中国政府が続けるウイグル人弾圧、トルコ国籍の人も拘束で行方不明に

    中国は、イスラム教徒のウイグル人たちに対して厳しい弾圧を行っているが、それを非難するイスラム教国は多くない。BuzzFeed Newsの調査では、中国を批判する数少ないイスラム国であるトルコの国籍を持つ人たちも、複数名が中国で行方不明になっていることが判明している。ただし、トルコ政府はそのことを公式には認めていない。

    イスタンブール発──普段と変わらない出張のつもりだったので、トルコ国籍の若いビジネスマンは驚いてしまった。中国の空港に到着したとき、入国管理官によって別室に連行され、何時間も取り調べを受けたのだ。トルコの外交官と話をさせてくれと頼んでも、入国管理官は肩をすくめ、警察に相談しろと言うばかりだ。

    警察に手錠をかけられ、辺境の留置場で監房に入れられた。じめじめした暗い部屋で、すぐに体調を崩してしまった彼は、再び外交官と話をさせてくれと頼んだ。すると返ってきたのは、彼のトルコのパスポートは使い古されて端がすり減っていたので偽造されたものだ、という返答だった。

    1週間後、彼は中国西部にある新疆ウイグル自治区グルジャ市の地下拷問室にいた。グルジャ市は、トルコに帰化する前に彼が住んでいた街だ。椅子に腕と脚を縛り付けられた状態で、トルコの外交官と話をさせてくれと3度目の要求をした彼に、このときは、はっきりとした返答があった。

    「おまえはトルコ人じゃない」と、ひとりの警察官が彼に語った。「お前はここの出身だ。自分が特別だなんて思うな。我々はおまえのような奴らを殺し、他の人たちが安心して暮らせるようにするんだ」

    この若いビジネスマンは中国当局に監禁され、38日間の尋問、空腹、睡眠不足、虐待に耐えたという。その後ついに釈放され、イスタンブールに送還されたが、何の嫌疑をかけられていたのかを告げられることはなかった。

    彼はウイグル民族に属している。すなわち、中国政府が、国の安全を脅かす存在だと見なしている、宗教的にも文化的にも少数者の集団だ。

    中国政府は、新疆ウイグル自治区に暮らすウイグル人やテュルク系(トルコ系諸族)イスラム教徒を標的にして、大規模な監視と強制収用を行っており、100万人以上が収容所に拘束されている。

    先ほどの若いビジネスマンは、過酷な体験はしたとはいえ、解放されたのは運が良かった。BuzzFeed Newsの調査では、中国の新疆でトルコ国籍を持つ人たちが6名行方不明になっており、そのうちの2名は幼い子どもであることが分かっている。実際の行方不明者はおそらく数十名にもなるだろう。だが、トルコおよび中国の両政府は、どのケースについても、公式には認めていない。この件が報じられるのは、今回が初めてとなる。

    この6名の親族らは、行方不明者たちは刑務所や収容所に、子どもの場合は中国国営の孤児院に入れられているのだろうと考えている。こうした親族の主張は、政府関係者とのメールのやりとりや、トルコの身分証明書の写しなどで裏付けが取れている。

    BuzzFeed Newsの取材に応じてくれた家族たちは全員が、行方不明になった人たちがどのような状況に置かれているのかについて、情報をトルコ当局からほとんど知らされておらず、彼らがトルコ外交官とのやりとりを認められているという証拠もないと証言している。

    自国外交官との接見は、領事関係に関するウィーン条約によって、刑事被告人と拘留者の両方に保証されている権利であり、この条約には中国も加盟している。家族らによれば、行方不明になっている6人はいずれも、中国国籍を含む二重国籍ではないという。

    BuzzFeed Newsは、他にも新疆で行方不明になったトルコ国籍の親族を持つ3家族と接触したが、慎重な扱いを要する事件であるため、それ以上の話を聞いたり、身元を明かしてもらったりすることはできなかった。また、イスタンブールにある3つの異なるウイグル人コミュニティの指導者らは、新疆ではトルコ国籍を持つ人たちが何十人も行方不明になっていると述べたが、そうした事件すべてをBuzzFeed Newsが独自に確認したり、関係者の家族から話を聞くことは叶わなかった。

    家族らの話からわかるのは、中国当局は、テュルク系イスラム教徒を狙って外国人を一掃しており、重要な外交パートナーである諸国の人々を拘束することもためらっていないということだ。

    冒頭で紹介したビジネスマン(2017年夏に1カ月以上中国で拘束された人物)は、2011年に中国国籍を放棄し、トルコ国籍を取得。トルコのパスポートを使って、観光ビザで中国を訪れていた。

    その彼に、イスタンブールで人気のウイグルレストランで先月話を聞いた。黒のブレザーをきちんと着て、短く刈った髪型もパリッとしている彼は、「最初はそこまで恐怖を感じていませんでした」と語る。「同じ監房に入っていた人にも、自分はトルコ国籍を持っているから、いずれは解放されるはずだと言っていたんです」

    中国当局による家族への報復を恐れ、匿名を条件に取材に応じてくれたこのビジネスマンは、トルコの知り合いや、彼が過去にFacebookで共有した写真などについて何週間も取り調べを受けたあと、ようやく解放された。拘束されている間、家族や外交官に連絡を取ることは許されなかったが、最終的にはトルコ国籍を持っていたから解放されたのだろうと彼は考えている。

    200人近い死者を出したとされる2009年のウイグル騒乱以来、中国当局は厳しい弾圧を行なってきた。トルコの強硬派大統領レジェップ・タイイプ・エルドアンはイスラム教国のリーダーには珍しく、こうした弾圧を「大量虐殺」だと批判し、中国政府によるウイグル人の扱いを非難している。一方、トルコと中国の経済的・外交関係がより緊密になっていくなか、トルコ政府は、世界の多くの国と同じように、この問題についてはほぼ口を閉ざしてきた。

    そうした状況に変化が見られたのは、2019年2月のことだ。トルコ外務省 が、これまでになく強い調子の声明を発表し、中国の「強制収容所」を非難したのだ。

    トルコ外務省が、ウイグル人に対する中国の扱いを「人道上の恥」として非難したのは異例のことだ。しかしこの声明では、何の罪状もなく強制収容所に送られた、あるいは場合によっては1年以上も行方がわからなくなっている自国の国民についてはまったく触れられていない。

    今回の記事のためにBuzzFeed Newsが確認した行方不明者のケースでは、家族がトルコ外務省だけでなく、大統領や国会議員、そして中国のトルコ領事館や大使館にも連絡している。それぞれに事件番号が割り当てられ、外務省は行方不明者についてより多くの情報を集めようとして動いていると、家族は聞かされてきた。

    しかし、トルコ政府に情報を求めてから何カ月も経過しているのに、反応はほとんどなく、子どもや親、きょうだいたちがどうなったのか、確かなニュースがまったく伝わってこないため、彼らは悲しみで心を取り乱し続けている。中国の収容所では、拘束されている人たちが拷問や飢え、虐待などに直面しているという報道がひっきりなしにされている中、情報が無いのは恐怖だ。

    BuzzFeed Newsはトルコ外務省に対して質問を送った。内容は、中国で数十名のトルコ国民が行方不明になっているのか、もし行方不明になっているなら、なぜこれまで公式にこの問題について発言していないのか、トルコ当局は行方不明者とその家族のためにどんな対応をしているのか、トルコ当局からほとんど連絡がないという家族のコメントについてはどう応えるか、といったことだ。しかし、記事の公開までに回答はなかった。

    また、トルコの中国大使館にもコメントを求めたが、回答はなかった。

    トルコにあるウイグル人コミュニティの指導者らによれば、トルコには世界最大のウイグル人移住者コミュニティがあり、2万~5万人が居住している。ウイグル人とトルコ人との間には、文化的、歴史的、言語的に大きく共通するところがあり、トルコ人の多くはウイグル人に同情的だ。

    2015年には、トルコで中国政府に対する抗議行動が行われた。中国でウイグル人が虐待されているというニュースや、ウイグルにやってきた移民たちがトルコに強制送還されていることを受けてのことだ。

    さらに最近では、トルコで人気のウイグル人歌手、アブドゥレヒム・ヘイット氏が拘束中に死亡したと2月に報じられ、国民からの抗議の声が激しくなっていた。トルコ外務省が、強制収容所を閉鎖するよう中国に求める強い調子の声明を発表したのは、その後のことだ。

    この声明には、「この悲劇によって、新疆ウイグル自治区における深刻な人権侵害に関するトルコ国内の世論はいっそう厳しくなった」とある。

    その後、中国国営メディアが公開した動画のなかで、ヘイットが「健康状態は良い」と語ったことが引き金になり、中国国外に住むウイグル人たちによる、自分たちの家族が生きている証拠を見せてほしいと求める Twitterのハッシュタグキャンペーンが巻き起こった。

    ウイグル生まれだが1997年にトルコ国籍を取得し、現在はトルコのアンカラ大学で言語学准教授としてウイグル人の歴史や文化を研究しているエリキン・エメイトによれば、1949年に共産党が中国で政権を握り、ウイグル人指導者らがトルコに移住して以来、トルコのウイグル人コミュニティは、「東トルキスタン」の独立を求める亡命運動の中心地となっているという。この東トルキスタンとは、一部のウイグル人たちが、新疆に自分たちの故国として打ち建てたいと願っている独立国家の名称だ。

    「中国からすれば、ウイグル人の移住先として、トルコはもっとも危険な場所なのです。それは、私たちウイグル人の文化や歴史には、トルコのそれと共通する部分があるからです。また、トルコは他のイスラム教国とは違い、政党や組織を結成しやすい場所でもあります」とエメイトは説明する。

    こうした独立運動の中心は、今もトルコにあるとエメットは言う。

    中国政府は当初から、イスラム教国との結びつきがあるウイグル人を、特に拘留のターゲットにしてきている。イスラム教国で働いたり、学んだりしたことのある人たちはもちろん、親戚がそこに住んでいる人たちですら対象になってきた。なかでも、トルコとの結びつきは目の敵にされている。

    AP通信の報道によれば、ウイグル人活動家や、シリアおよび中国当局の推定では、シリアを訪れて戦闘に参加したことのあるウイグル人の数は5000人以上にのぼり、その多くがトルコを経由してシリア入りしているという。さらに中国は、2013年から2014年にかけて新疆をはじめとする中国各地で相次いで起こった、ナイフや爆弾による襲撃で死者も出たテロ事件は、ウイグル分離主義者の過激派によるものだとしている。

    だが、中国が取り締まりの対象としてきた数百万人ものチュルク系イスラム教徒のなかには、過激派の活動との関わりが証明されている者はほとんどいない。

    中国政府が行うイスラム系少数民族に対する弾圧に、ウイグル族と同じテュルク系であるカザフ民族を含むどれだけの数の外国籍の人が巻き込まれているのかは、公になっていない。自国の国民の擁護は、表立ってするよりも、静かな外交を通じて行うことを選ぶ国が多いからだ。

    2018年には、中国の強制収用所で拘留されていたオーストラリア国籍の人物3名が解放された。またオーストラリアは現在、ウイグル系オーストラリア人男児の解放を実現するべく取り組んでいる。この男児の父親は、息子が国営孤児院に送られる危険性があると考えている。この事件もBuzzFeed Newsが初めて報じたものだ。

    カザフスタン共和国は、中国国内に住み、中国政府の弾圧を受けているカザフ民族の窮状について、公式には口を閉ざし続けている。しかし2018年8月には、カザフスタンの裁判所が、中国の収容所で教師として働いていたが、後にカザフスタンに逃れてきたサイラグル・サウイトバイの中国への強制送還を退ける判決を下した。

    BuzzFeed Newsではこれまでにも、スウェーデンやオーストラリア、トルコ、アメリカといった国々に逃れたウイグル人に話を聞き、中国政府機関がソーシャルメディアを通じて接触してきて、嫌がらせや脅迫に遭っているという証言を報じてきた

    新疆ウイグル自治区における中国政府の人権侵害については、アメリカや国連人権理事会、EUなど、複数の国や国際機関が公の場で非難している。だがこれまでのところ、中国の強制収用キャンペーンに対しては、なんの国際的制裁も科されていない。

    中国政府は強制収用所を刑罰だとは見なしていない。政府関係者は、収容所は職業訓練の場であり「寄宿学校」のようなものだと発言している。しかし、収容所から脱走した人々の証言によれば、そこでは中国語と中国共産党のプロパガンダが強制的に教え込まれ、餓えやストレス、睡眠不足に苦しむなど、虐待を受けていたという。

    ただ、拘留者の家族にとって、状況は手詰まりだ。逮捕書類もなく、判決もなく、中国の警察から連絡がくることもほとんどない、ということだからだ。彼らの親や、兄弟姉妹たち、子どもたちが、忽然と消えてしまったかのような話なのだ。しかも、中国当局がトルコの政府関係者になんらかの情報を提供しているのかも定かではない。

    ハネクズ・クルバン(28歳)は、下のきょうだい3人と同様、トルコで生まれ育ったが、長年にわたって断続的に中国で生活しながら、家族が経営する貿易会社を大きくしようと熱心に働いてきた。

    ハネクズは何年も、新疆ウイグル自治区の首府ウルムチで、母アミナ、父ヤヒヤと暮らしていた。家族はとても仲が良かった。52歳の寡黙な父ヤヒヤは几帳面な性格で、毎日朝食を食べる前に、その日にやるべき仕事をリストアップしていた。

    一家は中国で働き続けるつもりだったので、父親はとても用心していたとハネクズは話す。政治的な運動には、たとえトルコに滞在しているときであっても絶対に関わるなと、父親に固く禁じられていた。若いころに一度、ウイグル民族の文化イベントに出かけたときは、父親に叱られたという。

    ハネクズは、中国のビジネスパートナーとのコミュニケーションが楽になるのではないかと考え、中国語のレッスンを受け始めた。しかし2017年、「人が突然いなくなった」という噂を耳にするようになった。友人や隣人は、自分の父親やきょうだいが真夜中に警察に突然連行されたと話した。

    ハネクズは不安を覚えたが、彼女の父親は動じなかった。一家はトルコ国民であり、中国には合法的に滞在していたからだ。税金も納めていたし、隠し事もいっさいせず、正々堂々としていた。

    あるとき、滞在ビザが切れたハネクズは、更新するためにトルコに戻った。そのこと自体がすでに普通ではなかったという。それまでは、中国国内でビザを更新することが可能だったのだ。彼女がトルコにいるあいだ、何よりも怖れていた事態が起きた。父と母が拘束されてしまったのだ。

    その事実を知ったのは、母親が最後に残した留守番電話からだった。母親は「連れて行かれる」とメッセージを残していた。「大使館に連絡して」

    「そのときから、地獄の日々が始まりました」とハネクズは話す。

    失踪した家族は、父ヤヒヤと母アミナだけではない。ハネクズの39歳のおじ、メフメト・エミン・ナシールも2017年9月9日、新疆ウイグル自治区の南部にある都市カシュガルで姿を消した。

    ナシールの姉妹でハネクズのおばであるムヤセール・テメルは、自宅の黄色い肘掛椅子に座って、「それほど長く拘束されるとは思いもしませんでした。トルコ国民なのだから、遅かれ早かれ解放されるだろうと思っていたんです」と述べた。彼女は今、トルコのゼイティンブルヌという、移民が多く住む都市に住んでいる。イスタンブールに住むウイグル人たちは、大半がゼイティンブルヌにあるアパートで暮らしている。「はじめは怖くありませんでしたが、時間が経つにつれ、事態の深刻さに気がつきました」

    テメルは、ナシールが警察に連行されたことをナシールの母親から聞かされた。新疆ウイグル自治区に住む親類が、母親に電話で知らせてきたのだという。カーテン販売店を営むナシールは当時、妻と4人の子どもたちと一緒にカシュガルに住んでいた。ナシールはトルコのパスポートを持っていたが、ほかの多くのウイグル系トルコ人とは異なり、彼は祖国に住みたがっていた。妻は一度もトルコの国籍を取得しようとしたことがなかった。親族たちが新疆ウイグル自治区に定住していたからだ。

    テメルは、ナシールが連行されたと知らされて以降、何カ月ものあいだ、トルコ外務省に繰り返し電話をかけた。「外務省は、中国当局と連絡を取り合っていると言いました。けれども、その証拠はありません」とテメル。「外務省はただ、対処中だと電話口で言うだけです。その証拠は無いんです」

    「私たちは、自分の国であるトルコを何よりも信頼しています。それでも、なしのつぶてです。もう打つ手はありません」とテメルは述べる。

    本記事のために話を聞いたハネクズとテメルの女性2人やほかの人たちは、家族の置かれた状況についてほとんど何も知らされていないと話す。トルコ外務省は必ず助けると言ってくれたにもかかわらずだ。

    トルコ籍の子どもたちでさえ、中国の弾圧の手から逃れられない。

    パシャハン・クチャル(75歳)には、幼い孫が2人いる。息子の子どもである2人はともにトルコ籍で、母親が持つ中国のパスポートで出入国していたが、あるとき、母親とともに新疆ウイグル自治区で消息が途絶えてしまった。

    クチャルの家族がBuzzFeed Newsに提供してくれた身分証明記録によれば、クチャルの孫娘は7歳で、その弟は6歳になったばかりだ。母親が収容所に連行された際、子どもたちはそのまま残されたという。そこで近所の人が2人を保護し、クチャルの家族にテキストメッセージで事情を知らせてきた。ところが、それからまもなくして、その隣人からのメッセージが途絶えた。クチャルはもう何カ月も、孫たちの消息がわからずにいる。

    クチャルは、歩くのもままならず、健康上の問題から体調も良くないが、家族の解放を求め、休むことなく活動している。トルコの首都アンカラでは、大統領宮殿の前で、東トルキスタンの水色の旗を垂らした高齢者用の電動カートに乗って抗議を行った。トルコ外務省の職員にも面会した。しかし、孫たちがどこにいるのか、トルコ外交官は子どもたちに接触を図れたのか、何の情報も得られなかった。

    トルコのゼイティンブルヌに暮らすテメルは、失踪中とはいえ、ナシールはある意味、まだ運がいいほうだと考えている。彼がトルコ国民であるということは、少なくともトルコ当局の助けを期待できることを意味するからだ。

    「この地区に住んでいる人で、家族が収容所に入れられていない人なんて見つかりませんよ」とテメルは述べる。「向こう(中国)では、インターネットはブロックされています。連絡を取る手段がないんです。母が親類から連絡をもらっていなければ、ナシールが失踪したことは知らなかったでしょう」

    父親と中国で会社を大きくすることを夢見ていたハネクズは、あらゆる手を尽くして、いなくなった両親の消息を知ろうとした。トルコ当局に通報したが、自動返信メールで事件番号が知らされてきただけだった。1日おきに北京のトルコ大使館に電話もかけているが、あまりにも頻繁なので、担当者は彼女の声が聞こえてくると電話を切るようになったという。

    夜はまんじりともせず、父親と母親がどんな目に遭っているのだろうかと考えてばかりいる。不安障害とうつ病のための薬を飲んでみたが、ただぼんやりと眠くなるだけだという。父親はこれまでずっと、政治運動に参加することを控えて、中国政府から目をつけられないよう気をつけてきた。そんな父がどうして狙われてしまったのか、ハネクズにはどうしても理解できない。

    2017年の新疆ウイグル自治区グルジャ市に戻ろう。冒頭で紹介した若いビジネスマンは、中国の空港で拘束されたあと、取調官たちから、政治的な信条やつながりについて、同じ質問を繰り返し受けた。過激派グループとのつながりがないか、証拠を探していたのだ。彼の話によると、取調官は2人いて、1人は中国最大の民族である漢民族、もう1人はウイグル人だった。ともにウイグル語が堪能だった。

    2人はある日、男性に対して、ソーシャルメディア――Facebook、WhatsApp、中国のメッセージアプリQQ――のログイン用パスワードを教えるよう求めた。そして、Facebookで男性が以前でシェアした写真を発見した。そこに写っていたのは、トルコと東トルキスタンの両方の旗だった。それによって2人は、彼が脅威をもたらす存在だと確信したという。いかにも「決定的な証拠を見つけた」とでもいうように。

    別の日には男性に対して、イスタンブールに住む知人の連絡先すべてをリストアップし、よく行くウイグル料理レストランの名前を挙げるよう言った。彼は架空の名前を挙げた。しかし取調官たちは、トルコのウイグル人コミュニティをとてもよく知っていたという。

    イスタンブールに住む多くのウイグル人とは異なり、彼の住まいはゼイティンブルヌではなかった。取調官たちのほうが、その地区にある店や小路をよく知っていたくらいだった。

    解放される数日前、取調官の1人は彼に対し、数カ月のうちにトルコに行く予定だと言ってから、こう続けた。「イスタンブールで俺たちを見かけたら、歓迎してくれるかな?」

    この記事は英語から翻訳されました。翻訳:半井明里、遠藤康子/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan