世の中はここ10年ほど、片付けやシンプルライフブームに支配されています。
「断捨離」という言葉はほぼ定着し、片付けることで人生がときめくというこんまりは海外にも進出して人気者になりました。「ミニマリスト」をうたい、モノを持たない生活をしている人こそがカッコいいとする特集もよく組まれます。
そんな中で肩身の狭い思いをしてきたのが、机を片付けることができない私のような人たちです。
しかし、最近、出版業界の猛者たちのデスクの散らかりぶりが話題になり、社員募集の際の売りとしても紹介されていることに俄然、勇気を得ました。
また最近、尋常じゃない量のアウトプットを続けている医師の机の乱雑ぶりにも遭遇し、勝手に励まされたばかりです。
そこで私は考えました。
私たちが幼い頃から学校や家庭で刷り込まれてきた「整理整頓は大切」という教えは正しいのでしょうか? もしかして、机は散らかっていた方が仕事ができるものなのではないでしょうか?
「散らかり派」の机の写真と証言から、検証してみたいと思います。
ヒットを飛ばす出版人は「散らかし派」?
きっかけは、出版業界の机の散らかりぶりが最近、Twitterで注目されていることでした。
朝日出版社の営業マン、橋本亮二さん(37)の机の散らかりぶりは、同社から出版した『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(現在は新潮文庫)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞したライター、武田砂鉄さんのツイートなどでもしばしば前向きに言及されてきました。
今回、「デスク周りもいい感じに茂ってきた」と出版社自ら肯定する表現を使っていることは頼もしいところです。
それに畳み掛けるかのように話題になったツイートが、人文書系出版社、晶文社の求人告知でした。
「色んな意味で、自分の城を築ける職場です」。ここでも、机の上に止まらず、床にも二本の「半島」を築いている状況を「自分の城」と表現し、職場の売りとしています。
実は、この机、晶文社編集部部長の安藤聡(あきら)さんのものです。
会社の「偉い人」であるだけでなく、仲野徹さんの『こわいもの知らずの病理学講義』、鷲田清一さんの『濃霧の中の方向感覚』、内田樹さんの『「おじさん」的思考』などヒット作を連発している敏腕編集者でもあります。
実は、私も以前、この散らかりぶりに惹かれて記念写真を撮ったことがありました。
この戦いに参戦したのが、柏書房の若手編集者、竹田純さん(31)。
『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』というめちゃくちゃ長いタイトルの本がヒット中。『パリのすてきなおじさん』『歴メシ!』など、出す本出す本が話題になる、今もっともノリに乗っている注目編集者です。
いずれの机を見ても、この机周りの自由奔放さが、出版人の創造性を育てていると感じざるを得ません。
美術史家も名画になぞらえ絶賛
この「乱調の美」とでも言うべき机たちに注目したのが、『絵を見る技術 名画の構造を読み解く』(ちなみに朝日出版社)の著書がある、美術史研究家、秋田麻早子さんです。
朝日出版社の橋本さんの机を、ルネサンスの巨匠たちにインスピレーションを与えてきたローマの古代建築になぞらえ、
晶文社、安藤さんの「半島」を「バロックなデスク」と表現し、
柏書房、竹田さんの机を前衛芸術と重ね合わせます。
つまり、鑑識眼のある美術史家さえ、これらの机の状態に、称賛すべき価値を見出しているのです。
秋田さんはTwitterでの批評のみならず、ご自身のブログで「オリジナルVer. H氏のカオスなデスクに惹かれるのは何故だろう?」とする論考を書かれ、散らかり机の魅力を、日本の「侘び」「寂び」や、「破れの美」とまで表現されています。
それはまるで、掃き清められた庭に、はらはらと花びら、または枯れ葉が落ちた様を愛でるような(若干、多めに堆積してますが)、そんな気持ちにさせてくれます。秩序が壊れるさまを、いとをかし、となる感覚です。私はこの感覚が、日本で、詫びとか、寂びとか、破れの美と表現されているものだと思うのです。(オリジナルVer. H氏のカオスなデスクに惹かれるのは何故だろう?より)
この流れは、Togetterの「デスクをめぐる(茂み×混沌)vs. 断捨離」でまとめられているので、ぜひそちらもご覧ください。なぜか、断捨離派も参戦しています。
医療の世界にも散らかり派はいた
この「散らかり派」は、実は医療の世界にもいることが明らかになっています。
神戸大学病院感染症内科教授の岩田健太郎さんの教授室に初めて足を踏み入れた時、そのカオス状態の見事さに思わず記念写真を撮ってしまいました。
岩田さんと言えば、感染症の専門家で、論文のみならず、教科書、一般向け書籍などを次々と出版し、個人のブログ「楽園はこちら側」も頻繁に更新するアウトプットの多い方です。
しかも、定時で家に帰り、家族の夕食作りなど家事育児にも手を抜かないことでよく知られています。
そんなスーパーマンでさえ、机周りはこんな様子なのです。
「周囲からの冷たい視線にめげるべきではない」
さて、気になるのは本人たちがどう思っているかということです。
晶文社の安藤さんは、他社勤務を経て、晶文社に再び戻った5年半前から作り上げてきた机だといい、「折に触れ本や資料の整理はしてきたものの、この3年ほどで収拾がつかなくなりました。各人にあてがわれていたゴミ箱の上に本を積み上げ始めたのが、一線を越えるきっかけだったように思います」と振り返ります。
きっと必要な資料がたくさん積まれているに違いないと思いきや、衝撃的な答えが返ってきました。
「8割方は不要なものだと思われます。残りの2割は重要な本・資料なのですが、地層の奥深くにあると、その存在を忘れてしまう傾向があるので、実質的には意味のないものがほとんどと言っていいかもしれません」
もしや仕事に支障を来しているのではという不安については、こう答えました。
「ただ、必要のものはどのあたりにあるかはわかっているつもりです。編集部の人間は、私が資料を探して床にはいつくばっている姿を何度も見ているはずです」
偉い人なのに......。ただ、周囲の冷たい視線を薄々感じながらもこう力強く答えてくださいました。
「『顰蹙は金を出しても買え』を座右の銘とする者ですので、周囲からの冷たい視線などにはめげるべきではない、と考えます。よしんばあからさまに迷惑な顔する者がいたとしても、内心申し訳ないとは思いつつも動じません。周囲への迷惑を気にしている暇があったら、本業のミッションを貫徹することを優先と考えます」
「『バロック』との称号を受けたことにつきましては、光栄のいたりと思っています。秋田先生とは、ずっと以前におつきあいがあり、ほぼ十年ぶりにこのような形で再会することができ、そこでもご縁を感じています」
しかし、現状を肯定しつつ、こんなことも言っています。
「『半島』は築いているわけではなく、やむにやまれず積み上がっただけのものです。常に整理したいとは思っていますが、その余裕がないだけです。資料も本も積み重なっていない、まっさらな広々とした机で仕事をするのが夢です」
「(今後は)もちろん整理整頓あるのみです。この負の遺産を次世代に背負わせないためにも」
断捨離派に憧れを持ち、隙あらば転向する考えを持っているところは「散らかり派」としては心配なところです。
「自分的には機能的」 でも、雪崩でゲラの順番がぐちゃぐちゃに
若手編集者代表として、竹田純さんはどうなのでしょう。
実は、ツイッターに掲載されている、縦にうず高く書類が積まれている机は隣の同僚の席だそうです。
竹田さんの机はこちらです。
「時々雪崩を起こすので、ゲラの順番がごちゃごちゃになって混乱します。僕の荷物が隣の机に進出してしまうので、同僚から縦に資料を積まれて、防波堤を作られてしまいました(笑)」
実は机がこのような状態になったのは、担当した本が6冊になり、企画中の書籍も6冊ほど抱えるなど、仕事が忙しくなった1年ほど前から。つまり、やはり仕事をたくさんすることで机はこうなったわけです。
「担当書が紹介された雑誌や趣味や資料の本、ゲラの束などを手を伸ばしたらすぐ届くように置いた結果、こんな状態になりました。必要な資料については、『この山の中にある』ということはわかるので、自分的にはとても機能的なんです」
むしろ、カオスなのはパソコンのデスクトップの中で、どこに何の資料があるかはわからない状態になっているとのこと。
そんな竹田さん、雪崩を起こしてゲラがぐちゃぐちゃになっても、「もう一度刷りを出せばいいから大丈夫」と全く気にしません。
「『髪を切れ』と言われても、俺はこれがいいんだというのと一緒で、俺はこれがいいから放っておいてくれという感じでしょうか。これを機に片付けようと全然思わない自分にやや引いています......。まあ、周りの同僚が優しいから成り立っているんですけど(笑)」
「重要な資料は秘書さんに。自分は信用できない」
次に医師代表として岩田さんの考えを聞いてみましょう。
昔から机周りはカオス状態だったという岩田さんの机について周囲の人はどう言っているのでしょう。
「秘書さんにはあきられ、あきれられています。ときどき出張から帰ると足元の本は整頓されていますが、机の上はアンタッチャブルです」
必要な資料が見つからないということはないのでしょうか。
「ときどき困りますが、たいていは大丈夫です。重要な資料は秘書さんが持っています(私は信用できないので)」
自分のことが信用できない気持ちは散らかり派としてよくわかります。そして、机が乱雑であることについて言い訳は何もないと言い切り、「生産性は高いです」と胸を張ります。
科学的な思考や議論に厳しい岩田さん。「机が汚い人は仕事ができる仮説」は、肯定できるものなのでしょうか?
「仕事ができた『結果』として机が汚くなる人はいると思います。ぼくもそうであろうと予想(妄想)しています。ですから、因果関係としては、逆でしょうね」
つまり、仕事をバリバリこなしていると、仕事机をきれいにしている暇はない、その結果、机が乱雑になる、という新たな仮説を提示されているようです。
そもそもの発端、橋本さんはどうか?
そもそもの発端となった朝日出版社の橋本さんはどうなのでしょう。
橋本さんは、様々な書店のロゴが入ったトートバッグを30種類以上用意されていて、書店に営業に回る時に、それぞれの書店のバッグで出かけられるほどの気遣いの方です。
そんな人が仕事ができないはずはありません。
ところが、電話をしたら、隣の席だという営業の女性が出られて、「掃除ができないので、あまり良くは思っていないですけどね......」と愚痴を語られてしまいました。
さて、営業活動に出ており、なかなか電話が繋がらなかった橋本さん。ようやく捕まえたところ、こう語ってくださいました。
「注文書や本や資料がほとんどです。ボーボーに茂っているように見えるかもしれませんが、1月に"剪定”して刈り込んだばかりですので、これは普通の状態です。だいたいどこの山に何があるかはわかる。これが私にとっての普通なので、仕事には全く差し障りはありません」
しかし、大事な書類はなくさないものの、大事な領収書がなくなって経費精算できなくなることはしばしばあるらしいのです。
「まぁ、お金なんてどうでもいいので困ってません」
清々しい.......。
書店の注文への返信などは手書きの手紙を書くことをモットーとしている橋本さん。手紙を書く時だけは「ものがたくさんある机だと字が曲がりますので」別の空いている机を使うのだそう。
そして、こう力強く語ってくださいました。
「本の積ん読ではないですけれども、視界に映るところに様々なものがあるとアイディアがつながったりするので仕事に役立っていると思います。積極的に散らかしているわけではないですが、これからも自然に茂っていくのでしょう」
ちなみに秋田さんに古代建築にたとえられたことについては、「光栄極まりないです。自分の机が良いもののように見えてきました(笑)」と喜んでいらっしゃいました。
武田砂鉄さん「”地層”から色々なアイディアが生まれ続ける」
朝日出版社の橋本さんに『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』を売り込んでもらい、晶文社で安藤さんに『日本の気配』を編集してもらったライターで書籍編集者として出版社勤務の経験もある武田砂鉄さんが、机散らかりの効能についてコメントを寄せてくださいました。
なお、武田さんにも机の写真提供を依頼しましたが、まだ散らかり具合が不十分だからか、断固拒否されました......。
安藤さんも橋本さんも、自分の著作の編集や営業活動してくださっている大切な仕事仲間なのですが、この混沌とした机を見ると、「そうこなくっちゃ!」と嬉しくなります。
ただただ乱雑に積み上げているようでいて、そこには本人なりの意味や思い入れが詰まっているはず。断捨離がブームですが、整理整頓すると、頭の中まで整理整頓されてしまう、と思っています。この地層のような状態からは色々なアイディアが生まれ続けるはずで、これからもますます、この机を大変な状態にしてほしいです。
とりわけ、本って、いつ必要になるか、いつときめくかわからないものだと思うので、山積みにするのって、本に対して誠実です。自分の机も当然こんな感じです。
結局、この記事も、とっ散らかって全く検証になっていませんが、「仕事のできる人の中には机が散らかっている人もいる」は事実のようです。
そして、整理整頓が正義とされる世の流れに逆らう姿からは、既存の価値観を疑う健全な反骨精神があると感じました。それが新しいものを創造するパワーとなっているのだと確信します。
散らかし派の一人として、今日も胸を張って生きていこうと思います。