「やれたかも委員会」で男子の切なさ描く 漫画家・吉田貴司さんの挑戦

    「ネットに逃げたんです」

    「やれたかもしれない夜は、人生の宝です」

    異色の漫画が、いまネットで人気を集めている。吉田貴司さんの描くウェブ連載「やれたかも委員会」。年頃の(童貞)男子なら誰しも持っている「あのときああしていれば、やれたんじゃないか?」という過去の記憶を、清涼感と寂寥感をもって解きほぐしていく。

    第1話は無料で公開されている。ストーリーはこうだ。毎回、1人の男性がこの委員会を訪れる。「もう15年も前の話になります…」といった具合に、やれたかもしれない日のことを独白形式で語り始める。

    最後に、3人の審査員(男性2人、女性1人)が判決を下す。「やれた」が過半数を占めれば、思い出は美しいまま。男性はそれを抱えながら、これからも生きていく。

    友達との会話からポンっと生まれた「やれたかも委員会」

    これまで4つのエピソードが公開されているが、第1作が生まれたのは2013年。作者の吉田貴司さんは、当時のことをよく覚えているという。

    「友達と『あのさ、女の子と2人の時に、あの時こうしたらやれたんじゃないかみたいのってあるよね?』みたいな話になって、『わかるわー。そんなの判定してほしいわー』。『いいね!やれたかも委員会』という感じで本当に会話の中でポンっと出てきました」

    そのときに友達から聞いた話がそのまま第1話になった。部屋の本棚、他愛のない会話、そしてシーツの擦れる音。情景描写も心理描写も、やたらとリアルだ。

    「やれたか、やれなかったかはいわゆる『答え』ですが、大事なのはそこではないのかもしれません。それよりも彼女のセーターのワシャワシャした感じとか、衣摺れする音とか、その時に見たもの、聞いた音、感じたものを再現できれば」と吉田さんは語る。

    女の子と2人でいるときに男子が見ているところ、考えていることはだいたい一緒。だからこそ読者は、「よくそこを切り取ってくれた!!セーターのワシャワシャ感いいよね!」などと共感する。

    読者を現実に引き戻す月満子さんの存在

    ところで、やれたかも委員会の審査員の1人は女性という設定だ。名前は月満子さん。この人の辛辣な判定に、毎回ハッとさせられる。読者という神の視点で、他人の青臭い思い出話を鼻で笑っていたつもりが、月満子さんの厳しいコメントに自分の痛いところを突かれた気分になる。

    いったい彼女は作品のなかでどういう役割を担っているのだろうか。

    「月満子さんは女性なので、男性の僕には何を考えているのかよくわかりません。あの役を好んでやっているようにも見えるし、渋々連れて来られたようにも見えます。女性の考えはまったくわかりませんが、わからないなりに考えてみようと思って描いているのかもしれません」

    実際、女性読者の反応は分かれるという。「一部の方にはすごく面白がっていただけてるようですが、一部の方からは『完全にひいてる』と伺ってます。申し訳ないです…」。

    デビュー10年のベテラン、「打ち合わせが苦手だった」

    吉田さんは2006年に小学館のビッグコミックスピリッツ増刊号でデビューした。それまでは地元・大阪で漫画を投稿していた。

    あるとき、努力賞で1万円をもらったことをきっかけに上京。スピリッツ編集部に持ち込んだ「ネーム」(漫画の下書き)が運良くコンペに通ったという。タイトルは「弾けないギターを弾くんだぜ」。エアギターをテーマにした作品だった。

    デビュー後の道のりは険しかった。雑誌の担当者と連載を目指して打ち合わせをするがうまくいかない。まったくマンガが描けなくなった。最後は、逃げ出した。

    「打ち合わせをすると、なぜだかどんどん漫画がつまらなくなっていくんです。いまでも打ち合わせは苦手です」

    その頃、『ブラックジャックによろしく』の佐藤秀峰さんの事務所で作画スタッフに加わった。日雇い労働をしながら漫画を描く日々だった。「月給がもらえるのは天国でした」と吉田さんは振り返る。

    ただ、作画を本格的に勉強をしたことがなかったため、仕事ではまったく戦力にならなかった。

    「背景は描けないし、絵の上手い後輩はどんどん入ってくるし、奥さんは妊娠するしで、どうしようもなくなり、またオリジナルの漫画を描き始めました」

    それがまたも講談社の漫画賞である「ちばてつや賞」に入賞した。「湯けむりハートブレイカー」という失恋して温泉旅館で1泊するという読み切り作品だった。

    その短編漫画の登場人物の1人が「サウナチャンピオン」という設定だった。雑誌の担当者に「このキャラクターで漫画を描けば連載とれます」と言われ、半信半疑で描いたら本当に連載が始まった。

    講談社のモーニングツーで掲載された『フィンランド・サガ(性)』というサウナ漫画だ。2009年のことだった。その時の担当者にはいまでも感謝しているという。

    フィンランド・サガ(性)が打ち切りになり、その後変更になった担当者と打ち合わせを重ねたものの、またも作品が描けなくなった。吉田さんは繰り返し言う。「打ち合わせが苦手なもので」。

    打ち合わせ嫌いすぎて「システム自体に馴染めないのでは…」

    仕事がない毎日。工場でアルバイトをしたり、いろいろな漫画賞に応募して賞金を稼いだりした。出版社の漫画賞を受賞して担当者がつくところまではいくものの、そこから先の打ち合わせがうまくいかない。とにかく「打ち合わせが苦手」なのだ。

    『やれたかも委員会』の第1話が生まれたのは、この賞金稼ぎの時代だった。数年後にネットで話題になるとは、当時はもちろん思っていなかった。

    試しに雑誌の賞に送ったところ、奨励賞として15万円はもらえたが、やはり連載はかなわなかった。「このやれたかも委員会って作品は一発ネタだから。他の描いてきて」と言われた。

    「編集者って気軽に『他の描いてきて』って言い過ぎだと思います。そんなものかなと思ってまた別のを書く。だんだんつまらなくなっていく。打ち合わせが嫌になる。この繰り返しです。打ち合わせが大嫌いなんです」

    そろそろ吉田さんは気づいてきた。「自分は編集者を介して雑誌で連載するというシステム自体に馴染めないのではないか」、「このシステムの中では面白いものを描くことができないのではないか」と。

    その事実に多少のショックは受けたが、できないものは仕方がない。そうなったらあとは自分でやるしかないと腹をくくった。

    「何をすればいいかわからなくて、とりあえずTwitterで毎日1ページの漫画を公開するようにしました。むちゃくちゃ大変でした。反応がない日はヘコむし、反応があってもお金になるわけじゃない。毎日怪我して常に体のどこかから血が流れている感じです」

    しかし続けているうちに、ある日の1ページ漫画がSNSで拡散されて、過去にnoteにアップしていた『やれたかも委員会』も掘り起こされ、大きな話題になった。SNSでバズを起こし、いきなり書籍化の話が5件ほど来たという。

    「自分は紙から弾かれた。ネットに逃げたんです」

    吉田さんは「ネットを主戦場に活躍している漫画家」ということになる。紙とネットで作風に違いなどは出てくるのだろうか。

    「僕としては紙とネットで何かを変えている意識はなくて、単に商業誌が載せてくれないからネットに逃げたということです。紙から弾かれたんです」

    そう自虐的に語るが、いまは漫画家としてウェブだけで活動していくスタイルが成り立つものか、挑戦しているところだ。2016年12月のnoteの売上は11万円だった。1月はもう少し上がるかもしれない。

    参考にしているのはラッパーたちの活動だ。彼らの多くは自主レーベルを立ち上げ、自分でウェブサイトを作り、グッズも作り、会場を押さえてライブで生計を立てている。

    「漫画でいうと同人活動というものに当たるのかもしれませんが、そういう活動のほうがかっこいいと、いまは思います」

    なにもかも決めるのは、すべて自分。雑誌もウェブも同じ掲載先の1つにすぎない。「1つの作品でいろいろなところから少しずつお金をもらって、食べていけたら」。吉田さんは話した。

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