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国会議員だけへの特例で終わらせないで 難病で障害があっても社会の中で生きたい

重度障害がある国会議員の誕生で、障害者を取り巻く制度が改善される希望が見えています。重度障害者として生きると、どんな生活を強いられ、そこから抜け出すためにどんな苦労があるのか。さいたま市で全国に先駆けて働きながらヘルパー(介助派遣)を利用できる制度を作った筋ジストロフィーの男女に話を聞きました。

重度障害がある二人の議員が誕生し、早速、障害者を取り巻く福祉制度の問題を改善するよう動き始めた。

国の制度上、仕事や通学時には介助派遣(ヘルパー)の利用が認められない現状にNOを突きつけ、幼い頃から養護学校(特別支援学校)や施設に分離されるのではなく、地域で当たり前に自立生活を送れるよう求めている。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

お話を伺った猪瀬智美さん(左)と矢口教介さん(右)。矢口さんは口にくわえるマウスピース式の人工呼吸器を使い、猪瀬さんは気管切開をした喉に発話ができるスピーチカニューレをつけて話をしている(さいたま市の矢口さんの自宅で)

参議院は、当面、国会議員二人の介助費用を負担することを決めたが、二人は国の制度を改定して、全ての人が仕事中も公費負担で介助派遣を利用できるようになることを要求する。

この国で重度障害者として生まれると、どんな生活を強いられ、そこから抜け出すためにどんな苦労があるのか。

全国に先駆けて、働きながら介助派遣を利用できる制度をさいたま市に作らせた筋ジストロフィーの男女二人に話を聞いた。2回連載でお届けする。

養護学校併設の病院で長年暮らす

お話を伺ったのは、さいたま市に住む矢口教介さん(31)と猪瀬智美さん(30)だ。

今は、長時間の見守り介助ができる重度訪問介護を使って一人暮らしをしているが、矢口さんは20年間、猪瀬さんは10年間、養護学校(現在は特別支援学校)を併設する筋ジストロフィー病棟のある病院で生活してきた。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

矢口さん。「病院生活には二度と戻りたくない」と話す

歩き方や走り方がおかしいと保育園の頃から指摘されていた矢口さんが、病院を渡り歩いてやっと筋ジストロフィーという診断がついたのは小学校1年生の時だ。2年生までは地元・栃木県の普通学校に通ったが、そのうち症状が進んできた。

「学校はケアをしてくれず、トイレ介助もしてもらえないので、和式のトイレで立ち上がれずに尻餅をついたまま動けなくなったこともあります。階段や段差も大変で、両親は学校や教育委員会にバリアフリー対応などを度々お願いしましたが、まったく聞き入れてもらえませんでした」

途方にくれた両親は、小学3年生の時に養護学校が併設されている栃木県立リハビリテーションセンターに入院させた。

「『同じような仲間がいるから楽しいよ。もう無理しなくていいし』と言われたんですが、週末しか自宅に戻れないし、寂しくて仕方がなかった。健常者の兄は家にいられるのに、なぜ自分だけがと思いました。日曜夜に病院に帰るので、サザエさんが終わると、悲しくなって落ち込んでいましたね」

肺炎をこじらせて車いす生活になり、病院生活へ

猪瀬さんの方は、ハイハイなど同じ月齢の赤ちゃんよりも遅いことから両親が異変に気づき、2歳頃、筋ジストロフィーと診断された。

小学校は地元・茨城県の普通学校に通ったが、4年生頃になると病状が進み、階段やトイレに一人で対処できなくなった。

猪瀬さんの場合は、学校が洋式トイレを設置してくれたり、同級生が代わる代わるおぶって階段をのぼってくれたりして支援が手厚かった。

だが、5年生になると、登下校の時に転んでも一人では立ち上がれなくなり、両親が車で送り迎えをするようになった。

このまま中学も普通学校に進むかと思っていたが、状況が一変したのが卒業式の直前、2月のことだ。

猪瀬智美さん提供

高校卒業の時に病院スタッフの人と

「肺炎をこじらせてしまって、3か月入院生活を送ったんです。ずっと寝たきりだったので、筋力が一気に落ちて歩けなくなり、車いす生活になりました。右の肺がほとんど機能しない状態になったので、気管切開もして一時人工呼吸器もつけました」

車いす生活になり、気管切開をして、中学は普通学校での受け入れが難しくなった。

13歳で養護学校併設の埼玉県の病院に入院することになった。茨城県の自宅近くには、通える養護学校がなかった。

「すごく寂しかったです。外出も前もって計画書を出さなくてはいけないし、体調も不安定だったので、外に出たいという気持ちにならなくて、ほとんど病院と学校の往復で1日が終わる生活の始まりでした」

トイレや就寝の時間も決まり、自由のない病院生活

矢口さんは高校進学の時に、養護学校のある猪瀬さんと同じ埼玉県の病院に移り、二人はそこで知り合う。そこでの生活は、外に出た今振り返ると、まったく自由やプライバシーのない毎日だった。

「プライバシーはありません。トイレの時間は決まっており、男子トイレと女子トイレがカーテン1枚で隔てられているだけなので、隣がどういう状況なのか筒抜けです。隣の男子に『そっちが終わったらナースコールを押すね』と声をかけたり、そんな状況に慣れないと、ここでは生きていけないという変な諦めがありました」(猪瀬さん)

「感覚を麻痺させないと生きていけないという気持ちがありましたね」(矢口さん)

矢口教介さん提供

高校生の時暮らしていた病院の食堂で。左が猪瀬さんで、左から2番目が矢口さん

朝ごはんは7時、昼ごはんは12時で、夕飯は午後4時。午後7時にはベッドに上げられて就寝の準備をし、午後9時に消灯だった。成人でもだ。

「お腹が減っていなくてもそこで食べておかないと夜中にお腹が空く。病院の都合に体を無理やり慣らしていった感じです」と猪瀬さんは振り返る。

暑い季節でも寒い季節でもお風呂は週2回で芋の子を洗うような状態で、後の人が控えているからゆっくり湯船に浸かることはできない。

「今では毎日風呂に入れますから、頭がかゆくないのが普通なのだと病院を出てから気づきました」

そう矢口さんは苦笑した。

一人暮らしの先輩の話を聞いて 「私も外で生活したい」

そんな二人が、病院を出ることを考え始めたのは、病院を出て地域で一人暮らしをする年上の仲間たちの話を聞いたことがきっかけだ。

Naoko Iwanaga / BuzzFeed

車いすになったのがきっかけで病院での生活が始まった猪瀬さん

座る姿勢が取れず、食事もトイレも全て介助を受けるほど自分たちよりも症状が進行している先輩が、外での生活を楽しそうに話す。憧れが募った。

特に二人が勇気付けられたのは、さいたま市で障害者の自立生活を支援するNPO法人「自立生活センターくれぱす」を作った上野美佐穂さんだ。

「学校に来て自立生活の楽しさを講演してくれたのですが、料理も上手で、来るたびに唐揚げとかキッシュとか作って差し入れしてくれる。介助者に指示して作ってもらっているわけですが、病院では食べられない美味しいものが外では食べられるんだと感動しました」

猪瀬さんは高校を卒業し、20歳になった頃から、障害年金を貯め自立生活の準備を始める。

「地元・茨城の友達が、進学や就職しているのを見て、私だけ取り残されてしまうという焦りもありました。このまま病院で一生を終えたくないという気持ちが強まりました」

23歳になってある程度の貯金ができたところで、いよいよ就職活動を始めたが、病院が住所だと書類選考さえ通らない。医師や看護師、学校の先生たちからは「外に出るなんて危ないよ」とやんわり止められていたが、「まずは外に出ないとだめだ」と、2012年10月、一人暮らしに踏み切った。

最初に一人暮らしの部屋に入った時、「こんなに広い空間を一人で使っていいの? 他人の家に来ているみたい」と実感が湧かなかった。

「嬉しいというよりも戸惑いの方が大きかったかもしれません。トイレも自由に入れて、いつでも食事していいし、いつ寝てもいい。それまで、自由ではない生活が当たり前でしたから」

病院や両親が猛反対 説得と話し合いを重ねて得た自由

一方、矢口さんの方は自立生活に踏み切るまで、その後10年近い歳月を病院で過ごす。

「やはり不安の方が大きかったです。自分は本当に自立できるのかという不安が先に立って、なかなか踏ん切りがつかなかった」

気持ちが定まったのは、27歳の時にひどい風邪をひいて体調が悪化したのがきっかけだ。すでに人工呼吸器は使っていたが、呼吸が苦しくなり、死も意識した。

「また、同じ病院に入院していた40歳ぐらいの先輩が、『自分も外に出たかったけれど、今となってはもうできないよ』と口にするのを聞いて、自分は後悔したくないという気持ちが強まったのも大きかった。やるなら今だ、と気持ちが固まりました」

ところが、矢口さんの場合は、周りが猛反対するという大きな壁が立ちはだかった。

「主治医は『何考えているの? 自分の状態わかってる?』と、思いつきで言っているんだろう、ぐらいの反応でした。両親も最初は『将来、実現できるといいね』などと言っていたのですが、こちらが本気だとわかると『夢物語だ。私たちは協力しない』と猛反対してきました」

なぜ周りはそれほど反対したのだろうか。

「先生も僕の病状を心配したのでしょうし、親も子どもを危険な目にあわせたくないという親心だったのでしょう。でも、『気持ちはわかるけど、自分の人生だから、ここから先は自由にさせてほしい。僕は後悔したくない』と言って説得しました」

それから役所の人や主治医と一人暮らしにはどんな介助が必要か、自立支援の先輩の指導も受けながら話し合いを重ねているうちに、主治医の態度が徐々に変わっていく。

「両親の前で『矢口さんよりも重度で地域で生活している方がいるので、今の矢口さんなら、自立生活ができるような気がします』と言ってくれたんです。それを聞いた父も、『だったらお願いします』とようやく認めてくれました」

2017年6月、ついに矢口さんも病院を出た。一人暮らしを始めて、スーパーに行き、大好きなパイナップルを買って食べた感激が忘れられない。

「買い物に行って、自分の好きな時に好きなものが食べられる。深夜0時まで起きて好きなテレビ番組を見られる。トイレも好きな時に行ける。当たり前のことなのでしょうけれども、それができるのが本当に嬉しかった」

(続く)

【後編】一人暮らしを始めたものの安心して働けない 障害福祉制度の壁を崩す

Contact Naoko Iwanaga at naoko.iwanaga@buzzfeed.com.

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