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子宮頸がんで苦しむ人がいなくなるように 妻の思いを受け継ぎ始める活動

9月25日に妻を子宮頸がんで失い、二人の幼い娘と遺された夫。でも妻は自分たちが悲しみ続けるのを望んでいない。患者や家族のために動き始めた。

今年9月25日、最愛の妻で、双子の娘たち(6)の母でもあったルミ子さん(享年47)を子宮頸がんで亡くした渕上直樹さん(35)。

身の置きどころもなく、悲しい。悔しい。

でも、その気持ちの中に閉じこもり続けたくないという思いも死の直後から強く湧き上がっていた。

そして、医師たちや患者団体の人たちの助けを借りながら、11月から子宮頸がんの患者や家族がつながり、予防啓発を行うネットワークを作り始めた。

「妻は患者仲間とつながりたがっていたし、家族のグリーフケアも必要です。そしてせっかくHPVワクチンという防ぐ手段があるのに、日本ではほとんどうたれていない。妻の思いを受け継いで活動することが自分自身のケアになっている気がします」

「がん友を作りたい」 孤立していた治療の期間

2年前、いきなり手術不可能ながんと診断され、誰も頼る人がいなくて孤立したような気持ちになったのがつらかったと渕上さんは振り返る。

今年に入ってからは新型コロナウイルスが流行したこともあり、対面での患者会はほとんど開かれなくなっていた。

「妻はいつも『がん友を作りたい』といっていました。治療法を探すにも、医療機関の情報は抽象的で専門的。ネットで検索しても、具体的な体験談はほとんど匿名で発信されていて、突っ込んだ話がしづらいのです」

ルミ子さんは、ほとんどの治療を国立がん研究センター東病院や中央病院で受けていたため、相部屋になった人に声をかけてLINEでつながり、患者のネットワークを作っていた。

「それでもこうした大病院だと進行した患者が多いので、そのうち体調が悪くなって亡くなったり、連絡が途切れたりするんです。余計に不安になることもあって、妻も自分が体調が悪くなると連絡しづらくなっていきました」

子宮頸がんの発症は30代後半がピークで、子育て世代であることから「マザーキラー」と言われる。

ルミ子さんの発症は、独立して自宅に作ったネイルサロンも常連や出張サービスの注文が増え、子どもたちも小学校に入学して全てが順調に回り始めた時だった。

「育児も仕事もこれからという時にいきなりがんを告げられ、無念のままこの世を去るなんて残酷な病気です。妻の学生の頃はHPVワクチンはなかったので仕方ないのですが、検診を毎回受けていても早期発見できなかった。もしワクチンがあったらと考えざるを得ません」

毎年毎年、数十年後に自分たちと同じ思いをする人が増えている

また、子宮頸がんの治療について調べていると、日本でHPVワクチンが特殊な状況に置かれていることも知った。

HPVワクチンは子宮頸がんの原因となるウイルスに感染するのを防ぐ。

日本では小学校6年生から高校1年生の女子は公費で受けられる定期接種となっているが、メディアがセンセーショナルに接種後に訴えられた症状を伝え、国が積極的な勧奨を7年以上差し控えているため、ほとんど受ける人がいなくなっている。

「ということは毎年、毎年、数十年後の発症につながる人が増えているということです。数十年後に僕たちのような思いをする人が毎年増えている。こんなに辛い経験をした者として、そんなことを見過ごしてはいられないと思ったのです」

ちょうどその頃、子宮頸がんやHPVワクチンの啓発を始め、活動資金をクラウドファンディングで集めていた医師たちの団体「みんパピ!」の存在も知った。HPVワクチンについて調べると、世界と日本の大きな差も見えて愕然とした。

「公費による接種が普及しているオーストラリアでは、子宮頸がんの撲滅も視野に入っている。男の子の公費接種も他の先進国では広がっています。それなのに、日本では公費でうてるのにうたない女子がほとんどで予防できない状態になっています」

「僕は今、子宮頸がんで妻を失ってすごく悲しい思いをしています。副反応のセンセーショナルな動画を見て、うつのが怖いと思う人が多いのでしょう」

「でも、僕らが直面しているような、子宮頸がんで大切な人が死んでしまうことはどれほど残酷な現実か知ってほしい。この悲しみを知っているからこそ、同じ体験を他の人にさせてはいけないと思うのです」

娘二人は小学校1年生。5年後にはHPVワクチンの定期接種の対象となる。

「もちろん娘たちには絶対にうたせたいですし、その頃には(今使われている2価、4価ワクチンより効果の高い)9価ワクチンをうたせたい。その頃には男の子もうてるようになっているでしょう。男女とも当たり前にうって防げるがんは防ぐようにしたいのです」

みんパピ!や風しん排除を目指してワクチン啓発活動を続けている患者団体「風疹をなくそうの会『 hand in hand』」にも協力してもらい、医療監修やネットワークの作り方を学びながら活動することにした。

「子宮頸がんになってしまってからではできることは限られます。そして、抗がん剤など治療の副作用は、ワクチンの副反応よりはるかに強いものです。治療の同意書に何度もサインしましたが、書かれていることを読むと怖かったですよ」

「そして、愛する人が息を引き取った時の心の痛みはどんな言葉でも表せません。そんな思いをしないためにも、正確にリスクについて知り、自分や大切な人の命を守る選択をしてほしいです」

「ママは天国にいる。お話できるよ」

そして、やはり直樹さんが一番心配なのは子どものこの先のことだ。

亡くなった直後は、「死んじゃったの? もう会えないの?」と直樹さんに質問を繰り返していた。最近は「淋しい」「声が聞こえない」とつぶやくこともある。

「『いつも一緒にいるよ。二人のことを見ているんじゃない?』と話すのですが、どうしても時折淋しくなるようです。毎日一緒に布団を並べて寝ていますが、僕自身も淋しくて淋しくてどうにもいられないことがある。娘たちがどうなるのか心配ですし、同じ思いをしている他の子どもたちのことも心配です」

二人の娘さんにも尋ねてみる。

ママってどんな人だった?

「ポニーテールとかおだんごとかしていたよ。可愛かったよ。優しかったよ。夜、怖い時は『ママーっ』って布団に行ったら、一緒に寝てくれたんだよ」

「ママは結構〇〇ちゃんと〇〇ちゃん(二人の名前)のことをちゃんと考えていてくれてたよ」

どうしてそう思ったの?

「ママはがんになっちゃったんだけど、『諦めない。頑張るよ』って言ってくれたの。それでね、すごく頑張ったんだけど、でもやっぱり死んじゃったんだ。二人とも泣いちゃったよ。おばあちゃんも泣いた。だけどじいじは全然泣かないの。こーんな顔してるの(険しい顔をして見せる)」

ママは今、どこにいるの?

「天国にいるよ」

ママとお話できるかな?

「できるよー。月が出た時はね。天国にいるから月にもいるんじゃないかなと思うんだ。ペッタンペッタン(餅つきを)できるかもね。ママはお空にいるから、雲にも乗っているんじゃないかな」

そうか、すごいね。ママはいつもお空から見てるね。

「うん。見てるよ」

直樹さんは言う。

「1日の中で数回ぐらい、ママを思い出して悲しくなるようなんです。『ママはどこかにいるんじゃない。ずっとそばにいるよ』と話すと落ち着きます。今はいとこや友達がいつもそばにいるのですが、子どものグリーフケアも真剣に考えないといけませんね」

妻がいなくても幸せを追求する そんな活動をしたい

まだ四十九日の法要を終えていないが、墓ができあがったので寺に行った。本当に妻はいなくなったのだという感覚がじわりと迫ってきた。

でも、妻は、自分たちが悲しみにくれ続けることをきっと望んでいない。

「オンライン、オフライン両方で患者や家族がつながれるコミュニティを作りたいし、子どもたちも同じ立場の子どもたちと出会って話してほしい。まずはFacebookでグループを作ってつながりを作り始めます」

「僕たちは悲しむだけでなく、3人家族や親族、コミュニティの中で幸せを追求できたというモデルになりたい。医療もSNSもメディアも進化し続けると思うのでうまく活用して活動します」

人に何かしてあげることが好きだった妻は、同じ立場に置かれた誰かのために自分がこうすることをきっと喜んでくれる。そう信じて新たな道を歩き始める。