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メディアスクラム、加害者批判、そしてデマ。池袋暴走事故、遺族の苦しみとジレンマ

2019年4月19日12時25分ごろ。東京・東池袋で、当時87歳の男が運転していた乗用車が暴走。横断歩道に突っ込んだ。この事故では12人が死傷し、松永真菜さん(31)と長女の莉子さん(3)が亡くなった。遺族の松永拓也さんはこの1年、どのような日々を過ごしてきたのだろうか。

31歳の女性と3歳の女の子ら12人が死傷した東京・池袋暴走事故から、4月19日で1年を迎える。

遺された夫であり、父親である男性は、事故の直後からメディアの前に立って、再発防止を訴えてきた。そうした訴えが大きく取り上げられている一方、加害者に対する批判も巻き上がり、「上級国民」という言葉も広がった。

男性はそうした一連の対応のなかで、苦しみも感じていたという。いったい、どのような思いを抱えていたのか。

BuzzFeed Newsでは遺族の松永拓也さんのインタビューを、前回に引き続き上下連載でお伝えする。

上:「死んだほうが楽なんじゃないかな」ある日、妻と娘を失って。池袋暴走事故、遺族が歩んだ1年

「本音を言えば、僕は交通事故って、他人事だって思っていたんです。自分たちは事故にあわない。関係ない。テレビの向こう側の話だって。まさか自分がこういう立場になるなんて想像してなかった」

東京・東池袋で、当時87歳の男が運転していた乗用車が暴走し、松永真菜さん(31)と長女の莉子さん(3)が亡くなった事故。遺族の松永さんは、BuzzFeed Newsの取材に当時の心境を、そう語る。

「僕は普通にこの先も3人で生きていって、いつか莉子が育っていって、老後は真菜と死ぬまで生きていくんだろうなって、勝手に漠然と考えていた。当たり前なんて、なかったんですけどね」

松永さんは、事故から5日あとに記者会見を開いた。葬儀のあと、その足で会見場に向かったという。事件事故のあと、これほどのはやさで、顔を出して遺族が会見を開くことはめずらしい。

つい数日前までともにいた、愛するふたりを突如として奪われた現実は、まだ受け入れ切れていなかった。しかし、「同じ思いをする人がでてほしくない」との思いから会見に臨んだ、と語る。

「僕が事故に遭うことを現実的に考えてなかったからこそ、現実的に感じてもらいたいなと思ったんです。そうすれば、起きなくていい事故が防げるかもしれない。誰かの命を救えるかもしれない」

「それは、ふたりの命が無駄にならないってことに繋がるんじゃないかって思ったんです。ふたりの命が僕にとって大事なものであったからこそ、本当にかけがえのないものであったからこそ、どうしても無駄にしたくなかったんです」

ふたりの写真をめぐる葛藤

会見に先立って、ふたりの顔写真が公開された。公園で楽しそうに微笑む様子は、ニュースを見た多くの人々の胸に迫った。

とはいえ、1枚の写真とて、それを公にするということは簡単なことではなかった。事件後すぐに、記者クラブ側からは写真を出してもらうよう弁護士を通じて要請があったが、出すべきか、出さないべきか、松永さんは逡巡した。

「真菜は恥ずかしがり屋だったから本当は、嫌だったんです。でもやっぱり現実的に感じてもらうためには『31歳の女性と3歳の女の子』というより顔を見てもらった方がよいだろうと。心の中で、このせめぎあいがありました」

「親族や遺族は、もちろん僕だけじゃないですから。真菜が恥ずかしがりだったっていうのは、ほかの兄弟やお父さんが一番わかっている。その人たちのもちろん意思も尊重しなきゃいけない」

松永さんの実家には、事故の一報を受けて、沖縄の実家から真菜さんの親族が集まっていた。当初、兄弟は「出さないであげてほしい」と言っていたという。

「僕もそれで本当に悩んで、1日考えました。そして、親族全員をリビングに集めて、このふたりの命を無駄にしたくないという話をしたんです。自分は交通事故を現実的に考えてなかった。世の中の人も、俺と同じだと思う。だから写真提供して、少しでも現実的に感じてもらったら、事故を減らせるんじゃないか、と」

「泣きながら親族にお願いしますって言ったら、親族も泣いてましたよ。そうだねって言って。『そう思うんだったらそれでいいと思うよ』ってみんな尊重してくれて。本当つらかったし、苦しかった。僕だけじゃなく、親族全員が、苦渋の決断だったと思います」

直面したメディアスクラム

「この画像を見ていただき、必死に生きていた若い女性と、たった3年しか生きられなかった命があったんだと、現実的に感じていただきたいです」

「少しでも運転に不安がある人は、車を運転しないという選択を考えてほしい。また、周囲の方々も本人に働きかけてほしい。家族の中に運転に不安のある方がいるのなら、いま一度、家族内で考えてほしい」

「それが世の中に広がれば、交通事故による被害者を減らせるかもしれない。そうすれば、妻と娘も少しは浮かばれるのではないかと思います」

松永さんが涙をこらえながら言葉に力を込め、訴えた会見は大きく報道され、反響を呼んだ。高齢ドライバーの免許返納の動きも広がり、国も動く事態となった。松永さんはいう。

「再発防止のために声をあげたい、何か変えたいっていう思いを持った時に、メディアの人が声を聞いてくれて世に出してくれる。それはすごく遺族である僕にとっては、救いにはなっているんです」

「取材を受けることはたしかに本当に疲れますし、苦しい時もある。思い出してつらくなる時もある。でも、それによって誰かが救われてるんじゃないかって思うと、たいしたことないなって自分の中で思えているんです」

とはいえ、松永さんはメディアの「被害」も受けている。事故直後、会見を開くまでは、いわゆるメディアスクラムにも直面した。

「家の周りを30社ぐらいに囲まれて、インターホンを何度も鳴らされて。実家に対してすごかった。その時はなんで加害者じゃなくて、被害者に来るんだと疑問を感じていましたし、やめてほしいって思ったこともありました」

「やっぱり憔悴しきってるから、話すことはないし、何を言っていいのかも分からない。カメラの前で話すなんて、そんな経験もないじゃないですか。だから一切、応じていなかったですね」

実名を公開した理由

また、顔写真を出すか悩んでいるあいだ、報道機関が独自で入手したと思われるふたりの写真がニュースに流れていたことにも、驚いたという。

「最初はめちゃくちゃ、複雑でしたよ。なんでかなって。遺族の意思を尊重してほしいなって思いましたけどね」

事故のあと、京都アニメーションの放火殺人事件が発生。被害者の匿名、実名報道をめぐる議論が巻き起こった。松永さんも、こうした問題について当事者として考える機会が増えたという。

「遺族も一枚岩ではないと思います。人によっては多分そっとしておいてほしいという人も多いし、それが当たり前のはず。僕もそうだったし。そっとしておいてほしいのがずっと続く人もいれば、僕みたいに出るタイプの人もいる」

「報道には、メリットデメリットがあると思っています。考え方を変えれば、マスコミも支援者になりえる。自分の思いを拡声器みたいに伝えてくれるから。でも、メディアスクラムの怖さもある。僕はその両方を経験したからこそ、難しい問題だな、と思っています」

松永さんは4月16日、事故から1年の節目で公開した動画で自らの下の名前をはじめて公表。こう、訴えかけた。

「家族3人で静かに生きていただけの私にとって公の場に出ることだけで恐怖でした。その上で全部の名前を知られてしまうと、自分の生活が脅かされる危険性や非難や批判、好奇の目で見られるのではないかという恐怖心は感じていたからです」

「実名報道には賛否両論あると思います。犯罪被害のご遺族が実名公表しないという選択があっても、私は間違いだと思いません。自分や家族の生活を守るためにそれが必要な人もいます。実名を出しても出さなくてもいいし、実名を出すの時間がかかってもいいと思います」

私も最初は、報道機関に対して恐怖心や不安がありました。メディアスクラムは遺族にとって負担となることは間違いありません。しかしメディアは、自分の思いをより伝えてくれる、支援にもなり得るということがわかりました。つまり、実名報道するかどうかも、報道機関とどう付き合うかも、被害者遺族が選べるのだということを、知っていただきたいと思います

広がった加害者への批判

事故をめぐっては、報道によって大きく取り上げられる一方で、加害者の男に対する社会的な批判も大きく膨らんだ。

元高級官僚というその経歴に加え、けがによる入院を理由に逮捕されなかったことから「上級国民」という言葉が話題となり、親族探しなどの動きや関連するデマも広がった。こうした動きを松永さんは、どうみていたのか。

「僕はいたずらに社会に憎しみの感情を巻き散らかしたくは、ないんです。対立構造を生み出したいわけでもない。取材を受けていること、会見をしたことは、そういう目的があるわけではない。僕はあくまで、交通事故を現実的に感じてもらいたいんです。誰しもが被害者にも、遺族にも、加害者にもなり得るのだと伝えて、再発防止につなげたい」

「でも、自分が出ることで、世の中のこの憎しみの感情をけん引しちゃってるんじゃないか、と感じることもありました。ジレンマですよね。もちろん処罰感情はありますが、恨んでいるわけじゃありません。それは加害者のためでもなく、誰のためでもなく、それは自分自身のためでもあるんです」

会見でも松永さんは、こう述べている。

「妻と娘は本当に優しく、人を恨むような性格ではありませんでした。私もふたりを尊重し、本来なら、そうしたいです。ですが、私の最愛のふたりの命をうばったという、相応の罪を償ってほしいです」

もちろん、男の振る舞いや供述、その後のインタビューを見聞きした際には、悔しさや怒り、憎しみ、恨みの感情が生まれることがあった。

「加害者を憎む感情というのは、遺族として、人間として当たり前の感情だとも思う。でもそれに満たされすぎると、自分が自分でなくなってしまうような感覚になってしまう。自分の精神が壊れちゃいそうだった」

「憎む時間というのは、相手のことを考えてる時間ですよね。自分と自分の愛する人以外の人のことのために時間を使い続けるのは良くないと思ったんです。それだったら、ふたりのことや、同じ思いをする人が出ないためにはどうすればいいんだろうと考えるようになった。そうすると少し、楽になったんです」

憎しみを抱えないために

ふたりの死をどう受容するか。自分が生きるか、死ぬか。何のために生きるのか。そして、恨み、憎しみという負の感情と、どう闘うのか。この1年は常に「葛藤」であったと、松永さんは語る。

「最初はふたりがこの世からいなくなってしまったことと向き合って、葛藤して。次に自分の感情と葛藤して。やっぱり悔しくて、どうしても憎しみに満たされそうになる自分と戦っていました」

「そういうときに出てくるのが、真菜と、莉子の顔だった。いまのように、さまざまな行動に移るようにできたのはふたりのおかげだと思ってるんですよ。今も、ふたりの存在が僕を突き動かしてくれている。」

1年を経て、事故現場近くの目の前の公園に、追悼碑ができることになった。ふたりの命を未来に繋げたい。だからこそ、碑には「ふたりの命をはじめ、これまでの犠牲者の命を無駄にせず、今生きている方々の大切な命が失われないように」との思いを込めたという。

「交通事故は、毎日起きていて、年間3000人以上が、戦後94万人の方が交通事故で亡くなっています。僕はこうしてメディアに取り上げられているけれど、ほとんどの遺族の人が、悔しさとか悲しさとかを伝えたくても世になかなか伝わらない現状があるはず」

「その人たちの悔しさ、あとはつらさ、遺族のつらさ……。そういう人たちの分も現実を、少しでもいま世の中に生きてる人たちに知ってほしい。ふたりの命を無駄にしたくない。そして、94万人の人の命も無駄にしたくない。そう、思っています」


松永さんのインタビュー動画はこちら

「私も、交通事故はテレビの向こう側の話だと思っていました」 東京・池袋で高齢者が運転する車が暴走し、松永真菜さんと3歳の莉子さんが亡くなった事故から、まもなく1年。 妻子を亡くした松永さんは、誰もが交通事故の被害者にも、遺族にも、加害者にもなり得ることを忘れないでほしいと語ります。