描いたのは、被告の似顔絵。相模原事件、初公判に「実名」で参加した父の思い

    相模原事件の植松聖被告の初公判が8日に開かれた。植松被告は謝罪の言葉を述べた直後、暴れだすなどしたため取り押さえられ、一時休廷の事態となった。差別や偏見を懸念した遺族らの希望により、「匿名審理」となった裁判に唯一実名で 参加した被害者の父が語ったこととは。

    知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で元職員の植松聖被告が入所者19人を刺殺し、26人に重軽傷を負わせた相模原事件。

    差別や偏見を懸念した遺族らの希望により、「匿名審理」となった裁判に唯一実名で
    参加した被害者、尾野一矢さんの父・剛志さんが、1月8日の初公判後に会見を開き、その心中を語った。

    裁判の経緯は…

    傍聴希望者が1944人集まるなど、注目されていた初公判。その影響で、裁判は20分遅れで開廷した。

    植松被告は起訴事実を認めたが、「皆様に深くおわびします」と述べた後に暴れ出したため、裁判は休廷となった。

    BuzzFeed Newsの取材に応じた作家の雨宮処凛さんによると、植松被告は弁護士が意見を述べ、発言を促された後、裁判長の方に向かって「皆様に深くおわびします」と述べた。

    その直後、体を右に傾け、右手を口の方に寄せ、舌を噛み切るか、何かを口に含むかのような仕草を見せたという。

    NHKによると、午後になって再開された裁判は植松被告不在のまま進められた。

    双方の冒頭陳述では、検察側は「完全に責任能力があった」と主張。一方、弁護側は客観的事実を争わないとしながら、危険ドラッグや大麻の影響に言及。「責任能力について明らかにしていく」と主張したという。

    「彼は人間じゃない」

    「植松に望んでいることは、ありません。正直言って、彼は人間じゃないと思っているから。被告人質問などで彼の本当の心の中を覗きたいと思っているけれど、彼に何を求めようとは思っていません」

    会見でそう語ったのは、事件で重傷を負った一矢さんの父・剛志さんだ。事件直後から実名での取材に応じてきており、裁判でも唯一実名で審理される。

    裁判までの3年半、「植松には絶対負けたくないんだ」という気持ちを持っていたという剛志さんは、被告の思想を否定するためにも、実名を出してきたと語る。

    とはいえ、今回の裁判では、ほとんどの被害者が「甲」「乙」という名前で審理される。差別や偏見を恐れ、匿名審理を望む人が多いからだ。剛志さんは、こう言葉に力を込めた。

    「裁判が終わったとき『そうじゃないんだ!』『お前なんかに負けていないんだよ!』と言いたいんです。そのためには、名前を出して声を出していくべきだと思っています」

    「もちろん、それは個人の考え方。自分が出しているからみんなが出せよということではない。それぞれだせない理由とか、考え方がある。ただ、これが日本の社会の現状です。重度の知的障害を持つ人たちに差別をしていることが如実に現れている。こうではなく、全員が名前と顔を出して裁判にのぞめるような世の中じゃないといけない」

    「朗らかで優しそう」だった過去の被告

    「人間じゃないなら、何だと思っているのか」と記者に問われた剛志さんは、こうも語った。

    「獣ですよね。僕はそういう風に思っていました。弱いものを平気で殺してしまうのだから。でも、昔の彼を知っているから、僕の中ですごく揺れ動く」

    剛志さんは「やまゆり園の家族会」の会長をしていたころに、施設で働いていた植松被告と会ったことがある。「やまゆり園に入ってきた当時の彼は、いまとは全然違う、朗らかで優しそうな好青年だった」と語る。

    とはいえ、植松被告が暴れた仕草については「自殺を図ろうと見せかけているのではないか」と感じたという。その直前の「お詫び」を含め、「裁判を壊すためのパフォーマンスだったと思っています」と一蹴した。

    「彼のパフォーマンスを見て、改めてこういう浅はかな人間なんだ、憎むべき存在なんだ、とも感じた。彼のしたことは許されることではない。きちんと法の裁きを受けるべきだと思っています」

    スケッチをした理由

    妻や娘とともに、パーテーションに区切られた被害者席に座った剛志さん。この日、法廷で植松被告のスケッチをした。

    顔はよく見えなかったが、背広姿の被告を忘れたくないい、と思っていたからだ。

    「彼の印象を残しておきたいと思い、後ろ姿を書いた。自分の中に、彼を閉ざしこもう、記憶に残したいと思ったんです」

    裁判では、事件の被害者が被告人に質問などをすることができる「被害者参加制度」を使って、植松被告に直接、問いかけるつもりだ。

    「いったい、彼の中でいつから『障害者なんか必要ない』という気持ちがあったのか、裁判を通じて知っていきたい、聞きたいと思っています」