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「スピリチュアル系」が医療・健康分野に広がるのはなぜか 「科学だけで人間は理解できない」

「荒唐無稽」と切り捨てるだけでいいのでしょうか?

子宮を大事にすれば願いが叶うと信じる「子宮系女子」、子供は親を選んで生まれ、胎内でも記憶があると唱える「胎内記憶」、自然食品を愛用し薬やワクチンなど西洋医学を拒否する自然派ママ----。

科学や医学の論理とは異なる世界観を生きるいわゆる「スピリチュアル系」が、医療や健康分野に広がっている。最近は特に、妊娠・出産や子育て、女性の身体に関わる分野で、若い女性や母親たちが傾倒する姿が目立つ。

西洋医学の視点からすると、健康被害につながりかねない行為もあり、「科学的根拠」を重視する立場にある人は、「スピ系」という言葉を批判的に使うことも多い。だがこの動きをただ「ナンセンス」と切り捨てていいのだろうか?

医療とスピリチュアリティとの関わりについて長年研究してきた上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進さんにお話を伺った。

宗教学者の島薗さんは、医療や生命科学の文脈で語る時、スピリチュアリティという言葉を中立的、むしろやや肯定的に使う。


「スピリチュアリティというのは、個々人の生き方や体験の中に宿る聖なる次元を指している」
「20世紀の最後の四半世紀以来、伝統的な意味での『宗教』でも『科学的合理主義』でもなく、その対立や棲み分けを超えるようなところに新たなスピリチュアリティが興隆しているようだ。それは、近代科学のように人間と地球の生命を冷たく突き放して探求し支配しようとするのではなく、自らが大きな『いのち』の秩序の中にいると見て、人間と地球の『いのち』の調和と発展の可能性を探るような態度と結びついている」
(『スピリチュアリティといのちの未来』人文書院)


つまり、現代社会を支配している科学的合理主義にも、伝統的な宗教にも行き詰まりを感じている人が、自分の命や世界との関係を捉えなおす手段として、「新たなスピリチュアリティ」を模索しているという捉え方だ。

島薗さんは筆者が紹介した「布ナプキンで子宮を温める」「不妊に悩む人に"妊娠菌"のついた"妊娠米"を売る」「人工物を避け、子供の病気の時に薬を拒否する」などのスピリチュアル系の具体例に時折目を丸くしながらも、こう指摘した。

「これは現代社会の『医療化』への抵抗の現れに見えます。あまりに生活が科学や医療に依存していて、自分や家族の身体のことなのに専門家の意見が絶対でそれに従わないといけないし、自分が排除されているような感覚を持っている。それに嫌気がさし、飽き飽きしているという面があると思います」

1970年代から広がってきたスピリチュアル系

人の生き死にを扱う医療とスピリチュアリティが結びつくのは今に始まったことではない。生物医学と病院を柱とする近代医療はかつて救えなかった命を救い、人の寿命を延ばしてきた。だがその一方で、「病気を診て人を診ない」という不満を育ててもきた。

その究極の場面が、科学では説明しきれない「死」に対するケアだ。

「スピリチュアリティが医療の分野で注目され始めたのは、欧米から10年遅れて始まった1970年代からのホスピス運動でしょう。病院で死を迎える人や家族にとって、死は味気なく、人生の意味や情緒を無視して処理されているという感覚が強まりました。科学的な合理性だけでは救われない患者や家族の精神的、霊的なニーズに応えるために、スピリチュアルケアも含めた『死生学』が積極的に探求されるようになったのです」

その頃から、近代の科学文明や合理主義に限界を感じる人たちの間で、ヨガや気功、癒し、瞑想、自己変容などを取り上げた「精神世界」が徐々に広がり始めた。80年代には幸福の科学やオウム真理教が生まれ、90年代にはスピリチュアルカウンセラーを名乗る江原啓之氏や死後の生命や生まれ変わりを説く飯田史彦氏が人気を博し、日本ホメオパシー協会も設立された。

2000年代に入ってから広がり始めた、若い女性や母親を対象としたスピリチュアル系も、この動きの一つだと島薗さんはいう。

「やはり、科学文明の発展の行き詰まりが大きい。地球温暖化もあるし、原発問題もあり、今の若い人は資本主義の発展の未来にあまり希望を持っていません。子育て中の母親は子供の未来や健康に敏感になりますからなおさらでしょう。代わる生き方を模索していますが、伝統的な宗教の束縛にはついていけない。そういう人たちにあらゆる形で選択肢が示されているのが今なのだと思います」

不安を抱き、新しいスピリチュアルに救いを求める女性たち

女性の社会進出が進み、核家族化で家族や地域のつながりが薄まる現代社会。女性は産み時に悩み、過労やストレスによる婦人科系の不調、仕事と子育ての両立に苦労しながら、不安の中で孤軍奮闘している。

島薗さんからすると、近代化でかつて身の回りにあった「つながり」を失った人たちが、「胎内記憶」などの新しいスピリチュアル系に救いを求めているように見える。

「前世でお母さんを選んで生まれてきたという語りは、70年代以降の新しいスピリチュアリティのテーマの一つと通じるものがあります。つまり、自分が辛いことにあったり、この世で苦しんだりするのは、前世や霊界で何かしらの意図があって、自分で選んできたことだと納得するための論理です」

産婦人科医が提唱し、絵本まで作られて幅広く受け入れられている「胎内記憶」や「子供が親を選んで生まれた」という言説は、虐待児にさえ当てはめられ、「母親の成長を願って虐待する親の元に生まれてくる」と説明されている。

「現代人は家族とのつながりを非常に儚く感じていますし、核家族化や少子化の影響で親しい家族の数が少ない。夫は仕事ばかりで、離婚も多いし、DVも虐待もある。狭い家族の中で諍いや対立があると、孤独に陥ります。その中で自分を保つために、何かのつながりを持ちたいし、深い縁を自覚したい。現実世界での関係性が軽くなっていることの裏返しで、前世や胎内記憶が、現実世界の儚い絆にこの世を超えたつながりを与えてくれるとも考えられます」

医療は女性たちを救っているか?

高齢出産はますます増え、体外受精で生まれる子供は21人に1人となった日本。「女性活躍」が期待されながらも、婦人科系の不調や「卵子の老化」に怯え、高齢出産による子供の障害の可能性に不安を抱く。

そんな女性たちに対し、医療技術の発展は、胎児の先天的な病気を調べる「出生前検査」のみならず、受精卵の段階で調べる「着床前検査」を可能にした。将来の妊娠の可能性を高めるために現在パートナーがいない女性向けに「卵子凍結」する技術まで広がりつつある。

「若い時になかなか産めず、40歳間際になって不妊治療をしてもなかなか成功しない。不妊治療医は儲かり、お金はかかる。仕事もきつい。家庭も不安定化して、家族が揃って夕飯を食べるような安心して産み育てる環境も望めない。歳をとれば妊娠しにくくなるという正しい知識は伝えられないまま、医療技術は進んでいつまでも諦められない。女性が不安やストレスを感じるのは当然ではないでしょうか?」

島薗さんは先日、医師らと共に医療の中のスピリチュアリティについて考える集会を開き、卵子凍結を推進している産婦人科医と議論になった。

「20代の女性が卵子を預けて、50代だって産めるということを実現したら、どういう社会になるか。テクノロジーの進歩でできるからといって、なんでもやっていいわけじゃありません。代理出産もそうですが、『命をつくる』ということをどこまでも推し進めていけば、我々の生活を支えてきた色々なものが崩れる可能性がある。ところが医学は、どこまで先端技術を現実に応用すべきかが決められなくなり、できることで利益になること、業績になることなら、なんでもしてしまう傾向があります」

医療が"暴走"していくことに漠然とした不安を抱く女性たちが、新しいスピリチュアルに向かっているのではないか。そのように島薗さんは推測する。

自然に見出す失われたものへの回帰


自然派やエコロジー系の新しいスピリチュアルもそうだ。

「行きすぎた文明に対する抵抗感や、儚い人間関係を超えた絶対的な価値を自然や地域に見出そうとする回帰願望のように捉えられます」

人が死を迎える時の悲嘆のケア「グリーフケア」を研究している島薗さんは、最近、死にゆく人に対する歌の力について研究している。そこで気づいたのは、死にゆく人や認知症の人が好んで歌うのは、幼い頃に歌った童謡や唱歌で、自然や温かい家庭を懐かしむような歌詞が特徴だということだ。

「『故郷(ふるさと)』という言葉が蘇ったと思っているのです」


兎追いし かの山
小鮒釣りし かの川
夢は今も めぐりて、
忘れがたき 故郷

如何に在ます 父母
恙なしや 友がき
雨に風に つけても
思い出ずる 故郷

志を はたして
いつの日にか 帰らん
山は青き 故郷
水は清き 故郷


「故郷の歌詞の一番は懐かしい自然で、2番は懐かしい家族。他に日本人がよく歌うのは『赤とんぼ』や『夕焼け小焼け』です。どちらもかつて過ごした自然と夕日が出てきます。夕日は西方極楽浄土の象徴でもありますが、夕方にそれぞれの家庭に帰るという歌でもある。喪失の悲しみと望郷、自然や母親の懐に帰って行くという歌詞です」

この「故郷」は、東日本大震災でも被災地でよく歌われ、原発再稼働に反対する国会前のデモでも集まった人によってよく合唱された。

島薗さんにとっては自然派やエコロジー系のスピリチュアルがこうした動きと重なって見える。

「ふるさと的なものを失い、それをもう一度取り戻したいという願いの表れではないかと思います。若い人にそういう気持ちが強くなっているのは、経済成長を知らず、文明の発展に希望を抱けない世代だから。それに代わるものとして自然との共生があり、普段の食生活やレクリエーション、自然に近い仕事、人工的なものをなるべく使いたくないという意思表示に関わっていると思います」

人間の体の自然を取り戻そうという動きは、スピリチュアルとまで言わなくても見られる。

「朝活で座禅をしたり、家庭菜園のようなことをやっていたりする若い人が増えていると聞きます。人工的な環境、殺伐とした人間関係の中で、本来、家庭や自然が持っていた機能をなんとか回復したいという現れではないでしょうか」

「私の場合は水泳ですが、毎日15分だけでも泳ぐと心が静まるし、夜眠れます。自然のリズムを取り戻して、ストレスから解放される実感がある。水泳で水に帰るということと、土いじりで土に帰るというのは通じるものがあります」

西洋医学とスピリチュアルの分断を埋めるには?


西洋医学や科学をベースとする人たちと、スピリチュアル系に傾倒している人たちは分断している。筆者自身の反省でもあるが、科学を信じる医師や科学者、ジャーナリストたちはスピリチュアル系を見下げ、逆にスピリチュアル系の人は医学や科学の言葉に耳を塞ぐ。そこには対話が成り立たない。

もちろん、必要な薬を使わない、効果のない療法を商売にするなど、健康被害につながる行為や、適切な医療を受ける機会を失わせるようなことは止めなければならない。だが、島薗さんも指摘するように、科学や医学は万能ではないという側面に気づき、不安を共に解決する方向に歩み出すことも必要ではないか?

「生殖医療の発展による命の選別だけでなく、iPS細胞やゲノム編集の研究が急速に進み、放っておくと何が起こるかわからないという危機に我々は直面しています。どうやって止めるかと考えても、止めようがない。原発事故もそうですが、科学が災厄をもたらす可能性を感じていることと、科学に対する警戒心はつながっています」

「製薬会社と研究者の癒着はよく報じられ、グローバルな企業の利益追求の影響から我々は自由になれないという恐れが強くあります。その警戒心がホメオパシーなど非科学的なものに期待をかける気持ちの強まりに現れています」

それでは、この溝を埋めるために私たちはどうしたらいいのだろうか。

「医療全体を社会がどういう風にコントロールしていくのか、倫理的な議論をどのように医療の中に含ませていくのかを考えなくてはなりません。医療で倫理というと、事故やスキャンダルを起こさないためのコンプライアンス(法令遵守)ばかりが話題になりますが、本来考えるべきはそれだけではありません」

「人間の生活はどのようなものがいい生活なのか、それに対応する医療になっているのかを問い直すことが必要です。医療はますます巨大なシステムになり、人間性を置き去りにして展開しているように世間には見え、それがスピリチュアルの流行の背景にあります。21世紀はバイオの世紀と言われ、資本主義の最前線がそこにあるにもかかわらず、無秩序に発展し、強欲な資本主義として我々を支配しているように思われています。環境問題の方が取り組みは早かったですが、今後は生命科学の領域で解決する時期に来ています」

「臨床(診療)が主体の医師は、患者と接する中で、人は科学だけで生きることはできないという問題意識を抱いているように思います。ただ、研究分野と臨床がうまくつながらず、患者に寄り添うコミュニケーションも取れていない。また、ジャーナリストは専門家との接触が多く、科学の進歩に期待する考えに傾きがちです。橋渡しをする人が必要ですが、文系は勉強不足。文系側で医療の現代的な問題に通じている人が、国際的に連携し、理系の人と対等に対話できる能力を持たなければいけません。対話が必要です」

島薗さんは別れ際、こう告げた。

「EBM(Evidence-based medicine、科学的根拠に基づいた医療)は大事ですが、EBM一辺倒では人間を理解することはできません」

【島薗進(しまぞの・すすむ)】上智大学グリーフケア研究所所長

1948年、東京都生まれ。72年、東京大学文学部・宗教学宗教史学科卒業。東大文学部・同大学院人文社会系研究科教授を経て、2013年から現職。政府の生命倫理委員会委員・生命倫理専門調査会専門委員(1997〜2004年)も務め、生命倫理、医療分野で積極的に発信している。専門は、比較宗教運動論、死生学、生命倫理学、スピリチュアリティなど。

『精神世界のゆくえ--宗教・近代・霊性』(東京堂出版)『スピリチュアリティの興隆--新霊性文化とその周辺』(岩波書店)『現代宗教とスピリチュアリティ』(弘文堂)、『いのちを"つくって"もいいですか? 生命科学のジレンマを考える哲学講義』(NHK出版)など著書多数。



※この記事はBuzzFeed JapanとYahoo! JAPANの共同企画に加筆修正を加えたものです。