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まもなく開かれる相模原事件初公判 「内なる優生思想」に私たちはどう抗うか

障害者入所施設「津久井やまゆり園」で元職員の植松聖被告が入所者19人を刺殺し、26人に重軽傷を負わせた相模原事件の初公判が間もなく開かれる。「起こるべくして起こった」とこの事件を考え、「内なる優生思想」をテーマに対談集も出版した作家の雨宮処凛さんに、植松被告を生み出した日本社会についてお話を伺った。

相模原市の知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員の植松聖被告が2016年7月26日未明、入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせた「相模原事件」。

1月8日に植松被告の初公判が開かれる。

あの日から3年半が経とうとしているが、私たちの社会で、なぜこのような大量殺人事件が起きてしまったのか、謎の解明は法廷で進むのでしょうか?

事件を他人事として捉えずに、「内なる優生思想」を見つめる対談集『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)を2019年9月に出版した作家の雨宮処凛さんに、改めてこの事件から私たちが考えなければならないことは何か、お話を伺った。

3回連載でお届けする。

「ついにとどめの一撃が来た」

ーー2016年にこの事件が起きた時、どのように知りましたか?

朝、起きてテレビをつけたら、ニュース速報で「19人死亡」のようなテロップを見ました。しかも障害者施設でということだったので、ゾッとしましたね。施設職員がやったということにも、被害者の情報がその後、全く出てこないのにも驚きました。

でも、どこかで「ついに、こういう事件が起きてしまったか」と感じていました。「生活保護バッシング」など、「自分より恵まれている人は許せない」という空気が蔓延していた中で、とどめの一撃が来たという感じがしました。

ーー背景に「優生思想」があると、ピンときましたか?

最初は「優生思想」というよりは、自暴自棄系の「死刑になりたい」人が起こした無差別殺人なのかと思っていました。ある意味一番殺しやすい、寝ている最中の、入院中の病人や障害者を狙った犯罪。「殺せるなら誰でも良かった」という犯行かと思ったんですね。

ーーその後、様々な情報が入って、印象が変わっていったのですね。

テレビをつけっぱなしにしていたら、どんどん情報が入ってきましたが、植松被告が衆議院議長に出したという犯行声明のような手紙の文章が、伏字もなくエンドレスに流されたのはショックでした。

障害者を殺害することを正当化する内容をそのまま流すこと自体がすごい暴力で、大問題じゃないかと感じました。

「障害者は不幸を作ることしかできません」などと、公共の電波で流してはいけない内容だし、あれをそのまま流す無神経さにびっくりしました。

植松被告を肯定する空気が大手を振るってきた

ーー「自分とは別世界のモンスターがやった」と捉える人が多い中、雨宮さんは他人事ではないとして、「内なる優生思想を見つめる」ことをテーマに対談集を出しています(岩永も参加)。なぜそのように捉えようと思ったんですか?

「やっぱり植松被告の考え方を否定できないよね」という世論が、堂々と幅をきかせてきたことに危機感を感じたのです。

「少子高齢化で財政が苦しくなる」とか、「こんなに社会保障費がかかっている」ということを理由に挙げ、今の日本は少ないパイを奪い合う状況なのだから費用対効果を考えてより投資の効果が出るところに投資すべきだという価値観の方が大手を振るうようになってきました。

同時に、「どんな命でも大切で平等」という思想がバカにされ始めていることも感じていました。反貧困運動を14年続けてきましたが、事件当時、「人の命を財源で語るな」というスローガンが、社会の中で全然通用しなくなってきたのを感じていました。

前はそれなりの共感を得ている実感があったのですが、事件の前ぐらいから、そういう言葉を発すると「偽善者」「現実を見ていない」「お前は財政のことを何もわかっていない」と罵倒されるようになったのです。

ーーそんな言葉の通じにくさはいつ頃から始まったのでしょう?

安倍政権が始まって、2013年から生活保護が削減され始め、当時は「人の命を財源で語るな」と声をあげていたのですが、その翌年ぐらいからでしょうか。その後、生活保護を受けている女子高生に対する「貧困バッシング」もありましたね。

ーー2016年8月に放映されたNHKのニュース番組で「子どもの貧困」特集に出た女子高生が、色々なグッズを持っていると叩かれた件ですね。

あの頃から、貧困当事者に対しても、「お前の貧困は大したことがない。清く正しく美しい貧困者であることを証明しろ」と叩く抑圧がすごく強くなりました。「お前なんかより大変な人はたくさんいる」という態度です。

事件から3年、状況はより苛烈に

ーーどういう人が言っているのでしょうね。

ネットの罵声なのでわからないのですけれども、「苦しい」と言った人に、「お前の苦しさなんて大したことない」と被せて黙らせるのが事件から3年でより苛烈になったと感じます。

ーー「日本全体が地番沈下した」という言い方をされていますね。不遇感や剥奪感を抱えた人が増えたのでしょうか?

そうですね。2008年の大晦日から2009年の正月にかけて行われた「年越し派遣村」は盛り上がって同情も寄付も集まり、こんな世の中は嫌だという空気が生まれました。

でも、その後の10年で非正規雇用は増え、賃金は下がるし、格差、貧困をめぐる状況が可視化されたところで何も変わらないということをみんなが学習した10年間でもありました。「ここで負けたら死ぬ」という競争をずっとさせられている中で、じわじわした疲弊感が積もっています。

10年前、逆に、「こぼれ落ちないようにさらに強くしがみつかなくては」と思った人もいますから、「自己責任」を強調する反動も大きく、「自分もいつああなってもおかしくない」というトラウマが日本社会の中に広がりもしました。

誰も助けてくれないんだということをみんなが確認しあった10年間で、その間にも、電通などの過労死が社会問題化したり、仕事を原因とした精神疾患の労災認定数が過去最高ということが続たりしても、結局、職場の厳しさというのは全然変わらなかった。

余裕ができたとか賃金が上がったとか、働きやすくなったとかハラスメントがなくなったということをほとんど聞いたことがありません。

その中で、さらに弱みを見せず、勝ち抜かなくてはと思っていると、いつの間にか、きれいごとを言う人をコテンパンにやっつけたいという思いが募る。あるいは「苦しい」と自分も言いたいのに、先に苦しいと言われたら、その人を憎む。

「自分だって我慢しているのに、なんと堪え性のないわがままなやつだ」という苛立ちを感じます。

ネットで増幅? 短絡的な思考と脊髄反射的な反応

ーーそういう声が可視化されてきたのは、ネットの普及も影響していそうでしょうか?

あると思いますね。

ーースマホは貧困状態でも持っていますし、TwitterなどSNSの普及で自分の声を匿名で社会に投げつけやすくなりましたね。

声を上げやすくなったし、脊髄反射的な反応が増えました。

SNSだと、何かに対して3日間じっくり考えてコメントすることは通用しないです。何かが起きたら、瞬発的に脊髄反射のように反応する。だけど、「こいつら許せない」のような、脊髄反射的な反応は暴走につながる危険性があります。

問題の背景も見ずに、ものすごく短絡的に、ものすごくショートカットに思考が飛ぶ。そういう振る舞いがSNS時代では当たり前になってきたので、「高校生が貧困だ」というテレビを見たら、「アニメグッズを持っているじゃないか」と反射的にバッシングする。

それは、ほとんど脳を通さないぐらいの、一番未熟で幼稚な反応ですよね。大人なのにそういう反応をして、それがバズって注目されると、そういう人こそが世の中の空気を読めて、有能と評価されてしまう。

それによって、いろんなバッシングや批判がより過激になり、より市民権を得てしまいます。

熟考させてくれない、じっくり考えさせてくれない空気は、こうした匿名の攻撃の激化にすごく関係あると思います。

ーー植松被告の思考も、自分自身の頭でじっくり考えているというよりは、話がポンと飛んで短絡的な結論に至ると指摘されています。ネット的な思考様式に影響されているのでしょうか。

そういう部分もあると思います。

今は、「死ね」「殺せ」という言葉をネット上で普通に投げかけ合っているし、ネット上では「消えろ」とか「いなくなれ」と、面識のない人に言うのも普通です。

財政問題や生産性や費用対効果などを根拠に、金と天秤にかけることで人の価値を無にした者こそ勝ちのような言説もネット上にはびこっています。その方がかっこいい、言い切った方が素晴らしいという空気さえある。

その空気は、植松被告の思考や言動に関係あると思います。あの人がどういうものを見てきたのかは、具体的にはわからないのですけれども。

現実のつながりは歯止めにならないか?

ーーそうした暴走する思考を押し留めるのは、現実世界でのつながりや、話を聞いてくれる人の存在や、人間関係の中で育まれる想像力みたいなものだと思うんですが、そちらも貧しくなっているのでしょうか?

でも、植松被告のエピソードを読むと、彼が障害者を殺せばいいと口にした時に、殴ったりして、怒ってくれた友達がいるそうですね。

20代で、そんな熱い友達がいたのか、いい友達いるじゃんと思いました。でも、友達が逆になんの歯止めにもならなかったのも事実なんですよね。

植松被告にとって、友達の怒りは、もしかしたら意味不明に思えたかもしれないし、何もわかってないと思ったかもしれない。

殴ってきた友達がどこまで障害者の置かれた状況を知っていたかもわかりませんが、植松被告の中では、障害者の世話をしたことがない友達が、きれいごとで怒って、自分を殴って、愚かな奴だというストーリーになっていたかもしれない。

私はいとこが障害者でしたから、障害がある人がどういう風に生活していたかは知っていたんです。でも、全く知らなかったとしたら、障害者の存在をどう感じていただろうと、あの事件の後、思いました。

小学校で障害者は特別支援学級に分かれていましたし、交流が一切ない。そこの児童は普通学級の子どもたちに指をさされて、笑われていた記憶があります。

植松被告が障害者のそういう姿を幼い頃に見て、「意味不明な言葉を言う怖い存在」というイメージがあったとします。その意識のまま、20代になって、そういう人たちを直接ケアする職場に行ったら、衝撃を受けるというのは理解できます。

分けられて育つことの弊害があり、ある意味、急に近づいたことでストレートにびっくりし他のかもしれない。びっくりしたなら、色々考えたり、障害者の運動の歴史を調べたりという道もあったと思うのですけれども、それでショックを受けて殺したとすれば、答えがことごとく極端で間違っています。

障害がある人と幼い頃から交わる意味

ーー雨宮さんは、障害者のいとことどれぐらいの頻度で接していたのですか? 障害がある人も精一杯生きていて、親も大事に思って育てているという意識は、どのように自分の中に育まれたのでしょうか?

いとこ以上しまい未満といった距離感だったので、夏休みや冬休みはもちろん、時期によっては月1ぐらいの頻度で泊まりに行ったり来たりしていました。

けれども、小学校3年生ぐらいの時、いとこがうちに遊びに来ていたところに、友達も遊びに来て、私は何のこだわりもなく、友達に「いとこだよ」と紹介して遊んでいたんです。

その友達が後でいとこのことを、「かわいそうな子なんだね」と言った時に、初めて、「ああそうなんだ」という気持ちが芽生えました。「かわいそうな子」という視点がそれまで全くなかった。

「障害者」という感覚もなくて、いとこは固有の〇〇ちゃんという存在でしかなかった。いとこにはお姉さんが二人いて、お姉さんにすごく懐いていた私は、いとこと立場を変わりたいほど羨ましかったぐらいです。

ーー友達の言葉で、「社会の目線」を初めて意識したのですね。

初めてその視点が入って、それから思春期ぐらいまでは「恥ずかしい」と思うようになってしまったところがあります。あまり自分の友達に会わせてはいけないんだと、そこで「学習」してしまった。

施設で暮らす人が不幸に見えてしまう問題

ーーもしかしたら植松被告も、障害がある人と分けられて育ってきた中でそういう視線をずっと持ち続けてきて、急に濃厚に関わった時に、そんな感情が芽生えたのかもしれないですね。想像でしかないですが。

ただ、私は「施設の中の現実を知らないからだ」と批判もされます。確かに私は施設で働いたこともないし、施設というものが、いかに人間を人間らしくなくさせるところであるかという指摘がありますね。

障害者介助の仕事をしてきた杉田俊介さんも話していましたが、施設で暮らしている人が、どうしても「不幸」に見えてしまう問題があると思います。

在宅で暮らしている人と比べると、施設で流れ作業的にケアされるのは全然違うと思いますから、そういう問題もありますよね。

もしかしたら、植松被告はある意味、すごく「純粋」だったのかとすら思えてしまいます。植松被告は施設で、「こんなに人が大切にされていなくていいのか」と強烈に感じたのかもしれない。実際、入所者に提供されるご飯に味がしなかったことなどに、すごくショックを受けたりもしています。

日本の学校や企業は「優生思想」を叩き込む場所

ーー雨宮さんは木村英子さんや舩後靖彦さんを国会に送ったれいわ新選組を応援していらっしゃいますね。木村さんは幼い頃から健常者も障害者も一緒に学ぶ「インクルーシブ(包摂)教育」や、地域での自立生活を強く主張しています。事件の背景として、そういう動きがまだ日本に足りないと感じられますか?

足りないうえに、教育の現場もあらゆる企業社会も、ある意味、「優生思想」を刷り込む場所になっています。

より生産性があって、利益を生み出す人がえらい、効率よく合理的になんでも早くやるもん勝ちだということが幼いころから叩き込まれています。普通に学校に通っていたら、待たせる人や、迷惑をかける人や、空気を乱す人は悪、という価値観になってしまう。

でも障害者は、待たせて迷惑をかけるかもしれない存在です。もちろん障害者に限らず、ですが。しかし、日本の教育では、それをよしとする寛容さが入る余地が全くない。

日本で普通に義務教育を受けて育った40代の自分自身も、障害者を肯定する教育を一つも受けていません。それは自分で学んでいくしかなかったのです。

たまたま私は障害のあるいとこがいたことによって、社会が障害者にあまりにも冷たいことを突きつけられ、日本の社会的弱者のような問題にようやく目が開きました。

でもそんな経験、ほとんどの人はしません。気付くチャンスもない。

30代の頃、知的障害者の物真似をする年下の友達がいたんです。遊んだり、飲んだりしている時にそれを本気で怒るのもどうかと思ったし、やんわりたしなめるのも「あなた学校の先生なの?」とからかわれるに決まっている。もやもやするだけでした。

振り返るとそれは、本人を責めるべき話というより、どこでも習っていない問題が大きかったのではないかと思います。

障害者運動から私たちが学ぶことは多い

それから、私が障害者に興味を持ったのは、「青い芝の会(※)」などの障害者運動の激しさなんです。めちゃくちゃかっこいいなと思ったんですよね。

※脳性まひ患者による差別解消を目的とした当事者団体。車いすでバスに乗ることを拒否した川崎市やバス会社に抗議するため、障害者がバスに乗り込んで座り込みを続けた「川崎バス闘争」や、母親が介護を苦にして重度心身障害児を殺した事件で減刑を求めた世論に対し、障害者の立場から厳正な裁判を求めた。

彼らの運動は、今の非正規雇用者の運動で全部真似できます。貧困当事者に使えるノウハウが全部あるじゃないかと思ったのです。

反貧困運動を始めた頃に障害者運動を知ったのですが、自己肯定の仕方や、社会に対する怒りの示し方を見て、こんなに面白い、力強い運動があったんだとすごくびっくりしました。

ただ、結果としてそれはフリーターや非正規の運動にはあまり応用できなかった気がします。

なぜなら、フリーターは自分がずっとフリーターだなんて思っていない。目標は運動をしてフリーターの権利を勝ち取ることではなく、フリーターを脱すること。だから運動するより、自分だけ勝ち抜けばいい。

一方で障害者は、中途障害者もいますが、ほぼ一生、障害のある自分と付き合っていくしかない。運命の引き受け方と覚悟が全然違う。

障害者運動は私にとって、魂の運動という感じがします。そういう見方をすれば、殺すどころじゃなく、学ぶものが多いのです。

ーーでも、今、苦しい思いをしているワーキングプアの人たちは、障害がある人が社会で冷たい扱いを受けている問題を、自分の問題と地続きだとは思っていないのでしょうか。

全然関係ない存在で、かわいそうな社会的弱者であると考えていると思います。5年ぐらい前までは、「あの人たちはあの人たちで大変なんだから保護や支援をすべきだ」という考えが常識だったと思いますが。

ーー今はそれさえもなくなったのですか?

最近は「あいつらは甘えている」とか、「公の支援を受けられるからずるい」というようなことを聞くことが多くなりました。「障害者特権」に甘えている、というような発想です。

もう「生活保護バッシング」を超えてここまで来たかと。すごい末期の状態だなと思いますが、こういうふうに空気が変わってきた中で、あの事件が起きた。

(続く)

【雨宮処凛(あまみや・かりん)】作家・活動家

1975年、北海道生まれ。フリーターなどを経て、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国 雨宮処凛自伝』(太田出版、ちくま文庫)でデビュー。2006年から貧困・格差の問題に取り組み、『生きさせろ! 難民化する若者たち』(同)でJCJ賞受賞。

著書に『非正規・単身・アラフォー女性』(光文社新書)、『1995年 未了の問題圏』(大月書店)など。最新対談集『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)には、記者の岩永直子も参加している。