銭湯に富士山を描き続ける。銭湯絵師の中島盛夫さん(71)。19歳から52年間、その道を歩んできた職人だ。
この日の現場は、東京都足立区の梅の湯。中島さんは7年前からこの銭湯を担当しているという。描き換えのペースは、2年に1度ほどだ。
絵柄を考えるのは、当日になってから。この日も銭湯の主人から「おっきい富士山をお願いします」との注文を受けて、煙草を燻らせながら、じっと壁を見つめていた。
4種類のローラー、7〜8本の刷毛、3本の筆を使い分ける。青、黄、赤色のペンキを混ぜ合わせて、自分が必要とする色合いを生み出す。
中島さんはたった1日で男湯、女湯の絵を描く。あちこちに銭湯があったころ、引っ張りだこだったからこそ染みついたくせだ。ローラーを使って雲などを描きながら下絵を塗り上げるのが、速さの秘訣という。
絵柄のほとんどが、頭の中にある想像の風景だ。中島さんは「好きな絵を大きなキャンバスに描ける。こんないい商売はないですよ」と笑う。
もともと、絵が大好きだった。18歳で上京。初めて入った銭湯の富士山に衝撃を受けた。新聞の三行広告を見た翌年、銭湯絵師に弟子入りした。
以来、描いてきた富士山は1万以上。「日本人だから富士山を描くのかもね。好きだよ。でも、むつかしいね」
描いたときには満足しても、あとから見ると気になるところがたくさんある。描き終わったあと、お客さんに紛れてそっと湯船に浸かるのが、好きだとか。
銭湯は年々減少している。ピークだった40年前は月に25件ほど受注していたが、仕事は激減した。それでも後継者を育成し、自らも80歳まで描き続けると決めている。
この日はたった3時間で、男湯部分を描き上げた。生まれ故郷は、福島県の飯舘村。緑豊かな渓谷は、幼少期を過ごした村をイメージして描くことが多いという。
しかし、そんな故郷も福島第一原発の事故により、帰ることはできなくなった。中島さんは悲しげにつぶやく。「寂しい限りですよ」