伝説のロックスターたちのアイコニックな写真

    ポーズを決めて。

    写真家のゲレッド・マンコヴィッツは、50年にわたりロックスターの写真を撮り続けている。アニー・レノックス、ローリング・ストーンズ、 マリアンヌ・フェイスフル、ポール・マッカートニー、デュラン・デュラン、エルトン・ジョン、オアシス、ワム!……。名だたる伝説のミュージシャンたちのイメージを生み出す手伝いをしてきた。

    マンコヴィッツは、自分が気に入っているポートレート写真を「Rock and Roll Photography」という本に収めた。 ケイト・ブッシュから日焼けしたジョージ・マイケルまで、いくつかの作品を、マンコヴィッツ自身の説明付きで紹介する。

    ケイト・ブッシュ、1978年

    「ケイトのシングル曲、『Wuthering Heights(嵐が丘)』を初めて聞いた時、レコード会社がケイトの風変りで魅惑的な音楽をサポートするため、強力なポートレート写真を必要としていることがわかったんだ」

    「彼女はダンスに興味を持っていたので、ダンサーの練習着を着てみてはどうかと提案してみた。そしたらものすごく似合ったんだ!ケイトは熱狂的で、一緒に仕事をするとすごく疲れるんだが、その見返りは果てしないんだよ!」

    ケイト・ブッシュ、1979年

    ジミ・ヘンドリクス、1967年

    「ジミはとてつもないパワーとカリスマが備わっていて、当時の流行を完全に自分のものにしていたよ!」

    ABBAのアグネッタ・フォルツコグ、1983年

    「アグネッタはチャーミングですごくセクシー。写真写りがとてもよかった。 撮影を楽しんだよ」

    フィル・コリンズ、1969年


    「フィルと彼の最初のバンドと一緒に仕事をしたことがある。1969年のことだ。フレイミング・ユースというバンドだったな。ジェネシスとはそれから何回か仕事をしたんだが、いつもフィルには助けられたよ。フィルは写真に生気を与えてくれる」

    カタトニア、1995年

    「この写真は、カタトニアがブレイクする前、バンドを結成したばかりの頃に撮ったものだ。セリーズ・マシューズは明らかに「スター」で、ものすごいカリスマ性があった。写真うつりが素晴らしく良かった。彼女がいると他のバンドメンバーが見劣りしてしまうから、彼らを何とか引き立たせようと、手を焼いたもんだよ!」

    エルトン・ジョン、1986年

    「(下の写真の)アルバム「Leather Jackets」デモ版は、オランダのヒルフェルスムで撮影したんだ。そこでアルバムの収録をしていたから。エルトンとバンドメンバーたちはすっかり衣装にはまってしまったんだ!」

    「誰もエルトンのポートレートだと気づかないんだ。エルトンは、(モーターサイクル・ギャングの)ヘルズ・エンジェルスのように威嚇的には見えないと思うんだが、 彼は一生懸命そう見せようと頑張った。バンドメンバーの2人は、ヘルズ・エンジェルスになれると思うよ。すごく滑稽で、芝居じみたアイディアだったが、みんな夢中になった。実にふざけた、生意気で芝居じみた写真だよ」

    エルトン・ジョン、1987年

    キム・ワイルド、1982年

    「キムはとても素晴らしかった。すごくきれいだ。70年代の後半に、彼女の写真をたくさん撮影したよ」

    スレイド、1982年

    「他のどのバンドより、スレイドの撮影をしているよ。30回くらいかな、そのほとんどがアルバムのカバー写真だった。

    「スレイドのキャリアは長続きしたが、ピークの時はまさに天才だと思った。この写真は、アメリカに旋風を巻き起こす準備をしていた際に撮ったものだが、実際は上手くいかなかったんだ」

    スージー・クアトロ、1973年

    「(この写真の中で) スージー・クアトロは先頭に立って誘惑するような感じなんだ。バンドメンバーたちは後ろで「やめとけよ!」と言っている」

    「ちょっと変態チックにレザーの匂いを演出したかったんだが、NMEの表紙を飾る予定の写真だったから大人しくやらなければならなかったんだ」

    ザ・ツーリスツ、1979年

    マルコヴィッツの本の中でアニー・レノックスは、ザ・ツーリスツのセカンド・アルバム「Reality Effect」のカバー写真がどのように生まれたかを説明している。

    リビングルームに似せたセットを用意し、テーブルと椅子5脚を真ん中に配置する。全部を白で塗る。それから少しずつ段階的に原色のしぶきを飛ばしていくの。液体のグワッシュ画法のようにね。ゲレッドが、黄色、青、緑、赤の絵の具のチューブを手渡したの。

    (ギタリストの)ピート・クームズは青色のチューブを受け取った。『Reality Effect』のカバー写真は圧倒的に青が勝ってた。ピートは「段階的な色彩」にたどり着くまでにかなり気分が高揚してしまっていて、......何というか...... あっという間に青くなっちゃった。

    ユーリズミックス、1981年

    1980年、ザ・ツーリスツの解散後、アニー・レノックスは、元ザ・ツーリスツのデイブ・スチュワートと『ユーリズミックス』というバンドを結成した。「アニーはカメラの前で輝いていたし、デイブは完璧な引き立て役だった」と、マンコヴィッツは回顧する。

    「僕が最後に彼らを撮影したのは、アルバム『Revenge』のカバー写真で、撮影はパリで行った。撮影終了後、デイブが僕に、撮影した写真を使って絵を描き、それを最終的にカバー写真として使うのだと言ったんだ。すごくがっかりしたよ。それ以来、一度も一緒に仕事をしていないね」

    トイヤ、1980年

    「トイヤは本物のパフォーマーだよ。彼女は自分の音楽と関係する、こうした非凡なヴィジュアル・アイデンティティーを表現していたと当時は言われていたね。この炎のような髪と、パンクの巫女のような見た目は、彼女の反抗力を表すことを意図したものだった」

    ワム!、1983年

    「このSmash Hits 誌のカバー写真は、最も人気が高いカバー写真の1つになったのさ。 ワム!はちょうど「Club Tropicana」がヒットしたところで、撮影は真夏に行われたから、テーマはビーチだったのさ!」

    「ファンの間では、ジョージとアンドリューのどっちが好きかでかなり意見が分かれたと思うよ。だから僕は雑誌の表紙であると同時に、折り込みポスターのように撮影したんだ。アンドリューのファンなら彼が上にくるように、ページをひっくり返せばいい。こうしたことを注意深く考えたんだ。ジョージが好きなら、ジョージを上にすればいい。キミが一番気に入っている方がキミを見つめているようになるんだ」