サイゼリヤ店内の絵画と、日本人が感じる「イタリアっぽさ」の関係

    16世紀の美術史観を受け継いでる?

    ある日のお昼。

    店内に展示されているあの美しい西洋絵画は、誰が、どんな基準で選んでいるのだろうか。

    見たところ、店舗によって掲出している絵画は異なるようだ。例えば職場近くのサイゼリヤには以下の4点の絵画が見られる。

    1. ロッソ・フィオレンティーノ「リュートを奏する天使」

    2. ウィリアム・アドルフ・ブーグロー「アムールとプシュケー、子供たち」

    3. ラファエロ・サンティ「アテネの学堂」

    4. サンドロ・ボッティチェッリ「春」

    いかにも“サイゼ感”がある絵画ばかりだが、年代も作者もばらばらである。

    では、美術史の専門家はサイゼリヤのキュレーションをどう見ているか。

    美術史研究者のめりさん(@cari_meli)に、サイゼリヤ店内における絵画のキュレーションについて見解を聞いた。

    --サイゼリヤ店内の絵画にはどのような傾向が見られますか。

    調べてみると店舗ごとに違いがありますね。ですが、インテリアとしてもっとも多く採用されているのは、15~16世紀ごろの中央イタリア絵画だと思います。

    数店舗しか行ったことはありませんが、ボッティチェリ《ヴィーナスの誕生》、同じくボッティチェリ《春》、ラファエッロ《サン・シストの聖母》、フラ・アンジェリコ《受胎告知》、ギルランダイオ《最後の晩餐》あたりが定番でしょうか。

    おそらくサイゼリヤとしては、「イタリア」をイメージしやすい店内装飾として、イタリア絵画をインテリアに取り入れているのだろうと思います。つまり、お客さんがこれらの絵画を見れば「イタリアだなあ」と感じることができると期待されているわけですね。

    --なぜ我々は15〜16世紀ごろの中央イタリア絵画に「イタリアっぽさ」を感じるのでしょうか。

    中央イタリアというのは特にフィレンツェとローマのことですが、ここにはおそらくイタリア美術史の方向を決定づけたある書物が原因にあるのではないかと思います。

    それは、16世紀半ばにジョルジョ・ヴァザーリという画家・建築家によって書かれた『芸術家列伝』という書物です。これはタイトル通り芸術家の伝記集なのですが、『芸術家列伝』の画期的だったところは、13世紀から16世紀までの芸術家の伝記を順番に書くことで、美術の発展をあらわそうとしたところでした。

    著者のヴァザーリは、およそ13~14世紀の芸術家たちを第一世代、およそ15世紀の芸術家たちを第二世代、およそ16世紀の芸術家たちを第三世代と呼んで分類し、第一世代で古代ギリシャ・ローマの芸術を復興し、第二世代では古代美術に匹敵するほどの技術を身につけ、第三世代でついに古代美術を乗り越えて史上最良の美術を達成する、という物語を作り上げています。

    『芸術家列伝』は16世紀半ばにしてルネサンス美術史の基礎を押さえていて、細かな情報の誤りも多く指摘されてはいますが、このヴァザーリが打ち立てたおおまかな美術史の流れは、現在でもおおむね踏襲されています。

    --なるほど、美術史について記した1冊の書物が大きく影響していると。

    ただし、『芸術家列伝』の語るストーリーにも問題がありました。その最たるものは、登場する芸術家たちがフィレンツェやその周辺の都市出身の芸術家に偏りすぎているという点です。

    ヴァザーリによれば、古代美術を発見して復興したのは13世紀のフィレンツェの画家チマブーエですし、それを発展させたのは建築家ブルネレスキ、画家マザッチョ、彫刻家ドナテッロといった面々で、彼らもまたいずれも主にフィレンツェで活動しています。

    第三世代に分類される、いわゆる三巨匠であるレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエッロ、ミケランジェロについても、ヴァザーリは何かとフィレンツェと結びつけます。

    たとえば、フィレンツェ近郊出身のレオナルド、ミケランジェロはいいとして、ラファエッロはウルビーノというフィレンツェからそこそこ遠い都市の出身ですが、ヴァザーリの語るところによると、ラファエッロはキャリア前半は師匠の模倣に徹していたところ、芸術豊かなフィレンツェに来てはじめて彼の才能を開花させることになっています。

    これは、ヴァザーリが『芸術家列伝』を書いた動機に原因があります。というのも、ヴァザーリはこの本を趣味で書いているわけではなく、当時のフィレンツェの君主であるメディチ家の宮廷に入ろうと画策して書いているからです。いわば、就職活動の一環ですね。

    ですから、雇用主であるメディチ家にアピールするため、「芸術はフィレンツェでもっとも栄えた。なぜならこの地ではメディチ家が長らく芸術庇護をおこなってきたからである」というストーリーが必要になってくるわけです。その結果、どうしてもフィレンツェの芸術家たちへの言及が多くなってしまったのです。

    『芸術家列伝』は出版するやいなやベストセラーになり、こうしたフィレンツェ中心の美術史が、あたかも西洋美術史の「正史」であるかのように長年受け止められることになりました。それで、イタリアの絵画といえばフィレンツェのルネサンス絵画がパッと思い浮かぶようになってしまったのですね。

    --でも他の地方の芸術家は怒らなかったんですか?

    もちろん、ヴァザーリが『芸術家列伝』を出版した後、フィレンツェ以外の芸術家たちはこぞってこれに反発し、さまざまなローカル美術史をあらわしています。

    17世紀になると、ローマ、ヴェネツィア、ボローニャ、はてはイタリア以外の都市など、さまざまなところでみずからの都市の芸術家たちを取り上げた「芸術家列伝」が執筆されました。

    ですが、芸術家たちを三世代に分類してその発展を跡付けるという、ヴァザーリ『芸術家列伝』の構成を上回る出来のものはなかなか登場せず、しかも最初に出版してベストセラーになっているものですから、誰もこの「フィレンツェ中心の美術史」の浸透を超えることはできなかったのです。

    --数百年たった日本のファミレスにまで影響を与えるものですか。

    そんな昔に書かれたものが、今の日本に影響を及ぼすのか? という疑問ももっともです。しかし、ヴァザーリ的美術史観の根強さは、たとえば高校世界史の教科書に見いだすことができます。

    イタリアにおけるルネサンスの解説を見ると、芸術における古代復興に一役買った芸術家たちの名前が挙げられていますが、見事にフィレンツェの芸術家がほとんどです。ローマの芸術家も若干いますが、たとえばヴェネツィア、ボローニャ、ナポリあたりの芸術家の名前はまったく挙げられていません。

    最近の山川出版の「詳説世界史B」では名前自体挙げられることが少なくなっているのですが、たとえば89年検定版など見ると顕著です。現代の日本にもフィレンツェ中心の西洋美術史が影響を及ぼしていることを示唆していると思います。

    もちろん、サイゼリヤの店内装飾にはフィレンツェ・ルネサンス絵画ではない絵画もあります。たとえばマンテーニャ《夫婦の間》天井画もサイゼリヤの店内装飾の定番かと思いますが、マンテーニャはマントヴァという北イタリアの都市の宮廷画家で、フィレンツェの画家ではありません。しかし、その絵の構図から天井に設置するにふさわしいと考えられたのでしょう。サイゼリヤでもよく天井に設置されていると思います。

    また、19世紀の絵画もちらほら見られます。ブーグロー《クピドとプシュケー》やカバネル《ヴィーナスの誕生》といった19世紀フランスの画家たちの絵画もときどき飾られているようです。

    彼らの絵画は、プットー(裸の子供の姿をした天使)やクピド(キューピッド)のいる場面が積極的に採用されているように思います。ルネサンス絵画のほうもプットーたちのいる場面が多く使われていますし、そうした主題からの選択も考慮されているのかもしれません。

    長くなってしまいましたが、フィレンツェ中心の美術史が長らくルネサンス美術史の「正史」ととらえられてきたことと、その発端がヴァザーリが著した『芸術家列伝』という書物であることは事実でしょう。

    そうした事情がサイゼリヤの絵画選択に直接の影響を与えたかまではわかりませんが、「イタリアの絵画といえばルネサンス・フィレンツェ絵画」という図式が、「イタリアっぽさ」の演出に一役買っている可能性はあると思います。

    詳細に分析してくださっためりさんは、クーリエ・ジャポンにて、「リナシタッ――デキるルネサンス芸術屋の仕事術」を連載中。

    ルネサンス美術に興味を持った方はぜひ読んでみてください。