がん、心臓病、脳卒中、糖尿病など、食生活や運動などの「生活習慣」が原因になると言われている「生活習慣病」。
この言葉を見直そうという動きが日本糖尿病学会や日本糖尿病協会の委員会から起きている。
「生活習慣病」という言葉は、だらしない生活を送っている本人の責任だと誤解され、社会からの排除や差別感情を生み出しやすいからだ。

同学会と同協会の「アドボカシー委員会」委員で、「生活習慣病」という言葉を廃止するよう訴える論文を立て続けに出している、東京大学大学院行動社会医学講座教授の橋本英樹さんにその理由を聞いた。
今に始まったわけでない健康の自己責任論
ーー糖尿病を「本人のだらしない生活のせいだ」と見る目は強まっているのでしょうか?
これは今に始まったことではなく、2013年に麻生副総理・財務相が「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている」と発言したことがあります。
いつもの暴言だろうと思っていました。その2ヶ月前に、高齢者の医療について、「政府のお金で終末期医療をやってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言して撤回していたからです。
今度もまた撤回するのだろうと思っていたら、この発言について「その通りだ」と支持する声がTwitterで多く上がりました。
糖尿病に関する誤解が社会一般に広がっている危険な兆候だと思い、糖尿病学会などに声明を出すよう呼びかけたのですが、実現しませんでした。
やむなくその時は1人で、新聞に反論の寄稿を出しました。
その後、糖尿病学会の専門医の間でも、一般市民に誤解が広がっていることが認識され、糖尿病を患う人に対する偏見があることが問題とされたのです。
2019年の11月から糖尿病学会・糖尿病協会連名で、糖尿病を患う人々に対する偏見に対する反対キャンペーンが展開されるようになりました。
ーーしかし、糖尿病診療ど真ん中の医師ではなく、先生のような公衆衛生の研究者がこうした活動に参加した意味は何なのでしょう?
専門医は、糖尿病が遺伝や生活習慣など様々な要因が複合して発症する病気だとはわかっているのですが、個人を取り巻く社会環境が左右する「健康の社会的決定要因(Social Determinants of Health、SDH)」という概念はまだ普及し始めたばかりです。
社会の問題となると、「それは病院の外の話でしょう?」「医者は関係ない」「政府がどうにかしてくれ」と蚊帳の外扱いになりやすいのです。だから私のような外様の研究者が加わったのです。
「生活習慣」は引き金であって、唯一の原因ではない
ーー「生活習慣病」という言葉を廃止すべきだと訴えているわけですが、この言葉が広まったことで、個人の生活習慣だけが糖尿病や心筋梗塞、脳卒中などに影響するという誤解が広まったのは問題だというのが一つ目の理由ですね。
もう少し正確な言い方をすると、それらの病気の治療では生活習慣が重要なのは事実なのですが、「原因」ではないと言っているだけです。
ーー「生活習慣だけが原因ではない」ということですか?
病気によって程度は異なりますが、持って生まれた遺伝子の影響を受けることがわかってきています。遺伝的な素因があることが前提で、生活習慣はその病気の引き金にはなる。原因の一つではあるけれど、生活習慣の悪化=病気発症というような1対1の原因ではないということです。
ーーそれよりは遺伝的要因の方が大きいと。
特に糖尿病の場合はそうです。日本などアジア系の糖尿病は、遺伝的な要因を受けて、インスリンの分泌能力に関わる膵臓機能の不全があります。その不全がある人に、プラスで生活習慣が加わってくると糖尿病が発生しやすくなる。
欧米型の肥満オンリーの糖尿病と比べると、遺伝的要因がものすごく大きく響いています。
ーー高血圧もそうですかね。
血圧も多因子の遺伝要因が影響します。同じしょっぱいものを食べても、血圧が上がる人とそうでない人がいます。
ーー引き金にはなるけれど、それが唯一の原因とされるのは違う。
「原因」という言葉の定義によると思います。それがあるかないかが病気を決定するのではなく、生活習慣がめちゃくちゃでも発症しない人はいる。それならば、生活習慣が「原因」と言えるのですか?という話になる。
「コロナウイルスが原因でコロナウイルス感染症が起こります」というのとは、「原因」の使い方が違うわけです。
個人を取り巻く社会環境の影響
ーーそれなのに「生活習慣病」というと、生活習慣だけが原因だと誤解を与えてしまう。
そうです。生活習慣が単一の原因で、それさえ変えれば治るというほど単純ではないのです。糖尿病などは複合的な要因が重なった病であるということは国際的に合意があります。
ーー「生活習慣病」は、個人の意志の弱さや、努力不足が問われることが多いですね。
それは生活習慣が原因であるという誤解があるからです。糖尿病の専門家にとっては、遺伝的要因や生活習慣の複合で起きることは当たり前の事実なので、世間ではそんな誤解があることがあまり認識されていないのかもしれません。
ーー個人を取り巻く社会や経済的な環境が左右するということも、もう一つ先生が訴えたいことですね。
その通りです。
ーー自分の意志の強さや努力ではどうにもならない周辺の環境が変わらないと、個人では病気を改善できないということですね。
もちろん個人でも頑張らないといけないところはあるのですが、個人の努力だけでは動かないものがある。周りの助けや環境の整備が必要なところが少なからずあると理解してほしいです。
例えば一番想像しやすいのは就労条件です。糖尿病を持っている時に、3食決まった時間にきっちり食べて、インスリンを打たなければならない人に、ご飯を食べる時間がないような働き方をさせていたら、仕事が続けられません。
そうすると、身体より仕事を優先して体調は悪化していく。でもそれを見た世間の人は、「あいつがだらしないからだ」と言うわけです。
ーー低所得だと丼ものやラーメンなど炭水化物に偏りがちな安い食事をするという関係性もよく言われますね。
海外では低所得の人ほど同じカロリーをとるのに脂肪の割合が高いという研究結果もあります。要するにハンバーガーを食べていれば安い。
でも日本では所得と脂肪の関係を示す報告はありません。炭水化物に偏りがちな食事と所得の関係はあるとする研究とないという研究の両方があります。所得で栄養が偏る問題はないとは言えませんが、メインの問題かどうか、私はわかりません。
むしろ時間や生活の余裕があるかどうかだと思います。糖尿病や高血圧のための食事はそれなりに注意して用意しなければならない。時間も手間もかかるのに、その時間が買える人と買えない人がいる。
お金だけでなく機会や時間など多次元的な意味で「貧困」が健康を左右しているのです。
最近、「多次元的貧困」という概念が言われています。お金がないだけではなく、例えば女性の仕事で、社会参加や育児の時間が奪われているのも貧困です。おそらくこうした多次元的貧困は糖尿病に関わっています。
同じ健康情報を手に入れるのでも、学歴がある人は周りに簡単にそういう情報を与えてくれる仲間がいるのに、自分で努力しないと得られない人もいる。
貧困はお金だけの問題ではありません。もっと広い意味でこうした貧困が与える健康影響を考えなければいけません。政府だけが考えるべき問題ではないのです。
低学歴、母親の妊娠状態が左右する糖尿病 個人のせいか?
ーーそうなると、どこから手をつけていいのか分からなくなりそうな気もします。誰が問題を解決すべきか分からず、責任がうやむやになってしまいそうです。
政府の責任と限定することはできないと思いますが、政府がやるべきことはある。
まず第一は公的文書で「生活習慣病」という用語の使用をやめることです。これは政府の責任としてやれることです。公的文書から外す。間違いなのだから、間違いだと認めて直すことはすぐやってもらいたいです。
その上で、差別に対して制度的に歯止めをかける必要があります。
障害者の差別解消法などすでにある枠組みの延長として、糖尿病始め機能や属性の違いを理由に人を差別することをせめて努力目標として禁止することは、大きな抑止力となるでしょう。「あいつはだらしない」と左遷したり、出世させなかったり職場でのいじめやパワハラなども広く含めて対応していくことが必要です。
これはまさに今、流行の「ESG(社会的投資、環境 Environment、社会 Social、ガバナンス Governance)」なんです。こうした人や社会を大切にする環境づくりができる企業でなければこれから生きていけない。こういう環境作りを民間が進められるような制度条件を政府が推し進めればいい。
ーー糖尿病が個人だけの責任ではないから、社会全体で取り組まなければならないという主張でよく取り上げられるのは「バーカー仮説」ですね。母親が低体重だと胎児も糖尿病になりやすい体質になる。生まれる前から健康格差があるという仮説です。
バーカー仮説を出すまでもなく、糖尿病になる確率や糖尿病による死亡率は、どこの国を見ても、学歴が低い人の方が高いのです。これは全世界共通です。遺伝や生活習慣の問題ではなく、もっとも強力にこの病気を左右しているのは学歴などの社会的要因なのです。
学歴は個人の能力だけで決まるものではありません。能力を伸ばす環境に恵まれるかどうかは個人では選べないことが多いのです。
必要なのは自分たちが当たり前だと思っている足元を崩すこと
ーーしかし、政策決定の権限を握る官僚、政治家など高学歴の人で「自分の努力でのし上がってきた」と思っている人は、個人の努力ではなく社会環境が左右していると言われることは自分を否定されるように受け止めるようですね。東京大学の入学式で上野千鶴子さんが「報われたのは努力ではなく、恵まれた環境のおかげだと忘れるな」とスピーチしたら、反発されましたね。
自分の育ってきた環境の外の世界を想像し感受性を広げるという作業はものすごく難しいのです。
自分が知っている地平の外に真実がある、と信じられるか信じられないかは、我々の世界で言うと、科学者に向いているか向いていないかの違いです。自分の見てきたことがすべてだと思っていたら研究なんてやる気が起こりません。
ーーこの健康格差の問題は、政策を動かす人たちが関心を持たないというのがなかなか難しいです。先生も東大医学部に入り、医学部教授になり、端からみれば勝ち組道を突っ走ってきたわけですが、なぜこうした問題に目を向けるようになったのですか?
学歴と経歴だけで言えば、私は確かに進学校の麻布高校に入り、現役で理IIIに合格、専門医を二つ取って、ハーバードと東大で博士を取得し、東大医学部教授ですから学歴オタクなのではないかと思われるかもしれないですね。
おそらく親の影響です。
ーーご両親は医師ですか?
一族で4年制の大学を出たのは初めてだったと思います。父も母も大卒ではありません。母は中学のときに祖父を亡くし、6人きょうだいの長女だったので、弟や妹を養うために学校を卒業したら働いてくれと言われて進学をあきらめたそうです。
父は小学生の時に祖父が、中学の時に祖母が亡くなり、親戚のうちに預けられて高校まで出た後は、自力でアルバイトをしながら専門学校を卒業しています。
父はそれでも大企業のそこそこのレベルまで上がった人ですが、私と同じ環境が与えられていたらもっと上に行ったのだろうと思います。人は社会的環境に左右されるのを自分の家族で見てきました。
自分が与えられてきたもののうち何が欠けていたら、私は今の私ではなくなっていたのだろう。何があったら目の前にいるこの人の人生はどんな人生になっていたのだろう。それが私の研究課題なのです。
ーー先生の授業を社会に出る前に東大生に受けてもらいたいですね。政府、官僚も自分たちの足元を崩して、生活習慣病は自己責任論ではなく、環境を整える必要があるのだと考えることができるでしょうか?
これはものすごく高度な教育で、学部では教えにくいです。自分たちが当たり前だと思っている足元の地面を崩して考えなければいけない。
自分が育ってきた環境や養われた価値観・規範などを相対的に見直して、自分がなにものかを深く自省し、その限界に気づき、自らをその呪縛から解放して自由な発想に到達するというのは、リベラルアーツ(教養)の骨頂です。
官僚・政治家だけでなく民間企業でも、真のリーダーには求められる素養だと思います。
ーー今回の「生活習慣病」の問題、糖尿病学会、協会での問いかけで社会が動くかどうかが見ものですね。
今回、書いて表に出したのは、「もう書いたのだから引っ込めないよ」と、お尻に火をつけるためにやったのです。今後どうなるかはわかりません。
(続く)
【橋本英樹(はしもと・ひでき)】東京大学大学院行動社会医学講座教授
1988年3月、東京大学医学部卒。同大学内科勤務、帝京大学医学部講師、東京大学医学部附属病院特任教授など経て、2012年から現職。 専門は公衆衛生学、健康科学、社会格差による健康影響。編著書に『医療経済学講義』(東大出版)と『社会と健康』(同)。