• medicaljp badge

重度の障害があっても地域であたりまえに暮らす 法律のプロが介護保障のためにできること

障害のある人の権利を守る活動を長年続けてきた弁護士、藤岡毅さん。ライフワークとして取り組んできたのは、障害があっても地域であたりまえに暮らせるように介護時間を交渉する「介護保障」の問題です。

障害のある人の権利を守る弁護活動を長年続けてきた弁護士、藤岡毅さん(59)。

ライフワークとして取り組んできたのは、障害がある人が介護のためのヘルパーを十分な時間、派遣してもらうために行政と交渉する「介護保障」の問題だ。

障害のある人は長年、家族に全面的に介護してもらうか、病院や福祉施設で死ぬまで暮らす、という状況に置かれたままだった。家族へ迷惑をかけまいと、人工呼吸器をつけて生きるのを諦める人さえいる。

公的な介護を十分に認めさせることで、地域で自立して暮らすことを可能にするのが、介護保障の交渉だ。障害のある人が全国どこにいても支援が受けられるように、弁護士のネットワークも築いてきた。

藤岡さんは、どんな思いでこの問題に取り組んできたのだろうか?

「鈴木訴訟」の勝訴 個別の必要性から介護時間を決めるべきだと認定

学生時代からボランティアに通っていた障害者のために、公的な介護を請求する書類などは作成してきた。

弁護士になっても障害者の代理人として、交渉には関わってきたが、行政を相手取った訴訟を起こし、社会的に注目されたのは「鈴木訴訟」が最初だ。2004年3月から6年半にわたる戦いで全面的に勝訴した。

当時52歳だった鈴木敬治さんは、脳性まひで全身に障害があり、ヘルパー派遣を受けて暮らしていた。

外出のためにヘルパーが手助けする「移動支援」については、月124時間が認められていたが、東京都大田区が2004年4月に突然、「移動介護の時間数は1ヶ月あたり32時間と助役が定めた」として、一方的に時間数の削減を告げられた。

外出や移動がままならなくなれば、人との交流や社会生活にすぐさま影響する。

藤岡さんの司法浪人時代の居候先で、顧問契約を結んでいた重度障害者、高山久子さんを通じて紹介され、藤岡さんが鈴木さんの代理人になった。

06年11月の一次訴訟の判決は「原告の請求を却下」。傍聴席から「不当判決だ!」と怒りの声が上がったが、実際は大田区の処分を全て違法と認める内容だった。

その後、「月124時間は必要」と認定した判決が確定したにもかかわらず、大田区が月90時間と出し渋りを続けたため、第二次訴訟も起こした。こちらも2010年7月、原告の訴えを全面的に認める勝訴判決を得た。

「介護時間は、行政が設けた基準や規則の上限を元に決めるのではなく、その人の個別の事情を考えて必要性に応じた時間を認定しなければいけないと示した判決です。障害者福祉に関して、弁護士が司法の場で役立てるのだと証明できました」と藤岡さんは勝訴の意義を話す。

「障害者の状況は千差万別であって、障害者の個人の状況や事情に応じて介護時間の支給決定はなされるべきだというこの判決文は、その後の訴訟の判決の言い回しにも用いられています。重要な判例を作れたと思います」

原告の鈴木さん自身も勝訴を得て、こう語った。

「移動・外出する自由は、障害者にとっても当たり前の権利だと思います。『健常者は土日に8時間程度余暇を楽しむので、障害者が社会に参加する時間は週8時間あれば十分』という大田区の主張は間違っている。障害者も街の中に出て、いろんな実際の経験をし、当たり前の人生を送ることは、人としてとても大切なことです」

「なぜ障害者が1割負担をしないといけないのか?」 自立支援法の違憲訴訟

鈴木訴訟の最中の2006年4月に、障害者福祉を変える「障害者自立支援法」が施行されると、障害がある人からの猛反発が起きた。

当時、自立支援法でうたわれたのは、「措置から契約へ」というスローガンだ。

障害者の福祉サービスを行政が一方的に決めて「措置」として与える形から、民間企業との「契約」に基づいて障害者自らが選択する制度に変えるとして、政府は障害者の主体性や権利を尊重する法律だと説明していた。

しかし実際は、「応益負担」として1割の利用料を障害者が支払わなければならなくなり、それまで受けていた福祉サービスを諦めざるを得ない障害者が続出した。

2006年12月、全国初の全盲の弁護士で障害者問題に取り組んできた竹下義樹さんに誘われ、「障害と人権全国弁護士ネット」に合流して、自立支援法の問題を裁判で争えないか検討し始めた。

厚労省が実施した自立支援法施行半年後の調査では、作業所などの通所施設の利用者1027人が1割負担に耐えられずに退所し、849人が自宅でのヘルパー利用を断念していた。明らかに支援を受けられなくなる人が増えていた。

「毎日、日中に過ごしていた場所を1000人以上の人が辞めざるを得なくなったとわかっただけでも大問題です。この調査結果は氷山の一角で、実際はこの何倍もの人が苦しい思いをしている。障害者自身が払えなければ家族が払って凌ぐしかなく、結局、家族にしわ寄せがいくのです」

しかし障害者本人や家族が声をあげられる場があるわけでもない。藤岡さんらは集団訴訟を起こすことを決め、全国で原告になる人を探している最中にハッと気づいた。

「あれ?これは自分も当事者じゃないか?」

重度の知的障害がある次男の駿人さんと保護者であり利用料を負担する自分も原告に名を連ね、2007年10月、原告30人(第三次訴訟までで計70人)で国を相手取り、違憲訴訟を起こした。

「障害を持っている人が障害者の制度を使うためには、自分の責任なのだから自分でお金を払うべきでしょ、という『障害自己責任論』に基づいた法律が導入されたわけです」

「本来、障害のある人とない人の平等を図るための制度であるにもかかわらず、平等にするための負担を障害者自身が負わされる。『障害による不便さは自分の責任でなんとかしなさい』という法律であって、障害者の権利や福祉を否定する考えに基づいています」

「障害は社会で支えるという考え方を否定するのは間違っている。自己決定と自己責任がすり替えられ、サポート役まで障害を持つ人が自分で担わされるのはおかしい」。そんな考えで起こした裁判だった。

藤岡さんは原告であると同時に、全国弁護団事務局長も務めた。

国と和解し、自立支援法を廃止させる

藤岡さん自身や妻の邦子さんも法廷で意見を述べた。

邦子さんは、法廷で駿人さんの姿をこう愛情深く伝えた。

駿人は、親ばかを承知で申せば、本や歌が大好きで感性の豊かな、笑顔がたいへん可愛い子どもです。家族が大好きで、4人そろって出かける時などは、家族ひとり一人に「よかったね」と笑顔で話しかけ、嬉しさを伝えてくれます。また、障害の特性もあり、初めての人や場所には緊張しがちではありますが、自分を支えてくれる人・歓迎してくれている場所というものを敏感に察し、自分なりの言葉や態度で、「あなたが好き、ここが好き」ということを伝えてくれます。そのようなわけで、駿人と触れ合った方々は、「駿人君にまた会いたいという気持ちになる」と、おっしゃいます。

そして、自立支援法が駿人さんや保護者に要求する「応益負担」について、こう述べた。

駿人は小学生ですので当然のことながら収入はありません。大田区からの心身障害児手当の年間5万4000円だけが唯一の収入です。年間であって、月間ではありません。(中略)

収入年間5万4000円の児童に対して支出年間55万円という10倍もの負担を請求する現在の仕組みについて、裁判官、国はおかしいと思いませんか?(中略)

私は、特別なことを望んでいるわけではありません。子育てを、楽しいと感じながら過ごすことができ、そのために支援が必要なことに、手を貸していただきたい。それだけです。今盛んに言われている「子育て支援」そのものです。子どもを育てていく毎日は、小さな不安・驚き・発見・喜びの連続です。障害があってもなくても、そんな毎日を愛しんで暮らす毎日を支えてくれる。そのような子どもへのまなざしも含んだ新法を強く望んでいます。

障害者や親の切実な訴えは社会の共感を呼び、政府をも動かした。

国と原告団・弁護団は2010年1月7日、「障害者自立支援法を2013年8月までに廃止する」「速やかに応益負担制度を廃止する」とする基本合意文書を交わした。

これを受け、4月21日までに全国14の地裁で起こしていた訴訟で基本合意を確認する和解が成立した。

この日、首相官邸で原告団・弁護団は当時の鳩山由紀夫首相と面談し、「障害者自立支援法が全国の障害者の尊厳を傷つけた」と謝罪を受けた。

「障害者が自分の障害の責任を負わなくていいということを確認できた結末ですが、社会にそれが十分伝わったかどうかはわかりません。しかし、訴訟については右も左もなくメディアは熱心に報道してくれた。これ以降、こんな酷いことが起きていたのかという声が、私のもとにもよく届くようになりました」

介護保障ネットを設立 全国どこでも障害者が当たり前に暮らせるように

さらに、鈴木訴訟以降、和歌山市では一人暮らしをしている脳性まひの石田雅俊さんの訴訟(石田訴訟)や、和歌山市内に住む二人のALS(筋萎縮性側索硬化症)患者が1日24時間の介護を求めて市に対して起こした訴訟(和歌山ALS訴訟)で勝訴が重ねられていた。

「今まで諦めていたけれど、判決を見て勇気がわいた」「この分野に詳しい弁護士のアドバイスを受けながら行政に申請したい」という問い合わせがたくさん寄せられるようになった。

こうした介護保障に取り組む弁護士と連絡を重ねていた藤岡さんは、訴訟に持ち込まないと障害者が当たり前に地域で暮らす権利を勝ち取れないことに疑問を抱くようになっていた。

「弁護士をつけて何年も裁判で戦わないと権利が実現できないのはおかしい。全国どこで暮らしていても、障害を持つ人が当たり前に地域生活を送れるようにしたい」

「法律をちゃんと適用すれば本来は保障されているのに、行政にも当事者にも家族にもその知識が知られていない。障害福祉については弁護士もなかなか知らない現実があるので、方法はあると少しでも多くの人に知らせたいと思いました」

そこで障害者と弁護士で2012年11月30日に作ったのが、「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット(介護保障ネット)」だ。

十数人の弁護士や障害者とともに作り、共同代表に就任した。経験のある弁護士が実務を担う現地の弁護士にアドバイスしながら、行政と交渉する。

「地域でこういう介護保障問題に取り組める弁護士が育ってくれないと、一部の弁護士が全てを担い切れるわけではない。生活の保障の問題ですから、地元の生活に寄り添うことのできる弁護士がどこの地域でもいるようにしたいのです」

「石田訴訟」や「和歌山ALS訴訟」で代理人弁護士として勝訴を重ねた弁護士の長岡健太郎さんは、石田訴訟が始まった頃に、戦い方を探るために判例を調べていて、藤岡さんの「鈴木訴訟」に出会った。

「『この判決があるなら、石田訴訟も勝てるな』と思いました。判決を読んだだけで、移動介護の必要性を証明するために有無を言わさぬ物量の証拠資料を提出していたことがわかりました」

「石田訴訟で移動支援については一部負けた後などに、改めて鈴木訴訟判決を読み返すと、その価値を再発見した、という感じです。折に触れて読み返すと、暑苦しさすら感じるくらいに、その都度輝いて見える優れものの判決です」

自立支援法の違憲訴訟に弁護団として参加して直接知り合い、ALS訴訟で勝った時も、藤岡さんが「意義がある勝訴だ。こんな仕事をしてくれて嬉しい」と声をかけてくれたことが嬉しかった。

こうして、介護保障ネットを一緒に設立する絆を結んでいった。

「全国どこにいても同じ支援が受けられるようにネットワークを広げる馬力や原動力のある人です。障害福祉のこの分野では第一人者で、力強い大先輩だと思っています」

法律の専門家が交渉に入る意味

現在までに100人以上の弁護士が参加し、介護保障ネットが代理人として担当した事件は56件だ。そのうち裁判まで争ったのは6件で、多くは交渉段階で解決に至っている。

「弁護士が交渉に入ってくることに慣れていない地方だと、それまで取っていた態度がガラリと変わることはよくあります」

福祉関連の法律や判例を熟知していることはもちろん、専門家としての証拠資料の作り方、提示の仕方などのノウハウを共有していることも武器になる。

全身の筋肉が衰える病がある75歳の男性は、介護を担う妻が重い病気にかかっても夜間の介護が認められず、痰が詰まって窒息死する危険を抱えていた。夜間におむつで吸収しきれない尿が垂れ流しになり、濡れたシーツで体が冷える。

弁護団は、男性がいつも使っているオムツや色をつけた水を使ってシーツに色水が漏れ出した状況を写真で示し、いかに屈辱的な状態に置かれているかを視覚化した。

結局、訴訟まで至らずに、介護保険と合わせると1日22時間の介護を受けられるようになった。

筋ジストロフィーの詩人、岩崎航さんも介護保障ネットの支援で、一度は仙台市に跳ねつけられた1日24時間の介護を獲得した人だ。

最初は自力で交渉していたが、「気管切開をしていない人工呼吸器での見守り介護は認められない」「パソコンの準備や片付けなどは介護で認められない」などと行政に理不尽な回答をされ、専門家の助言が必要だと考えた。

弁護士が交渉に入ると、仙台市は態度を変え、行政判断の根拠としていた内部基準を引っ込めた。

岩崎さんは介護保障ネットの支援についてこう話す。

「本来、認められるはずの生きるために必要な介護を求めた時に、不当に拒まれるのは絶望的なショックです。もう仕方ないと思い込みそうになった時、介護保障ネットの弁護士さんたちは『いや、そうじゃない。顔を上げて生きるための介護を求めていいんだよ』と一緒に声を上げてくれる心強い存在でした」

「また障害者にとって、行政の障害福祉担当は継続的に関わっていかなければならない支援者ですが、その行政に対して、自分の介護の必要性を理解してもらうため交渉する心得や説明の尽くしかたを教わったことは、今も自分の生きていく力になっています」

藤岡さんは弁護士が交渉に入る意味についてこう話す。

「法律家の存在価値は法律や制度の解釈の説得力です。介護保障で判例を勝ち取ってきた弁護士だからこそ、みなさん納得してくれる。現実には法や権利は押さえつけられたりねじ曲げられたりしていますが、本来、法や権利があるべき姿はこういうものなのだと示すのが法律のプロの役割だと思います」

障害のある人だけでは社会は動かない

これまで夫の弁護士としての活動をすぐそばで見てきた妻の邦子さんは、「当たり前のことを当たり前だと認めさせるために夫が努力していることは応援したいし、世間にも認められてほしい」と願う。

そんな藤岡さんは12月3日に、これまで弁護士として活用してきた障害福祉に関する法律知識やノウハウを全て詰め込んだ『Q&A 障害のある人に役立つ法律知識ーよくある相談例と判例から考える』(日本法令)を出版した。初めての単著だ。

「障害問題を扱える弁護士を増やしたい思いもありますが、障害当事者や家族にも役立つ内容です。本音を言えば、普段、障害のことにそれほど関心のない一般の人に読んでほしいし、障害者がこんな問題に直面していると理解してほしい」

「障害者差別は基本的に障害のない人がある人にするので、女性差別が女性だけで解決できないのと同様、障害者だけで解決しようと思ってもできません。社会全体で取り組まないと絶対に解決しないのです」

「また、誰もがみな、自分もいつ障害者になるかわかりません。ALSの人などは、40歳ぐらいまで普通の主婦だった人が、口がもつれる、足がもつれることに気付き、あちこち回って診断を受けています。病気にも障害にも縁がなかった人が、突然ある日、障害者になる」

「あなたも明日ALSになるかもしれないし、くも膜下出血で倒れるかもしれない。自分たち皆の問題なのだという理解がないと、『なぜあの人たちに金をかけるのか。無関係な一部の人たちに』と思うかもしれません。でも実はそうではないのです」

自分ももしかしたら、いつか、こうした制度や法律に助けられるかもしれない。

そう思う人が増え、障害のあるなしにかかわらず一人の人間として互いに尊重し合える。そんな社会を願って、藤岡さんは今日も障害のある人と共に歩く。

(終わり)

【藤岡毅(ふじおか・つよし)】弁護士

1962年生まれ。1985年4月、中央大学法学部中退。ビル管理清掃会社でビルの窓拭き作業に従事した後、1992年10月、30歳の時に司法試験合格。1995年に弁護士登録。2001年4月、独立して藤岡毅法律事務所を開設。障害者の介護時間を行政と交渉する介護保障事案などを中心に、障害者の権利を守る弁護活動をライフワークとする。

介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット(介護保障ネット)の共同代表、東京弁護士会高齢者・障害者の権利に関する特別委員会福祉制度部会長も務める。