報じられない被災地、大分・湯布院 「熊本よりはましだから…でも…」

    日本屈指の温泉街、大分・由布市湯布院町の「いま」とは。

    熊本地震で被害を受けたのは、熊本だけではない。2016年4月16日未明にあった本震の被害は隣県・大分にも及んだ。中でも大きな被害を受けたのが、日本屈指の温泉街、湯布院だ。

    大分県のまとめによると、湯布院町がある由布市の建物被害は全半壊あわせ176棟と、県内でいちばん多い。一部破損は2247棟と別府市(4386棟)に次ぐ多さだ。

    発災直後に湯布院に入ったBuzzFeed Newsは、再び現地を訪れた。「忘れられた被災地」の1年間を知るために。

    気がまぎれる、けれど……

    「今度地震があったら、終わりじゃ。この家は持たない。次の地震がこんうちに、早くあの世に行きたいねえ」

    そう語るのは、被害の大きかった川北地区に暮らす木部鉄朗さん(75)だ。

    震災直後、取材に対し「もう湯布院には住めない」と話していた木部さん。妻の実家がある別府に半年ほど暮らしていたが、慣れない暮らしにストレスが溜まる一方だったため、11月ごろに戻ってきた。

    「30年以上、暮らしてきたんですから。畑もあるし、庭の花木の世話もできる。ここに帰ってきたほうが、気がまぎれるからね」

    震災翌日の木部さん宅(左)といまの様子

    震災翌日の木部さん宅(左)といまの様子

    : Takumi Harimaya / BuzzFeed | : Kota Hatachi / BuzzFeed

    震災翌日の木部さん宅(左)といまの様子

    いまだに眠るのが怖い

    しかし、自宅は半壊状態だ。建て直しも考えたが、「年金暮らしだから」と諦めた。

    あちらこちらに走ったヒビなど直せるところは自分で直し、妻と2人で暮らす。壁が剥がれ落ちるなど、被害の大きかった2階はそのままにして、1階のみを使う。

    「もうちょっと若かったら自分で直すけどねえ。私たちも先が見えているし、帰ってくる子がいるわけでもない。金もないし、そのままにしているよ」

    いまでも、小さな揺れにトラウマを呼び覚まされるという。車が通るたびに「ビクっとしてしまう」のだ。

    「最初の頃はたまに頭が混乱して、震えが止まらなくなってね。いまだに眠るのが怖いんですよ」

    震災後、精神安定剤の処方も受けるようになった。ただ、最近は飲むのをやめている。服用してから寝入ったときに地震がきても、「動けないんじゃないか」と思うからだ。

    震災翌日の木部さんの寝室(左)。修繕ができないため、いまは畳を剥がした。

    震災翌日の木部さんの寝室(左)。修繕ができないため、いまは畳を剥がした。

    : Takumi Harimaya / BuzzFeed | : Kota Hatachi / BuzzFeed

    震災翌日の木部さんの寝室(左)。修繕ができないため、いまは畳を剥がした。

    覚えていてほしい

    また地震があるんじゃないかーー。これから先のことが、不安だ。トラウマは、1年が経とうとするいまも心に深く残る。

    「それでも、熊本の人に比べれば、と思うんです。向こうは2度も大きな揺れがあって、それもこっちより大きい地震で……。本当、かわいそうだなあと」

    そう語る木部さんは、一息おいてこう続けた。

    「ただ、大分で被害にあった人たちのことも忘れんでほしい。湯布院も崩れたりしたのはここら辺の一部だけで、もう復興したようにも見えるけれどね」

    「観光や復興ばかりをいうんじゃなくて、こういう個人がいることも、覚えていてほしいんです」

    きちんと手入れが行き届いた庭の木々は、色とりどりの花を開かせていた。

    30周年を目前にした旅館が……

    「とにかくずっと、前向きにやってきた1年でしたね」

    同じ川北地区にある旅館「山荘わらび野」の経営者・高田淳平さん(38)はそう話す。

    2016年11月に30周年を迎えるはずだった旅館の建物は、もうない。地震で配管などの傷みが激しく、解体したからだ。

    いまそこには、更地だけが残る。

    「解体するときは感傷的になるのかなと思ったんですが、そうなる暇もありませんでしたね。震災があって、ずっと走り続けてきたような感覚です」

    従業員や経営のことなど、「これから」について考えるべきことが多く、直後から自分のことを顧みる時間はなかったという。

    : 山荘わらび野提供 | : Kota Hatachi / BuzzFeed

    やむを得なかった従業員の解雇

    震災時、10棟あった客室は満席だった。幸いけが人などは出なかったが、すぐには再開できない状態だった。

    当初は5月中の再開を目指していたが、修理をするのは「不可能」と判断。震災から2週間ほど経った4月末、社長である父親や兄と話し合って、旅館の建て直しを決めた。

    「建物どうこうは良いんです。建て直そう、これでやり直そうと思えますから」

    でも、と表情が曇る。15人いた社員は、全員解雇せざるを得なかった。それがいちばん辛かった。

    「震災によって毎日顔をあわせてきた人たちを解雇しないといけなかったのは、キツかった。高校を卒業してから、20年近く働いてきた人もいた。解雇を伝えたときの脱力感は大きかったです」

    再開を待つ人への恩返し

    そんな状況に置かれた高田さんを励ましたのが、常連客たちの言葉だった。

    「寄付を名乗り出るお客さんや、わざわざ九州の他県からお菓子を持ってお見舞いに来てくれる人がいたんです」

    「『がんばってください』『オープンしたら連絡してください』という問い合わせもたくさんあった。本当に嬉しかったですね」

    38歳。まだまだ若手だ。

    「数億円かけて新たな出発をしようとしているのだから、妥協はしたくありません。新しい『わらび野』は、次の世代の湯布院を引っ張るような存在にしたい。それが、再開を待っている人たちへの恩返しにもなるはずです」

    この町が、好きだから

    震災を経験して、「この町で生きる覚悟」を決めたという高田さん。こう言葉に力を込める。

    「なぜ湯布院に旅館を建て直すのか、考えたんです。やっぱりそれは、ここが自分の生まれ育った町で、好きだから。そしてこの町を、ネイティブとしてもっと良くしたいから。そう、改めて実感しました」

    「旅館を営む仲間たちにはこう言われました。『湯布院が復興するのは、新しいわらび野ができたときだ』って。嬉しいし、恥ずかしい。でも、責任も感じています」

    「山荘わらび野」の再開は、2018年夏の予定だ。


    BuzzFeed Newsでは、震災直後の湯布院の様子を「『大分のことも忘れんで』 日本屈指の温泉街・湯布院のいま」にまとめています。