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あの日の僕や君を救いたかった。「生と性」を小学生に教えた担任の2年間

それは「自分の人生の主導権を他人に渡すな」ということ。

「最後の学級通信。その日を迎え、心に降りてきた言葉を書くのが一番いい気がして、卒業式の朝に書いた。『自分の人生に当事者意識を持ちましょう』みたいな偉そうなことを書いているけれど、実のところ、僕自身が最近まで自分の人生に当事者意識を持てず生きてきた。僕は、世の中の『ふつう』という社会通念にずっと苦しんできたけれど、それと対峙することをずっと避けてきた。
 

だから、最後の学級通信で書いたことは、子どもたちだけでなく、自分自身にも向けてのメッセージでもある。生と性の授業という実践をしなければ明確に言語化されなかったことだったのかもしれない。生と性の授業という実践は僕自身のあり方を大きく変えた。自分の人生に覚悟がもてた。ようやく」

これは2018年3月16日、東京都の私立桐朋小学校で初めて卒業生を見送った担任・星野俊樹先生の日記だ。

小学生だけでなく、星野先生自身を変えた「生と性の授業」とは、いったいどういうものだったのか。
 

生き抜くために自分を殺した…あの日の僕が知りたかったことを教えたい。

自分らしさとは何か。自分らしい生き方とは何か。

星野先生は語る。

「僕はいわゆる体育会系の男子ノリについていけない子どもで、みんなと違う『ふつうじゃない自分』は男としてダメなんだと悩んでました。

学校は男子校で、男社会のヒエラルキーの中で安全に生き抜くためには『実力のある変人』というポジションを確立しなければ……と不思議キャラを演じてたんです。それほど学校は生きづらい場所だった。

そんな僕に、誰かの『ふつう』と自分の『ふつう』は違ってもいい、ふつうを相対化させてもいいんだ、という多様性の視点をくれたのは、大学のときに読んだフランスの哲学者ミシェル・フーコーの『性の歴史』という本でした。

でも、子どものときに学校や大人がさくっと教えてくれてもよかったと思うんですよね。べつにフーコーじゃなくても(笑)」

一度は編集者として就職した星野先生が学校の先生にキャリアチェンジした理由の一つも、多様性教育の必要性を強く感じつづけていたからだ。

しかし、いざ教員になってみると、新しい試みをどう実践するのか学校側を説得するのが難しい。自分と同じような課題意識をもちながら、諦めてしまう先生も見てきた。

自分以外の「意識の高い」「能力の高い」誰かが社会的な地ならしをしてくれたら……。そんなふうに過ごしていたある日、新しい赴任先の桐朋小学校で同僚の先生が背中を押してくれた。

「やってみましょうよ」
  

学校、性別…身近な固定概念を壊す。子どもの反応は

子どもたちは信頼する相手の話なら真剣に聞いてくれる。まずは時間をかけて、クラスの子たちとの信頼関係をつくることに注力した。

また日ごろから「学校」「性別」などにまつわる固定概念を意識的に揺らがせた。

たとえば朝の教室でアロマをたいてみる。子どもたちは登校するなり、男子も女子もくんくんと鼻を寄せながら自然に楽しんだ。

得意の料理でかわいいお弁当も自作した。一方、筋トレにいそしみ、バイクの話もする。いわゆる男子っぽいノリにも積極的に参加した。

「僕に対する呼び名が多様化していくのが面白かった。

女子からは『ほしこ』『ほっこさん』と呼ばれるようになりました。なぜか(笑)。一方、男子からは『ボス』って呼ばれたり。

僕の中にいわゆる『男性』性と『女性』性の記号があって、そこをうまく散りばめられたのかも」

肉体も自認する性も男性だからといって、内面のすべてが「男らしい」要素で構成されているわけではない。そう体現していくうちに、子どもたちとの関係性にも広がりが生まれていくのがわかった。
 

「生と性の授業」とはなにか?

「性の多様性とは、本質的には『あなた』のあり方であり、生き方を語る問題だと思うんです。そこをすごく伝えたかった。

性教育は、りっしんべんの性でもあるんだけど、その前に生き方の教育だろうと。だから、このテーマを語るときには生きるのほうを先にもってきて『生と性の授業』と名づけることにしました」

自分自身が「ふつう」という言葉に息苦しさを感じながら生きてきた。だから、単なるマイノリティの問題としたり、性の新バージョンとして扱うことはしたくなかった。

生と性の授業は、5年生のときにジェンダー・バイアスについて、6年生のときにLGBTを含めた性の多様性について扱った。
 

意識してクラスを見渡すと、きっかけはいくつもあった

5年生が終わるころ、「女子力」という言葉に疑問を感じるという子どもの声があがった。

初めて実施した「生と性の授業」では、ジェンダー・バイアス(性別にまつわる固定概念)というテーマをクラスに投げかけた。

授業の翌日、何人かの子どもがジェンダーについて自主学習ノートにまとめてきてくれた。星野先生は、子どもたちの分析や意見を学級通信に載せた。

そこには、子どものこんな声がある。

「この世に、女らしさ・男らしさなどというものは実在しないのではないか。だって、生きていくうちに自然と常識になっていったものなので、『だれがいつどこできめた』わけではない。でも、いつの間にかできて、生まれてきた時からそれがあって、その流れにのって一生を過ごす。そんなあり方でいいのか? 自分の『希望』を捨ててまで『らしさ』にしたがうべきなのか?」

6年生に上がるとき、何人かの女子が男子にまじってサッカークラブを立ち上げた。
 

子どもの口から出た「LGBT」というワード

じつは同じころ、クラスでいじめが起きた。これをきっかけに差別について考える時間をつくり「いま社会にどんな差別があると思う?」とクラスに問いかけた。すると、ある子が「LGBT」と言ったのだ。

「えーっ、この子たちLGBT知ってるの!?」と衝撃を受けた。と同時に、星野先生がもうひとつ気づいたことがある。

「LGBTという言葉に、ポカーンとしている子もいれば深くうなずいている子もいて。差別の中でも問題意識の差が顕著に出ているテーマだということが、すぐに見てとれました」

「女らしさ、男らしさへの息苦しさ、差別、LGBTというワード。こうしたタイミングが重なって、あ、やらなきゃいけない、と思ったんですよね。今までLGBTの話を上手く切り出せなかったけど、今このタイミングだって」
 

日々の授業をとおして「性」を多面的に見つめる

LGBTの中でも性的指向の話は、とくに慎重に進めなければ単なる“エロい”話に収束するリスクがある。子どもたちが性を多面的に見られるよう、星野先生は複数の科目を組み合わせたアプローチを実践した。

一つは、生物学的なアプローチ。理科の先生の協力のもと、授業でウニが精子と卵子を体外受精させるところを子どもたちに見てもらう。

「精子とか卵子とかいう言葉にくすっと笑う雰囲気をナシにしたくて。生物が命をつなぐことを考える時間を作ってくれました」

もう一つは、保健の授業での「第二次性徴とは?」という医学的アプローチ。そして担任の星野先生は、社会学的なアプローチで、ジェンダーについて考える授業をした。

クラスの子どもたちから出てきた言葉をすくい上げ、子どもたちの生活と地続きの文脈で教える。これは、ふだんから様々なテーマで星野先生が心がけていたことだ。
 

「ふつう」を問い直す、という考え方でつながった出会い

星野先生は、実践のさらなるヒントを求めて「多様性を目指す教員の会」に参加した。LGBTなどの子どもたちが過ごしやすい教室を作るため、教職員を中心に構成された勉強会だ。

講師を呼びたいという相談をすると、学校などの現場でLGBTにまつわる講演活動をしている中島潤さんを紹介してくれた。

中島さんは、性自認について「女性じゃないことははっきりしているけど、男性というわけでもない」。自身がトランスジェンダーであることを明かして、10年ほど前から発信活動をしているが、はじめは苦戦していたという。

「あなたの隣にもLGBTはいるけれど相談できてないだけかもしれない、と課題そのものを語りかけていたんです。すると『LGBTの人がいてもいい』『助けてあげたい』みたいな反応になる」

多様性についての理解どころか、多数と少数の構図が強調されてしまったのだ。

「これはどうやら発信の仕方に問題があるんだと気づきました。

それで、世の中は男か女かの二種類の人で構成されている、男は男らしく・女は女らしくふるまうのが望ましい、といった性の『ふつう』について、少し立ち止まって考えてみませんか、と問いかけてみることにしたんです。

すると、意外に『あ、私も女らしくと言われたら嫌です』『男らしさを押しつけられると苦しい』という人も出てきて。そりゃみんな違うよね、って。

で、みんな違ってていいはずなんだけど、なぜか社会的な『ふつう』の枠組みにはまらないと生きづらい現状があって、自分はその現状を示す課題の名付けとしてLGBTと使っているだけなんだ、というところに落ち着きました」

星野先生と中島さんは「LGBTを教える」ではなく「LGBTで教える」という互いのアプローチに意気投合した。そして、どのように教育を実践していくか話し合いを重ねた。

その根底にあるのは「自分らしさや人の多様性を尊重し、子どもたちに豊かな人生を歩んでもらいたい」という願いだった。

「LGBT教育はまだ早い」という声。どう認識をすりあわせたのか?

性の多様性を子どもに語るとき、一番の心配は保護者の理解をどのように得ていくかだった。

実際、「時期的に早いのではないか?」という声もあった。その背景には、ネットで「ゲイ」と検索するとポルノ系サイトが並ぶなど、偏ったイメージばかり強調されていることも影響しているだろう。

こうした声に対して、学校側の意図が不透明なまま教育実践に入ると、保護者からのクレームのもとになる。星野先生は学級通信を通じてその意図を伝え、子どもに授業をする半年以上前(6年生の夏)に、ほぼ同じ内容で保護者むけのレクチャーをすることにした。

いつか授業を受けた子どもが家に帰ってきたとき、身近な大人と会話ができるようにという狙いもあった。

星野先生が伝えたかったのは、こんなメッセージだ。

「この教育実践で伝えたいことは『LGBTを差別せず仲良くしましょう』という思考停止したスローガンではありません。

性の多様性に限らず、もし子どもが『その子らしさ』を持つがゆえの生きづらさを感じているのなら、そこに寄り添える大人であってほしい。もし子どもの親友が悩んでいるのなら、拒絶するのではなく理解しようと耳を傾けられる子どもであってほしい。

このテーマの本質は人のあり方や生き方の問題であり、他者理解につながる問題だ。そう考えれば早すぎることはない。

だから、あえて講演のタイトルを『LGBTについて考える』ではなくて『子どもの自分らしさを大切にする子育て・教育を考える ~多様な性の視点から~』としました」

LGBT以外のテーマを選ぶこともできただろう。しかし、「生と性の授業」を通じて身につけた力は、今後ほかの課題にも応用できる。そう確信していた。

講演では、中島さんの母親から小学生の保護者にむけた手紙が、中島さん本人によって読まれた。初めてカミングアウトされた日の戸惑い、そこから子どもをどう理解し、寄り添ってきたか。子どもの幸せな人生を願う、同じ保護者としての目線で書かれたその手紙は、多くの保護者に好意をもって受け入れられた。

このことは、星野先生、中島さんそれぞれにとっても大きな勇気になったという。
 

いよいよ子どもたちへ

LGBTを含めた「生と性の多様性」を扱う子どもむけの授業は、6年生の卒業シーズンに行われた。

夏に保護者むけの講演で話した内容を子どもむけにアレンジした「『ふつう』ってなんだろう?」という授業では、LGBTを一つの切り口として多様な生き方や性のあり方を学んでもらった。

星野先生が「日本のLGBTの人口は、日本の名字トップ3の佐藤・鈴木・高橋さんをぜんぶ足した数より多いんだよ」と伝えると「えええええええええええええっっっ!????」と子どもたちに激震が走った。

LGBTの人口より少ない佐藤さんは普通じゃないのか。鈴木さんはマイノリティなのか。決してそんなことはないだろう。誰もがその人の個性を持っている。

「人はみんな違う、そしてみんな尊い。という前提があって、そのうえに、性のあり方もみんな違う、そしてぜんぶ尊い。正常・異常の区別ではない。多数・少数の区別ではない。みんな幸せになる権利がある。誰かを貶めるということは、やってはいけないこと」

中島さんの想いを受け止めた子どもたちは、こんな感想を書き残している。

「十人十色という言葉のように、一人一人が違うからこそ新しく見えてくるものがあると思います。(中略)誰かの救いになったり勇気になれることは誰でも実現できるものだし、相談にのってあげることでその人の悩みを解決することができるのはステキだと思うし、良いことだと思います」

「今日の授業で心に残ったことは、『ふつう』=みんなと一緒が幸せではないということ」

 

自分と異なる他者と共に生き、豊かな人間関係を築くために

最後の「生と性の授業」では、異なる「自分らしさ」を持つ中島さんと友人が、どのように出会い、仲を深めていったのかを語った。

中島さんの友人は、いわゆる“LGBT”には当てはまらない。けれど、お互いの中にある共通の興味・関心でつながっていった。

一方、トランスジェンダーの中島さんがどんな呼称で呼んでほしいのかなど、わからないことは率直に聞き、お互いが心地よく過ごせるよう心のハードルを一つずつ下げていったという。

LGBTの感覚が理解できなくてもいい。こうした問題にかぎらず、理解できない相手はいるだろう。でも、そんな相手と共存していくことはできるのだ。

最後のこの授業は、中学でより多くの出会いを経験する子どもたちへの贈り物として、卒業式の数日前に行われた。
 

子どもたちの提案で生まれた卒業式

「卒業式で『くん』『さん』を呼び分けたら、友だちの中にも違和感を覚える人がいるかもしれない。『さん』で統一してはどうか」

授業を終えた日、子どもたちから提案があった。教員同士で話し合った結果、この年の卒業式ではその案を採用した。

来年以降どうするかは、まだわからない。新しく6年生に上がる子どもたちと向き合い、あらためて教員全員で議論する必要があると星野先生は感じている。
 

最後の学級通信で星野先生が伝えたこと

こうした実践を終えた星野先生は、卒業式に何を思い、何を書いたのか。最後の学級通信を一緒に読んでみたい。

「私が、最後に伝えたいこと。それは『自分の人生の主導権を他人に渡すな』ということです。『優しくあれ』『正直であれ』『誠実であれ』……伝えたいメッセージは本当にたくさんあるけれど、あえて一つだけこのメッセージを君たちに贈ろうと思います。
 
間違いなく、自分の人生は自分のものです。親、先生、友達、『ふつう』とされる社会通念、国といった他者のために自分の人生があるわけではありません。だから、自分の人生を自分の力で切り拓いてください。自分の頭で考え、心で感じ、進むべき道を自分で選択し、決定してください。一人の自立した人間として、自分の人生を他人任せにせず、『自由に』生きてください。しかし、自由に生きるということには、責任が生じます。だから、自分の人生に当事者意識をもってください」

それぞれの「自分らしさ」を胸に、新しい他者との出会いにむけて、子どもたちは新しい一歩を踏み出す。2年間の授業実践を終えた星野先生も、新しい一歩を踏み出す。

その一歩は、私たちも今日から踏み出せる一歩かもしれない。


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