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妊婦は辛いよ 周りの「優しさスキル」を上げるのに必要なこと

妊娠は病気じゃない、だけど常に病気や死と隣り合わせ

産婦人科の教科書を開くと、妊娠したら起こる身体の変化について書いてあります。乳首が黒くなる、つわりがおこる、子宮は柔らかく大きくなってくるなどなど。

学生時代まではその知識だけですみました。

産婦人科医になると、あまりに妊婦はいろんな体調不良と共生していることがわかりました。つわりひとつとっても、吐き気だけにとどまらずひたすら唾液が出るタイプ、眠気と戦うタイプ、食べ続けないと気持ち悪くなるタイプがありますが、そこまでは教科書には書いていません。ちなみによく効く薬もなく、ひたすらみんな時の過ぎるのを待っています。

お腹が前にせり出し、お産のために靭帯が緩むため腰痛もあります。いわゆる血のめぐりが悪くなるためにむくみ、足がつります。トイレは近くなるし、眠りも浅くなる。耳に水が入ったときみたいにぼわーんとなる人もいます。

お腹が大きくなると妊娠線もできます。もう消えない妊娠線を「もう誰かが見るわけじゃないんで」と笑うお母さんは多いですが、変わっていく身体の変化を受け入れられず、ショックを受ける方も多くいらっしゃいます。

身体の血液は普段の1.5倍になり、それを全身に送り出すために心臓ががんばって働くため動悸も起こります。免疫力は低下し、風邪を引いたら長引き、またかかり、という経験をした人も少なくないと思います。

母体にとって胎児は臍の緒でつながっており、一心同体のようですが、実は別の個体、「異物」です。通常体内に異物があれば排除するのに免疫力が関わっていますが、免疫力を低下させることで胎児を排除しない仕組みとなっているのです。

どれも激烈な感染症などにかかるようなことがなければ死ぬようなことではありません。しかし、妊婦である限り、不快なマイナートラブルといつもおつきあいをしている状態です。

「妊娠は病気じゃない」とよく言いますが・・・

妊娠は病気じゃない。

まぁ、生殖は生物としての自然な行為なので、それ自体は病気じゃないのは確かです。でも、妊娠から発生する病気のいかに多いことか。ほぼ病人じゃん、というのが私の抱いている認識です。

流産、子宮外妊娠、切迫早産、そういったものが常に胎児と母親につきまとっています。

私たち産婦人科医は、産まれるまで「おめでとう」と言いません。産まれる直前までなんともなかったのに、赤ちゃんが、ともすれば母親も不幸な結果となる経験をしているからです。

知人の言った「3(産)と4(死)は隣り合わせ」は超名言だしその通りだと思っています。

原因不明の胎児死亡も起こります。

「こないだまで元気だったのになんでですか」

「止まった心臓はもう動かないんですか」

そうきかれて返せる言葉もないし、どんな言葉も状況をハッピーにすることはありません。そこには絶望しかないのです。産婦も年間50人程度は命を落としています。一瞬前までは病気じゃなかったのに死ぬ、これが妊娠です。

度重なる周囲の”アドバイス”が重圧になる

食事や生活習慣、出かけること、服装、いろんなことを周囲から突っ込まれるのも妊婦さんです。

あれはしているのか、これはどうか、そんなことで大丈夫か。


赤ちゃんは男の子か女の子か、お腹は小さくないか大きすぎるから実は双子ではないのか、いつ産まれるのか。

妊婦、多分同じ質問を日に何回も違う人からされていると思います。

赤ちゃんに異常はないか、調べなくていいのか、本人達にその気がないのに周囲から求められることまであります。身体以外のメンタルもかなり不安定になります。

津久井やまゆり園という施設で、コミュニケーションをとれない重度の知的・身体障害者が大勢殺され、重軽傷を負わされた事件がありました。

それを受けて、「正常な赤ちゃんしか産んではいけないと思ってしまった」と妊娠を知って喜ぶ前に号泣した妊婦もいます。

「妊婦体験」というイベントがありますが、重い何かを持ってして妊婦気分を味わおう的なものであり、延々と吐き気があるとか常にある不安は体感できません。

妊娠は病気じゃない、だけど常に病気や死と隣り合わせであり、いったん隣に行ってしまうと幸福の絶頂から奈落の底に突き落とされる危うさを持っていることは知っておいてほしいのです。

それでも妊婦に冷たいのはなぜか?

これまで述べてきたように、妊婦は一見、特に健康上大きな問題はないように見えます。それでも前述のようにほぼ病人なのだから、大事にしても罰はあたらないと思うのです。

街中や公共交通機関では、席を譲っていただく以外にお腹にあたらないよう少し気をつけていただくこと(先日、女性ばかりを狙って体当たりしていく人のことが話題となっていましたが、俊敏に動くことのできない妊婦にとってはかなりの恐怖です)。

職場では、妊娠初期には正常妊娠か流産かもはっきりせずまだ妊娠そのものを報告できない人もいますので、体調が悪い人は業務内容や退勤時間など普段から配慮してもらえるようになっているとスムーズですし、なにも妊婦に限ったことではないので他の人にも優しいシステムになるのではないでしょうか。

それでも妊婦に優しくしない、できない人はいるものです。体調不良の妊婦は母子保健連絡カードというものを使って勤務の軽減や休業を雇用主に求められるものがありますが、受け取りを拒絶されたという話も聞いたことがあります。

「優しさスキル」を磨くために

私は幼い頃から冷たい人間だと言われて育ったために、優しさとはなんなのかということについて考えてきました。

結果、自分に他人への共感性が乏しいことはわかりましたので、想像力を駆使して相手の心情を想定して、良かれと思う行動をとるというスキルを磨くことにしてみました。

私の優しさはそのように極めて技術的、意識的な対処法から構成されているのですが、実のところ、優しさとはそういう想像力と行動の積み重ねなんだろうと思っています。学術的なことは知りませんけれど。

しかし、その「優しさスキル」も自分に余裕がない時、極端な疲労、精神的に追いつめられているときはガクッと発揮されることがなくなります。

世間の妊婦、ひいては弱者への優しさが足りないというのは、それだけ社会全体に余裕がない、あるいは自分を弱者であると認識している人の増加なのだと思っています。

私も2日間くらい徹夜続いてる状態で電車で妊婦に席を譲れるかどうかは自信ないですし・・・。

だからまあ、産婦人科医としては妊婦は社会的な弱者であって、みんな妊婦から生まれてきたわけで優しくしてねと思うのですが、それは社会全体の幸福度とかそういうものともつながっているのだろうなとも思うわけです。

妊婦や子連れ、障害者が生きづらい社会イコール不幸な国ってかんじです。そこからどうすればいいのかの解決策はないのですけれど。解決策があるとしたら弱者を減らすことなのですが、なにかというと自己責任論が幅をきかせているうちは無理じゃないかなって思います。

貧困も、過労自殺も、シングルであろうが両親揃っていようが子育てがつらいのも自己責任、障害者を産むのも自己責任。

でも、「優しさスキル」を上げるのは個人の「自己責任」ではなくて、社会作りそのものからなんだと思っています。

佐藤ナツ 産婦人科専門医

東京都出身。200○年、国立大学医学部卒。現在、総合病院産婦人科と総合周産期母子医療センターで勤務中。ツイッターでは「タビトラ」名義でつぶやいている。