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説教される度に「自分はクスリを使っても仕方ないダメ人間なんだ」と思い込んだ 薬物からの回復に刑罰は役立つか?

刑罰ではなく治療や回復支援に舵を切る世界の潮流に逆行するかのように、日本では大麻「使用」罪の創設が議論されています。薬物を繰り返し使った経験のある人に逮捕や刑罰が回復に役立つのか聞いてみました。

大麻を使うのが止められないのは、病気なのか? 犯罪なのか?

厚生労働省で唐突に始まった大麻「使用罪」創設の議論。日本の大麻取締法では所持や栽培は禁じられているものの、使用については規制がないことから、そこにも網をかける考えだ。

海外では、薬物問題を健康問題として捉え、刑罰ではなく治療や回復を支援する政策への切り替えが進む。

BuzzFeed Japan Medicalは、薬物依存の当事者や家族、研究者らに逮捕や刑罰は薬物を断つことや回復に役立つのか取材した。連載で紹介する。

まずは経験者の声から。

仲間から嫌われないように使う

薬物問題を抱える人の回復を支援する山梨ダルクデイケアセンター施設長の小林郷志さん(57)は、大麻ではないが覚せい剤で7回逮捕された経験がある。

初めて薬物を使ったのは、神奈川県で生活していた中学3年生の夏休みだ。親友の自宅でシンナーを一緒に使おうと誘われた。

当時は生徒会の役員を務めていた小林さん。

「人間関係が下手で唯一の親友だったんです。学校にばれたら生徒会も解任されるとためらいはあったのですが、友達から嫌われるのが怖かった」

吸ってみると、吐き気や頭痛がした。その後、自分で買い求めることはなく、親友から勧められた時だけ使った。友人関係を壊したくなかった。

その頃、小林さんには近くのバレーボール強豪校に入学するという夢があった。受験勉強で忙しくなってシンナーを使う機会もなくなり、無事合格した。

しかし、才能ある選手ばかりが集まる高校。入部すぐに挫折して部活を辞めた。目標を失って高校も1年の3学期で中退した。そうなると家も居心地が悪くなる。

実母は小学校6年生の時にがんで亡くなり、中2の時に父と再婚した義母とはそりが合わない。兄も弟も同じ中学で生徒会長を務め、親からも教員からも何かにつけて「兄や弟は優秀なのにお前は......」と比べられた。

「家庭の中でも学校でも居場所がなかったのです。子どもの頃からいつも浮いた存在で、『自分はダメな奴』『役に立たない』と思い込んでいました」

地元の友達とつるむようになり、暴走族に入った。家を出て住み込みで働き始め、仲間から誘われるとまたシンナーを吸った。

「そこでも仲間外れにされないために吸っていました。暴走族には同じような境遇の仲間がたくさんいて、唯一の居場所でした。互いに人に言えないような体験を共有することで絆を深めていく。それが心地よかったのです」

覚せい剤にハマる 恨みや憎しみを忘れられた

覚せい剤を勧めてきたのも、最初にシンナーを誘ってきた親友だった。

18歳で仲間の車上荒らしを手伝って逮捕され、職を失った。保護観察処分になって実家に戻り、かつての親友にばったり再会。一緒に行った暴力団組員のアパートで回しうちをした。

「悶々として死にたかったので『もうどうにでもなれ』とやけになっていました。その頃はよく『覚せい剤やめますか?人間やめますか?』というCMが流れていて、ためらいはなかった。爪弾きにされたくないという気持ちもありました」

効き目はすぐさま現れた。

「家族に抱いていた恨みや憎しみなど、当時抱いていたそんなネガティブな感情全てがどうでもいいなと思えたのです。楽になった。今思うと、現実逃避や自己防衛だったのだろうと思います」

覚せい剤にはハマり、のめり込んだ。起きている時は常に使う生活が始まった。

翌年、自動販売機荒らしで逮捕された。この事件の家宅捜索で注射器が出てきて、改めて覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕された。これが、覚せい剤関連で逮捕された初めのことだ。

入ったのは医療少年院。注射器の回しうちで、C型肝炎ウイルスに感染し肝機能が悪化していたからだ。

「強制的に薬を使えない環境に置かれましたが、少年院に送られて『箔がついた』ぐらいしか思っていないですよ。逆に中で暴力団組員と知り合って、反省するどころか拍車がかかりました」

繰り返す使用・逮捕 埋まらない心の穴

出たあとは、少年院で出会った暴力団組員とつるむようになり、覚せい剤も安く手に入るようになった。

両親からは「お前は意志が弱いから止められないんだ」と罵倒された。

「依存症が病気という概念もありませんから精神論で叱咤するのです。少年院も裁判官も『意志を強く持ちなさい』と説教する。その度に自分は意志が弱くてダメな人間なんだ、クスリを使っても仕方ない人間なんだと思いました」

20歳を過ぎて再び逮捕された。父が注射器を手に通報した。

1年2ヶ月の実刑判決。出所直後は「こんなことで人生棒に振りたくない。止めよう」と誓った。新潟に単身赴任をした父親が身元引受人となり、地元の仲間から離れた。仕事も見つけ、5年近く薬を止められた。

好きな女性と結婚し、息子も生まれた。

順風満帆に思えたある日、地元の覚せい剤仲間から電話がかかる。「今、いいのがあるぞ」。すぐに欲求が再燃した。

「止めて5年も経っているから今度はうまく使えると思ったんです」

使うとすぐに幻覚、幻聴、妄想が再発した。職場から救急車を呼び、「覚せい剤を使った」と救急隊員に伝えると、警察に通報された。

留置所に面会に来た妻から離婚届を突きつけられた。

「もうあなたとは一緒に生活できません。息子はあなたが死んだということで育てますから、私たちの前に2度と現れないでください」

息子は生後7ヶ月だった。それから30年近く一度も会っていない。

さらに自暴自棄になり、1年4ヶ月刑務所で過ごした後も薬に頼った。

「でかい心の穴があって薬に逃避するしかない。薬を使い続けて死んでやる、とまで思っていました」

自助グループとつながるが....隠れて酒を飲み、回復者を演じる

30歳で初めて精神科を受診し断薬治療も受けたが、どうしても覚せい剤が欲しくなる。逮捕されるたびに再び使うまでの時間は短くなり、刑期は伸びていった。

「捕まった直後は後悔、反省、罪悪感に苛まれるのですが、時間が経つと『今度こそうまくやれる』と思ってしまう。具体的に止める方法もわからず、使うきっかけになる心の痛みもなくならない」

「別れた妻子を不幸にしたという強烈な罪悪感もあって、シラフで生きているとその痛みが強くのしかかってくるのです。現実逃避の手段が覚せい剤でした」

6回目の逮捕後、宮城刑務所で2年半刑期を務め、37歳で初めて回復支援施設「仙台ダルク」につながった。父が地元の福祉事務所から紹介してもらった。

「最初は嫌でした。刑務所で嫌な思いをしているのに、また集団生活かと。親父に散々迷惑をかけたので、仕方ないからやるかという他人事の感覚でした」

入寮してみると、薬というよりも酒を止めるのが苦しかった。

「アルコール依存も抱えていたのですが、酒を薬物と認めていなかった。隠れて飲み、バレないように回復者を演じていました。仲間もだましていたのです」

過去を振り返るミーティンングでも、問題を認めようとしなかった。

「自分の話ができなかったし、なぜミーティングが効くのかわかろうともしていなかった。回復者を演じて1日も早く社会に復帰しようと思っていました」

14ヶ月で円満退寮し、岩手県で仕事を見つけて住み込みで働くようになった。盆休みに入り、寂しさから薬を使った。ダルク退寮後たった10日後のことだった。

いつもと違う医師の態度 回復プログラムに取り組んで自分の問題に気づく

3年の実刑判決を受け、仮釈放されて仙台ダルクに再入寮した後も、酒を飲んで飛び出した。半年後に覚せい剤に手を出し、また救急車を呼んだ。

同じことの繰り返し。だが、この時受けた診察で、医師がいつもと違うことを言う。

「君がもし退院後、仙台ダルクに戻るのであれば、君から採取した尿は警察に提出しない。もし戻らないなら提出するよ」

これまで何度も覚せい剤で捕まったと、話した後だ。

「いつもと違う、と驚きました。そこで初めて僕は『底つき体験』をしたのです。俺は薬をうまく使えない、止めるしかないんだと初めて気付きました。このままだと獄死だろう。真剣に回復プログラムと向き合おうと思いました」

医師が回復を後押しし、自分の行く道を選ばせてくれたことも嬉しかった。今でもその病院の診察券をお守りがわりに持っている。

「その医師の言葉は響きました。自分を犯罪者として見ず、病気の患者なんだと捉えてくれた。世の中捨てたもんじゃないと思いました。感謝したし、逮捕されたら3年以上刑務所に入っていたはずですから、3年はきちんとプログラムに取り組もうと決めました」

まず最初に酒を止めた。クリアな頭でプログラムを真剣に受けてみると、自分の問題が見えてきた。

「まず自己否定や否認が強い。劣等感も強いし、自分を大切にできない。協調性もない。人とうまく関係が築けない。自分が思っていることを相手に言えない」

「家族はみんな優秀な人たちなので、自分の意見を言うとバカにされると思って合わせていました。関心の的は常に兄貴や弟で、自分で自分はダメな奴とレッテルを貼る。子どもの頃からそういうモヤモヤを抱え、あのままだったら自殺していたかもしれません」

再入寮後に受けた検査で、自分の生きづらさの原因の一つに発達障害があることもわかった。

「ADHD(注意欠陥・多動症)やASDがあることもわかりました。衝動性や頭の中が散らかった感じが覚せい剤を使うと落ち着いたことや、人間関係が苦手なのも腑に落ちました」

精神障害者保健福祉手帳3級と認定され、月1回受診して、今も薬を飲んでいる。治療を受けるとずいぶんと生きるのが楽になった。

断薬の期間が長くなり、自分が先行く先輩になって後から来る仲間の役に立つことで自尊心も生まれた。そこから13年一度もスリップ(再使用)していない。

7回逮捕された経験から「逮捕は回復に役に立たない」

その後、自由なプログラムを提供する山梨ダルクに移り、2012年からは施設長も務めている。

「今は自己否定感や劣等感もなくなりました。ダルクで苦しんでいる人が僕を必要としてくれているという実感を得ることで、自己肯定感も育まれています。それは刑務所で何度服役しても得られなかったものです」

7回の逮捕経験から、逮捕や服役が薬物依存を断ち切る効果を問われれば、微妙だと思う。

「確かに何回も逮捕されたからそれが嫌になって底つきに至った面もあります。ただし、服役するだけでは絶対に回復しません。止め続けるためには回復プログラムや自分を受け入れてくれるコミュニティーが必要です」

それに刑務所に入ることはデメリットも大きかった。

「そこには売人や暴力団関係者がたくさんいます。『出た後に俺のところにくれば安く融通するよ』と言われたら、出所後に薬を使うきっかけにもなる。裏社会とつながりを作る場所でもありました」

日本での厳罰化の動きは、回復支援につながる人を遠ざけるのではないかと懸念する。

「薬物依存症は病気で回復のために助けが必要なのだ、という正しい知識がやっと広がり始めたところで、また刑事罰を広げれば、回復支援につながる人もつながらなくなる。『病院や行政に助けを求めたら逮捕される』と思いますから」

海外では刑罰ではなく、回復支援に舵を切る。

「意志の弱さや根性の精神論から成り立つ逮捕や刑罰は、問題を解決しないばかりか悪化させるばかりでした。もっと早く薬を止めるための方法がわかっていたら、家族も失わずに済んだかもしれません」

ダルクに入所する仲間たちも何度かスリップするのは織り込み済みだ。もちろん通報することはしない。

「逮捕や刑罰で社会と切り離すことは回復にあまり意味がないのです。大事なのは、薬を使える環境で薬を止める方法を学ぶこと。そうしないと出たらまた同じことの繰り返しです。社会の中でチャンスを与えることが必要です」

「人間関係の中で悪くなったものは、人間関係でしか良くならない。1人では生きられないから薬で孤立をごまかし、それでさらに孤立するという悪循環です。断ち切るには社会からの排除ではなく、社会の中で治していくしかないのです」

大麻で逮捕された男性 「逮捕で回復プログラムにつながるならば......」

20歳の時に大麻で逮捕され、執行猶予中のけんじさん(仮名、22)は少し小林さんと意見が違う。

治療や回復支援につながるきっかけになるならば、逮捕もありなのではないかと思う1人だ。

幼い頃から父は仕事でほとんど家におらず、母親はしつけが厳しい家だった。兄とも反りが合わず、地元・横浜の不良グループとつるむようになり、17歳の時、仲間に誘われて興味本位で大麻を吸い始めた。

「フワッとして、ハッピーな気分になりました。そこから使用量や頻度が増えていきました。友達や先輩から簡単に手に入ったのです」

気づいた両親から「止めろ」と叱られたが、どうしてもやめられない。起きている時はずっと吸い続けた。

「シラフの時はいつもきつかった。母はいつも『ちゃんとしなさい』と言う。家は落ち着ける場所ではなく、大麻を吸っている時だけ安堵感がありました」

家を出て住み込みで働き始めたが、大麻が原因でクビになった。山梨ダルクに半年入所したが、集団生活が嫌で途中で地元に帰った。結局1年半ほど使い続け、親に通報されて大麻所持容疑で逮捕された。

「その頃はホームレス状態になっていたので、捕まってホッとしたところがあります。逮捕をきっかけにやっと自分は依存症だという自覚が持てました。『このままじゃヤバイな』と危機感がわいたのです」

執行猶予がつき、2回目のダルク入所となった。今度は回復プログラムも真剣に受けた。

「自分の本当の気持ちを今まで誰にも話せなかったことに気づきました。小さい頃から家族は自分の悩みや弱みを話せる相手ではなかった。そういうことを話せる場がここにはあるのです」

「日々の人間関係の悩みを話せるようになると、自分の気持ちを殺す必要がなくなります。自分の失敗や弱みもミーティングで話せば仲間が笑い飛ばしてくれる。ずいぶん気持ちが軽くなりました」

大麻の使用罪を新たに作ることについては、こう考える。

「僕が逮捕された時は使用罪はなかったので、『持ってなきゃ大丈夫でしょ』と思っていました。逮捕されてなかったらダルクに再び入らなかったでしょうから、自分にとって逮捕は役立った。だけどダルクでなく刑務所に行っていたら、自分は回復できただろうかと思います」

「逮捕するなら、それをきっかけに自助グループにつないでほしい。それならば、逮捕もその人のためになることがあるかもしれません」

大麻が止められなくて自助グループで回復した35歳

大麻が止められなくて十数年前に自助グループにつながった35歳のよしひろさん(仮名)は、逮捕なしで回復の道を歩む。

大学4年生の時、友達に勧められて大麻を使い始めた。

「友達の楽しそうな様子を見ていたら、自分もやってみたくなったのです。最初は拍子抜けでしたが、2回目から食事が美味しく感じるとか、音楽がきれいに聴こえるとか、大麻の効果を感じ始めました」

将来の夢が定まらず、卒業後は父の会社で働くことを考え始めていた。大麻を毎日使うようになって留年し、薬物やパチンコに溺れた。

脱法ハーブにもハマり、2年半ほど使い続けるうちに薬物が手元にない時は、呼吸が苦しくなったり、食事が取れなくなったりした。離脱症状だ。

当時、同棲していた彼女は、「バカじゃないの?」と泣いた。

「当時は彼女の気持ちも考えられない状態でした。自分自身が苦しくて余裕がなくなっていました」

どうにもならなくなって母親に相談し、ダルクにつながった。5つ上の兄も覚せい剤で逮捕されてダルクに入所していた。23、24歳の時に地元の宮城から遠く離れた山梨ダルクに入所すると、同じ問題を抱えた仲間たちがたくさんいた。安心して話すことができた。

両親はしつけが厳しく、小学生の頃から中学受験に熱心な教育ママだった。流行のアニメを見ることや友達との放課後のサッカーも禁じられ、塾に嫌々通わされた。

仲間にそんな過去を話すうちに、親の望むレールに乗り、職も得たが、実はそれが苦しかったのだと気づいた。

「親の思い通りになることに抵抗感がありながら、自分がやりたいことも見つからないから、そうせざるを得ない。小さい頃から自分の希望が通ったことがなく、そのうち自分が何を求めているのかもわからなくなった。現実逃避したくて薬物にハマったのだと思います」

「そんなことを仲間に話すうちに、自分は病気なのだなということに気づきました。子どもの頃のつらい思い出や、やりたいことが見つからない苦しさに共感してもらえたのは初めてでした」

3年半後に八王子ダルクに移り、スーパーで働くようになった。薬を使いたいという欲求はいつの間にか消えた。今は薬物依存の人が就労する障害福祉事業所で働いている。

大麻と脱法ハーブで最悪の状況の時に逮捕されていたらどうなっていただろうか。

「ダルクにつながっていたかもわからないし、親にも迷惑をかけたでしょう。何度も逮捕された仲間から聞くと、刑務所の中なら強制的に薬は止められるけれども、社会に出てから止める方法は教わらない。結局何度も繰り返す」

振り返れば、自分は将来への不安ややり場のない不満があり、それをごまかすために薬物を使っていた。

「共感しながら語り合える仲間がいると、自分の中の不安や不満が溜まってい来ません。軽減される。それが薬物を止め続ける力になります。仲間につながっていなかったら逮捕を繰り返していたか、入院するか、死んでいたかでしょう」

仲間とご飯を食べたり、旅行したりするのが今の一番の楽しみだ。

「自分が病気だと気づくきっかけになるならば、逮捕も有効かもしれません。しかし、犯罪者として罰するだけでは回復にはつながらない。薬物依存症の患者として、まず治療や回復を助けることを考えてほしいと思います」

「薬物使用は生きにくさを抱えた人の孤独な自己治療」

薬物問題を抱えた患者の治療に長年携わってきた埼玉県立精神医療センター副病院長の成瀬暢也さんは、成育歴などから生じる患者共通の特徴として以下の6つをあげる。

  • 自己評価が低く自分に自信をもてない
  • 人を信じられない
  • 本音を言えない
  • 見捨てられる不安が強い
  • 孤独でさみしい
  • 自分を大切にできない

そして、薬物の使用を「人に癒されず生きにくさを抱えた人の孤独な自己治療」と見ている。

専門家として行う治療は、再使用しても通報しないことを約束し、薬物を使わないと生きてこられなかったその人の孤独を理解しながら、その人の困りごとを一緒に考えていくスタンスを取る。

患者が安心して本音を言えるようになって、築いた信頼を徐々に広げていくことが回復への道筋だ。

「依存症は病気です。刑務所は反省して再犯しないように懲らしめるところですが、病気の人を懲らしめても良くはならないでしょう。回復に必要なのは、正直な思いを安心して話せる仲間と居場所があることです」

(続く)

【薬物の問題に悩む当事者の自助グループ、回復支援施設】

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