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国民皆保険の維持は日本社会の一体感を守る最後の砦 貧富の差で医療に差をつけるべきではない

二木立先生のインタビュー第二弾では、財政維持のために社会保障費をカットすることは妥当なのか、高額薬剤は医療費を破綻させるのか、 医療にまつわる様々な不安や疑問をぶつけます。

注目の若手論客、落合陽一さん、古市憲寿さんが「(高齢者に)『最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい」などと発言して批判を浴びた「文學界」1月号の対談。文春オンラインにも転載されて論争を巻き起こしました。

批判の根拠として多くの人にその論文が引用された日本福祉大学の相談役・名誉教授の二木立さんは、医療や介護政策を医療経済学の視点から考え抜いてきた研究者です。

少子高齢化が進み、「このままでは医療や介護はもたない」と多くの人が抱えている不安は、根拠があるものなのでしょうか?

対談が引き起こした論争をきっかけに、質問を投げかけてみました。

「社会保障費の負担は心配するほど増大しない」

ーー落合、古市対談は、日本の財政悪化のツケを払わされる若い世代としての危機感から、「既得権益」を切り崩す形として高齢者医療費のカットを提案しているように見えます。そもそも、財政健全化のために、社会保障費をカットするという提案は、医療経済の視点から妥当なのでしょうか?

これが提案と言えるのでしょうか?

社会保障費水準というのは、対GDP(国内総生産)比で見るのが医療経済学の常識ですが、これが今後、急増しないことは、政府の公式推計でも確認されています。私も論文で論評しましたが、これは重い数字ですよ。

2018年5月21日に内閣官房、内閣府、財務省、厚生労働省が経済財政諮問会議に提出した「2040年を見据えた社会保障の将来見通し(議論の素材)」でどのように推計されているかご存じですか? 

2040年度の社会保障給付費の対GDP比は「現状投影」でも23.8~24.1%、現在行われている諸改革がすべて計画通りに実現すると仮定しても23.8~24.0%となり、2018年度の21.5%と比べて、2.3~2.6ポイント高くなるだけと試算されています。

最近も厚労省の鈴木俊彦事務次官が、「社会保険旬報」1月1日号の座談会で、「日本の社会保障給付費の対GDP比が2040年で24パーセントという水準は、日本よりも高齢化率の低いフランスやスウェーデンが現在負担している水準よりも低いものであり、国民が負担できない水準ではない」とはっきり言っているんです。

同じ雑誌の1月11日号に収められた「第17回地方から考える『社会保障フォーラム』セミナー」では、厚労省の社会保障担当審議官の伊原和人さんが、次官よりもっとストレートに発言しています。

2040年に社会保障給付費(対GDP比)は1.1倍強になるというのは同じですが、もっとわかりやすい例として、健康保険の保険料の見通しでいうと、協会けんぽの負担が今は10%なのが2040年に11.5〜11.8%になるんだよ、と言っているわけです。

ポイントでいうと、2ポイント増えるということです。この問題で大事なのは、社会保障費を誰が負担するかは別として、日本社会として負担できないレベルの増加かということです。

その上で、次の段階で、じゃあどういう風に財源を確保するかという2段階で考えなくちゃいけないわけです。

ーーその増加分はどのように確保すべきだとお考えですか?

国民皆保険を維持するとしたら、保険料が半分ですね。租税は4割ぐらいです。よく租税イコール消費税と言われますが、これだけ消費税を上げるのに反対が多いことを考えると、私はもっと多様化すべきだと思います。

手前味噌ですけれども、これは日本医師会の医療政策会議でも合意を得ています。昨年4月、日本医師会の医療政策会議で報告書が出ています。

社会保険料が中心で、消費税はもちろん大事だけれども、税は多様化する必要があると、私の意見が全部入っています。

詳しくは、「国民皆保険制度の意義と財源選択をどう考えるか?」という論文で書きました。

国民皆保険の維持は日本社会が一体感を維持する最後の砦

この論文で強調したのは、「国民皆保険の維持」は、今や医療制度の枠を超え、日本社会の「安定性・統合性」を維持するための最後の砦となっているということです。

日本は、こんなに格差社会になってしまいました。その中で、国民皆保険は日本社会の一体感を保つための最後の砦です。

今の世の中で、自民党から共産党まで唯一の合意があるのは国民皆保険の維持だけですよ。だから国民皆保険を解体したり、あるいは混合診療を全面解禁したりして、貧富の差で受けられる医療が変わったら、日本社会は底抜けしてしまいます。

ーーそういう意味でも、「最後の一ヶ月の医療費は保険外で」というのは不見識だとお考えなのですね。

ほかの人も既に指摘していますが、そもそも技術的に最後の1ヶ月なんて、誰にもわからないんですよ。

落合氏は、これに続けて「延命治療をして欲しい人は自分でお金を払えばいいし、子供世代が延命を望むなら子供世代が払えばいい」と発言しています。

私はこれを読んで、21世紀初頭の混合診療全面解禁論争の時に、当時、規制改革・民間開放推進会議議長で全面解禁論の急先鋒の宮内義彦氏が「金持ちでなくとも、高度医療を受けたければ、家を売ってでも受けるという選択をする人もいるでしょう」と言い放ったことを思い出しました。

この発言は、第二次大戦前に、農村部の小作農や都市部の貧困層でよく見られていた、重病人が出れば家どころか娘を売らなければ医療を受けられないという悲劇を予防するために公的保険制度が導入された歴史を無視した暴言です。

当時、私が大学院の講義でこの発言を紹介したところ、韓国の留学生は異口同音に、「韓国だったらボコボコにされるか土下座なのに」と怒りを述べました。しかし、日本のマスコミはこの発言をほとんど報じませんでしたし、今回の落合発言への反応も鈍かったのも不思議でなりません。

高額薬剤費の影響は? 歴史から学べ

ーー免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」など高額医薬品が増えることが医療費を圧迫するという議論もあります。今後、さらに高額な薬剤が承認される時にどこまで保険で認めるかという議論が起こると思いますが、これまでの医療保険の仕組みは維持できるのでしょうか。

オプジーボの時も同じことが言われたんですよ。いわゆる「オプジーボ亡国論」です。

日本赤十字社医療センター化学療法科部長の國頭英夫医師が、オプジーボを受ける肺がん患者の医療費が年間3500万円で、適応のある患者5万人全員に投与された場合、年間1兆7500億円に達すると推計して、これをきっかけに「日本の財政破綻が確定的となり、”第二のギリシャ”になる」と主張したんです。

全国紙3紙が社説で取り上げ、毎日と産経と週刊新潮がこれをテーマに長期連載をやったほどの議論になったんです。

タイトルもすごいですよ。毎日新聞は「たった一剤で国が滅ぶ」、産経は「一剤が国を滅ぼす」です。

私は研究者ですから、常に国際的視点と歴史的視点で検証するわけです。「国が滅ぶ」とまで言ったのは國頭氏が初めてでしたが、過去には、「医療保険財政がもたない」と、2.5回議論が起こった歴史があるわけです。

「結核医療費」と「透析医療費」と、あと0.5回はインターフェロンです。結核医療費は、抗生物質の進歩や普及、薬価引き下げで国民医療費に対する割合は急激に低下しました。

透析医療費も、1973年に高額療養費制度ができたことで患者負担が引き下げられ、透析医療費が保険で高い点数に設定されたため、1970年から10年間で患者数は38倍も激増したんです。

しかし、当時の厚生省が診療報酬改定で透析技術料や透析を行う装置「ダイアライザー」の価格設定を大幅に引き下げたことで、患者はその後も増えたものの国民医療費に対する割合は低下しました。

この二つの疾患の歴史を踏まえれば、オプジーボなどの高額医薬品の費用も、医療政策としてはコントロールが可能なのだと予測できます。

オプジーボは実際に国を滅ぼしたか?

ーーオプジーボも大幅に薬価が引き下げられましたね。

「オプジーボ」亡国論が、現実にはどうなったか見てみましょう。

概算医療費」という統計があります。国民医療費は確定するのが遅いので、厚生労働省は、「概算医療費」という暫定の医療費の動向を2017年度まで出しています。

概算医療費は、大雑把に言うと、国民医療費から生活保護の医療費をのぞいたイメージです。国民医療費の98%ぐらいをカバーしている統計ですから、ほとんど国民医療費と伸び率は同じです。

この対前年伸び率を見ると、2014年度が1.8%、だいたい2%ぐらいだったのが、2015年度にはポーンと3.8%に上がったんです。

内訳を見ると、調剤の伸び率がなんと9.4%も上がったんです。これは新しいC型肝炎治療薬「ハーボニー」の影響です。さらにオプジーボが出てきたので、これからさらに上がるという議論になったんです。

ところが、厚労省は2017年2月にオプジーボを半額にしたのを含めて薬価を一気に下げましたね。それで、2016年度の伸び率は、-0.4%になったんですよ。調剤に関しては、-4.8%ですよ。完全にチャラになったわけです。

そして、2017年度は、それぞれ、2.3%、2.9%です。完全にアンダーコントロールになりました。オプジーボはわずか4年で、薬価が4分の3も下げられました。適応もすごく厳しいです。病名だけ見れば、見かけ上の適応は拡大した。しかし、施設基準などが厳しいです。だからそれほど増えていません。

2018年度には薬価の抜本改革で、高い薬価の薬は四半期ごとに、売上高をチェックして、伸び率が高い場合は再算定することになりました。今までは2年ごとの見直しだったのです。

その餌食と言っては悪いですが、オプジーボは完全にコントロール下におかれました。

1回5000万円と言われるCAR-T療法の影響は?

ーー現在、承認申請中の新しいタイプのがん治療薬「CAR-T療法」は1回5000万円とも言われています。今度こそ、医療財政はもたなくなるのではないかと懸念されています。

もちろん、これからもたくさんいろんな高額薬剤が出てくるでしょう。今度は違うといつも言われるんです。

だいたい私の経験では、「This Time is Different(今度こそ違う)」と言うのは、不勉強だけれども、傲慢な人の常套句ですよ。

例えば、今、承認、保険収載が見込まれているCAR-T療法の「キムリア」だったら、アメリカだと、治療に反応があった場合だけ支払いを求める成功報酬が導入されていますよね。だからいろんなやり方があると思います。

調べてみましたが、キムリアが適応になる日本の患者数は、急性リンパ性白血病(ALL)で5000人、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)で2万1000人。ずっと限定されます。オプジーボのように適用拡大はあまり考えられないし、厳しく適用制限するはずです。しかも、基本は1回だけの治療です。

そして、当然技術進歩が進めば薬価も下がります。人件費は下がらないですが、物件費はいくらでも下がる。

これまでの経験に基づけば、今後、新医薬品・医療技術価格の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できるということが国際的、歴史的結論でしょう。

国際的に見ても、技術進歩による医療費増加で、医療保険が破綻した国はないんですよ。歴史や国際的な視点を踏まえて、議論すべきです。

【1回目】トンデモ数字に振り回されるな 繰り返される「終末期医療が医療費を圧迫」という議論

【3回目】健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな

【二木立(にき・りゅう)】日本福祉大学相談役・名誉教授

1947年生まれ。1972年、東京医科歯科大学医学部卒業。代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長、日本福祉大学社会福祉学部教授を経て、2013年日本福祉大学学長に。

2018年3月末、定年退職。『文化連情報』と『日本医事新報』に連載を続けており、毎月メールで配信する「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」は医療政策を論じる多くの官僚、学者、医療関係者が参考にしている。

著書は、『地域包括ケアと福祉改革』、『医療経済・政策学の探究』、『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(いずれも勁草書房)等、多数。