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「がんになったら前のように働けないのかも」 がん患者を追い詰める「思い込み」で人生を狭めないために

「がんになったら以前のようには働けない」。そんな無意識の思い込みが、がん患者を追い詰めているのかもしれません。「がんと仕事に関する意識調査」から、2人に一人ががんになる時代、投げかけられた提言とは?

「がんになったら私はもう前のように働けないのかも」

「がんになった部下には仕事をセーブするように勧めなくては」

そんな思い込みがもしかしたら、がん患者を余計に追い詰めているのかもしれません。

今年初めに行われた「がんと仕事に関する意識調査」で、そんな実態がわかってきました。

2人に1人ががんになる時代、無意識に身につけてきた思い込みに気づいて、現実を生きる患者が幸せになるために何ができるのでしょうか?

調査にあたった自身もがん経験者で法政大学キャリアデザイン学部教授の松浦民恵さんと共に、調査結果を見ながら考えます。

がんと診断された時の不安の多くは「思い込み」から?

この調査は、松浦民恵さんと一般社団法人「アンコンシャスバイアス研究所」が共同で実施。2022年1〜2月に実施されたインターネット調査に3166 人(がん経験者:1055 人、がん経験者以外:2111 人)が回答しました。

その結果、初めてがんと診断された時に、がん患者が抱く不安として、以下の内容が多いことがわかりました。

  • 「あと何年も生きられないかもしれない」(68%)
  • 「罹患前のような生活に戻れなくなるかもしれない」(61%)
  • 「家族がショックを受けるだろう」(59.4%)
  • 「罹患前のように働けなくなるかもしれない」(59.2%)
  • 治療や副作用がこわい。大変そう(58.5%)


ところが、こうした不安はその後、がんと共に生きて現実を知るうちに30〜40ポイント減少していることがわかります。つまり、それは「事実」ではなく、「思い込み」だったわけです。

松浦さんはこう考えます。

「あと何年も生きられないならば、働くこともできないかもと思ってしまいますよね。最初にがんと診断された時は『私は死んじゃうのか』とショックを受けたのだと思いますが、治療を受けて生きられそうだとわかってくると冷静になってくるのでしょう」

ただ「再発・転移がこわい。大変そう」(55.8%)という不安は、その後も変わらず残り続けることもわかりました。

がん経験者以外は「思い込み」が続く

がん経験者以外に、がんについて報告や相談を受けた時に思ったことを尋ねると、「再発・転移がこわい。大変そう」(49.1%)、「あと何年も生きられないかもしれない」(46. 5%)、「治療や副作用がこわい・大変そう」(45.2%)、「罹患前のように働けなくなるかもしれない」(41.1%)が多いことがわかりました。

ところががん経験者と違い、その後もこの印象は減少することなく、ずっと抱き続けています。

思い込みを伝えることは悪い影響を与え得る

そして、この思い込みを、相談を受けた本人に伝えてしまうことがまた問題になるのです。

周りから言われたこととしては、「仕事をセーブするようにすすめられた」(28.5%)が最も多く、「休業を取得したり、休職することをすすめられた」(18.2%)が続きます。

逆に「できる限り、仕事はこれまでどおり続けるようにすすめられた」は、14.4%にとどまりました。

「周囲の人は自分の言葉や言動ががん経験者に対して負の影響を与え得る、と自覚することがすごく重要です。逆に、自分の言葉次第でいい方向に進む可能性もあります」

「いずれにしても、影響が大きいということを自覚してほしいし、当事者がどう思っているのかを確認してから、自分の言葉を考えてほしい。本人の気持ちと関係なく、自分の考えを押し付けるのは良くないです」

ただ、当初は当事者も「がんになったらこれまでのようには働けない」という思い込みがあるのも事実です。その思い込みを解きほぐすようなコミュニケーションも必要なのではないでしょうか?

「『これは思い込みではないだろうか?』という問いかけは常に必要です。特に上司ができるのは、本人の思いを聞いたうえで、ファクトベースの情報を伝えることです。うちの会社はがんになったらこういう制度がある、両立しながら働いていた人がいる、など、そういう事実を伝える。その上で、最終判断は本人に委ねるしかありません」

「逆に本人が少しセーブしたいと思っているのに、『がんになっても働いている人が多いから頑張れ!』とハッパをかけるのも問題です。本人の意向を尊重することが大事で、言われたら嬉しい言葉も人それぞれなので、本人に確認するしかない。『どうしてほしいのですか?』とまず本人の話を聞くことが必要です」

思い込みからは逃れられた自身のがん体験 

松浦さん自身も2008年、乳がんと診断された経験があります。大学院で博士号を取るために当時働いていたシンクタンクを休職し、別の大学で特任研究員として働き始めた時でした。

手術だけでなく、抗がん剤やホルモン療法、放射線治療もフルで受けさせようとする主治医に疑問を抱き、セカンドオピニオンを受けて、手術だけでOKという病院へ転院しました。

「早期で部分切除の手術だけだったこともあり、仕事には影響がなかったのです。手術2週間後には仕事に復帰してインタビュー調査をやっていたぐらいです」

その後、2017年、同じ側の乳房にまた新たながんができ全摘しました。再発予防のためのホルモン治療は肝臓の数値が悪くなったため1年で終え、その後は経過観察を続けています。

「2回目の時もほとんど仕事には影響がなかったのです。ほとんど誰にも伝えることなく済みました」

最初の発症の時はまだ二人の娘は幼かったのですが、病状についてすべて話していました。

「抗がん剤をやるかもしれなかったので、『かつらをどうしようかな』と娘に相談したら、『プリンセス みたいなやつにすれば』と言われて(笑)。深刻にならないでくれて、すごく救われましたね」

闘病中、娘たちは家事を頑張って手伝ってくれ、夫もその時だけは言うことを全て聞いてくれました。「ただし、親は泣き暮らすものですから、2度目のがんの時もどう伝えるのか悩みました。私も親の立場ならそうなってしまいそうなので何も言えないのですが」

さらに松浦さんは「私は上司にも恵まれていたのだと思います」と振り返ります。

「元の上司は、『仕事関係者でがんの人いっぱいいるよ。共通の話題ができて絶対盛り上がれるよ』と前向きな言葉をかけてくれたのです。がんになって気持ちが傷んでいる時に、上司や家族など、そばにいる人に何を言われるかによって、影響は変わってきます。それは今回の調査でもデータとして現れました」

その不安の原因は? テレビや新聞、雑誌の発信

調査では、がん経験者の不安はどこから来たのか尋ねたところ、以下のようにメディアの情報に影響を受けた人が上位を占めました。

「がんに関するテレビや新聞・雑誌の情報から」(40.5%)、「有名人のがんに関するニュースや発信から」(34.6%)、「がんをテーマとした映画・ドキュメンタリーで見聞きしたことから」(33.6%)。

がんに関する報道やドラマなどは、その悲劇性を強調することで、読者や視聴者を惹きつけようとする一面があることは否定できません。それが、現実を生きるがん患者に不安を与えている可能性があるというショッキングな結果です。

「私も2回目のがんの時は、小林麻央さんが亡くなった時期と重なりました。小林さんがブログで発信したことには意味があったし、それによって救われた人もたくさんいたと思います。ただ、『やっぱりがんになったら死んじゃうんだ...』というイメージが世間に広がっているのは感じました」

松浦さん自身はそれほど影響を受けませんでしたが、報道で不安になった身内から「本当のことを教えてくれ。あと何年生きられるんだ」と迫られたこともあります。

こうした報道や発信は改善の余地はあるのでしょうか。

「小林さんの発信も意味があったと思うので、受け止める側が、この内容はたくさんいるがん患者の中の1例の話で、他の人には必ずしも当てはめられないと理解することが重要だと思います」


「私の場合は職場に具体的な配慮をお願いする必要もなかったので、周りに言う必要がありませんでした。逆に周りに言うことで色々な反応への対応が必要になります。だからずっと言ってこなかったのですが、こういう行動が、がんになってもこれまでどおり働いている人がいることを、世間の人に見えない状況にしてしまっているのかもしれないと、調査結果を見て気づきました」


「配慮を求める人は症状が重い人ですから、そのイメージばかりが広がっています。『実はがんだった』という人がカミングアウトすることで、こういう人もいるんだなと、イメージの偏りが減っていくのかもしれません。そう思って、全く代表性がない1例ですが、今回初めて公の場で自分の経験を話すことにしました」

仕事を辞めた人の半分以上は治療前に辞めた「びっくり離職」

こうした自分や周りの思い込みの結果、どんなことが起きるのでしょう?

働くことの関係で言えば、この「思い込み」に従って、すぐさま退職・廃業してしまう人が少なくない数いることが大きな問題だと松浦さんは指摘します。

「国立がん研究センターの調査では、がんになって退職・廃業した人が19.8%いたのですが、そのうち6.2%は診断が確定する前に辞めています。また、半分以上の56.8%は、初回の治療を受ける前に辞めているのです」

つまり、治療による心身や仕事への影響がまだ何もわかっていないうちに、仕事を諦めてしまう人がいるということです。「びっくり離職」といわれる現象です。

「本人にも『がんになったら働けない』という思い込みがあるし、周囲の思い込みの言葉でよりそれが強化されてしまうこともあるのでしょう。今回の調査結果からもそうした思い込みがびっくり離職につながっている可能性がみえます」

身近にがん経験者がいることで上書きされる思い込み

ただし、この「びっくり離職」にもつながりかねない思い込み、身近にがん経験者がいたことで、変化することもあります。

特に勤務先の部下ががん経験者だった場合、その上司は63.1%がポジティブな変化を経験していたのです。

「上司は報告や相談を受けると、これから部下がどう働くかを具体的に考えなければいけません。仕事を調整するために本人とコミュニケーションを密に取らざるを得ない。コミュニケーションの量がポジティブな変化に影響しているのだと思います」

「たとえば上司は、部下が働きたいと思っていること、働けることも実感としてわかってくるでしょうし、この日は働ける、この日はしんどい、ということも話し合ううちにわかってくる。そんなコミュニケーションを取るうちに、『がんになったら働けない』という無意識の思い込みが、『がんになっても働ける』と上書きされていくのだと思います」

「部下だけでなく、勤務先の関係者や友人・知人ががんを経験しても、治療しながら働くイメージはポジティブに変化しています。身近に、治療を受けながら働く姿を見ることで、影響を受けていることがわかります」

逆にがん経験者から、報告や相談を受けていない人の場合は、治療と仕事の両立について、イメージがポジティブに変化した人は25%程度でした。

6つの提言 普段から部下とコミュニケーションが取れているかどうかが鍵

以上の調査結果を踏まえて、松浦さんとアンコンシャスバイアス研究所は6つの提言を示しています。


  1. がん診断直後の「びっくり離職」を回避するために、仕事に関する意思決定まで に、自分自身のアンコンシャスバイアス(※無意識の思い込み、先入観)に気付き、「上書き」する期間を取る。
  2. がんに対する「アンコンシャスバイアスの上書き」のためには、 特定の情報源だけでなく、さまざまな情報にアクセスすることが重要。
  3. がん経験者からの報告や相談は、周囲の人の「がんの治療と仕事の両立」に対するイメージをポジティブに変化させる可能性がある。
  4. 上司や家族等周囲の人は、がん経験者の仕事に関する意思決定に、負の影響を及ぼす可能性があることを自覚する。
  5. 上司は、「働き方」に関する部下のアンコンシャスバイアスを「上書き」する支援者となり得る。
  6. 周囲の人は、がん経験者の働き方について、当事者不在で判断せず、 意向を確認する。


松浦さんは言います。

「少なくとも、まだ治療が始まっていないうちは、仕事にどんな影響があるのかわからないはずです。治療を始めたら『思ったより大丈夫』と思うかもしれないし、『思ったよりしんどい』と思うかもしれない。少なくとも治療の影響がどんな感じなのかわかるまで、何かを決めるのは待った方がいい」

思い込みや先入観に気づくためには、さまざまな情報に当たることも必要です。

「セカンドオピニオンも1割弱とあまり利用されていないことには驚きました。主治医に言われたことに納得できなければ、リテラシー(情報を読み解く力)を発揮して、色々な情報に当たってみることも大事です」

がん経験者が働く姿に触れることは、がん治療しながら働くことを前向きに捉えるきっかけになります。

「ただ『カミングアウトはいいものですよ』とも言いたくない。実際に話せば面倒なことも起きるかもしれません。かわいそうとか、気の毒がられるのは嫌だという調査結果もあります」

周囲の人の言動は負の影響をもたらす可能性もありますが、特に上司はがんになった部下の思い込みを解きほぐす良き支援者にもなり得ます。

「これはがんと働き方の問題に限らず、要は部下とのコミュニケーションがちゃんと取れているか、という問題なのです。上司は、部下が話しやすい雰囲気をつくって、自分の意見を押し付けるのではなく、部下の意向を踏まえながら判断する。この基本動作は、育児との両立でも介護との両立でも、全てに共通して必要なことです」

「そういうことができる上司であれば、がんと仕事の両立でも負の影響は与えないはずです。こうした上司・部下関係の構築は、がん治療との両立に限らず、さまざまな課題に対処する上での共通インフラになります」

思い込みで人生を狭めないで

この調査結果は、アンコンシャスバイアス研究所が研修プログラムやセミナー開発に取り入れるほか、今後、書籍としてまとめることも検討中だと言います。

二人にひとりががんになる時代、松浦さんはこう語りかけます。

「病気になったからといってすぐに死ぬわけではなく、病気をしながらも命が尽きるまでは人生は続きます。がんになった後の人生をより良いものにするために、思い込みで人生を狭めないでほしいし、周りの人も思い込みに囚われずに支援してほしいと思います」

【松浦民恵(まつうら・たみえ)】法政大学キャリアデザイン学部教授


1989年に神戸大学法学部卒業。2010年に学習院大学大学院経営学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(経営学)。専門は人的資源管理論・労働政策。日本生命、東京大学社会科学研究所、ニッセイ基礎研究所を経て、2017年4月より法政大学へ。労働政策審議会職業安定分科会需給制度部会の部会長代理、中央最低賃金審議会等の公益委員を兼職。

主な著書は『シリーズダイバーシティ経営:働き方改革の基本』(佐藤博樹氏・高見具広氏との共著、中央経済社)、『営業職の人材マネジメント 4類型による最適アプローチ』(中央経済社)など。