たばこを燻らせながら演奏するミュージシャンに、煙や人の熱気でむせ返るようなフロアーー。
ライブハウスと言えば、そんな空間が思い浮かぶ人も多いのではないだろうか?
ところが、ミュージシャンの中にも煙が苦痛だったり、病気になって煙を避けなければならない人もいる。長時間そこで煙に晒されるスタッフも同じだ。
そんな切実な思いから、神奈川県に住むアマチュアギタリストの宮澤尚一さん(56)はたばこの煙を吸わずに演奏が楽しめるライブスポットの情報サイト「NO SMOKING LIVE」を2018年の8月にオープンした。
驚くことに、その直後の10月下旬、自身が肺がんにかかっていることがわかる。
「ますます煙のある会場では演奏もしたくないし、客としても行きたくなくなりました」
5月31日は世界禁煙デー。来年4月には受動喫煙を防止する改正健康増進法も全面施行される。たばこや酒と結び付けられることも多い音楽業界で、禁煙を求める動きは根付くのだろうか?
ジャンルに関係なく煙がつきものの音楽スポット
「NO SMOKING LIVE」に現在掲載しているライブスポットは全国104店舗。厳密に屋内完全禁煙を要件にしているわけではない。
囲われた喫煙室を設けていたり、1階、2階で禁煙、喫煙に分かれている分煙だったりなど、客が希望すれば煙を避けることができる店は載せている。テラス席など外を喫煙としている店も掲載した。
「ライブハウスではホール内は禁煙でもバーカウンター付近を喫煙にしているところもある。客として演奏を聴くときにドリンクは必須ですから煙に晒されることが確実なので、そういうところは外しました」
アマチュアバンドでギタリストとして演奏活動をしている宮澤さんは非喫煙者だ。
「ライブのある日はリハーサルのために昼過ぎに会場入りし、午後10時頃までいるわけですが、煙が苦しくて、外に空気を吸いに出ることも多かったんです。服も楽器も煙臭くなるし、とても苦痛でした」
自分はブラックミュージックを得意としているが、音楽業界、特にジャズ関係は喫煙者が多い。
「ジャズ喫茶もそうですが、音楽と、煙や酒は伝統的にセットになっている文化なんです。音楽のジャンルに関係なく、特に少し上の世代はたばこを吸う人が多いし、演奏する店の方でも分煙や禁煙に踏み切れないところが多い」
ただ、アコースティック音楽中心のライブハウスなどは全面禁煙にするところもあった。ハーブティーなどをメニューに置く、自然派志向の店などだ。
「周りのミュージシャンやシンガーも禁煙の店があったら大喜びで出ている人が多かったです。音響さんなど裏方を務める店のスタッフも我慢している人が多い印象でした。それでもなかなか禁煙が広がらないのが不思議でした」
きっかけはヘビースモーカーのギタリストのライブ会場禁煙のお願い
そんな疑問を持ちながら、演奏者や観客としてライブハウスに通っていたが、宮澤さんにショックを与えた出来事が2018年の4月にあった。
好きなプロのギタリスト、杉本篤彦さんが、2年前にCOPD(慢性閉塞性肺疾患)と診断されたことを公表し、自身のライブでは完全禁煙とすることをFacebookで宣言したのだ。
ライブでの完全禁煙のお知らせとお願い
COPDはたばこの煙などの有害物質を長年吸い続けることで起きる肺の病気で、悪化すると、酸素を十分に取り込めなくなり、在宅酸素療法が必要となる。
「彼はすごいヘビースモーカーで、客としてライブを見に行った時も、休憩中にずっとたばこを吸っていました。常に煙に晒されるので、ステージ後半を聴くのは諦めて帰ったこともあります」
「そんな彼がこうして健康を害することになったのかとショックでした。ヘビースモーカーだったとはいえ、気軽に吸える環境があちこちにあったことを考えると、自業自得とは言いきれない社会状況による健康被害だとも思いました」
実は宮澤さんは、ずっと医療のウェブメディアで医療ライターをしており、受動喫煙がもたらす害も書いたことがある。
「音楽にも医療にも関わるものとして、社会のために何かできないかと思いました。どれだけ需要があるかはわかりませんでしたが、たばこの煙を吸わなくて済むライブスポットを検索できるサイトを作ろうと思ったのです。こんなことは既に誰かがやっているだろうと思ったら何もヒットしないので決めました」
2018年の夏に集中してインターネットなどで調べ、「NO SMOKING LIVE」を開いた。現在までに104店舗を登録した。
サイト開設直後 自身も初期の肺がんで手術
COPDになったそのギタリストにもインタビューをして、禁煙に踏み切った店にもインタビューをしてーー。
そんな計画をたてて、サイトを充実させようとしていた2018年10月の下旬、自覚症状は全くなかったのに、健康診断で肺に影があることがわかった。
初期の肺がんだった。驚いた。12月はじめには肺の4分の1を切除する手術を受けた。
「皮肉なもんだなと思いました。COPDになったギタリストを外から見ているつもりだったのに、自分も病気になった人の輪の中に入った。親が喫煙者だったとはいえ、私のがんは受動喫煙と関係ないと思いますが、再発リスクを上げないためにも、煙のある場所には出入りをしないという気持ちを強くしました」
ただ、自分の自宅がある藤沢市の近くに、安心していける店がない。
「手術後は全くライブスポットに足を踏み入れていません。ミュージシャン仲間でも『あそこ禁煙だから、あそこで演奏したいな』と希望している人は増えているのに、まだどこにでも禁煙店があるというわけではない」
最近、Twitterで、受動喫煙で喘息になったというあるクラブDJが、喫煙可のクラブではイベントはできないと店のオーナーに断ったところ、「俺も自分の店の受動喫煙で喘息になったが、常連客が怒るから禁煙にできない」と返されたとつぶやいているのも見かけた。
「ライブハウスよりもクラブがこれからは問題になってくると思います。欧米では禁煙に踏み切ってかえって売り上げが上がったハコもあると聞きました。若い世代ではたばこを吸わない人が増えていますから、新しい客が来やすくなるような工夫が必要だと思うんです」
広げていくにはどうしたら? 同じ志の人と連携を
そんな気持ちで情報収集をしている時に、Twitterで完全禁煙の店の検索サイト「ケムラン」を紹介する記事を見かけて、引用リツイートをしてくれたのが、今回の取材のきっかけだった。
「ケムランのことは記事は初めて知りました。自分は仕事に追われてなかなか取材記事を書けませんでしたし、肺がんで療養生活にも入ってしまって、一人での運営に行き詰まりを感じていました。飲食店というくくりでやる方が需要は大きいでしょうから、こういう方法があるのかと感心しました」
「私のサイトも、持続可能とするために誰かに委ねた方がいいのかと悩んでいました。同じ思いを持っている人と連携ができたらと思うんです」
このサイトを今後どのように運営していくかは決めていない。
ただ、音楽を愛する一人として、そして、呼吸器のがんを経験した一人として、演奏者も観客も気持ちよく居られる場所作りに貢献できたら。そう願っている。