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幸せって数字にできる? 自治体、政府が始めているウェルビーイングの取り組みとは

病気やお金のあるなしだけではなく、人とのつながりなど様々な要素からその人にとって「良い生」を考える「ウェルビーイング」。具体的に模索するためにどんな取り組みが必要なのでしょうか?

病気やお金のあるなしだけではなく、人とのつながりやマイノリティであっても安心して暮らせる制度があることなど、様々な要素からその人にとって「良い生き方」を考える「ウェルビーイング」。

具体的に模索するために、何から手をつけることが必要なのでしょうか?

前編に引き続き、京都大学大学院医学研究科社会疫学分野の主任教授、近藤尚己さんに聞きました。

well-beingの状態を可視化する

——研究の中で日本のウェルビーイングの状況が見えてくるものはありますか?

今、手をつけ始めている研究に関わるのですが、オランダの「ポジティブヘルス協会」が健康の要素を示した図を作っています。

蜘蛛の巣のように見えるので「スパイダーネット」というのですが、まさにウェルビーイングの状態を6つの軸で捉えています。

「身体の状態」「心の状態」「生きがい」「暮らしの質」「社会とのつながり」「日常機能」です。

この図を、患者さんや施設の利用者さんなどケアの対象者と対話しながら、各軸の点数をつけ、コミュニケーションする道具となっています。この軸を何にするかは、文化などによって違ってくるのかも、と思います。

人によっては、身体の状態は悪いけど心が豊かで生きがいもある人がいるかもしれない。逆に身体の状態が良くても、生きがいがなくて社会とのつながりも乏しい人もいるかもしれない。

その形は人それぞれなんです。

この図をもとにその人の今の状況やありたい自分像について対話する。その中で、どこをどう伸ばそうか、といったポジティブな方向で健康づくりを一緒に進めていくようです。

多くの場合、患者が病院に来た時に医師が診るのはせいぜい身体と心の状態だけです。でもそれだけだと人は幸せにはなれません。病気は治ったけれど、家に帰ったら孤独な生活が待っていて、また不幸になりました、という患者さんはたくさんいます。

だからこれを病院だけでなく、様々な福祉の現場や地域での活動の中で共有することで、街のみんなで互いのウェルビーイングの達成にむけて助け合い、まちづくりを進めていくことを期待しています。

オランダにはそういう実践があると聞いて、もっと学びたいと思っています。

ところで、世界でこういった「健康の再定義」の試みが出てきて注目されている理由の一つに、高齢化があります。

——年をとれば身体の状態はどうやっても落ちていきますから、その人にとっての幸せな生を考える時に、他の要素に目を向けることが必要なのですね。

そうです。でもこれは昔からあった考え方で、障害者への保健や福祉の中では当たり前の話になっています。リハビリの専門職の方々はよくご存じです。

ウェルビーイングを測る道具、現場でどう使う?

——医療や福祉だけでなく、企業がウェルビーイングの状態を可視化するツールを作ることはできるのでしょうか?どんな要素が企業だったら考えられるでしょう。

「人的資本経営」なら、社員一人ひとりのスキルアップや健康、生きがいなどを考えるのでしょうね。

日本の企業ではどんなウェルビーイングを目指したらいいのか、達成するために何をするべきか、そのためのツールは何か、議論されていくといいなと思います。スパイダーネットはすごく参考になるでしょう。

——このスパイダーネットをご自身の研究にどう活かしているのですか?

今、複数の自治体と一緒に試作をして、導入しようとしています。

たとえば、健康上の問題に加えて、孤立や生活困窮といった問題を抱える人に対して、それを解決し得る地域の活動やサービスの活用へとつなげる。そうやってウェルビーイング作りを進める「社会的処方」の取り組みを始めています。

本人を中心とした健康づくりに向けたコミュニケーションの道具として、このスパイダーネットが使えないかと考えているのです。

例えば、鳥取県が2年間行った社会的処方のモデル事業では、社会的処方の先進地イギリスが使っていた「well-being star」という図を使っています。医療の現場での活用が想定されているためか、スパイダーネットより少し病気や医療に関する要素が強い8つの軸で構成されています。

鳥取県のモデル事業では、これを日本語に訳して「社会的処方箋」と呼んで活用しています。

これを本人が病院や地域の様々な施設に行く時に見せて、話し合うなかで、その人の望むウェルビーイングの形を達成するための生活の仕方をデザインしていく。そういう使い方をしています。

一人のウェルビーイングを支えることは一つの機関ではできません。身体のことが得意な病院、家計について対応できる福祉事務所、地域とのつながりを調整できる社会福祉協議会、日常の小さな手助けができるご近所さんなど、いろいろ組織や人同士がつながり合い、一人ひとりを面的に支えていく。

ただし、支えられるだけだと人は幸せになれないので、支える側に回り、社会に役立つという意識も持てるようにもする。それを見つけるための一つの道具としても使えると思います。

ウェルビーイング達成のために社会的処方を使うモデル事業

僕が関わっているのは、三重県と兵庫県の自治体のモデル事業です。スパイダーネットのような道具を使って、住民一人ひとりのウェルビーイングを達成していけるようなまちづくりのモデルができることを期待しています。

——導入前、導入後で比べてウェルビーイングの状態がどれぐらい変化したか、効果は検証するのですか?

検証していきます。兵庫県養父市では、かかりつけ医とも連携しながら、一人ひとりにあった芸術と農業に関する地域コミュニティーでの活動につなげて、孤立を減らす取り組みを進めています。

住民の皆さんにアンケートを取り、追跡調査も行うことで、どれぐらい効果があったのか検証できます。

——一人でいることが好きで、「なぜ医師や行政から人の生活に口出しされなくちゃいけないのだ」という人もいると思います。「不健康でいる権利」を主張する人もいるでしょう。

「俺は一人でいるのが好きだ。健康、健康言うな!」というウェルビーイングの形だってもちろんあると思いますよ。ただ、その時、その人の置かれた状況で言った言葉が、その後もずっと同じままなのかといえば決してそうとは限りません。

人の心は動きます。自分が達することができると思うポイントはその人が置かれた状況によっても変わります。最初から何かを求めることを諦めている人もいるのです。

社会の中で自分が居場所を持てる、社会に貢献できるという「自己効力感」がなければ、人はそれを目指さないものです。

——子供の頃から育児放棄され、教育も満足に受けられず、親に「ダメな子だ」と言われてきた人の中には、はなから人生を諦めている人もいるかもしれません。

そうですね。例えば親の最終学歴と子供が希望する最終学歴は相関します。家庭環境によって、自分が目指す将来を自ら制約してしまうこともあるのです。

だから一見、「私は一人でいたい」と拒絶する人であっても、その言葉を鵜呑みにして放っておくことには問題があります。つながりたいと感じた時に、ふとそこにつながるきっかけや入り口がある環境を地域に作っておくことを目指したい。

社会的処方はその一つの入り口として、特に医療の現場を想定しています。医療現場は地域社会とのつながりを開くドアとしてとても重要です。

例えば人とのつながりを拒否して、福祉行政の担当者もなかなか話ができないような人でも、具合が悪くなり道端で倒れるようなことがあれば、救急車で運ばれることになるでしょう。

病院にやってきた時に、本人の社会的な状況を把握せずに身体の問題だけ治療して元の環境に帰してしまえば、また孤立した生活に戻ってしまいます。

そこを放置せずに、本人のニーズも踏まえながら、適切な社会とのつながりが作られるような仕組みづくりを目指しているのが、今回のモデル事業の試みです。そのためのツールとして、スパイダーネットのようなものが役立つと思うのです。

医療も地域の助け合いのつながりの一部になる、地域の助け合いの輪の中に医療も入っていくイメージです。

社会問題に配慮した企業が得をする仕組み作りを

——医療や福祉がこうした取り組みをするのは、患者や利用者の健康というモチベーションがあるかもしれないですが、企業がウェルビーイングに取り組むメリットはどこにあるのでしょうか?

「人的資本経営」の仕組みづくりはまさにそのメリットを資本主義のシステムのなかに組み込もうとする試み、と理解しています。

会社はお金の面の利益をあげないと株主が満足しません。会社の評判が上がらなければ株価も上がりません。

評判を上げる軸に、「売り上げ」だけではなく、人の「ウェルビーイング」を入れていく。ESG投資(※)の市場構築も、環境問題への配慮や従業員の健康など、社会的に意義の高いことをやっている会社が株式市場でメリットを受けられるシステム作りの取り組みです。

※財務情報だけでなく、環境(Environment)、社会(Social)・ガバナンス(Governance)など、環境問題や社会問題、不祥事を起こさないことなどに配慮しているかどうかで、長期的なリスクを回避する投資判断。

——しかし、外からはなかなかどれほどウェルビーイングに配慮している会社か分かりにくいですね。

格付け指標などを作り、どの企業がどれぐらい頑張っているかを示すことが進められていますね。頑張っている企業ほど、みな投資していくようにするのです。

——それには政府の音頭とりや法整備が必要ですかね。

ウェルビーイングやESGのそれぞれの要素を評価する正確な指標作りやその運用の標準化が欠かせません。これが難しく、ESG投資市場が抱える最大の課題の一つではないでしょうか。

政府が音頭を取るべきかについては、やり方次第だと思います。企業の環境配慮については欧州がリードしています。「健康経営」など健康へ配慮した経営についての評価指標作りについては日本でも重点的に取り組まれてきましたが、結局アメリカなどの動きが早く、出し抜かれそうです。

例えば、アメリカの非営利団体が作った、社会的に意義が高い活動をする「よい会社」を認証する「B Corp認証」というものがあります。国際的な知名度もどんどん上がっています。

世界有数の長寿国として、日本が考えるウェルビーイング、あるいは健康の価値観に基づき、ウェルビーイングを推進する経済システムができてほしいです。

データで見える化 ウェルビーイングの取り組みの評価

——社会的な問題に配慮すると、経営が安定する、成長するとデータでも裏付けられているのですか?

ESG投資や社会的インパクト投資のための指標ができて、市場活動の中でデータが集まるようになると、そういう活動をした会社が本当に儲かるのか、その社員は健康になるのか、ユーザーも健康で幸せになるのかを検証できます。

そうやって数値で見える化していくことが非常に大事だと思います。

ごく限られた活動ではありますが、実は政府が一部見える化を進めています。高齢者の介護予防事業で、様々な環境整備に努力した自治体に交付金を支給する取り組みが始まっています。

そこではつながりや社会参加など、ウェルビーイングのための環境づくりに関連する指標も取り入れられており、各自治体の努力がデータで示されています。

このデータを分析すると、面白い結果が出てきます。やはり頑張って社会参加を増やす取り組みをしている自治体ほど、そこに住んでいる高齢者のウェルビーイングの度合いが高いという結果が出ています。

資本主義の良し悪しは別として、そこには経済活動が数字化されるという大きなメリットがあります。

それこそ兵庫県明石市のように子供時代からウェルビーイングを高めるような政策を導入している自治体は町として豊かになって、子供だけでなく大人も元気になる可能性があります。まだデータが集まっていないのでわからないのですが。

ESG投資や自治体の政策のスコア化が進むと、このような政策の効果が検証できます。その結果をもとに、人々の「応援したい」という心がそういった自治体や組織に向いていくことでしょう。

——健康格差の問題は、格差是正の支援を始めるのが若ければ若いほど効果が高くなると言われていますね。ウェルビーイング達成のための支援も子供時代から始めた方がいいのでしょうか?

そうですね。やはり子供を軸に地域では様々な取り組みが進んでいるなと思います。子供のウェルビーイング政策が充実し、子供の成長のためにこの街に住むのは良さそうだとなれば、家族の移住を招きます。その街は活気づくでしょう。

——「将来、自分はこうなりたい」という気持ちや、それを達成する自信は子供時代から育まれるわけですよね。家庭環境は関係なく、それを持てる支援が広がるといいですね。

そうですね。

厚労省は「健康作り」の視野を広げて

——今後、一人ひとりのウェルビーイングを支えていくために、まず何に手をつけたらいいと思いますか?

厚生労働省は、文字通り、よく生きる「厚生」と「労働」とを司る省です。「健康省」ではない、という点が興味深い。良い生き方「ウェルビーイング」達成をめざす省庁と言えます。

でも今のところ、病気を治す「医療」の制度設計など、身体的、精神的健康への対応で手いっぱいで、多くの政策がそこに集中しているように見えます。社会保障も厚労省の管轄ですが、憲法の保障する最低限度の生活を保つための施策展開が中心です。

日本はすでに、身体的には世界一健康な国となりましたが、同時に膨大な予算が厚生行政には投入されており、常に削減のプレッシャーがかかっています。

もし、もう十分健康だから厚生行政の予算は少なくてよいだろう、と判断されれば、一層削減圧力は増していくことになり、財務省を説得できなくなります。国民の命は最重要、値段はつけられない、というロジックだけで今の予算規模を維持できる時代は終わるでしょう。

ですから、厚労省が目指す「健康づくり」も視野を広げた方がいい。

多軸で捉え、身体的、精神的、社会的に良い状態、ウェルビーイングとは何かを明確にして、数字で示し、それを達成するための戦略を考える方向にシフトしていくべきです。

とりわけ「社会的に良い状態」を目指す取り組みのゴール設定や評価法、そのための政策オプションを増やしていく必要があります。

また、国民のウェルビーイングを高めることが、経済を含む様々な資本をどの程度増やすことにつながるのか――。その費用対効果を示すことも重要です。

ウェルビーイング達成の取り組みは回収不能なコストではなく、リターンを期待できる投資対象のはずです。データに基づき、国も健康経営するべきですし、国の健康経営戦略の中で厚生行政のもつ役割を位置づけ数字でそのインパクトを示していく、という未来を描きたい。

ウェルビーイング実現には、経産省や農水省など、社会生活をつかさどる他省庁との連携が欠かせません。国民のウェルビーイング達成のために、他省庁と連携した取り組みをコーディネートしていく役割が厚労省に求められています。そのためにも、数字での評価は重要です。

(終わり)

【近藤尚己(こんどう・なおき)】京都大学大学院医学研究科社会疫学分野 主任教授

東京都町田市出身。2000年山梨医科大学医学部医学科卒。2005年同博士課程修了。ハーバード大学研究フェロー、山梨大学講師、東京大学准教授などを経て2020年9月より現職。「健康格差対策の進め方」(医学書院)、「社会と健康」(東大出版会)など著者複数。趣味は野遊びとトレイルラン。