【高校野球】原爆から71年目のそのとき、長崎商は甲子園から祈りを捧げた

    球場は、静寂に包まれた。

    1945年8月9日午前11時2分。長崎市上空約500メートル。米軍のB-29から落とされた原子爆弾「ファットマン」が炸裂した瞬間だ。

    当時の長崎市の人口は約24万人だった。その年の暮れまでの死者は、73,884人。74,909人が負傷したという。

    あれから71年経った8月9日。高校野球の長崎県代表・長崎商業は、甲子園のグラウンドに立っていた。原爆が炸裂した、まさにその時間に。

    1885年創設の長崎商業は当時、爆心地から1キロと少しのところにあった。原爆では、生徒と教員、合わせて174人が犠牲になっている

    「僕たち長崎勢にとって、8月9日は特別な日なんです。県民の思いを背負って戦いたい」

    被爆から71年目のこの日。朝日放送によると、試合に臨む選手たちは口々にこう言ったという。

    選手たちの思いだけではなかった。試合開始直後、アルプススタンドからは黙祷が捧げられた。

    提案したのは、長崎商の生徒たちだ。

    「平和の思いを忘れずに、スタンドからエールを送りたい」

    そんな思いを持ち、教師たちに自ら申し出たという。山梨学院の応援団もそれに応えた。甲子園は、静寂に包まれた。

    ただ、選手たちは試合を中断するわけにいかない。その輪には入らなかった。

    それでも、11時5分。1回の裏が終わり、長崎商の校歌が流れていた、そのとき。

    試合には3-5で敗れたが、長崎商の西口博之監督は言った。「特別な日に試合をさせていただいた」