【訃報】安倍元首相が死去。演説中に銃撃。戦後生まれ初の首相「安倍一強」で歴代最長の政権に

    安倍氏は1954年、東京都生まれ。父は自民党幹事長や外務相を歴任した安倍晋太郎氏、祖父は岸信介元首相、大叔父は佐藤栄作元首相という政治家一家に育った。2006年に戦後最年少の52歳、戦後生まれとしては初めて首相となり、20年に退陣。「安倍一強」とも言われた在任期間は、憲政史上最長だった。

    参議院議員選挙の応援演説中に銃撃され、病院に搬送されていた安倍晋三元首相が7月8日、亡くなった。67歳だった。

    事件があったのは奈良市の近鉄大和西大寺駅前。7月8日午前11時半ごろ、応援演説で壇上にいた安倍氏が背後から男に銃で撃たれた。

    意識不明・心肺停止の状態で病院に搬送されたが、午後5時すぎに死亡が確認された。首や胸付近を打たれ、死因は失血だったとみられている。

    警察は奈良市の山上徹也容疑者(41)をその場で殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。NHKによると、3年間、海上自衛隊に勤務していた経歴がある。銃は手製のものとみられるという。

    BuzzFeed Newsの取材に応じた近隣に暮らす目撃者の女性によると、銃声は2発聞こえた。演台は血か何かで汚れているように見えたという。

    「演説を見ていたら2回爆発音が鳴った。周辺から『きゃー』と叫び声が聞こえ、先ほどまで演台で話していた安倍さんの姿がなくなっていた。1回目と2回目の(発砲)音は時間差があったが、撃った後の煙みたいなものが立ち込めてただごとじゃないと思った。2回目の銃声の後、SPたちが安倍さんを取り囲み、1人の男を一気に取り押さえた。特に逃げる様子はなく、そのまま取り押さえられた」

    選挙期間中に元首相経験者を襲うという蛮行。民主主義への攻撃とも言えるこの事件について、岸田文雄首相をはじめ、与野党各党首は一斉に犯行を非難する声明を発表。9日土曜日が最終日となる街頭演説を控える動きも出ている。

    歴代最長の政権を築くまで

    安倍氏は1954年、東京都生まれ。父は自民党幹事長や外務相を歴任した安倍晋太郎氏、祖父は岸信介元首相、大叔父は佐藤栄作元首相という政治家一家に育つ。岸信夫防衛相は実弟だ。

    成蹊大学法学部を卒業後、神戸製鋼所や外相秘書官を経て38歳で衆議院議員に初当選した。

    官房副長官や自民党幹事長、第3次小泉内閣における内閣官房長官を経て2006年に戦後最年少の52歳、戦後生まれとしては初めて首相となった。

    その後持病の潰瘍性大腸炎の悪化で退いたが、2012年9月に再び自民党総裁選に挑んで総裁に。同年12月の総選挙で政権を奪還して首相に返り咲いた。

    2020年8月までの7年間、首相をつとめ、再び持病の悪化を理由に退陣した。「安倍一強」とも言われた在任期間は、憲政史上最長だった。

    安倍氏は北朝鮮による拉致問題に取り組み、小泉首相(当時)とともに北朝鮮を訪問。首相就任後も「政権の最重要課題」としていた。

    第二次政権下では、金融緩和を推進する経済政策「アベノミクス」を打ち出した。「地球儀を俯瞰する外交」を掲げ、各国首脳とも積極的に会談を繰り返し、北方領土問題をめぐってはロシアとの平和条約締結も目指していた。

    集団的自衛権を認める閣議決定や「安全保障関連法」では戦後日本の安全保障政策を大きく転換させ、「特定秘密保護法」も成立に結びつけるなど、世論を二分することもあった。

    退任時には「志し半ば」と述べていた安倍氏。憲法への自衛隊の明記などの改正を目指し、退陣後も最大派閥・安倍派の会長として強い影響力を保っていたが、凶弾に倒れた。

    訂正

    当初の原稿では「第三次小泉進次郎内閣」としておりましたが、当時の首相は小泉純一郎氏で、正しくは「第三次小泉内閣」です。お詫びして訂正いたします。