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「我々は戦場にいる」オバマ政権の理想と合致しない、ISとの地上戦の現実

米大統領は撤退を約束したが、イラクでは危険な場所に赴く米兵士が増えている。

米軍のヘリコプター「ブラックホーク」が、夜明け前の空を飛び、IS(イスラム国)の支配地域に侵攻した。Joshua Wheelerは、アメリカの特殊作戦の経験が豊富な曹長で、部下を敵陣の奥深くに連れていくところだった。ヘリコプターがイラク北部ハウィジャのISの拠点を襲撃した時、ワシントンではオバマ大統領が、この作戦について知らされ、運命の言葉を待っていた。

Wheelerとそのチームは、アメリカの特殊部隊がISに対して展開している秘密の戦いの最前線にいた。Wheelerが乗るヘリコプターの中にいたのは、同僚の精鋭部隊「デルタフォース」のメンバーと、彼らが訓練してきた何人かの現地の奇襲隊員だった。砂漠用の迷彩服を着て、ハイテクな自動小銃と暗視装備を身につけた米軍の兵士と現地の軍人は、ほとんど同じように見えた。

10月22日に行われた彼らのミッションは、これまでの作戦よりも危険だった。このミッションで、隊員たちは、ISの監獄に潜入し、多数の人々を救出するよう求められていた。諜報機関の報告によれば、彼らは、その日処刑される予定だった。

高度を下げるヘリコプターに向かい、ISの戦闘員が発砲し始めた。Wheelerは貨物室から撃ち返し、そばにいた現地の軍人の1人を呼び戻した。この軍人は、テロ対策ユニット(CTU)とよばれる、クルド人の特殊部隊の大尉だった。CTUは、イラクのクルド人半自治区の安全保障協議会により運営されている。

このクルド人部隊の大尉は、その後、Wheelerが自分が先導する、と言ったと語った。そして、Wheelerが最初に地面に降り立ったと話した。

発砲音と「アッラーフ・アクバル」という声が響きわたった。ISの戦闘員が、特殊部隊を追い払おうと、持っていたあらゆるものを発砲したのだ。大尉は、彼とWheelerが一緒に戦いながら前進したと語った。

3時間後、このミッションが終わった時、約20人のISの戦闘員が殺され、69人の捕虜が救出された。そして、Wheelerは死んだ。ISの銃弾により倒れたのだ。Wheelerは、ISとの戦いで命を失った、最初のアメリカ軍人となった。

Wheelerの死が公になった時、アメリカ政府は、このミッションでアメリカの特殊部隊隊員が戦ったことを、例外だと称した。米国国防総省の報道官は、これを「まれな状況」とよんだ。カーター米国防長官は、Wheelerの戦闘は「計画になかった」と語った。これらのコメントを受け、新たな戦闘が始まった時、国民に向けたスピーチの中で、オバマはWheelerの死に触れた。「私が今回大統領選に立候補したのは、ひとつには、イラクでの戦争を終わらせ、私たちの軍隊を母国にあたたかく迎え入れたいと思ったからです。そしてこれこそ、私たちがやってきたことです」と、2014年8月、ISに対するアメリカの空爆が始まった時、オバマ大統領は語った。「私たちは、こうしたテロリストに戦いを仕掛けるイラク人をサポートをします。しかし、アメリカの戦闘部隊がイラクでの戦いを再開することはありません。イラクの危機は、アメリカの軍事力だけでは解決できないからです」

だが、Wheelerと一緒に働いたクルド人の軍人たちは少し違っている。Wheelerは最初から作戦の最前線にいるつもりだったというのだ。Wheelerのようなアメリカの精鋭部隊隊員は、現場で、ISに対する攻撃の先頭に立つことが多いとのだとも語る。

ハウィジャのような危険なミッションでは、アメリカの特殊部隊隊員は、単純な指令を出すことが多いと、CTUの中尉は語る。その指令とは「俺たちを先に行かせろ」だ。

この中尉は「こう言った作戦では、(米軍は)自分たちの命を、私たちの命よりも先に差し出します」と語る。「彼らが先頭に立つのです」

クルド人地区の首都アルビールでの3人のCTUメンバー (大尉、中尉、ユニットの司令官)への取材は、ハウィジャのミッションに直接関係する最初の情報源で、この作戦のことを、詳しく論じている。インタビュー取材に応じてくれたメンバーは、その仕事の性質により匿名を希望した。名前が知られれば、ISが暗殺を試みるだろうと思ったからだ。7月に、2週間にわたって行われた取材は、こうしたアメリカの精鋭特殊部隊がISに対し、どのように戦いを仕掛けているのかについても新たな知見を提供してくれた。つまり、特殊部隊は前線にいることが多く、後方にいることもある。戦闘員に対する50以上の作戦において、アメリカとCTUの合同チームは現場で共に働いてきたと、3人は語る。チームは、殺すか捕虜にするかのミッションを遂行し、偵察活動をし、空爆を呼び、狙撃攻撃を実行し、迫撃砲や大砲でISの軍事拠点を激しく攻撃してきた。

こうしたアメリカのエリート部隊は、ISに対する、イラクでのアメリカの戦いのあり方の縮図だ。アメリカの軍人は、現場での自分たちの役割をこっそりと強化してきたのだ。現場では、多くのアメリカ軍人が、より危険な場所で働いている状況がある。米防総省によると、現在、イラクには約3830人のアメリカ軍人がいる。これは昨年に比べ、17パーセントの増加だ。この数字には、民間人や請負業者、臨時雇いの兵士は含まれていない。そして、この紛争を追跡するアナリストは、総数を5千人から6千人と見積もることが多い。さまざまな種類の特殊部隊に加え、従来型のアメリカの軍隊が、イラク中に派遣されている。私は、現地の軍人やアメリカの将校と話をし、またもちろん、イラク北部の前線や軍事基地を訪問した。そこには、アメリカの空爆を監督するアルビールの司令室や、ISの中心都市モスルの南方約50マイル (約80キロ)の場所で拡大しつつあるアメリカ軍基地、キャンプ・スウィフトが含まれている。こうした取材から、ワシントンのホワイトハウス当局がよく表現するよりもずっと深く、アメリカの軍人がこの戦いに関わっていることが明らかになった。こうした部隊は、現地の軍隊を武装させ訓練することと、戦略を調整することに加え、定期的に前線に出て、偵察をしたり、迫撃砲や大砲を発射したり、アメリカの戦闘機が上空を勢いよく飛ぶ中、空爆を呼んだりしている。

その過程で、アメリカの軍人は自らの命を危険にさらしている。国防総省が公開しているデータによれば、16人のアメリカ軍人が、対イスラム国の戦いで負傷している。また、10月後半のWheelerの死以降、さらに2人が死亡している。3月19日には、27歳の海軍二等軍曹Louis Cardinが、キャンプ・スウィフト近くの自分の基地で、ISのロケット攻撃により死んだ。Cardinの大隊はそこでイラク軍の砲撃をサポートしていた。そして5月3日には、海軍特殊部隊のCharles H. Keating IVが、Tel Asqafという町で、クルド人の軍勢と共に戦っていた際に死んだ。ISの戦闘員が近くの前線を破った後のことだった。

オバマ大統領は、アメリカに古い戦争をやめさせると約束して大統領になったのであって、新たな戦争を始める約束したのではない。イラクでアメリカ人の命が失われないようにするとも約束した。これまでホワイトハウスは、ISに対する戦闘やその付近でのアメリカ軍人の果たしている役割を控えめに表現することが多かった。アメリカの関与について語る時は、強襲するISのライフルや迫撃砲、自動車爆弾による自爆の範囲外で動く、ドローンや戦闘機に重点を置いた。だが、この戦いでは、これまでの戦いとは対照的に、戦闘活動の多くが現地の軍隊に任されてはいるものの、アメリカの軍人にも別の直接的な犠牲とリスクがあるのだ。

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ワシントンの政治から遠く離れたイラクの米軍の関係者たちは、自分たちが直面している危険に十分気づいている。イラクのアメリカ地上部隊の指揮官Gary Volesky将軍は、この国に従軍するのは5回目だ。Voleskyは、イラク戦争中に最初の4回の従軍を終えた。最初は兵士を率いてサダム・フセインと戦い、その後はISの前身である、イラクのアルカイダと戦った。「ここでの戦いは、これまでのここでの戦いとは少し違います。しかし、間違えずに、理解はしておきましょう。私たちは戦闘環境にいます」と、Voleskyは語った。「軍人は危険にさらされていないという話を聞いたとしても、私たちは現実はそうではないとわかっているのです」

Voleskyは、アメリカの軍人が最近直面した脅威をいくつか的確に述べた。例えば、20発のISのロケット爆弾が国際空港に命中した。バグダッドのVoleskyの基地から車ですぐの場所だ。そして「現在いるところからたった約3キロの場所」で、自動車爆弾による自爆があった。日常的な戦闘の後方にあるアメリカ軍基地でさえも、大砲の砲弾が飛んできて、大きな音をたてて落ちることがある。ISは支配領域を失うにつれ、非従来型の戦いという自らのルーツに、ますます大きく頼るようにもなったことに、Voleskyは気づいている。土地を所有することよりも、反政府活動に重きを置き、その結果、自動車爆弾や、前線の背後にいるアメリカ軍への攻撃といった非対称戦術がむしろ脅威となったのだ。「真の前線はありません」と、Voleskyは言う。「誰もが危険にさらされています」

Voleskyはイラク北部を訪れ、海軍の軍曹Cardinが殺された基地に行って、バグダッドに戻ってきたばかりだった。「私たちの砲兵がいる場所に赴きました。砲兵は来る日も来る日も戦いの中にいて、砂漠で暮らしています。私は言いました。『おい、君たちのために何かできることはあるかい?何が必要なんだ?』」Volesky続ける。「砲兵はただこう言いました。『もっと標的が必要です』」

ハウィジャでWheelerと共に任務にあたった精鋭クルド人部隊の本部は、アルビール郊外の山中にある諜報機関の構内の奥に置かれていた。監視塔やバリケードのそばを曲がりくねって進む道に沿った場所だ。「注意:軍関係者のみ」と、すぐ近くの標識には書いてある。1階建ての建物内の1つの壁には、外国政府の機関からの表彰状が並べられていた。フランス外人部隊、アメリカ統合参謀本部、CIA (米国中央情報局)からのものだ。

アルビールのどこかに、CTUとアメリカの特殊部隊が生活し、訓練を行っている基地がある。それが、諜報機関の構内にあるのか、それとも別の場所なのか、CTUの将校は言おうとしない。公式には、その基地は存在しないが、名前はある。その名も、キャンプ・ウィーラー (Wheeler)だ。

Wheelerは、この新たな戦いにアメリカが積極的に関与していることを具体的に示した。

今日、イラクにいる多くのアメリカ軍人の同様、Wheelerは以前そこに配置されたことがあった。陸軍によると、かつての米陸軍のレンジャー連隊は、2004年に、軍の精鋭特殊作戦コマンドに移籍し、少なくとも17回、たいていはイラクとアフガニスタンに配置されてきた。海軍ではデルタフォースに相当し、「SEALチーム6」として知られる、パキスタンでオサマ・ビン・ラディンを殺害した部隊と同様、デルタフォースの活動の大部分は機密扱いだ。そのメンバーの軍人は「工作員」と呼ばれ、イラク戦争で中心的な役割を果たした。サダム・フセイン捜索の先頭に立って指揮をとり、絶え間ない襲撃で、イラクのアルカイダ上層部の弱体化を助けたのは、彼らだ。2011年にオバマがアメリカ軍を撤退させた時、デルタフォースはイラクを去ったが、ISに対する戦いが始まった時、最初に戻った部隊の中に、彼らもいた。

2012年にCTUが結成されてまもなく、アメリカの特殊部隊はCTUと共に働き始めたが、2014年6月に、 ISがシリアの国境を越え、イラクに入り、イラク軍からモスルを奪って占領した後は、特殊部隊とCTUの連携が急増した。この攻撃により世界は、かつてオバマがアルカイダの「二軍チーム」とよんだISが、世界的脅威だと気付いた。2カ月後、さらなる国際的動揺が急激に高まる中、アメリカの空爆が始まった。ISはクルド人地区に攻め込みつつあり、シンジャール山周辺に集中する少数派のヤズディ教徒を大量虐殺すると脅し、アルビールに接近しつつあったのだ。アルビールの地方政府は、長くアメリカの重要な協力者だった。

工作員は、3カ月のローテーションでCTUと共に働き、奇襲隊員を訓練し、作戦を計画するのを手伝い、CTUに同行することも多い。CTUの軍人によると、Wheelerは、そのローテーションのチームリーダーで、ハウィジャに行ったのは、その勤務期間の終わり近くのことだったという。4人の子の父親であるWheelerは、新しい息子が誕生するため、短い帰国旅行をしたところだった。CTUの軍人は、Wheelerのことを、訓練中は厳しく、休憩時間には優しく寛大だったと記憶している。Wheelerは冷蔵庫の上にウィスキーの瓶をキープしていたと、CTUの中尉は語る。また、用意はいいか?動け!撃て!といった、クルド語を少し身につけていた。

Wheelerがその命を危険にさらした作戦は、ハウィジャだけではなかったと、中尉は言う。「私がこれまで一緒に仕事をしてきたあらゆるチームのメンバーの中で、Wheelerは最強でした。そして、あの3カ月の間に、私たちは最も多くの重要な作戦を行ったと断言できます」と、中尉は語った。「Wheelerは多くの作戦に参加しましたし、私もWheelerと共に多くの作戦に参加しました。私たちの目的は、ISのメンバーを拘束し、戦場から彼らを追い出すことでした」

Wheelerがハウィジャに着陸した時、中尉は指令室にいて、ドローンからの映像を注意深く見ていた。中尉は、2つの家のうちの1つに、Wheelerのチームが近づくのを見た。それらの家は、ISの戦闘員が構内で占有していたものだった。それと同時に、別のヘリコプターからの奇襲隊員が、2番目の家に近づいた。中尉の説明は、この襲撃のドローン映像と一致している。Wheelerの死の数日後に、BuzzFeed Newsのレポーターの1人がその映像を見たのだ。映像の中では、赤外線カメラが奇襲隊を映していたが、クルド人の情報筋によれば、この奇襲隊はデルタの工作員とCTUの軍人が混じり合ったものだという。奇襲隊は、敵の砲火のもと、2つのヘリコプターから出て、迅速に構内の2つの家に近づいた。

大尉が、家の1階を確保するために、何人かの部下を連れて行く間に、Wheelerと他の奇襲隊員は2階へと進んだ。2階には外部の階段を上らなければ入れない独自の入り口があった。2階の窓の高い場所から、イスラム国の戦闘員が、奇襲隊に向け、容赦なく発砲した。

Wheelerは攻撃の先頭に立ち、窓辺にいた戦闘員を撃ち殺した。だが、別の戦闘員が発砲し、Wheelerを死に追いやった。銃弾が首に当たったのだ。その後、アメリカの工作員が、この攻撃者を殺した。Wheelerの同僚の1人は応急処置を始めたが、結局無駄だった。

「Joshはとても無欲な男でした」と、CTUを指揮する上級将校は語った。

この襲撃の計画を手伝った上級将校は、CTU本部でのインタビューの中で、大尉と中尉が語った詳細を裏付け、彼独自の情報も提供してくれた。「2階にいた男は、全員を殺すこともできました」と、上級将校は言う。

アメリカ軍のスポークスマンは、襲撃の詳細についてコメントすることを断った。

Wheelerの死後、遺体が故国に送られる前に、奇襲隊員たちは弔いの儀式を行った。そして、棺の上にハウィジャで奪ったISの旗を掛けた。

Wheelerの名前は現在、秘密基地にある岩の上に刻まれている。Wheelerに敬意を表して捧げられたものだ。

「まるで兄弟を失ったようなものでした」と、大尉は最近の午後、アルビールで語り、袖をまくり上げて、ハウィジャで負った銃弾の破片による傷跡を見せた。大尉は、アメリカのパートナーたちは、その仲間であるアメリカの一般人が決して見ることのない危険を冒し続けていると言う。「JoshはISとの戦いの現場で殺されました。そして、Joshは、もし殺されていなければ、そのことを誰にも知られたくないと思ったでしょう」

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前線から遠く離れた作戦指令室。アメリカとクルド人の特技官が、イラク北部へのアメリカの空爆を調整しているのは、ここ、アルビール国際空港にある封鎖された建物の中だ。先月のある日、クルーカットで迷彩服を着たアメリカ軍人がキーボードの前に座って、高解像度のテレビを備え付けた壁のほうを向いていた。7つのテレビが、無人偵察機からのライブ映像を映していた。8番目のテレビは、消音にしたドジャーズ対ブルワーズの試合の放送だった。空港には米軍基地もあり、この国が戦争への関与を拡大するにつれ、この基地も拡大している。基地は、アメリカとその同盟国連合からの、およそ2500人の職員を収容していると、ここを拠点とする同盟国連合の広報担当者は言う。特殊部隊には、従来の部隊とアメリカの軍事契約企業が混じり合っていて、何列にも並んだテントの中で眠る。最近の午後、何人かの兵士が隠されたジムで体を鍛えていた間、1人の兵士が、シャツも着ず、汗をかきながら、摂氏43.3度の暑さの中、外をジョギングしていた。軍のヘリコプターが近くの駐機場に並び、その先の街の住人は、ヘリコプターがブンブンと音を立てて、毎日行ったり来たりするのを目にしている。

8月8日は、イラクでのISに対するアメリカの空爆が始まってから、2年となる記念の日だ。オバマ政権は、新たな戦争の承認を求めたが、米国議会はまだ認めていない。また、現在の軍の関与は、9月11のテロ攻撃を受けて認められた、2001年の軍事力の使用に関する承認にたよったものだ。米国防総省によれば、アメリカが主導する連合国のイスラム国との戦いでは、9562回の空爆がイラクで行われ、それとは別に、4838回の空爆がシリアで行われたという。(イギリスやフランスといったアメリカの同盟国も飛行機だけでなく、独自の特殊部隊を配備している作戦司令室には、エリザベス女王の写真が1つの壁にテープで貼られていた) 。空爆はこの作戦司令室と、バグダッドにある別の司令室により調整される。無数の部隊が地上でイスラム国と戦うなか、空爆により、国中の戦闘でアメリカの存在が目立っている。アメリカのドローンとジェット機が、ファルージャといった場所のイスラム国の軍事拠点を何度も攻撃した。ファルージャでは先月、戦闘員たちが最大の敗北を経験した。イラク軍が、イランが支援する民兵隊をすぐ後に引き連れて、街に攻め込んだのだ。イラン軍は、目標を定めた攻撃で、ISのリーダーたちも暗殺した。

空爆は「ペシュメルガ­」とよばれるクルド人の軍隊を支援して開始されることがよくある。ペシュメルガは、イラク北部の対ISの前線の800キロ以上を守っている。アルビールの作戦司令室の門戸開放により、クルド人チームは、自分たちのコンピューター区画に人員を配置している。彼らは航空支援の要請にうまく答えるからだ。このチームを監督するクルド人の将校は、控えめな中年の男性で、セキュリティ上の理由から名前は出せない。この将校は、混沌とした初期の頃、アメリカとクルド人の合同活動を組織化しようとして、狂ったように滅茶苦茶に奮闘したことを覚えていた。「ISが迫って来ていました。彼らは土地を奪いつつありました」と、将校は語る。「私たちは72時間、眠れないこともありました」

現在、この協力関係は円滑に進んでいると、彼は言う。チームは夜昼なしに働き、時たまレッドブルで燃料補給する。レッドブルは、冷蔵庫の中に常にストックしてある。ジャーナリストによる珍しい訪問の間、将校がその経過を詳しく述べていた時、ある部下が、ペシュメルガの指揮官からの、助けを求める電話を受けた。指揮官は、イスラム国の大型で強力なマシンガンによる砲火に直面していた。キーボードのところにいる部下たちがこの要請を分析する間、何分かの沈黙が続いた。1人の部下が詳細と座標を、英語で用紙に書き出し、それを持って隣の部屋に歩いて行った。そしてその用紙を、隅にいたアメリカの将校に手渡した。「Froka laraya」と、アメリカの将校はクルド語で言った。飛行機はまもなく到着するという意味だ。

アメリカ軍がイラクの前線で担っている役割は、母国ではほとんど知られていないが、クルド人の軍人は、アメリカ軍は、いつもいるものと思っている。空爆を呼び、無人偵察機を飛ばし、迫撃砲を発射し、ISの通信システムをハッキングしてくれる。それも、ISの攻撃が届く範囲内でのことが多い。

作戦司令室は、アメリカの偵察と現場の軍人からの、絶え間ない情報の流れにたよっている。情報は、前線に組み込まれたアメリカ軍から来ることが多い。デルタフォースがCTUと共に (そして、CTUに相当するより古い組織、テロ対策グループとも)極秘の任務を行うのに対し、アメリカ軍のさまざまな特殊部隊の集まりは、イスラム国との戦いにおいて、中心的な役割を担っている。

アメリカの特殊部隊は、ペシュメルガだけでなく、イラク軍やスンニ派のアラブの民兵隊の訓練を手助けしている。また、あまり知られていないが、もっと危険な任務を行ってもいる。一般に「advise and assist(助言と援助)」ミッションとよばれるもののもとで。

マフムール郊外にある、砂袋で守られた軍隊駐屯地は、ISの支配領域から約1キロのところにある。その駐屯地で、ペシュメルガの司令官は、砂の中のある地点を指さした。そこは、アメリカの軍人が、敵に向かって迫撃砲を発射し、Isの迫撃砲を無力化しようとした場所だった。ISの迫撃砲は、この地域を毎日襲っている。その駐屯地で見張りをしていたクルド人兵士は、アメリカの迫撃砲チームを率いていた男の顎ひげを覚えていた。ペシュメルガにとって、通常のアメリカ軍人と特殊部隊を見分けるのは難しいこともある。だが、顔ひげは、特殊部隊隊員の1つのしるしだ。通常の軍人が、ひげをきれいに剃らなければならないのとは対照的に、特殊部隊の隊員は「緩やかな身繕いの基準」として知られるものを与えられることが多い。(ペシュメルガの別の軍事基地で、迫撃砲の攻撃を定期的に受ける場所は、ザルタク山の頂上を掘って作られたもので、その下の谷はISの支配地域だ。その基地で、アメリカ人ジャーナリストを、そこにドローンをよく飛ばす欧米の軍の1人と混同した兵士がいた。「すみません。あれはあなたたちの飛行機ですか?」と、戦闘機が頭上を通り過ぎた時、その兵士は尋ねた。

Tel Asqafの町の前線は、泥でできた長いバリケードだ。モスルの端から約16キロ、一番近いISの軍事拠点から約1.6キロの場所にある。この街のペシュメルガの将軍、Tariq Sulaimanは、この地域で働くアメリカの工作員を「単なるパートナーではなく、兄弟」だと思っていると語った。

海軍特殊部隊のKeatingが命を落としたのは、Tel Asqafでのことだった。Keatingのチームは、この近くを拠点としていて、ペシュメルガを訓練したり、標的を特定したり、空爆を呼んだり、無人偵察機を操作したりするために、ペシュメルガと共に働いてきたと、Sulaimanは言う。5月3日の朝早く、ISがペシュメルガの戦線を破った時、海軍の特殊部隊はこの地域にいた。ISは、装甲車の爆弾と、およそ400人の戦闘員と共に現れ、戦略的主要路を占拠しようと、気違いじみた攻撃を仕掛けてきた。特殊部隊は、敵と直接することは避けるようにとの指示を受けていたと思うと、Sulaimanは語る。だが、隊員は、ISの進軍の先頭に突っ込み、道の真ん中で戦闘員のトラックの後ろに隠れて攻撃を開始し、戦闘員に歯止めをかけたという。「特殊部隊はISを阻止しました」と、Sulaimanは話す。

ペシュメルガの兵士はアメリカの工作員たちの後ろに集まった。その数は、およそ10人で、そこに加わった何人かは、それを激しい銃撃戦として記憶している。「頭には、何日もその音が残っていました」と、1人は語る。ISの戦闘員は、道沿いの本部の位置に移動したが、現在そこには、あばたのようにぽつぽつと銃弾の穴が開いている。ペシュメルガの兵士は、自動車爆弾からの金属片が大量に降り注いだこと、そして、あるアメリカの工作員が、銃弾が周囲に放たれる中、備え付けたマシンガンで、安定して射撃を続けていたことを覚えている。ペシュメルガの兵士によれば、Keatingはこの戦闘で殺され、他の特殊部隊隊員は、結局ヘリコプターで逃げた。

最近のある午後、Keatingが撃たれた場所は静かで、ペシュメルガの小型トラックとSUV (スポーツ用多目的車)が、かたわらを高速で通り過ぎていった。たばこと薬きょうが、太陽の熱で乾ききった路肩沿いの泥の上に散らかり、サソリが道を急いで横切っていった。戦闘では、Keatingに加え、16人のペシュメルガが殺されたと、Sulaimanは語る。「私たちの血は混じり合いました」と彼は言う。「現場では、どれが誰の血なのか見分けられません」

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ワシントンDCのある午後、イラク戦争中に海軍兵士として4回の派遣を経験した下院軍事委員会所属の民主党議員、セス・モールトンの事務所に、まとめ上げた統計資料を抱えてやってきた来訪者をがやって来た。「軍のために働く意思があり、働くことができるのは、アメリカ人の1%以下です」と資料には書かれていた。「軍隊で働いた経験のある親を持つ人は、現在アメリカ人の16%です。これと比較すると、1990年では40%でした。現在、連邦議会議員の18%は退役軍人ですが、1984年は64%でした」

資料はこう付け加えている。その結果「長期的な傾向としては、アメリカ社会と、それを代表するとされる軍隊との断絶は、益々大きくなっていくでしょう」

モールトンは、事務所の椅子に座ってコーヒーを飲みながら、イラク戦争の際に軍で働いた時、このような断絶を感じたと話した。彼は、新しいアメリカの戦争にとって、この問題は悪い方向に進んだと考えている。その理由の1つには、オバマ政権が国民に対して率直に話をしないことがあるという。「理由はわかります。我々軍隊を撤退させると約束した大統領だからです」と彼は話した。「要は、選挙の公約としてイラクから軍を撤退させると約束した大統領が、今では6000人近くの兵士を、現地に送り返しているのです」

モールトンはこの春、イラクのアメリカ軍の部隊を訪れ、既視感に襲われた。アメリカの司令官は2007年に米軍増派を話し合った時と同じように、ISに対する戦闘計画について語っていた。当時はイラクのアルカイダを撃退するために、特殊作戦部隊が投入され、スンニ派民兵と連携した地上部隊が結成された。未解決の国内紛争がIS台頭の道を開いたこの国において、アメリカには大局的な政治プランがまだないと、彼は考えている。「IS掃討を完了した後に平和を確保する長期的な政治プランは、我々にはまだないと思います。政治的な意味での終盤戦にはまだ全くなっていないと思います」と彼は語った。「私がものすごく恐れているのは、既に勝利した戦争を再び戦うために、現在イラクに再派遣され、テロ組織を倒すために、また多くの人の命とリソースを奪うことになるこれら全ての部隊が、5年後に再び戦地に戻ってしまうことです」

モールトンは、イラクには引き続き、大規模な政治的・外交的投資が必要になるとの考えから、アメリカが世界最大規模の大使館を建設したこと、そして、その大使館は現在「半分使われていない」状態であることを指摘した。彼はこれを、オバマ政権が全力を尽くしていないことの表れだと見る。「我々は観光名所としてこの大使館を建設したのではありません。この規模が必要だったから建てたのです」と彼は語った。「基本的にこれはリーダーシップの問題であり、政権運営の問題です。我々は部隊に明確な使命を与え、戦いを終結させなければなりません。それができなけば、我々は米軍を再び戦地に送り続け、既に勝利したはずの戦いのために死に続けることになります」

オバマが米軍を2011年末に撤退させた時、大統領はイラク戦争の終結を宣言し、大統領選挙の目玉公約を果たした。

しかし、アメリカがISとの戦いのために、イラクに兵士を戻すことを決めた時、感情論を言っている暇はなかったと、当時国防総省で上級文民官を務めていたデレク・ショーレは振り返った。「事がほころびるのを阻止する必要があるという思いがありました」と、ワシントンDCに拠点を置く公共政策シンクタンク、ジャーマン・マーシャル・ファンドで現在上級相談役員を務めているショーレは語った。「我々が目にしていたのは、この国の瓦解でした。我々が撤退して、南ベトナムが崩壊するのを目にした1975年の夏を思い起こさせる出来事でした。ですから、私の回想というのは、地上部隊の派遣に関する感情的な議論ではなく、むしろ (イラク)政府が我々に残ってほしいと考えているということであり、我々もそうすべきなのです」

イラクとのアメリカの新しい関わり方は、オバマの選挙公約と軌を一にしていると、ショーレは語った。「大統領がイラク戦争を終結させると言っていた時、その言わんとするところは、イラクとの関係を断ち、この国では軍事的には何もしない、ということではありませんでした。イラクをアメリカにとっての世界における最優先課題にはしないということでした」と彼は話した。「大統領にとって最も重要なのは、投入するリソースの観点や、我々の取り組みに対するイラクにおける支援の観点、アメリカ人の支援などの観点から、時が経っても持続可能なものにすることだと思います」

オバマ政権の広報官は、戦地におけるアメリカ兵の役割を軽視してきたとする考えを否定し、5月にオバマ大統領が「Stars and Stripes」に答えたインタビューの一部を引き合いに出した。この中でオバマ大統領は、イラクやアフガニスタンにおけるアメリカの過去の介入と、現在の戦闘との規模や使命の違いを指摘した。「我々のイラクにおける使命は、何よりもまず、ISとの地上戦の先頭に立つイラク軍を支援することです」とオバマ大統領は語った。「これには、イラクや、また現在ではシリアにおける、我々の特殊作戦部隊の活動が含まれており、彼らは地元の兵士を訓練し、装備を提供し、助言を与え、イスラム国の指導者や標的に対する対テロ活動で連携しています。またこれには我々の空爆作戦も含まれており、連携パートナーと共に、ISの標的を爆撃し、イラクやシリアの地元兵士らがISを重要な地域から追い出す上での支援をしてきました。これは危険なミッションですし、我々の兵士は時に、Wheeler曹長やCardin二等軍曹、海軍特殊部隊のKeating一等兵曹のように、戦闘に遭うこともあります」

しかし政府内部でも、アメリカ軍の地上戦による深い介入は必要とされないと、オバマ政権はしばしば説明してきたと、認識している人もいる。「うまく収まるはずがないのに、なぜ全てを無理やり『戦争終結』の話に収めないといけないのでしょう?」と、対IS政策に関わるあるアメリカ政府当局者が、匿名の下で意見を述べることを条件に語った。「地上戦の事実は、単に理想のストーリーとは合致しないだけです」

上院の軍事委員会に所属する共和党のダン・サリバン議員は、アメリカの部隊がイラクで何をしているのか、明確な絵を示すことが、ミッションの継続性にとって重要だと語った。「この国で我々が学んだ教訓は、我々が何をしているのか、政府は何をしているのか、我々の軍隊が何をしているのかを、アメリカ国民に正直に明らかにしなければならないということです」と彼は語った。「それこそが正しいやり方であり、アメリカ国民の支援を受ける最善の方法であるからだけでなく、部隊の信頼に関わる問題が発生するからでもあります」

海兵隊予備役中佐で、アフガニスタンとイラクで任務に就いたことがあるサリバン議員は、ホワイトハウスは、新たな紛争の中で「我々の部隊が戦闘状態の中で戦っているという事実を、違う解釈で説明」しようとしてきたと語った。「彼らは自分の命を犠牲にし、危機に晒しながら、戦地で活動しているのです」と彼は話した。「そして彼らにも家に戻れば配偶者や子どもがいることを、誰もわかっていません」

イラクの地上では、アメリカの兵士が最前線の兵士らと共に活動している。モスル奪還のためのこれからの攻撃に備えているのだ。この攻撃は、これまでで最大規模の対イスラム国作戦になるだろう。海兵隊の軍曹、CardinがISのロケット砲で殺害された基地からそれほど遠くない、マフムールの郊外では、大砲を運ぶ7台のアメリカの装甲車が砂埃を巻き上げながら、ペシュメルガの戦線の後ろの区域を通って行った。イラク軍がこの地域にいるISの方へと進み、モスルへと向かって北へ前進を続けると、アメリカ兵もISに砲火を浴びせ続けられるようにするため、大砲を基地から前方へと進めた。

モスル攻撃によりイラク軍とクルド人部隊はこの都市を包囲し、複数の前線からイスラム国を打ち負かすことになる。「そしてどの前線にも、空爆による支援を要請し、危機に対応し、戦闘に直接関わるアメリカの特殊部隊が配備されます」と、この国の各地にあるイラク軍やクルド人部隊、アメリカ軍の基地で過ごしたことのある、ワシントン近東政策研究所のアナリスト、マイケル・ナイツ氏は語った。「そして最終的にこの包囲網は、モスルにまで拡大されます」

アメリカの地上での介入は、攻撃が山場を迎える中で必ず増加する。「前線はモスルに近づいて行くにつれて、狭まります。いわばISを徐々に取り囲む巨大なサメの顎のようなもので、前線ではアメリカ軍とその 連合がますます密集するようになります」とナイツ氏は話した。「今まであまり目立たなかった作戦が、ますます激しくなるのです」

歩兵旅団戦闘団の一部は、マフムールのアメリカ軍基地に駐留している。ここはペシュメルガとイラク軍が合同で使用する敷地の中にある。近くで起きた戦闘から逃げて来た市民を乗せる車が、警備員がいる敷地のゲートの外の道路を通って行く。中では、金属で頑丈に保護されたドアの所で、基地への入場が手書きのサインで記録される。ここがキャンプ・スウィフトだ。

昨年オープンして以降、ジャーナリストに対して立ち入りがほぼ禁止されてきたキャンプ・スウィフトの内部には、拡張した跡があった。かつてキャンプの外に置かれていた土嚢で固めた守衛所は、さらに外側に建てられた壁の上に置かれた土嚢で囲まれていた。ISのロケット弾が基地に落ちたものの、ある守衛所に配置されている2人のアメリカ兵は、最近は平穏だと話した。「我々はほとんど民間人しか見ません。犬はたくさんいますが」と1人は言った。

基地には150人以上のアメリカ兵が住んでいると、ここの高官、ブレット・シルビア大佐は話した。「基地は徐々に大きくなっています」と彼は話した。

43歳のシルビアは、イラクでアメリカ軍が助言・支援するプログラム、特別部隊攻撃 (タスク・フォース・ストライク)の司令官だ。彼の使命は、地元の部隊、主にイラク軍とペシュメルガに対して、ISを追い返し、最終的に打倒する支援をすることだ。イラクの9ヶ所とクウェートの3ヶ所に基地を置く彼の兵士は、作戦の前や作戦中に地元の部隊に助言を与え、監視や砲撃をしながら、彼らを支援していると、シルビアは話した。隣のイラク軍基地には作戦室があり、アメリカ人将校らが1角のコンピューターに配置され、イラク兵らが別の1角を占めているアルビールの作戦室とよく似た状態になっている。

ISとの戦いをうまく調整するのは、難しい任務だ。アメリカが完全にコントロールできていない戦いだ。イラク兵やペシュメルガは時にもめ合い、一方のアメリカは、イラク戦争中にその多くがアメリカ軍を相手に戦った、イラン政府が支援するシーア派民兵組織からは常に距離を置こうとしている。イラク軍はモスル陥落以降もその足場を取り戻そうとしている一方で、はるかに規模の小さいIS部隊を前にして3つの師団が撤退し、アメリカが提供する武器や装甲車を放棄してしまった。

しかし国防総省によると、ISはこの2年でイラクとシリアの支配地域の45%前後を失っている。また、マフムール周辺の前線から、イラク軍は少しずつモスルに向かって迫っている。モスルでは、この街を奪還するための最後の攻撃が、アメリカの作戦のクライマックスとなるだろう。「最も重要なイベントは、モスルに入ることです」とシルビアは基地にある軍事地図を指さしながら語った。地図はこの街の南側にある村が中心に据えられていた。「すぐにこの地図を取り外して、取り換えたいと思います」

兵士たちは、自分たちが取りらなくてはいけないリスクを十分に認識していると、シルビアは話した。「これは戦場です。我々は戦場にいるのです」と彼は語った。「2016年のここのアメリカ兵は、2007年にここにいたアメリカ兵とは全く違います。ですが、だからといって危険性が和らぐわけではありません」

5児の父のシルビアは、イラク戦争で5回派遣され、この国での合計派遣期間は約2年になる。拡張を続ける基地を歩きながら、彼は現在18歳の長男が自身の足跡をたどり、軍に入隊しようとしていることを話した。「ここで私がやっている仕事は全て、息子にやらせないためにやっているのです」と彼は語った。

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この記事にはイスタンブールのミッチェル・プロザロとワシントンDCのアリ・ワトキンスが、追加報告した。



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Mike Giglio is a correspondent for BuzzFeed News based in Istanbul. He has reported on the wars in Syria and Ukraine and unrest around the Middle East. His secure PGP fingerprint is DD2D D9F4 F1B5 204B 8069 3056 D916 4D69 9ED6 04D5

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