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「私の定規とあなたの定規は違う」 田亀源五郎さんがヘテロ向けゲイ漫画『弟の夫』で伝えたかったこと

『弟の夫』を原作としたドラマもNHK・BSプレミアムで4日から始まったドラマも視聴者から絶賛されています。

父娘の家庭に訪れた外国人男性は、長年、音信不通となっていた弟の夫だったーー。

そんな設定で描いた漫画『弟の夫』(全4巻、双葉社)を原作としたドラマが4日からNHK・BSプレミアムで放映され、この作品で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞も受賞した田亀源五郎さん。

ゲイ・エロティック・アートの巨匠として、そしてゲイ漫画家として過激な性描写で知られる田亀さんが、なぜ今、「ヘテロセクシャル向けのゲイ漫画」に挑戦したのか。そして、初の一般誌連載で何を伝えたかったのか。

自身がゲイであることをオープンにしながら、ゲイをテーマに作品を発表し続けていくことを、「アクティビズム(社会運動)」と呼ぶ田亀さんに、目指す未来を伺った。

ポジティブな効果を期待

『弟の夫』は、カナダで男性と結婚した弟が死去し、パートナーのカナダ人、マイクが日本に住む双子の兄、弥一の家を訪れ、一緒に過ごした日々を描いた作品だ。同性愛を色眼鏡で見ない小学生の娘、夏菜やマイクと生活していく中で、弥一は自身や周囲に潜む無自覚な偏見に気づいていく。

こうした性的マイノリティーを取り巻く現状を伝える物語が、メジャーな舞台で取り上げられ、マジョリティーに歓迎されている。作者としてはどう感じているのだろうか。

「一般向けの作品に初めて挑戦し、それがある程度受け入れられたというのは嬉しいですし、驚きですし、満足しています。NHKというお固いイメージのあるメディアが手をあげ、把瑠都さんや佐藤隆太さんを初めとする役者さんたちもゲイものだということで尻込みをしなかった。社会的にメインストリームに近いメディアがゲイイシュー(課題)を取り上げたことで、社会に対するポジティブな効果があることを期待しています」

ポジティブな効果とは、ゲイを含めた性的マイノリティーへの理解が進むということなのだろうか?

「理解というよりも、ゲイというものをタブーにしないということです。性的マイノリティーというと、『性的な変態』と捉える意識がまだ強い。公共放送がセクシュアルではないゲイのドラマをやるということは大きな意味があると思いますし、ゲイの物語だからといってバイアスがかかったり、腰が引けたりしないというメディアとしての姿勢が、社会に良い効果を広げてくれたらと思います」

同性婚はマイノリティーの話ではなく、人権の問題


連載開始は2014年。2000年代からヨーロッパで認められ始めた同性婚が日本でも話題になっていたことが、同性婚などゲイイシューをテーマに据えるきっかけとなった。

「世の中を動かしたいのだったらマイノリティーにアプローチしてもあまり実効性はない、マジョリティーに働きかける方が動かしやすいだろうと思いました。ちょうどその頃、一般誌からお誘いがあって自分に何が描けるのか考えた時に、ゲイの課題を一般向けに描いたら新しいものができるんじゃないかと思いついたんです」

田亀さんには長年のパートナーがいるが、同性婚については「遠い海の向こうの話」として身近に引き寄せて考えたことはなかった。しかし、同性婚に対する認識がガラリと変わる言葉と出会い、関心が強まった。

「それまで同性婚は特別なものであって、異性婚とは別種のものとして捉えていました。ところが、『marriage equality(マリッジイクオリティー、結婚の平等)』という言葉を聞いた時に、同性婚や異性婚という言葉自体が問題なのであって、結婚やパートナーシップという社会的な枠組みに、同性愛者が入れるか否かの話なのだと気付いたのです」

「社会的な枠組みの組み合わせとして同性同士や異性同士があるのであって、マイノリティーの権利ではなく、皆が平等に持つべき権利の話なのだということが、『マリッジ・イクオリティー』という言葉でストンと入ってきた。認識が改まったのです。要求して当然の権利だと気づいたわけです」

ゲイの親族が同性婚をしたらどういう反応をするか、という設定ならヘテロの日本人読者も自分と重ねて考えるかもしれない。同性婚の制度があるのは外国だけなので、必然的に相手は外国人になるだろうーー。そのようにして弟の夫の設定を決めた。

価値判断をしないという自己主張

作品の中で、結婚の機会平等を取り上げながらも、主人公の弥一は離婚を選択し、シングルファザーとして子育てをしている。ゲイであることを隠している「クローゼット」な幼なじみもニュートラルに描き、結婚制度やカミングアウトについて、価値判断をせずに描くことを意識した。

「それは私が世の中をそのように見ているからだと思います。例えば私はゲイについても万人が理解する必要はないと思っています。ただ、文句は言うなよと言いたい。存在しているのだから黙って見ていて、身近な人なら応援するのもよし、嫌でもいいけれども石は投げるな、もしくはそれをアンモラルなものとして子供に教えたりはするなよという感覚なんです」

「逆に言えば、他者を理解できると思うこと自体が傲慢ではないかなと思います。誰しも自分の定規で動いているものですし、世の中全てを無自覚に自分の定規で測って見ています。でも最低限、私の定規とあなたの定規は違うということを意識すべきだと思うんです。優劣や上下関係が付けられるわけではなく、様々なものが等価値にパラレルに存在している。そんな私の主張や価値観は作品に反映されているのではないでしょうか」

また、作品の中では、ゲイであることをオープンにしているマイクとの交流について、夏菜の学校の担任が弥一を呼び出して他の児童への影響を懸念していることを伝えたり、同級生の親が一緒に遊ばせることに抵抗感を抱いたりする様子を描く。あからさまな敵意や悪意ではない、"普通の人"が抱く無自覚な偏見が何気ない会話の中からあぶり出されていく。

「私は18歳のときからゲイであることをオープンにして生きていますけれども、学校でも会社でも表立って非難する人はいなかったし、外国の映画にあるように、ある日アパートに帰ってきたらドアにホモと書かれていたというような事件も起こらないわけです。ですから、面と向かってあからさまな差別をかまされるというのは、私の中の生活のリアリズムとしてはないんですね」

「その代わり、よく直面したのは、ゲイフレンドリーなのに、根っこのところで偏見があるのに気づいていない人です。なんとなく拒否感を抱いている人にはしょっちゅうお目にかかる」

「例えば、私がゲイであることをオープンにしていると、親しい人が『自分に迷惑をかけなければ、ゲイであろうがなかろうが自分はOK』と悪気なく言うわけです。なぜこの人は『迷惑をかけなければ』という発想になるのかなと考えると、ゲイというと同性に見境なく襲いかかるイメージがあるのかなとわかります」

「あからさまな差別には闘えばいいだけ」という田亀さんが、厄介だと感じているのは、本人も気づいていない偏見だ。

「誤解を解けばいいのではないかと思うわけですが、それを面と向かってやるとお説教になり、相手も意固地になります。ですから、そういう問題に主人公が直面して考えている姿を第三者的に漫画で読めば、無自覚な偏見について光を当て、一緒に考えるいい機会になるんじゃないかと思うのです。フィクションの一つの可能性として面白いので、積極的に取り入れましたね」

カミングアウトと創作 自分を世界から隔てる膜から引き出したもの

男子は皆、東大出身という高学歴一族に生まれた田亀さんは、クラシック好きの父親の影響で、幼い頃から芸術や文化に親しんで育った。幼稚園から絵を描き始め、中学生の頃には、大学ノートに鉛筆で描いたストーリー漫画を同級生に読ませるようになっていた。

「クラスメイトがたくさん出てくる内輪受けのギャグ漫画だったのですが、当時自分が好きだったスペクタクル映画の『十戒』や『ベンハー』などを真似して、自分が好きだったサッカー部の男の子が敵に捕まって拷問される展開を描いては興奮していたのです。でもその頃はまだそれを性欲とは結び付けられなくて、性的な後ろめたさのようなものを自覚はできていませんでした」

自分の性的指向をはっきり自覚したのは、高校生の時だ。同級生の男子と朝、同じ電車に乗るとその日1日が幸せな気分になるのに気づく。
「そこで初めて、ああ自分は男性が好きなんだと自覚しました。その時に生涯で一度だけ、『自分が女の子だったらよかったのに』と思いましたね。男女が告白するイベントに自分は参加できないし、世界の当たり前と自分は違う。それは自然なことだよ、と言ってくれる大人もいなかったし、それを教えてくれる本も見つけられていませんでした。当時のゲイ雑誌では、社会生活を問題なくこなせるように、ゲイとレズビアンがお見合いをして偽装結婚をしましょうという企画も行われていました。私も、不自然だと思ってしまう自分を押し殺して、隠していました」

性の目覚めとともに、田亀さんに「isolated(アイソレイティド)」という感覚が棲み着いた。日本語で、孤立や隔絶、疎外と訳されるが、それとも少し違う「自分と世界の間に見えない膜があって、それを突き破れないという感覚」(田亀さん)だ。

その膜から抜け出す助けになったのが、高校卒業前に3年間好きだった彼への告白をきっかけにしたカミングアウト。そして、美大進学後に始めた創作活動だった。

「告白以来、どこでもゲイであることを隠すことはなくなりました。アウトしたいけれどもできないという人は、おそらくそれによって差別されたり、今までの何かが崩れたりしてしまうことを恐れているのだと思いますが、私はそれは存在しないものを恐れているのだと思うのです。それが存在するかどうかはカミングアウトしてみないとわからない。少なくとも私はとても楽になりました」

人とは異なることが個性と受け止められ、自分の売りになる美術大学で、作品を通じて自分を少しずつ解放することを覚えた。

「人に見せることを意識した創作は大学に入ってからです。絵によって、自分はこういう人間である、ということを初めて世の中に出せたということですね。私の性欲は、ホモセクシュアルとサドマゾヒズムが絡み合っているのですが、そんなファンタジーを描き、人に見せることで私はここにいますよ、私はこういう人間なんですよ、同じ人がいたらこの指止まれと声をあげられたのです」

エロティシズムの追求と普遍的な表現と

田亀さんは自身の性的ファンタジーを濃厚に反映させた作品をアートと位置づけ、人を楽しませる漫画のような表現はエンターテイメントに近いと言う。そして、アートとエンタメは両立できると考えている。

「作者という人間個人が、作者の肖像が刻まれているかというのがアートで、とにかく面白いものがエンターテイメント。純粋に自分に近いのはポルノグラフィーですが、ポルノグラフィーにはアートもエンタメも含まれています。『弟の夫』は、私のアート成分は少なくて、エンタメの要素が多いですね」

「ただ、私は自分の作品に対して、レイヤーを意識しています。このレベルで読むとここまで楽しめるけれど、この角度から見ると、別の意味も見えてくるというような多層性のある作品が好きなので、常にそれを意識しています」

「私は弟の夫をゲイ漫画として描いていますが、読む人によっては『ゲイ漫画を超えたファミリー漫画だよね』と言ってくれる方もいらっしゃいます。でも私にとっては、人間を描けば、ゲイである側面も描くし、家族との関わりも描く。引きこもりでもない限り社会との関わりも描くし、それは一人の人間の中で境目がなくつながっているものです」

弟の夫では、ずっと没交渉だった弟を失った痛みを抱える主人公と、伴侶を亡くした訪問者が関わりをもち、家族になっていくことで再び生きる力を取り戻していく。ゲイやヘテロに関わらず、人間に共通する痛みと回復の物語だ。

「この設定で描いたら最終的にどこに向かうんだろうと考えたら、家族の話になり、喪失と再生の話になったということなんです。ゲイの漫画を描こうと思いましたが、ゲイやヘテロに関係なく、普遍的な話なんだろうと思います」

世の中を良い方向に 作品は結果的にアクティビズム

ゲイであることを公表し、アートや漫画に限らず、ゲイをテーマにした創作活動を続けてきた田亀さん。社会的な目的を掲げて作品を発表しているわけではないが、心の赴くままに作った作品が、世の中を良い方向に変えることがあるならば、それは一つの「アクティビズム(社会運動)」だと考えている。

「『弟の夫』もそうですが、スタートラインはいつも自分が欲しいものを作るという欲求です。漫画やアート以外にもこれまで新しいゲイ雑誌を作ったり、過去の日本のゲイアートを集めた画集を出したりしてきました。でも、それが文化遺産として残って後世でスポットライトが当たり、次の世代が少しでも生きやすくなることにつながるならば、それも立派なアクティビズムなのだと思います」

LGBTという言葉が広がり、「ブーム」と言う人もいる。一方で、昨年はバラエティー番組でゲイを嘲笑するようなキャラクター「保毛尾田保毛男」が復活し、大きな批判と失望が広がった。

「たぶん、ああいうものがひょいと出てくることは、どれだけ公平な世の中になってもある。重要なのは、それに対して異議を唱える声が出てくるかどうかです。リアルタイムの時はみんな、テレビの前で傷ついたり、学校でいじめられたりしても黙って耐えてきた。でも、私が見た一例では、その時学校で苦しい思いをしていた元少年が、『今の時代にこれが流行ってしまえば、当時傷ついた自分と同じような子供が再生産されてしまう。だから声を上げる』と言ったんです。私はそれが一番正しいと思いました」

「そのあげた声に対して、反論みたいなものも出ていますが、そのあとに議論になればベストだと思います。でも今は対話までは見えてこない。ただ今回、当事者だけでなく、ヘテロの人も社会全体の問題だとして声をあげました。ここ10年、特にここ5年ぐらいでいろんなゲイイシューが音を立てて動いている気がします。インターネットの発達で、今までメジャーなメディアでは取り上げられてこなかった当事者の声が目立つようになってきたことも、世の中を動かしているのではないでしょうか。自分の作品も結果的にそんな影響力を持てば嬉しいです」

GENXY」や「LGBTER」など、LGBT専門のメディアは増え、BuzzFeed JapanでもLGBT特集を作り、積極的な発信を続けている。

記者の前職の読売新聞の医療サイト「yomiDr.」でもゲイのライターである永易至文さんに「虹色百話~性的マイノリティーへの招待」という連載を発信してもらった。確かに当事者の声は可視化されるようになっている。

『弟の夫』の成功で、さらにメジャーな舞台での挑戦を重ねる田亀さん。3月からは、一般誌でゲイの高校生を主人公にした『僕らの色彩』という連載が新たにスタートする。

「私自身、学生時代にゲイのリアルな日常生活を描いた海外の映画に救われたわけですが、今、日本のゲイフィクションはボーイズラブに代表されるようなセクシュアルなコンテンツやロマンスがほとんどです。自分と同じ等身大のゲイが出てきて、エロ目的でもなければ、ロマンティックラブイデオロギーでもないものがどこにもない。できれば普通の児童文学にもゲイやレズビアンの子が出てきてほしいのです。でも今はないのだから、自分で中学生男子でも読めるような、自分がその頃に読みたかったゲイものを描きたいと思っています」

『弟の夫』の成功は、田亀さんを次の新たな創作のステップに押し出した。一般向けに描いた作品を多くの人が読み、マジョリティーであるヘテロセクシュアルの人も一緒にゲイイシューを考えてくれればと願う。

「一般漫画の武器は、老若男女に読んでもらうチャンスがあることです。その特性を生かして、読んだ人が増えれば増えるほど結果として世界が良くなっていく漫画を描けたら。そして、それが誰かを救えたら面白いと思っています」

【田亀源五郎(たがめ・げんごろう)】 漫画家、ゲイ・エロティック・アーティスト

1964年生まれ。1986年からゲイ雑誌に漫画、イラスト、小説などを発表。ゲイ雑誌『G-men』の企画・創刊にも関わる。『嬲り者』『外道の家』『君よ知るや南の獄』『エンドレス・ゲーム』『奴隷調教合宿』など多数のゲイ漫画を単行本で発表。アーティストとして、パリやニューヨークで個展を開き、欧米のアートブックへの作品掲載も多数。海外での評価も高い。日本の過去のゲイ・エロティック・アートの研究、再評価活動も行い『日本のゲイ・エロティック・アート』シリーズの編著も務める。


2014年から「月刊アクション」で初の一般誌連載『弟の夫』を開始。同作品で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞し、3月4日から3回にわたり、同作品を原作とした連続ドラマ『弟の夫』がNHK BSプレミアムで放映される。創作活動について若い世代に向けて語ったインタビュー本『ゲイ・カルチャーの未来へ』(株式会社Pヴァイン)も出版された。田亀さんのウェブサイトは

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※この記事は、Yahoo! JAPAN限定先行配信記事を再編集したものです。