吃音症に苦しむ女子高生を描いた漫画家が、伝えようとしたこと

    作者本人の経験に基づく物語は、多くの共感を生んでいる。

    『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』

    吃音症の女子高生を主人公にした漫画がある。

    自己紹介もできない。だから、友達もできない。そして傷つきながら、なんとか自分と向き合おうとするーー。

    そんな「志乃ちゃん」の姿は、吃音に悩む当事者のみならず、多くの人たちの共感を生んでいる。

    この物語は、作者自らの経験に基づいている。作品を通じて伝えたかったこととは、何なのか。映画化し、7月14日に公開されたことをきっかけに、話を聞いた。

    挫折した自己紹介タイム

    「吃音、障害を描いた漫画ではなく、普遍的なものにしたいなと思っていたんです」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、原作者の押見修造さん(37)だ。自らも吃音症を抱え、その思春期のころの経験をもとに、作品を描いた。

    そもそも吃音症を抱える人は、全人口の1%いると言われている。

    100人に1人と言われると少ないようにも感じるかもしれないが、日本では推定100万人以上いることになる。

    「おおおおお」と音を繰り返してしまったり、伸ばしてしまったりするほか、言葉が詰まったり、間が空いたりする症状がある。

    周囲から理解されにくいため、話すことそのものや、人とのコミュニケーションを避けてしまう原因にもなる。

    押見さんにも、そういう経験があるという。

    「中高時代は、ずっと逃げ続けていましたね。人となるべく話さないようにする、自分から話しかけない、話しかけられるのを待つとか……」

    「大学に入学した時も、自己紹介タイムで挫折したんです。吃って失笑されて。誰も覚えていないし気にしていないと思うんですけれど、僕は気にしてしまって、この人たちがいるクラスには行きたくないなと、だんだん足が遠くなって……」

    吃音を「納得」するということ

    作品は、高校入学直後の「自己紹介タイム」からはじまる。主人公の志乃もやはりそこで挫折し、殻をつくるようにもなる。

    「志乃自身が、ある種の被害者意識を抱えているんですよ。逃げの姿勢ゆえに人を傷つけてしまうんです。僕もそうでした。人一倍大変な思いをしているのに、この苦労をなんでわかってくれないんだ、という気持ちがあったんです」

    「たとえば、中高時代は周りをバカにしていましたね。頭の中では全部わかっていて、輪に入らないのは吃音もあるけれど、お前らがつまらないからだ、とまで思っていましたね」

    しかし押見さんは、大学入学後に「吃音を個性として笑ってくれる友人」に出会い、そして救われたという。

    「人格ひっくるめて、話しかけてくれた」友人のおかげで自分に「納得」することも、そして吃音から逃げずに、踏み出すこともできたのだ。

    「僕の場合、きっかけとして人との交わりがあったんです。飲み込んだ、ということでしょうね。目をつむるのはやめた、みたいな。結局は自分で納得しないとしょうがなかった」

    志乃も、押見さんと同じだ。吃音に苦しむ自分に「納得」するようになる。

    ようやくできた友達に、ひどいことをしてしまうことだって、ある。周りのせいにすることだってある。それでも少しずつ、自分と向き合っていくのだ。

    ”普通”に囚われないこと

    そんな思いを込められた作品は、当事者の背中を押す作品にもなっている。Amazonのレビューにはこのような言葉が並ぶ。

    これまで吃音のせいでひどい人生を送ってきましたが、この本を読んでいてちょっとだけ心が軽くなったような気がしました。

    今まで目を背けていた「吃音」に対して、考えるきっかけになりました。

    押見さんのもとにも、「吃音を説明するために漫画を使った」「カミングアウトのきっかけになった」などの声が寄せられているという。

    「これは自分の経験にしか過ぎないと思っていた。共感してもらえるかわからなかったので、嬉しかったですね」

    ただ、その一方でこんな思いも持っている。

    「吃音の啓蒙がしたいとか、障害を乗り越えた物語にしたい、というのは、ちょっと違うんです。だからこそ、志乃のネガティブな面とか、ダメな面も含めて、見てもらえるといい」

    「かわいそうな子なんだと客観的に見るんじゃなくて、ちょっと変わった子なんだと、自然に。吃音を知ろうとするのではなく、フラットに受け取ってもらいたいと思っています」

    かわいそう、ではなくフラットに

    実際、押見さんは作品で「吃音」や「どもり」という言葉を一切使っていない。なぜか。

    「吃音を持っている人だけが関心が持てるようなものではなく、根っこにある悩みそのものを描きたかったんです。自分の理想とのギャップに対してどう向き合うか、どう対処して行ったらいいのかということを」

    「”普通”ってものは存在しないと思うんですけれど、そういうイメージや像、理想みたいなものに、囚われてしまうことがある。そういうときは、なんでこれに囚われているんだろうと、見つめ直してみるといいんじゃないかなって思います」

    「囚われずに、踏み出すこと」が大切だと、押見さんはいう。自分や志乃と同じように、小さな出会いが、大きな一歩となるかもしれないからだ。

    「このままじゃいけない、でも苦しいと感じているとき。踏み出せないというのは、踏み出す準備ができるということでもあると思うんですよね」

    「閉じこもらずに、なし崩し的に流れに身をまかせるといいかもしれません。外の世界を信じることもなかなかできないけれど、流れはいつか、必ず来るはずですから」

    映画『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、新宿武蔵野館のほか、全国で順次公開中だ。

    予告編はこちら。

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