母のために
編みかけた
マフラーが
少女の息を
奪いさりゆく
凍った砂を
肺に
ギュッと詰められるようだ
いじめられると
いうことは
喪った
悲しさが
いつしか薄らぐ
癒えたのでない
全身に染み渡ったのだ
時折、Twitterに流れてくるこの短い詩に、はっと胸を衝かれる。
自死やいじめをテーマにしたこの「五行歌」を流しているのは、いじめや虐待で苦しむ子どもの人権を守る活動をしている「一般社団法人ここから未来 」代表理事で、「指導死 親の会」共同代表の大貫隆志さん(63)だ。
2000年に当時、中学2年生だった次男の陵平さん(当時13歳)を、担任からの指導直後に自死で失った。13歳だった。
だが、この五行歌は自分の息子のことを歌ったものではない。なぜ子どもたちや親の苦しみを歌い、Twitterで流すのか。大貫さんにお話を伺った。
本業はコピーライター 「私にはこのテーマがある」
五行歌を作り始めたのは、8〜9年前だ。大貫さんの本業はコピーライター。仕事で付き合いのあるグラフィックデザイナーが五行歌を長く作っていて、「一緒にやろうよ」とずっと誘われていた。
「断りきれなくなって、渋々始めたぐらいなんです。最初は普通の生活の歌を書こうと思っていたのですが、歌会で出会うメンバーはベテランばかりでとても太刀打ちできない。じゃあ私にはこのテーマがあるじゃないかと、子どもの命に関する歌を書き始めたのです」
活動の中で同じ境遇でつらい思いをしている親子からたくさん相談を受けてきた。散文と違い、短い詩だと一番肝になる部分を書き表すのに集中できる。
「使う筋肉が合ったのでしょうね」。短い言葉で伝える本業と共通するものがあるからか、次々に歌は生まれた。
始めて2〜3年が経った2014年10月には、同人誌『五行歌』の特集に16編の詩からなる「いのち fragment(※断片、かけら)」が掲載された。
死を選ぶ
のではない
死を選ぶ
しかできなく
なるのだ
死んだのか
殺されたのか
それさえ
あいまいなまま
子らは去りゆく
追いつめられた教師が
子を追いつめる
追いつめられた親が
子を追いつめる
子に逃げ場はない
(いのち fragmentより)
全て実際に起きた事件をモチーフにしている。遺書の1フレーズを書いたり、複数の事案を結びつけたりして作品を作った。
冒頭のマフラーの詩も、この特集の1編として掲載されたものだ。
「小学校の女の子の事案です。裁判が始まると、学校も行政も『この家では虐待が行われていた』と話をでっちあげ、責任を家族に被せようとしました」
「マフラーについて書いたのはこの事案の象徴的な出来事だなと思ったからです。仲のいい家族だったのにいじめによってそういう関係性が壊されてしまった。お母さんのために編んでいたマフラーが死を選ぶ最後の道具になったというのは酷い話です」
自分の息子のことは書けない
意外なことだが、自身の息子について五行歌に書いたことはない。
離婚して別居していた次男の陵平さんは2000年9月、昼休みに友達からもらった飴を1粒食べ、12人の教師によって、一緒に食べた友達と1時間半の指導を受けた。
反省文を書くように指示された翌日の土曜日の夜、担任から自宅に電話があり、ライターを持ってきていたことも指摘された。翌週、親も学校に呼び出されることになり、臨時学年集会で全員の前で決意表明をさせられることも告げられた。
その電話の40分後に、自分の部屋に「反省文」と「遺書」を置いて、10階の自宅マンションから飛び降りた。
「書けないです。自分の息子のことは」
そう大貫さんは言う。
もちろん、詩に書いたことと共通の思いは感じている。冒頭で紹介したこの詩もそうだ。
「喪った / 悲しさが / いつしか薄らぐ / 癒えたのでない / 全身に染み渡ったのだ」
「人のどうしようもないしんどい思いを代わりに言語化する気持ちにはなるのですが、自分のことは....。もちろん悲しさが癒えているわけではないですが、息子のことは本などにも書いて区切りはつけているところはあります」
「でも、未だに同じような事件がコピペのように起きてくるし、相談されることも同じだし、被害を受けた方が苦しむポイントも一緒です。亡くなる子どもが『ごめん』と謝って、逝くことも同じなんです。あんたは悪くないよと言いたい気持ちがすごく僕にはある」
悲惨な話にはしたくない 希望や祈りも込めて
毎回相談を受けるたびに心が激しく揺さぶられるし、詩を書くのも苦しい作業だ。それでも、詩の表現はなるべくフラットにしている。
「悲惨な話にはしたくないのです。こういう風に生きていた子どもがいたのだということをうたえたら、それで十分だと思っています」
自分で一番気に入っているのは、やはり実際に起きた出来事を描いたこの詩だ。
身を投げて
沖へと流れゆく少女の
最後に見たのは
海の青か
空の青か
「ある女子高校生がいじめに遭って、海に身を投げてしまったんです。しばらく経って、洋上で発見されたわけですが、この子は海の青と空の青とどちらを覚えているのだろうなという思いで書いたのです」
そこに込められているのは、一人死に向かって去った少女が最後に美しい色を見たことを願う、祈りのような思いだ。
「たぶん綺麗な青を見たのだろうと思うのです。元々とても純情なタイプのお子さんだったと聞いていますので、そうあってほしいと思いました。こうやって命を落とす子どもは生きていいはずの子どもたちです。追い詰められてこういうことになっていますが、悲惨な存在ではない」
「出来事そのものは悲しい、つらいことですが、その人の命は悲惨ではない。一生懸命生きていた人なのですから」
この詩は遺族にも送った。青い海と空の写真に詩を重ねて。喜んでくれた。
「同じ立場なので、事案のことだけでなく、お子さんが元気でいた時の輝かしい話もしてくださる。子どもたちには何でもない日常がちゃんとあったわけです。でも、そういう話はご遺族は他の人にしにくいところがある。そういうところもすくい取っておきたいのです」
生き延びた子どもの歌も、本人にプレゼント
同人誌『五行歌』の2017年4月号に再び、学校での教師の虐待をテーマにした特集「わたしの〜ある虐待の記憶から」が掲載された。
主人公の女子小学生は小学校2年生の時に、教員から暴言を吐かれ、週に3〜4日、廊下に立ちっぱなしにさせられるなどの酷い虐待を受けた。
心にダメージを受け、一時的に目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりした。死にたい気持ちを抱え、学校にも行けなくなった。
わたしの
目は
見なくても
いいものを
たくさん見てきた
教室には
優しい顔をした
悪魔がいる
教室で起きていることを
誰も知らない
そして
わたしは
見ることをやめた
聞くことをやめた
感じることをやめた
この少女が起こした裁判を大貫さんと仲間の教育評論家、武田さち子さんは傍聴に通い、応援を続けていた。小学校を卒業する時、短い言葉と写真を組み合わせて絵本を手作りしてプレゼントした。五行歌を作り始める前だ。
「校長先生からは卒業証書を受け取りたくないけど、大貫さんと武田さんからだったら受け取りたい」と少女が言ってくれたので、簡単な手作りの卒業証書と、この絵本を渡したのだ。母親と一緒に受け取ってくれた。
その子も今はすっかり大人になった。好きな韓国のアイドルグループの追っかけをして、アルバイトをしながら生活している。大貫さんたちのシンポジウムにも来てくれて、得意のカメラで記録写真を撮ってくれている。
学校だけじゃない いじめや侮蔑的な言葉は社会状況の反映
Twitterで五行歌を流すようになったのは数年前から。
表現することで自分の抱える重みが軽くなるかどうかもよくわからない。自身も次男が亡くなってから重いうつに苦しんできた。
「ただ、色々な相談に応答していることや、事案を調査する第三者委員会に関わっていることもですが、今、困っている人の力になることが自分の前に進む力になる。この表現活動も、世の中をちょっとだけマシにするための作業なんじゃないかと思っています」
いつかは詩集にまとめたいという思いもある。
「学校の事件・事故の問題を真正面から取り組んでいると、届け先が被害者や周辺の方に限定されてしまう。社会問題ですし、誰の身の上にも起きることだと思っています。学校だけではない。いじめの被害、セクハラ、侮蔑的な言葉を受けている人、歌にすると広く伝えられるのではないかと思います」
学校の事案では、最近、教員の理不尽な仕打ちによって不登校になる相談が相次いでいる。
「もしかすると、今起きている環境の変化で先生たちも追い詰められ、ついイライラしてやってしまうのか。あるいは管理的な傾向が強くなっているのか。ブラック校則のデータを見ていると、2006年以降、昔の管理教育が復活しています。第1次安倍内閣が始まり、教育基本法を初めとする様々な制度が改正された時期と重なります」
「子どもたちの自殺も含めた様々な被害は社会状況の象徴なので、決して子どもの問題だけではない。大人の問題であったり、子どもを取り巻く環境の問題だったりします。それが結果として子どもの命に影を落としているのです」
最近、明るい歌も作るようになった。それでも未来に希望を持ちたいからだ。
あなたがいる
わたしがいる
生まれてくる
だれかがいる
命がつらなる