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トンデモ数字に振り回されるな 繰り返される「終末期医療が医療費を圧迫」という議論

高齢者の終末期医療をカットすることを主張して、多くの人の批判を浴びた落合陽一さん、古市憲寿さんの対談。批判の根拠として度々引用された医療経済学者、二木立さんが医療費についての不安を煽る言説を斬るインタビュー第一弾です。

「(高齢者に)『最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?』と提案すればいい」

「超高齢社会で安楽死や延命治療の議論は避けては通れないはず」

「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もする」

注目の若手論客、落合陽一さん、古市憲寿さんがこのような発言をした「文學界」1月号の対談は、文春オンラインにも転載されて多くの批判を浴び、落合さんは一部内容を撤回するなどしました。

この対談での発言を批判する論拠としてよく引用されたのが、医療経済学者で日本福祉大学相談役・名誉教授、二木立さんの論文です。

二木さんはこの論争についてどう見ていたのでしょう。そして、少子高齢化や高額薬剤による社会保障破綻論や、政府が打ち出している予防医療や健康寿命延伸による医療・介護費抑制策についてどう評価しているのでしょうか?

「このままでは日本の医療や介護制度はもたないのではないか」という不安が日本を覆い、社会的弱者に不寛容なことばが広がる中、歴史やデータを踏まえながら日本の医療や介護制度のあり方について語っていただきました。

3回にわたってお伝えします。

繰り返される「終末期医療費が医療財政を圧迫する」という言説

ーーこの対談は前からご存知でしたか?

当初、私は「文學界」も、論争のきっかけになった朝日新聞の文芸時評(※二人の対談を作家の磯﨑憲一郎氏が批判)も読んでいなかったです。去年の年末から、この論争で、わたしの論文が引用されているよと、複数の人から連絡がきました。

私が連載している媒体からもこの論争について寄稿の依頼がありましたが、あまりにも下品で、エビデンスに基づいていないから論評する価値もないと断りました。朝日新聞で磯崎憲一郎さんが書いている通りですよ。

この想像力の欠如! 余命一カ月と宣告された命を前にしたとき、更に生き延びてくれるかもしれない一%の可能性に賭けずにはいられないのが人間なのだという想像力と、加えて身体性の欠如に絶望する。(磯崎憲一郎氏「作家の生き様」朝日新聞・文芸時評より)

今回、致命的なのは、明らかな事実誤認があったことです。この論争がずっと続くなら批判も考えますが、収束するのではないかと言っていたら、ほぼ終了しましたね。

ーー元の対談記事は読まれましたか?

まず、ウェブ上に文春が公開しているのを読み、後から「文學界」とウェブ版を読み比べてみました。

「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もするんですけどね」を「…保険適用外にするとある程度効果が出るかもしれない」にしたり、「…治療をしてもらえない--というのはさすがに問題なので、保険の対象外にすれば解決するんじゃないか」を「…問題なので、コスト負担を上げればある程度解決するんじゃないか」と変えていますね。

少なくとも、文春オンラインは文學界の記事を転載したとしか書いておらず、不適切な表現を訂正しましたとは書いていない。あれは良くない。姑息な言い換えをこっそりしたのが「文學界」編集部なのか、落合さんなのかは知りませんが、どちらの場合も、言論人失格と思います。

ーーおさらいをさせてください。先生は、「終末期医療費は高額で、医療保険財政を圧迫している」という言説は、誤りだと指摘されています。

高額医療費が医療保険や財政を破綻させるという主張は1950年代から繰り返されています。また終末期医療が医療費を圧迫するという言説も、1997年に広井良典氏らがまとめた『「福祉のターミナルケア」に関する事業報告書』から繰り返されており、特に、珍しいものではありません。

高名な経済学者である伊東光晴氏も著書『日本経済を問う』(岩波書店、2006年)で「人間一生の医療費のうち、約半分が死の直前6か月のうちに費やされる」と書き、在宅医兼作家の久坂部羊氏も『日本人の死に時』(幻冬舎新書、2007)で、「終末期医療費が全老人医療費の20%を占めるとか、国民1人が一生に使う医療費の約半分が、死の直前2か月に使われるという報告があります」と書いています。

いずれも、恣意的なデータの解釈がなされていたり、そのようなデータを示した実証研究はなかったりして、私は「トンデモ数字」だとして批判を繰り返してきました。

死亡前1ヶ月の医療費が医療費に占める割合はわずか3%

ーー実際には終末期医療の費用は医療費全体の中でそれほど高くはないということですね。

「終末期医療費」の定義は様々ですが、「死亡前1年間の医療費」と最大限広くとらえた場合でさえ、日本の老人医療費の11%に過ぎないことが明らかにされています。府川哲夫氏らが1994年に「老人医療年齢階級別分析事業」のデータを分析して算出した数字です。

しかし、「死亡前1年間」を終末期とするのは、医療者や患者、家族の実感とは合わないでしょう。日本では2000年以降は、「死亡前1ヶ月」のデータが使われるようになっています。

医療経済研究機構が2000年に発表した報告書では、全死亡者の死亡前1ヶ月間の医療費は7859億円で国民医療費のわずか3.5%に過ぎないことが明らかにされました。

厚生労働省もきちんとデータを出しているんですよ。

厚労省保険局は2005年7月、2002年度の「終末期における医療費(死亡前1ヶ月間にかかった医療費)」は約9000億円と発表しました。同年度の「医科医療費」に占める割合は3.3%に過ぎません。

ーー「終末期医療費を保険適用外にする」、医療費抑制の文脈で安楽死を議論するインパクトはデータから見ても弱いということですね。

これは提案と言えるでしょうか? 思いつき、放言レベルでしょう? しかも落合さんは撤回していますから、論評に値しないと思いますよ。彼らに比べると安倍首相の発言の方がずっとまともです。

安倍首相は、政権を奪還した後の2013年2月20日の参議院予算委員会で、野党の議員から終末期医療は無駄ではないかという趣旨の質問を受けて、「尊厳死は、極めて重い問題」と触れた上で、「大切なことは、これはいわば医療費との関連で考えないことだろう」とはっきり言っています。

私はこれに大賛成ですよ。

終末期医療について議論するのは大事だが...

ーー先生は、ご著書でも、「延命至上主義的な医療には疑問を持っている」としていますし、終末期の医療について議論すること自体には反対されていません。

今後、終末期や死亡前の医療、あるいは、患者を中心にどんな医療やケアを受けたいか医療者や家族と話し合う「アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)」についてどうするかということは議論してなんの問題もないと思います。

しかし、医療費削減を目的とする終末期医療の見直しには賛成できませんし、終末期医療費が巨額だという主張も事実誤認だと度々指摘してきました。

終末期医療の大前提は、本人の意向を最大限に尊重し、強制はしないということです。

今回の論争で、わたしの論文も一部不十分な引用のされかたがありました。死亡前1ヶ月間の医療費は国民医療費の3%ですが、統計上、その中には救急救命を目的とした急性期医療も入っているんです。

だから結果的に心筋梗塞で死んじゃった、脳卒中で死んじゃったという人の治療費もその中には含まれています。だけど、そんな治療を普通、「終末期」とは言わないでしょう?

本来の意味での終末期、つまり、慢性疾患があって亡くなる、あるいはがんの末期でなくなった人に限定すると、国民医療費に占める割合はおそらく2%もないと思います。

ーー「3%」には、それまで健康だったのに、急に倒れて、命を救うために急性期の超濃厚医療をして、結果的に亡くなってしまったという人の医療費も入っているということですね。

脳卒中で死んだから高額な医療費がかかってしまったとか心筋梗塞で死んだから医療費がかかって困るとは誰も言わないでしょう? 誰もが必要性を認めるような医療をカットすべきだとは言わないはずです。

それに、日本の高齢者の健康度は世界一なんですよ。

あとで詳しく述べますが、2016年に國頭英夫医師が「オプジーボ亡国論」、つまり、免疫チェックポイント阻害剤オプジーボが保険適用された時、高額だから日本の財政破綻が確定的となると主張して話題になったことがありました。

問題は、國頭医師がその中で「75歳以上の患者には、すべての延命治療を禁止する。対症療法はこれまでと同じように、きちんと行う。これこそが公平で、人道的で、かつ現実的な解決法なのである」という主張をしたことです。

わたしも71歳だからもうすぐ75歳になりますが、介護保険との関係でいえば、75歳の要介護・要支援認定率は約3割です。これは一見すごく多いように見えますね。65〜74歳の前期高齢者の要介護率は約5%ですから。

ただ、裏返してみると、後期高齢者でも7割は健康なんですよ。少なくとも日常生活に不自由はないんです。要介護、要支援を受けていないのですから。

そういうお年寄りが、心筋梗塞になりました、脳卒中になりました。そこで病院に運ばれた時に、「あなたは75歳以上ですから、キュア(治療)は必要ありません。ケアをします」ということが許されますか? 

本人はもちろん、家族も希望しないし、一般の人びとも、自分がそうなった時のことを考えると許せないでしょう。だから安倍首相の発言はすごく見識がありますよ。落合さん自身もこれは反省していますね。

少し、議論に進歩も感じている 

ーーしかし、こうした議論はなぜ繰り返されるのでしょう。

わたしからみると別に終末期医療の問題に限りません。医療・社会保障費の問題は、1回の論争で決着する方が例外で、「医療費、社会保障費亡国論」は1983年に当時の厚労省保険局長が唱えて以来、繰り返されていますよ。

ただわたしは以下の2点から、以前の論争よりも進歩していると感じます。

一つは、落合さんや古市さんの発言を支持する声がほとんどなかったことです。

例えば、以前、わたしが批判した2013年1月21日に麻生副総理が社会保障制度改革国民会議での発言を思い出しましょう。

「死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね。(中略)しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのはますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」

麻生氏は批判を受けてすぐに撤回しましたが、「重要な問題提起」「大切なテーマなのでタブーにすべきではない」という擁護論を唱えた人がたくさんいましたよね。

私は麻生発言はその前段で述べた、次の主張も問題にすべきだと思っていました。

「現実問題として、今経費をどこで節減していくかと言えば、もう答えなんぞ多くの方が知っている。高額医療というものをかけて、その後、残存生命期間が何ヶ月だと、それにかかる金が月千何百万だ、1500万だっていうような現実を厚生労働省が一番よく知っているはずですよ」

ーー最近では昨年10月にも、「『自分で飲み倒して運動も全然しない人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしい、やってられん』と言った先輩がいた。いいことを言うなと思って聞いていた」と発言していました。

前と同じでしょう。少なくとも安倍首相は公的には違う言い方をしています。麻生氏の放言癖はキリがないですね。

問題なのは、麻生氏に限らず、死亡前の医療費が高額であり、医療費増加の主因だから、カットしろと主張する人が少なくないことです。

元テレビアナウンサーの長谷川豊氏は2016年に、

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」

と言って、あれも結構支持が多かったですよね。

しかし、今回の二人の対談は正面から支持する人はほとんどなく、なおかつ手前味噌ですけれども、二人への批判の多くがわたしの論文を引用していましたよね。データで論理的に批判がなされました。そういう意味でああ、世の中は少し進歩していると思いましたよ。この論争に関してはね。

古市さんは財務省の友達と社会保障費について細かく検討したと話していますが、「経済産業省の友達」の間違いか、彼の意図的言い換えではないかと推察しています。

財務省の少なくともエリートにはこんな粗雑な発言をする人間はいません。このことは、先日、全国紙の財務省担当記者からも確認しました。

それに対して、経産省サイドの医療改革のスポークスマンになっている江崎禎英さんは、古市さんと同様に、「人生最後の1か月で生涯医療費の50%を使う」等のトンデモ発言を繰り返しています。

古市氏は「長期的には『高齢者じゃなくて、現役世代に対する予防医療にお金を使おう』という流れになっていくはず」と続けていますが、このロジックは、ヘルスケア産業の振興を狙って予防医療の推進を唱える経産省のみが使っています。

これに対して、財務省は昨年10月9日の財政制度等審議会財政制度分科会で、「予防医療等による医療費や介護費の節減効果は定量的には明らかではなく、一部にはむしろ増大させるとの指摘もある」と述べています。

誰のどういう意図が反映されている発言なのか、注意しなくてはいけません。

(続く)

【2回目】国民皆保険の維持は日本社会の一体感を守る最後の砦 貧富の差で医療に差をつけるべきではない

【3回目】健康は義務ではない 「予防医療」を医療費抑制の道具にするな

【二木立(にき・りゅう)】日本福祉大学相談役・名誉教授

1947年生まれ。1972年、東京医科歯科大学医学部卒業。代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長、日本福祉大学社会福祉学部教授を経て、2013年日本福祉大学学長に。

2018年3月末、定年退職。『文化連情報』と『日本医事新報』に連載を続けており、毎月メールで配信する「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」は医療政策を論じる多くの官僚、学者、医療関係者が参考にしている。

著書は、『地域包括ケアと福祉改革』、『医療経済・政策学の探究』、『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』(いずれも勁草書房)等、多数。

訂正

府川哲夫氏の名前を訂正しました。