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健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな

医療経済学者、二木立さんインタビュー第3弾では、今、産官学民で盛んに言われ始めた予防医療と健康寿命の延伸に隠れた落とし穴を探ります。

落合陽一氏、古市憲寿氏の対談をきっかけに論争となった医療費抑制の議論。

政府は「予防医療」と「健康寿命の延伸」による医療費抑制策を打ち出し始めていますが、それは正しいのでしょうか?  

医療経済学者、二木立さんインタビュー第3弾をお届けします。

「予防医療」へのインセンティブ強化策を打ち出した安倍首相

ーー「予防医療」や「健康寿命の延伸」が一般レベルでも叫ばれることが増えました。国も予防医療に力を入れる方針を示していますが、これについてどうお考えですか?

安倍首相は、2018年9月以降、「全世代型社会保障改革」について、予防医療や健康寿命増進に焦点を当てる姿勢を明らかにしています。

たとえば、この年9月20日のテレビインタビューでは、財政のために国民の負担を増やしていくという考え方を批判し、「医療保険においても、しっかりと予防にインセンティブを置いていく、健康にインセンティブを置いていくことによって、結局、医療費が削減されていくという方向もあります」と述べています。

首相の指示を受けて、厚生労働省はその翌月の10月22日に「2040年を展望した社会保障・働き方改革本部」を設置し、「健康寿命延伸タスクフォース」など4つのプロジェクトチームを設けました。

この日の午後に行われた「未来投資会議」では、「全世代型社会保障へ向けた改革」での「疾病・介護予防の進め方」について議論され、「インセンティブ措置の強化」を進めることを表明しました。

私は、生活の質を上げるために予防医療を重視し、健康寿命延伸を目指すことは賛成です。

しかし、そのために国民への強制やペナルティを伴うことがあってはならないと思います。インセンティブが強化されれば、それが事実上の強制やペナルティになり、結果的に生活習慣病などの患者の差別や排除につながりかねません。

さらに、予防医療で医療や介護費を抑制できるという主張には強い疑問を持っています。

予防や長生きをしたら医療費は増える可能性がある

ーー先生は40年前に、「成人病・慢性疾患については、経済学的にみて『予防は治療に勝る』とは必ずしもいえない」と述べ、予防や早期発見、早期治療でかえって医療費が増える可能性があると指摘していらっしゃいますね。一方で、1985年に脳卒中の早期リハビリで、医療費が削減される可能性があるという研究も残していらっしゃいます。

私は医学的効果と医療費削減は常に区別しています。1985年の論文は、当時勤務していた代々木病院での脳卒中早期リハビリテーションの実績に基づいて、経済効果を試算したものです。

この研究は、脳卒中患者が急性期治療と並行してリハビリテーションを受けて平均1.5〜2ヶ月入院後に退院する場合を、120日間一般病院に入院し続ける場合と比べると、19〜48%の費用削減効果が可能なことを理論的に明らかにしたものです。

しかし、その論文でも、リハビリテーションを受け持ってくれる施設との連携が現実には難しい等、5つの制約条件をあげて、本研究で「明らかにした施設間連携による経済的効果も全国的に実現することは、現状では困難である」と結論づけました。

さらに、2006年に脳卒中のリハビリを適切に行った場合の医療費抑制効果は短期的にのみ言えることであり、長期的には累積医療費は増加する、とはっきり訂正しているんです。

その患者が初回の発作ならいいんですよ。そして、1年ぐらいなら経済効果もあるかもしれません。しかし、その人は残念ながらかなりの確率で再発します。良くなると長生きをするけれど、それで医療費も増えるんです。

だから、極端な言い方をすれば、医療費抑制だけ考えるなら治療しないのが一番いいんですよ。

しかし、こんなことは誰も主張しないでしょう。リハビリをやったら命が長引くだけでなくて、再発や3回目もあるし、他の病気にもなります。だから、長期的にみると医療費は増えるのではないかと思うようになったんです。

予防で医療費や介護費が減るという研究もあるが?

予防医療の医療費抑制効果については財務省も疑問視しています。

昨年10月9日の財政制度等審議会財政制度分科会の資料「社会保障について」では、「予防医療等による医療費や介護費の節減効果は定量的に明らかではなく、一部にはむしろ増大させるとの指摘もある」としています。

財務省が根拠とした研究は、医療経済を専門とする康永秀生・東大医学部教授らの文献です。康永氏は、元論文で以下のように述べています。

「これまでの医療経済学の多くの研究によって、予防医療による医療費削減効果には限界があることが明らかにされています」

「それどころか大半の予防医療は、長期的にはむしろ医療費や介護費を増大させる可能性があります。そのことは医療経済学の専門家の間では共通の認識です」

ーーそれでも国が予防医療によって医療費削減につながるとする根拠は何でしょうか?

公にされている資料を見ると、経済産業省の主導でこの方針が進められています。昨年4月に開かれた第7回「次世代ヘルスケア産業協議会」の資料では、「予防・健康管理への重点化」によって、高齢者の医療費が半分以下に減少するという図が示されています。

経産省が予防医療の推進で生涯医療費や介護費が減少するという試算の根拠として挙げている研究者の報告を見てみると、「介入にかかったコスト」が計算されていませんし、モデル事業の成功事例が全国に広げられた場合の効果の縮小傾向が考慮されていません。

ーーしかし、病気や介護状態が予防できて、健康寿命が延びれば、働き続けられる期間も長くなるでしょうし、家族が介護に取られることも減るでしょう。医療費以外の経済的なプラス効果もあるのではないでしょうか?

「次世代ヘルスケア産業協議会」の同じ資料で、「高齢者の健康状態が向上すれば間接的なインパクトとして、労働力と消費の拡大が見込まれる(最大840万人、年1.8兆円)」と試算しています。

しかし、これは65歳から74歳の高齢者が現役並みに働け、75歳以上の高齢者が前期高齢者並みに働けると仮定した場合の試算ですよ。前期高齢者は今の2倍、後期高齢者は今の4倍働くという前提です。

それで生活機能全般が衰える「フレイル」予防と認知症を予防することで、介護費用の抑制効果は3.2兆円としています。

ーー先生だったら現役世代よりも働けそうですけれども。

個人のレベルでできる人がいても、国民全体ができっこないですよ。こういう数字を平気で出すのはインチキです。

健康は義務ではない 不健康な人の生存権を侵すな

ーー医療費や介護費用の抑制に結びつかなかったとしても、病気を予防したり、要介護状態になるのを先送りできることは本人にとって幸せなことですよね。予防医療や介護予防を国が推進すること自体は問題ないのでは?

私がもっとも強調したいのは、予防医療の強調がポピュリズム、人気取りの政策になっていて、本当に向き合うべき問題から目をそらしていないかということです。

予防医療に取り組めば、医療・介護費が下がると言っているわけですが、そうすると負担増について考えなくてもよくなります。本来だったら、社会保障・税一体改革が2025年にほぼ終わるわけですから、次の時代に向けて負担増を検討しないといけない。

しかし、予防を一生懸命やれば、費用を増やさなくても済むという考えに、現政権は飛びついたわけです。このような政策を、権丈善一慶應義塾大学教授は『中央公論』1月号の論文で、「ポピュリズム医療政策」と呼んでおり、私も同感です。

社会保障の産業化で、経産省は省益拡大と公的保険サービスの企業サービスを推進しようとしています。介護予防による介護費用削減の根拠として挙げられている千葉大の近藤克則先生の研究を私は高く評価しています。

愛知県武豊町で、地域住民がボランティアで高齢者のサロン活動を運営した事業は、リスクのある人だけでなく、集団全体を対象としたポピュレーションアプローチです。そこにいるだけで、意識せずにいつの間にか健康になっているというやり方です。

しかし、これは全国最先端の「モデル事業」とも言え、その結果をそのまま全国に当てはめることはできません。

経産省が目指しているのは、インセンティブによる個人アプローチで、このままでは自己責任論が強まってしまう恐れがあります。

健康は義務ではないんです。権利です。健康は義務だという考え方はナチズムと通じるものがあります。

突き詰めると、「健康寿命」という概念は、認知症や重度の障害者、病気を持っている「健康ではない個人」の生存権を侵害する危険があります。

ーー病気や介護状態を予防することを強調し過ぎると、病気や要介護状態であることが非常に悪いことのように見られ、負のレッテルが強化されてしまうということですね。

「生活習慣病」にならないように、認知症にならないように国によって個人へのインセンティブが強化されたら、「生活習慣病」になった人、認知症になった人が差別、排除される危険があることも考えなくてはいけません。

私がこのことを危惧するのは、経産省、厚労省の文書から、「生活習慣病」は個人の不健康な生活に責任や問題があるからだという暗黙の了解が透けて見えるからです。しかし、「生活習慣病」は、遺伝的な要因や社会的な決定要因など、個人の責任に帰すことのできない複数の要因が複雑に絡み合って起きるものです。

このことは、「生活習慣病」という用語を提唱した1996年の公衆衛生審議会「意見具申」も指摘し、以下のように注意喚起しています。

「但し、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」

私は2017年から、病気が自己責任と誤認させる「生活習慣病」という用語の見直しを検討すべきであると主張し、とりあえずは「生活習慣関連病」への変更が現実的と判断しています。このインタビューでも「生活習慣病」と、常にカッコを付けて表現したのはそのためです。

健康を自己責任論に追いやる政策は、常に警戒しなければなりません。

(終わり)

【1回目】トンデモ数字に振り回されるな 繰り返される「終末期医療が医療費を圧迫」という議論

【2回目】国民皆保険の維持は日本社会の一体感を守る最後の砦 貧富の差で医療に差をつけるべきではない

【二木立(にき・りゅう)】日本福祉大学相談役・名誉教授

1947年生まれ。1972年、東京医科歯科大学医学部卒業。代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長、日本福祉大学社会福祉学部教授を経て、2013年日本福祉大学学長に。

2018年3月末、定年退職。『文化連情報』と『日本医事新報』に連載を続けており、毎月メールで配信する「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」は医療政策を論じる多くの官僚、学者、医療関係者が参考にしている。

著書は、『地域包括ケアと福祉改革』、『医療経済・政策学の探究』、『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(いずれも勁草書房)等、多数。