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「心に刺さった棘、でも...」 世田谷一家殺人事件の現場家屋、取り壊しの要請に遺族が葛藤

2000年の大みそかに4人の家族が命を奪われて発見された世田谷一家殺人事件。事件現場となった家屋が老朽化によって警察から取り壊し要請を受け、葛藤する遺族が私たちに語りかけたことは?

2000年の大みそか、東京世田谷区の住宅で、宮澤みきおさん(当時44)と妻の泰子さん(同41)、長女にいなちゃん(同8)、長男、礼君(同6)の一家4人が命を奪われて発見された「世田谷一家殺人事件」。

犯人が見つからないまま19年が経つ今年、警察から「老朽化で危険がある」として、事件現場となった住宅取り壊しの要請があり、遺族は動揺している。

事件後、犯罪だけでなく、災害、事故、死別など様々な理由で愛する人を失った人たちと悼む気持ちでつながろうとしている泰子さんの姉、入江杏さんは、毎年12月に、グリーフケア(悲嘆のケア)の集い「ミシュカの森」を開いてきた。

今年12月14日に開かれたミシュカの森では、警察とのやり取りや遺族の葛藤する思いを参加者やメディアに伝え、「『ともに』考えていただけませんか?」と呼びかけた。

私たちは、喪失の痛みを抱え、それでも生き続けてゆく人にどのように関われるのだろうか?

警察から「老朽化したので今年中に壊したい」

入江さんに警視庁から正式な連絡が来たのは、今年3月のことだ。

「老朽化しており、危険があるので事件現場の家屋をできるだけ早く取り壊したい」

そして、具体的な手続きについて説明された。2014年にもこの話が出されたことがあるが、ここまで具体的ではなかった。

事件現場となった家と、入江さん一家と実母が住んでいた隣の家は、事件前に、東京都の公園用地として売却を終えていた。しかし、未解決事件の捜査のためにと警察の依頼を受けて、遺族から保全する要請をしていた。

その保全要請を取り下げるように、警察から求められたのだ。入江さんは当初、話を聞いた時の反応をこう振り返る。

「私とみきおさんのお母様がお話を伺って、『台風に見舞われたり、瓦が飛んできたり壁が落ちたりして、それが当たって子どもが怪我をしたら大変ですよね』と言われ、お母様はそれなら仕方ないのかもしれないという反応でした。私も地域の方やお子さんにこんなに迷惑をかけているのだなと思いました」

入江さんは事件直後、そこには住んでいられなくて、世田谷の外に引っ越したことをどこかで後ろめたく感じていた。

「自分でも辛くて足を踏み入れられないのに、そこに住んでいる地域の人に迷惑がかかっている。地域の方が見るのも辛い思いをしていると伺うと、申し訳ありませんと言ってしまいそうな気持ちになったんです」

それでも、やはり「未解決事件」ということが、心に引っかかった。

「今までなぜ保全に協力してきたのかというと、未解決事件だからなんですね。受け入れた場合は30日以内に更地にして東京都にお返ししなくてはならない」

「証拠保全は全て済んでいるとはいえ、それで大丈夫なのか。『この遺品はいるのかいらないのか、線引きをお願いします。ほしいものがあったらおっしゃって下さい』と言われても、いるもの、いらないものを回答する以前に、19年住んでいない家の中に何があるかもわからない。そんなことさえあえて伝えなければならない」

取り壊しの決定が、取り返しのつかない後悔に結びつくのではないか。そんな不安が方針を決めることをためらわせた。

事件現場を取り壊すことで、警察の捜査への熱意が薄れてしまうのも怖かった。

「事件を解決するという熱意のシンボルがなくなってしまう。私としては『何としても事件を解決するので、それまで建物を保全をしてください』と警察に頼まれていたはずなのに、なにか手を突き放されたような気持ちになりました」

生前の母に叱咤した「忘れてはならない」

入江さんはもう一つ、心に棘のように刺さっていることがある。

2000年12月31日の朝、一緒におせち料理を作ろうと、隣の家に声をかけに行き、命を奪われた4人の姿を最初に発見したのは今は亡き入江さんの母だった。

「うちの母は当事者の中でも最もトラウマを受けた第一発見者でした。その母は事件後、悲しみを語ることもできませんでした。辛くて、言葉にすることもできないし、事件現場を見ることもできない。早く壊してほしいと言ったんです」

そんな母を入江さんは、叱咤していた。

「私は当時、『風化を防ぐ』と繰り返し、母に対しては『まだ未解決なんだから当然壊しちゃいけないでしょう?  見たくなくても、どんなに辛くても我慢しなくてはいけないのよ』と言ってしまいました」

「グリーフケアの学びの中では、悲しんでいる人には『十分悲しんでいい』『思い切り悲しんでいいのよ』と伝えます。それも大切なのですが、悲しみの器が溢れてしまって、もう声にも出せず、忘れたい人には『忘れてもいいよ』と呼びかけることもできるはずだったのに、私は母に言えなかった。未解決だからです」

「母の悲しみを知ってなお、『忘れてはならない。このまま犯人が見つからなかったら、未解決のままだったらそれでいいの?』と思考停止のままに母に言ってしまった。『忘れてもいい』と言ってあげられたら、どれほど母は楽になっただろうと思うと申し訳なかったと思います」

忘れたい母に忘れないことを強いた。そんな悔いのような気持ちが、今回の取り壊しの要請を考える中で、入江さんをさらに迷わせている。

遺品の仕分け 警察への不信感

遺品については分厚いリストが用意され、「これでいるものに印をつけてください」と警察署員から付箋を渡された。そこでも、「私たちはこれに付箋をつけられるのだろうか?」とまたためらう気持ちが湧き上がった。

「みきおさんのお母さんは『私はこの家の中にあるものはゴミひとつ、髪の毛一本でも紙くずひとつ、折り紙の仕損じひとつでも取っておきたい。だけどそれができないからどうしたらいいか本当にとても苦しい』とおっしゃっていました」

それでも相談の上、写真や動画、思い出の衣類を取っておいたらどうかと思いがまとまりかけた。みきおさんは写真や動画を撮るのが趣味で、一家の姿をたくさん残しているはずだと考えたからだ。

ところが、警察に動画が何本あるのか尋ねてもはっきりした答えは返らず、「動画はまだ確認していないから返せない」とも言われた。問い合わせているうちに説明は二転三転し、不安な気持ちになった。

警察と書面でのやり取りも

納得できない思いを抱き、入江さんは10月16日に警視庁に対して書面で質問状を送った。

なぜもう事件現場を残す必要がないと判断したのか、なぜこの時期の取り壊しなのか、遺族が引き取らない遺品はどうなるのかーーなどだ。

これに対し、警察から書面で以下のような回答があった。

現場の証拠物件は全て証拠書類化しており、3次元の現場記録映像としても残しているので、今後の捜査には支障がない。外壁の亀裂や雨漏りなどが確認され、外壁の落下などで第三者が怪我をする可能性があるので、なるべく早期に取り壊したほうがいい。不要な遺品は廃棄するーー。

警察からの回答書の最後には、以下のような言葉があった。

今後もご遺族との連絡を密にしながら、そして、犯人検挙のための捜査を鋭意推進して参りますので、引き続きのご協力とご理解のほど、よろしくお願い申し上げます

だが、その後、面談にも応じてくれた警視庁幹部は、「今年中に取り壊したい」と話した。すでに決定事項のように扱われていると感じ、「動画の点数も確定していないのになぜ今年中に取り壊すなんて言えるの?」と憤りが湧いた。

追い討ちをかけるように、今回のミシュカの森の前日、寝耳に水の警察発表があった。

犯人は刃物を布で包んで使用したと見られているが、その包み方がフィリピン北部で多く見られる包み方だったという発表だ。入江さんら遺族はそれを警察からではなく、報道で知った。

「新しい事実を報道を通して聞くことは胸が痛むし甚だ遺憾だと今回だけでなく何度も申し上げています。連絡を密に取るとお約束いただいたので安心しましたが、少なくともこの発表に関しては連絡がなかった。残念な気持ちでいます」

「ともに」考えていきたいという気持ちが、また踏みにじられた気がした。

平野啓一郎さん「準当事者」として誰かの悲しみに関わること

こうしたやり取りを重ねた上で12月14日に開いたグリーフケアの集い「ミシュカの森」。

講演に招かれた作家の平野啓一郎さんは、自身が44歳で亡くなったみきおさんと、自分の二人の子供も亡くなったにいなちゃんと礼君と同じ歳であることに触れ、「自分と重ねて思い返して、胸が詰まる思いでいました」と語り始めた。

平野さんは東日本大震災の時、当事者でない自分が被災者の苦しみを書いていいのか悩み、「当事者と準当事者」という考え方をするようになったという。

「『当事者』と『非当事者』という分け方をどうしてもしてしまいますが、実際は『当事者』と『準当事者』という考え方をした方が正確なのではないか」

「『当事者』という人が概念として成り立つのは、結局、当事者でない人との相関関係の中で当事者という人がいるわけです。ということは、当事者という人が規定されるという意味において、周囲にいる人もある意味ではそのことに関与している。社会の中には、『当事者』と『準当事者』という人がいると考えるべきではないかと思ったんです」

「犯罪の問題を考える時も、被害者がいて、加害者がいて、周りの人は当事者ではないとつい考えがちですが、同じ社会の中にいて犯罪が起きて、こういう社会が彼の一つの行いを生み出してしまったと考えるなら、やはり準当事者として、この問題を受け止めるのは必要なのではないかと思いました」

そして、一人の人間には様々な顔があり、複数の「分人」を抱えて生きているという持論の「分人主義」を掲げながらこう語った。

「自分が非常に愛している人との分人を僕たちは生きたいわけですけれども、その人を失うことで、自分が一番気に入ってもっと生きたかった分人を生きることがそこで中断されてしまう。それが人を亡くした時の大きな悲しみで、その人との分人は決して失われることはないけれども...」

「それでも生を続けていくためには生きている人たちとの関係で新しい分人を作っていったり、今まで仲よかった人との分人の比率を大きくしていく中で、その人はその後の人生を続けられていくのではないか」

そして、周りの人は「準当事者」として悲嘆のケアに関わるべきではないかと述べた。

「周りの人は『非当事者』だからどう接していいのかわからない、ではなくて、辛い分人だけをその人に生きさせないために、その人に別の分人を生きるきっかけを持ってもらうために、その人の分人の構成比率の中で、ああやっぱり生きていることは楽しいなと思える分人がいくつかできるために、周りの人がそういう状況の人に関与していく」

「もう亡くなってしまった愛する人との分人に僕たちが関与できるかどうかはわからない。その人がある時ふと、そのことも含めて付き合っていきたいと話したくなるかもしれないし、その人との分人関係の中では話したくないと思って黙っているかもしれない。相手の心情を推し量りながら、『話してくれれば聞きますよ』という形で接していくことが必要なんじゃないかなと思います」

忘れられるのが当然と考えることで不安を克服する

講演後、平野さんに入江さん、東京都市大学都市生活学部准教授の坂倉杏介さんも加わり、トークセッションが行われた。

平野さんは坂倉さんに事件現場の取り壊しについての意見を問われ、こう答えた。

「一概に言えないことだと思うんです。個人に決断を迫るようなことに対しては、先ほど話を伺っても良くないんじゃないかと思いまして。被害者の方もいろんな方がいるので、残すべきだとか残さない方がいいというのは具体例がない中で言えないと思います」

そして、個人の意見だと断った上で、こう自身の考えを述べた。

「自分が忘れられていくかもしれない、この世界から消えていくという不安と寂しさを克服するという意味で、これからの社会に新しい人が出てきて、その人たちが新しい構成員の中で生きていく中で、僕の存在が忘れられることが当然なのではないかと考えることもできる。それによって、自分が忘れられるという不安を克服するということもあるのではないか」

「(入江さんの)お母様がそのことを忘れたいと思われて、『忘れるべきではない』と入江さんがおっしゃる気持ちはわかりますが、『忘れてもいい』といってあげても良かったんじゃないか、という気持ちもよくわかります」

そして、自分が殺された場合を想像しながらこう語った。

「自分が誰かに殺されて幽霊としてあの世に行ったとして、犯人を許せるかと言うと許せないと思う。だけど同時に、自分の娘らがお父さんが殺されたということで一生恨みを抱き、そのことに1回しかない人生を費やして生きていく姿をもしあの世から見ていたとしたら、『他のことに時間を使った方がいいよ』と幽霊として声をかけてあげたい気もする」

「誰かを好きになって結婚し、友達と飲みに行くなど、1回しかない人生の中で楽しいことがたくさんあるし、事件を一瞬でも忘れて、心が軽くなれる時間を過ごすことも大事だよといってあげたい気もするんです。あくまで僕の場合なのですけれども」

「風化させてはいけない」に遺族を押し込めてはいけない

そして、この取り壊しの件について、「準当事者」がどう向き合うべきかについては、こう語った。

「社会も粗雑に、『風化させてはいけない』ということをよく考えずに、マスメディアに載っている文章を自動的に繰り返しているようなところがあります。もちろん未解決の事件ですし、風化させてはいけないのもその通りですが、それを語る時に、そこに関わっている当事者の中にある複雑な心情を一方で汲んであげないと、ステレオタイプに押し込められていく苦しさがあるのではないか」

そして、事件を忘れたい、でも忘れるべきじゃないという異なる気持ちの間で揺れ動く遺族の気持ちを慮りながら、こう述べた。

「両義的な相手の言葉を、一見矛盾している言葉を矛盾のまま受け止めるというような聴き方も大事なんじゃないかなという気がします。忘れるべきじゃないというのと、忘れてもいいんじゃないかということが入江さんの中で矛盾したまま同居しているという感じを、その矛盾を一緒に分かち合うということが、話を聴くことの最初かなと思うんです」

最近、死刑廃止論の立場を取るようになった平野さんは、「自己責任論」に反対し、加害者個人をただ処罰すれば済むという考えに距離を置いている。一方で、そのためには被害者を社会が孤立させないことも重要だと話す。

「犯罪はその人の生育環境や経済環境など社会の中で生まれてきたものなんだと捉えようとすればするほど、傷つき、被害に遭った人にどういう関わりかたができるのか、その人たちを孤立させないことまで含めて話さないと、なぜ加害者の話ばかりになるんだ、アンバランスだという批判が起きるのもその通りです」

「コミュニティの中で起きた問題として、そこで傷ついた人たちに僕たちがいろんな形で関与できるようにする。社会の中でひどい目にあった人は不運で残念だけど関係ないとすることは、人を孤立させることになると思うので、関与の仕方を考え直す機会を与えていただきました」

「皆さんもそのことを考えて今後色々な活動に反映させていくと思います。多くのことを考えさせられて、学ばされている事件ではないかと思います」

自由に悲しめない苦しさ 「ともに」考えてほしい

平野さんは4年前にミシュカの森に登壇した時も、忘れられること、忘れることを肯定する言葉を投げかけた。

それを聞いた時、入江さんはほっとした気持ちになったという。

「このお話を聞いた時に爽やかな風が吹いたように感じました。忘れてもいいんだと」

しかし、終了後、囲み取材でマイクを向けられると、「とにかく風化を防ぎます」と言ってしまう自分がいた。

「自分としては本当は壊したいし、本当は見ているのも辛い。心の棘のようなというのは本当なんです。母の言葉も受けて、本当は壊してしまいたいのに、未解決だから私としては責任がある。亡くなった4人の魂に応えていく私の気持ちとしては壊していいとは言えないです。どんなに辛くても言えない」

「忘れてもいい、十分に悲しんでいいというグリーフケアの言葉、自由に悲しむという言葉で救われているのに、今の私には自由は制限されていると感じていることが苦しいのだと思います」

入江さん自身、あの家を残しておくことがいいことだとも思ってはいない。

「あの場所をとどめることが必ずしもケア的な物語にになるとは今は思えない気もします。母が言うように辛い心の棘かもしれないし、世田谷区にはお友達がたくさんいて、辛くてあそこにいくのが憚れるとも言われます。地域の方々にとっても負のシンボルだと思うんです」

「それでも、『デンクマール(悲しみの記念碑)』としての意味を考える機会になるかもしれないと坂倉先生におっしゃっていただき、励まされた気がしました。 形を残すということより、『ともに』考える時間や場を持つことによって、新しい再生や回復の形を一緒に創る未来を目指せたら」

最終的な判断を個人に委ねられて身動きが取れなくなっている遺族として呼びかけたいのは、「ともに」考えてほしいという願いだ。

入江さんは、フランシスコ教皇の来日の際、原発事故で自主避難した高校生、鴨下全生さんがスピーチした言葉「残酷な現実でも目をそむけない向き合う勇気が与えられるように『ともに』祈ってください」を引用してこう訴えた。

「鴨下さんのこの『ともに』という言葉が、私が伝えたかったことだったのだなと思いました。ともに、考えてほしい。事件現場の取り壊しで、たかが個人の事件ですが、ともに考えてほしいとお伺いしてもよろしいでしょうか、というのが今の私の思いです」