日曜日の夜に鳴り響く、葉加瀬太郎のバイオリン。「情熱大陸」に出演することは成功者の証である。
漫画家の宮川サトシさん・37歳は現在、情熱大陸に“上陸したい”と切に願う男をコミカルに描く「情熱大陸への執拗な情熱」を連載している。主人公は宮川さん自身だ。

一足早く上陸を果たした幼なじみをひどく妬み、さらには旧友たちも自分と同様のイライラを抱えているのではないかと故郷に帰ってリサーチする。

あまりに器の小さな男として描かれているが、本当のところはどんな人物なんだろうか…。
漫画家になるきっかけから、情熱大陸にかける想いまで、宮川さんにいろいろ語ってもらいました。

魅力はその短さ、人生がわかる23分間
--実際、情熱大陸はかなりお好きなんですか。
めちゃくちゃ好きです。テレビの外付けハードディスクにひたすら録画を貯めていくんですけど、容量が足りないのでどこかで消さないといけない時が来て、だんだんと間引いていくのがすごく辛い。本当は全部DVDに焼いて保存したいぐらいです。好きな人が出る回は何度も何度も観ます。もう覚えるぐらい。
--魅力というのはどこにあるんですか。
まず短さですね。予告とCMを抜くとだいたい23分ぐらい。たった23分間でその人の人生がわかるというか、わかった気にさせるんですよね。
情熱大陸っていきなり「こんなことをやっている人がいる」みたいな感じで、人物から入っていくんですよ。だから余計なもの抜きで、その人物のインパクトだけを描く。世間でブイブイ言わせている様子だけを観せて去っていく感じがめちゃくちゃクールなんです。
--終わり方も結構唐突ですよね。
そうなんですよ。何かのミッションに立ち向かって失敗して終わることもある。日本画家の方とかも、取材中に完成させなきゃいけない絵を、結局完成させずに終わったりするんですよ。それってすごく人間臭いし、切り取る部分が斬新です。
あれを観るといつも自分も頑張ろうと思うんですよね。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」はスゲェな〜と感心して終わるんですけど、情熱大陸は「お前も頑張れよ」と言われた気になって、すごくやる気が出るんですよね。
--そのやる気というのは、だいたいどれぐらい続くものなんですか。
2時間くらいですね。漫画を描いていると、お話の設計図であるネームが編集者に通らないとだめなんですよ。それが通らなかった時に、僕は1回観るんですよね、情熱大陸を。

特に失敗している人の話を観て、「ああ、この人も落ち込んでいるんだな」とか思うじゃないですか。そうすると、さっきまで自分が大事にしていたネームが急につまらなく見えてくるんです。
「編集者がノーと言う意味もわかるな」と思って、バシッとそれを捨てられる。新規に作り始めるのはけっこうエネルギーがいるんですけど、情熱大陸で2時間分のパワーはもらっていますから。
--まるで麻薬みたいな(笑)
麻薬ですよ。あるいはリポビタンDみたいなものかもしれません。
そういう意味では、よく観るのが「きゃりーぱみゅぱみゅさんの回」ですね。ずっとお人形さんのように、おじさんたちのクリエーションの道具みたいにされてるんだろうなって勝手に思っていたんですけど、実際は全然違った。
本人のアーティスト性がすごく強くて、「こんな若い子でも頑張っているんだから俺もやらなきゃ」みたいに思える。
ピリッとする瞬間がかっこいい
--情熱大陸って演出がすごく特殊ですよね。お気に入りはありますか。
ありすぎるんですけど、やっぱり自転車で通勤するシーンはすごく優雅だなと思います。
CCDカメラみたいなのを自転車につけて、その人物の下からの煽りの映像で、通勤する姿をとらえる。あれが大好きです。夢があるというか、「あれこそが余裕なんだな」と思うんですよね。
あとはカメラさんに、「集中したいからちょっと離れて」みたいな指示を出すシーン。すごく申し訳なさげに言う感じが好きで、「出てけ!」とかじゃなくて、「ちょっとはずしてもらっていいですか」とか、「ちょっと光の量が多いので抑えてもらっていいですか」みたいなことを言うんですよね。
--あの一瞬ピリッとするやつ。
ピリッとする。あれがあると、「やっぱりちゃんと本気でやっている人なんだ」って思える。カメラを向けられて、周りに人がいるのに、いつも通りに作品を作っている姿がいい。
ご飯を食べているシーンもいいですね。意外としょうもないものを食べていたりする。ジャムパンとか、そこら辺にある立ち食いそばみたいなものも食べるんです。「ああ、俺と同じもの食べてるんだ」とか思うと、勇気が出るんですよ。
塾の経営者から一転、30歳をすぎて漫画家に
--そもそも漫画家になられたのはどういった経緯だったんですか。
大学2年生の時に血液の大きい病気をして、結局、就職の内定も病気が原因でダメになっちゃった。卒業しても何もやることがなくて、家庭教師をしていたんですけど、そのうち生徒さんが「うちもうちも」みたいに増えてきたので、塾を経営することになりました。
小さな塾ですけど、10年続いたんですよね。
--いまとは180度違うお仕事を。
でも塾ってお昼は暇なんですよ。子どもたちが学校に行っている間はやることがない。だから塾の備品のコピー用紙とか計算用紙の端くれに、パラパラ漫画とかを描いてました。
あるとき好きな漫画家の方が東京で漫画教室をやることを知って、当時岐阜に住んでいたんですけど、岐阜から夜行バスで東京に通いました。見よう見まねでネームができたので、京都のコミティアっていう出張漫画編集所みたいなイベントに持って行ったんです。
それがきっかけで読み切りでデビューして、そのまま連載になったんですよね。「コミックバンチ」という新潮社の月刊の漫画雑誌でした。
でも読み切りが載るか載らないかくらいの時に、うちの母親が亡くなって、地元にいるのが気分的に辛くなってきた。それで塾を閉め、当時結婚したばかりの妻を連れて東京に出て、本格的に漫画を描き始めました。2013年のことです。
--そのエピソードが最初の単行本である「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」ですね。タイトルが刺激的で話題になりました。
そうですね。ずっと母の闘病生活について、自分のために描き溜めていたメモというか、断片的な漫画があったんです。それを担当者に見てもらったら、「1回ちゃんとした形にまとめてみませんか」ということで1話目を描き、連載になりました。

母が亡くなるまでの時間は一緒に奮闘してるから、あっという間に過ぎていくんですけど、亡くなってからはずっと白黒の世界で生きている感じでした。
それをどこかで吐き出したくて漫画に描いていたんですけど、たまたま連載になった。あれは本当にストレートな気持ちというか、ウケ狙いも何もなかった。
--あの漫画を読んで泣いた、と言う声は多いです。
男は皆マザコンだって言いますけど、あれはわりと本当だと思うんですよね。家庭の事情もあるから、「うちはそんなに親と仲良くないからさ」とか、いろいろあると思うんですけど。

自分の場合は年齢的にも30代前半で母親が亡くなったから、ちょっと早かった。何も準備ができていなかった。
あの本を読んだ人に「親孝行しないとな」とでも思ってもらえたら、すごく嬉しいですね。

「上陸しないままの人生」でいいのか?
--同じように、いま連載している「情熱大陸への執拗な情熱」を読んで、上陸への憧れ再認識した人もいるんじゃないかと思います。

いま自分も37歳で人生の折り返し地点です。もうそんなにチャンスボールは上がってこない。だったら、上陸しないまま終わる人生を、のほほんと生きていたらダメなんじゃないかと思うんですよね。
漫画の中にも描いたんですけど、同級生のなかから1人が上陸したことについて、地元の同級生たちは「あいつはすごい」「俺たちの自慢だよ」みたいに言うんですよ。ふざけんなと思うんですよね。自分がそうなりたくないの?って思う。なんでそんなにすぐに諦めるんだろう。

人が成功しているのを見て、「あいつはすごいよな」って認めることも大事だし、大人の姿勢だということも当然わかるんですけど、でもどこかで悔しいと思ったら、悔しいと言おう。それが一番強いメッセージかもしれないですね。
結果的に上陸できなくても、あるいは大陸じゃなくて、小さな島でもいいんです。
大陸はずっと続いてる
--やっぱりあの、ご自身の夢は「上陸」ですか。
いえ……。「上陸して、その後も何かしらの創作を続けていくこと」が夢ですかね。上陸して終ってしまうパターンもあります。
あれって正負の法則で、揺り返しのあるパワーのある番組だと思うんですよ。上陸がピークだった、みたいになってはいけない。
すみません、上陸前提で話しちゃってますけど(笑)
--「上陸ゴール」はよくない、と。
それはダメですよね。
大陸はその先もずっと続いているんです。

最終回が公開中です。
情熱大陸になんとしてでも出演したい…そんな想いをこの半年間ひたすら漫画にしてきました。今回はその最終話、よかったら読んでやってくださいませ。(最後にお知らせがあるので、限界までスクロールしてくれたらうれPです〜) https://t.co/bBLLrF8wFW