫画家デビュー。1993年、『宮本から君へ』で小学館漫画賞〈青年一般部門〉。『ザ・ワールド・イズ・マイン』『キーチ!!』『SCATTER -あなたがここにいてほしい-』などの話題作、問題作を次々と発表。昨秋の『愛しのアイリーン』に続き、今秋『宮本から君へ』が劇場公開された。インタビュー本『ザ・ワールド・イズ・ユアーズ:この熱い魂を君にどう伝えよう』が発売中。丸井錦糸町店で10月15日まで、妻・入江喜和との「画業30周年原画展」を開催、トークショーやサイン会も予定している。