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がんになったカメラマンが息子に残したいもの 大事な人が少しでも生きやすい世の中になるように

写真家、幡野広志さんインタビュー連載(3回)の初回は、なぜがんを公表し、広く発信を始めたのか伺いました。

僕、ガンになりました。

そんな言葉で始まる記事を昨年末に自身のブログで公開して以来、写真家の幡野広志さん(35)は毎日のように新しく人と会い、ブログやツイッターで大量の発信を続けている。

日々成長する幼い息子の写真、出会った人との対話、5年間続けた狩猟への思い、読者からの質問への回答——。死や命を見つめ、時に残酷な言葉を投げかけてくる読者にも誠実に言葉を返し続ける。

4月には狩猟の現場を写した個展「いただきます、ごちそうさま。」も始まり、本も4冊執筆予定だ。余命3〜5年と告げられた幡野さんは今、世界から何を受け取り、何を私たちに送ろうとしているのだろうか。

新しく会う人と握手する

インタビューは、「見晴らしが良さそうですし、体が動くうちにいろいろな場所に行きたいのです」という幡野さんの意向で、東京・赤坂見附のビル21階にあるBuzzFeed Japanのオフィスで行った。

会社のロビーに迎えに行くと、杖をついた幡野さんが「よろしくお願いします」と私に手を差し出して、がっちり握手をした。首にはカメラをぶら下げている。

「病気になってから、新しく会う人にはみんな握手をしています。以前は名刺を交換する程度でした」

きっかけは、自身も17歳で卵巣がんを患ったことのある画家、木村佳代子さん(47)と1月末に会ったことだった。それまで誰にも病気の体験を話せずに生きてきた木村さんと語り合った後、木村さんはこう言ったという。

「初めて自分のことを理解してくれる人が現れた。でも私はそんな人を近いうちに失ってしまうんですよね」

それを聞いて、幡野さんはハッとした。

「木村さんは悲しそうで、正直な気持ちなのだと思いました。今、いろいろな人と会っていますが、みんな優しくて良い人ばかりです。僕はそんな人たちを悲しませてしまう。そのことに気づいてから、握手やハグをするようになったのです。印象を残して忘れてほしくないのかもしれません」

34歳で突きつけられた病

体に異変を感じたのは2017年の夏の終わり頃だ。全身がだるく背骨や腰に強い痛みを感じていたが、ぎっくり腰なのだろうと思っていた。整形外科や内科を受診しても原因はわからず、痛み止めや湿布しか処方されない。

痛みに耐えきれなくなった11月、ようやく総合病院でMRIを撮り、「背骨に腫瘍があります」と告げられた。一人で結果を聞いた幡野さんに、主治医は「背骨に転移しているということは相当末期状態です。場合によっては3ヶ月から半年ぐらいですよ」と突きつけた。

当時1歳半になったばかりの長男や妻のことを思い、一晩泣いた。

「『おい、マジか』とショックはショックだったんです。けれども普通、3ヶ月から半年ぐらいと言われたら短いと思うでしょう? 僕は、その時、長いと思ったんです」

なぜなのか。

「この痛みを3ヶ月も耐えられない、一日一日が辛くて耐えられないと思いました。それなら今死んでも変わらない。早急に死ぬ準備をして、自殺しようと考えたんです。11月はちょうど狩猟のシーズンで、散弾銃を持っているので、死亡したら3000万円程度下りる保険も入っている。事故を装って自殺しようと思いました。なるべく早く」

それを思いとどまらせたのは医療の力だ。

「最初にかかった整形外科はいいお医者さんですが、死にたいぐらい苦しいという気持ちを理解してくれなかった。妻や母も治しましょうというばかりで、辛すぎてこの痛みから解放されたいという思いを聞いてくれないし、わかってくれない。孤独でした。この孤独感と痛みから解放されたいと、繰り返し訴えたら緩和ケアを受診させてくれたんです」

緩和ケアの診療は、それまでの対応とは全く違った。緩和ケア医や看護師は、とにかくじっくりと幡野さんの話を聞いてくれた。

「僕だけでなく妻の話も聞いてくれたのですが、話を聞いて理解してくれるということで非常に助かった。薬を強くしてくれて、痛みのコントロールもできました。だけど何より、心の苦しさや愚痴を聞いてくれる人がいるということが死にたいという思いから僕を引き戻してくれたのだと思います」

だが、今度は別の苦しみが幡野さんを襲うことになる。

患者は病気だけでなく、周りの言動にも苦しめられる

2017年12月、入院中にブログで「ガンになって気づくこと。」という記事を書き、がんになったことを公表した。フリーランスで仕事をしている以上、取引先には病気を知らせないといけないし、親族や友人にも伝えたい。同じ話を繰り返さずに済むようにと思ったのに、予想もしなかったことに電話が鳴り止まなくなった。

「入院中だったのですぐに出られず、電話ができるスペースに行って折り返すのですが、そこで30分も40分も話し、その間もキャッチフォンが入る。月額で2000円しないぐらいだった通話料が3万円を超えました」

「そして電話の内容のほとんどが、『奇跡は起きるよ』『頑張って』などの無責任な言葉です。今うつ病患者に『頑張って』というのはNGだとみんな知っている。がん患者にもNGワードはたくさんあるのに、みんながんのことをよく知らないからそんな言葉をかけてしまう。時間を取られて、金を払って、ストレスを買うなんてたまらない。お見舞いに来たいという人も山ほどいましたが、ただただ迷惑でした」

血液がんの一種である多発性骨髄腫と確定診断を受けたのは今年1月。主治医から「治療をすれば余命は平均3年ぐらいですが、5年はいけると思いますよ」と言われ、覚悟を決めた。

胸にあった腫瘍が下半身を圧迫して背中や足に痛みをもたらしていたが、1ヶ月入院して放射線治療を行い、症状は劇的に改善していた。

「最初に3ヶ月や半年と言われた時よりも随分延びたし、痛みもなくなったので、短い時間だけれど何かできることを考えようと思いました。振り返ると、がんそのものよりも、周囲の人たちから余計な苦しみをたくさん食らった。その根底にあるのは善意や『良かれと思って』という思いです。はっきり言って大迷惑なんだということをみんなに知らせたいと思いました」

不快な言葉の筆頭は、やはり「頑張れ」や「奇跡は起きるよ」だ。

「これ以上頑張れないし、奇跡は起きない。奇跡を信じて治療するのはいいですが、最後に待っているのは絶望です。『必ず治るよ』もよく言われますが、大学病院の教授が治りませんよと言っているものを、がんのことを何も知らない人が治ると言うのは一体どういうつもりなのでしょう。でも本人は良かれと思って言っているんです」

代替療法や健康食品、食事療法も未だによく勧められる。いずれもがんに効くという科学的な根拠はない。

「そういうのを勧める人は患者が亡くなった後に『私が勧めた治療を拒否したからよ』と家族を責めて、苦しめることさえある。ひどかったのは、『ブログやSNSでうちの商品のことを書いてくれたら8万円支払います』と言ってきた業者です。他の人の闘病ブログにその商品が出てきてとんでもない奴だと思いましたが、考えてみればがんになると収入が断たれてしまう。この人も仕方なくやっているのではないかと悲しくなりました」

「二人に一人ががんになる時代、ほとんどの人は自分が患者になるか介護する側になり、がんと関わらないのは健康で孤独な人だけです。だけどみんながんのことを知らないし、誰かががんになった時に何て声をかけたらいいのかわからない。だから偏見、勘違いも含めて、みんなに知らせようと思ったんです」

叩かれても、不快な思いをしてもなぜ発信するのか

幡野さんはブログだけでなく、子育てサイトでの連載、ツイッターやフェイスブックなどのSNSで猛烈に発信を始めた。1日に何十本と投稿することもある。本も出版社から3冊、自費出版で1冊書く予定だ。

個人の楽しみや家族と過ごす時間を削ってまでも、なぜやるのか。

「末期がんの患者ってもう死んでしまうから、お金なんかいらないし、うまいもん食いたいとかモテたいとか欲がなくなって、人助けをしたいという心理になってくるんです。たぶんそれは今までやって来た悪いことの罪滅ぼしのようなものかもしれないけれど、とにかく良いことをしたくなる」

特に時間を割くのが、読者の匿名での質問に答える質問箱でのやり取りだ。

科学的根拠のない食事療法を勧めてくる読者に「迷惑です」と答え、「善意で勧める人に迷惑と言うのは失礼だ」と絡む人にも丁寧に答える。

「善意を迷惑と言うのは難しいです。 友人や親族からのありがた迷惑を言えずに苦しんでいる方が多いのです。 だから発言力がある人間が矢面に立ってでも言うことに意味があります。 全ての善意が迷惑なのではありません、勧誘や紹介が時として破滅に向かわせます。 はっきり言います、迷惑なんです」

最近では菜食主義者の人が、狩猟をしていた幡野さんががんになったことを「自業自得」「因果応報」と中傷するのに対してはこう冷静に打ち返した。

「自分と主義が違うからと言ってガンになった人や苦しむ人に言い放つ言葉ではない。宗教の勧誘を断ると、全く同じ捨て台詞を放たれます。 日本人の2人に1人はガンになります、非常にメジャーな病気です」

「インチキ医療や不快な言葉を他の人もたくさん受けているのですが、みんな言い返せないでいるんです。だから毅然とした態度で言い返す見本を見せたい。無視は簡単ですが、それではみんなに見えません。これが迷惑な行為なのだと“善意の人”に気づかせるためにも書いているんです」

息子に教えたいこと

自身がすでに大きな重荷を抱えているのに発信を続けるのは、自分がいなくなった後も生きる妻や息子のためでもある。

「例えば20年前の医療現場はがんになった人に告知をしなかったけれど、今は告知をするのが普通。色々失敗や積み重ねがあって今がある。がんはお年寄りがなることが多いけれど、僕は比較的若いし、文章が書けて写真も撮れる。僕が発信することで社会を少しでも良くしたいんですよ」

「僕はもう助からないから僕はもういい。でも妻や息子はこれからも生きていくわけであって、僕が少しずつ声を上げて、他の人も声を上げることで、うちの息子も生きやすい社会になると思う。それを求めたくて、僕は残りの人生でそういうことをしようと思うんです」

最近ではがん以外の悩みも届くことが増えた。障害者のきょうだいを持つ少女の悩み、不登校、職場での人間関係——。まるで人生相談の窓口だ。

「たくさん受ける中でわかったのは、相談する人はすでに答えを持っているんです。ただそこで不安な要素があったり、自信がなかったりして迷う。だから文面を見て、この人が何をしたいのか読み取って、肯定して上げて背中をポンと押してあげるだけでいい」

やはりステージ4のがんと宣告され、「クソみたいな人生」と自嘲していた青年には、本人が望んでいた旅に出ることを勧めた。彼はその言葉に後押しされ、周囲の反対を押し切ってロシアに旅に出ることを決めた。

「一番だめなのは、お前には無理だよとかできないよと相手を否定する行為です。こうした方がいいよと余計なアドバイスをするとか、それは全部自分がされたくなかった行為。『そんなのは無理だからこうしなさい』と否定する人が多いから誰にも相談できなくなる。僕は肯定して背中を押し、話を聞いてあげるだけだから、なぜか末期がん患者のところに相談に来るんです」

息子は、優しい人に育ってほしいという願いを込めて、「優」と名づけた。優しい人にしたいなら、まず親が優しい人間である姿を見せなければならないと思っている。そのためにも、自分が今、インターネット上に残しているやりとりを、将来大きくなった息子に見てほしいと願う。

「僕が死ぬ前に何をしていたか息子が見たら、そうかこういう風に悩みに対処すればいいのかとかと思うでしょう。ものすごく汚い言葉の質問も来るけれど、そういうものにはこうやって返すべきなんだ、汚い言葉に汚い言葉で返したら何も生まないんだと勉強すると思うんです」

「あのやりとりはいろいろな人にも伝えたいことだけど、自分の息子に教えたいことでもあります。僕は一般的な父親のように、息子が悩み事を抱えた時に寄り添って答えられないわけですから、少しでも手本を残してあげたい。僕のエゴといえばエゴなんですが、僕もやらざるを得ないというか、やりたい。残された時間は短いのですけれども、今こういう境遇になれたからこそ、子供に残せることがあると思うのです」

(続く)

【連載2回目】写真を撮り、狩猟をすること 生きて、死ぬとはどういうことか知りたい

【連載3回目】自分の命は自分で決めたい 最後まで穏やかに生きられるように


【幡野広志(はたの・ひろし)】写真家

1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。公式ブログ