母の虐待は、ピアノの練習から始まった。「地獄」を経て親になった彼女が、いま願うこと

    「家庭は地獄だった」。自民党有志議員の会議でそう訴えた、虐待サバイバーの風間暁さん。子どものための新組織の名称を「こども庁」とするきっかけをつくった人物だ。その名が「こども家庭庁」へと方針転換されたいま、願うこととは。

    子ども関連の政策に取り組む新しい官庁の名称が、「こども庁」から「こども家庭庁」へと方針転換された。

    だが、もともとの「こども庁」という名称が決まった背景には、自民党の勉強会で「家庭は地獄だった」と自らの虐待体験を訴えた、ある女性の声があった。

    ピアノの練習から始まった、母親による虐待。被害者である彼女は「もっと子ども個人に目を向け、声を聞いてほしい」といまも呼びかけている。その思いを聞いた。

    「私にとって、家庭の中っていうのは決して安全な場所ではありませんでした。家庭は私の世界のすべてでありながら、地獄だった」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、風間暁さん(30)。子どものころ、母親から虐待を受けてきた「サバイバー」のひとりだ。

    「ずっと近くにいた身近な大人である母や父は、私を助けてくれる存在ではなかったんです。むしろ、私のことを傷つけてくる人たちで、特に母は恐怖の対象でした」

    風間さんは幼い頃から、母親に「お人形さんのように」扱われてきた。母親好みの洋服、髪型を強制されたことを覚えている。

    虐待がはじまったのは、小学校低学年のころ。きっかけは、母親に始めさせられたピアノのレッスンだった。

    「最初は少しずつできることが増えるのが、すごく楽しかった。でも、どんどん母が厳しくなっていったんです。私に求めてくる基準が高くなってきて、手の形が崩れるだけで叩かれるようになったんです」

    毎日数時間、母親がずっと監視するなかで練習を強いられ、ピアノが嫌いになった。暴力は手先を叩くことから徐々にエスカレートし、殴られたり、蹴られたりすることも増えていった。

    ビニール紐で手足を縛られ、ガムテープで口を塞がれ、納戸や押し入れに閉じ込められることもあった。真夏の暑さからあまりにも喉が渇き、なんとか這い出して、トイレの便器に首を突っ込み、水を飲んだこともある。

    ご飯を食べさせてもらえないことも多かった。空腹に耐えきれず、キッチンの「だしの素」を食べていると、母親に見つかった。母親は馬乗りになり、泣きながら、殴りかかってきたという。

    「母が何かをするときは、私が悪いんです。『産まなきゃ良かった』『お前の存在さえなければ』ってよく言ってましたね」

    母親がご飯をつくってくれるのは、ピアノの練習がうまくいったときだけだった。

    「悪い子」になろうとして…

    卵焼きを焦がした、トイレットペーパーがなくなった……。母親にとって都合が悪いことが起きると、殴られるようになった。それでも、口答えはしなかった。

    「なんでも私のせいになるんです。でも、何を言っても聞いてもらえることもないし、反抗すれば殴られるし、泣けばもっと酷いことになるから、こっちは黙るしかなくなった」

    近所からの通報を受けたのか、児童相談所の職員が家に訪問してくることもあった。職員から何か質問をされるたび、母親からの視線を感じた。風間さんはこういうしかなかった。「何もないです。仲良いです」と。

    ことが済めば、「お前が言うことを聞かないせいで」と殴られた。職員がこなければ私は殴られなかったのではないか――。「支援」をする大人たちに対するそんな不信感が生まれた。

    同居する父親は風間さんに優しかったが、平日は仕事でほとんど家にいなかった。虐待のことを知っていたかは、わからない。

    「うちの家庭は母が支配者で、父も尻に敷かれていたから、助けてはくれませんでした。『ママを刺激しないように、怒らせないように賢く立ち回れ』って私にずっと言うだけだった」

    小学校高学年のころ、父親が交通事故を起こした。これを機に両親は離婚。母親と2人暮らしの生活が始まった。転校先で「やんちゃなグループ」と仲良くなった風間さんは、非行に走るようになる。

    中学校時代は児童相談所や、児童自立支援施設にも入ったこともある。大人に楯突く手段を知り、楽しさを覚えた。「不良」になったことで、母親の干渉も止んだ。支配から解放された、とも感じた。

    「私って、ずっと悪い子と言われて育ったんですよね。でも小さいころは、その心当たりがなかった。だから、もしかしたら母のために本当に『悪い子』になろうとしてたんじゃないかなって、いまはそう思うんです」

    一方で、自傷行為や薬物にも手を出すようになっていた。解離性障害と診断されたが症状は改善せず、10代の後半になってから、薬物の過剰摂取で病院に運ばれた。

    「虐待を受けていたんだね」。精神科医による治療の過程で聞き取りをされると、そんな声をかけられることがあった。それまでまったく自覚がなかったが、他人に言われることで、自らが「被害者」であることを知った。

    洗脳されていたのかもしれない――。あの頃の自分は「悪い子」ではなかったのだと気づけたとき、風間さんは20代になっていた。

    話をしたくはない、でも

    自らの生い立ちとともに、薬物依存症からは回復することができるという「希望のメッセージ」を伝える活動のなかで、政治家とつながりができたのは2年前のこと。

    自民党の山田太郎・参議院議員から声をかけられ、同議員が事務局を務める党内有志の勉強会で講演することになった。

    「家庭は地獄だった」。昨年3月に開かれた場で訴えた風間さん。もともと「子ども家庭庁」とされていた名称を「子ども庁」に変えようという提言に、議員たちは呼応した。

    「子どもたちが読めるようにしよう」という自見はな子・参議院議員の発案から、「子」の字をひらがなにすることも、決まった。

    「虐待って、被害を受けてきた私にとっては思い出したくもなければ、話したいものでもないんです。いまもこうして話していても、綱渡りしているみたいな感じなんです」

    「風が吹いたら倒れそうになるぐらい、不安定なところを渡りながら。それでも、この経験が誰かの役に立てば、私の苦しんだ日々にも意味が出てくる。そう思って、話している」

    「大変だったねって言われたいわけじゃない。別にそれで何かがよくなるわけじゃないですから。自民党の勉強会の場にいた議員さんたちは、ただ話を聞くだけじゃなかった」

    風間さんは少し間をあけて、こうも言った。「名前が変わったことで、私の経験を受け止め、活かしてもらえた感じがしたんです。すごく嬉しかったんですよ、あの日」。

    政治に見た「虐待」の構造

    しかし、それから8ヶ月後。名称が「こども家庭庁」になったことを、風間さんは報道で知る。

    共同通信は「伝統的家族観を重視する党内保守派に配慮した形」と伝えていた。一切の相談も連絡もなく、不信感は募った。

    「結局こうなのかってすごくガックリしましたね。一度受け入れておいて、説明も何もなしに一部の人たちの動きで変わっちゃうんだなって。いろいろな人たちで丁寧に時間をかけて、議論を積み重ねてきた『こども庁』だったと思うんですよね。名前も、中身も……」

    「それがこんな簡単に変えられちゃうんだって思ったときに、これって私が昔いた家庭の構造と何が違うんだろう、って思いました。母から存在すらも尊重されないまま、支配者である母の一声で状況が変わる。それと、一緒じゃない?って」

    朝日新聞によると、「こども家庭庁」の名称が決定された場で、加藤勝信・前官房長官は「子どもは家庭を基盤に成長する。家庭の子育てを支えることは子どもの健やかな成長を保障するのに不可欠」と説明。

    同紙はこのほか、保守派議員の働きかけや、選挙公約で「子ども家庭庁」を掲げていた公明党への配慮があったとも伝えている。

    「こども家庭庁」の創設は来年4月が予定されている。しかし、関連法であり、子ども政策の根本を担う「こども基本法」の議論をめぐっては、やはり保守派議員から慎重論が相次いでいるとの報道もある。

    「ちゃんと、子どもたちの意見を聞いたの?」

    風間さんはいま、名称を「こども庁」に戻すよう、「Change.org」で署名活動を始めた。2月3日現在、集まった署名は28000筆を超えた。

    こうして名称の変更を訴えるのは、自らの家庭が地獄だったから、という理由だけではない。自分が家を訪れた児相の職員を恨んでしまったように、家庭への介入だけでは、子どもを救えないと実体験から痛感しているからだ。

    家庭をベースにした政策にとどまらず、もっと「子ども」個人に目を向け、その声に耳を傾けて、手を差し伸べる組織であってほしいとも願う。なにより子どもたちから、そう見えるように、と。

    「子どもの意見や気持ちをちゃんと聞いて、受け止める組織になってほしいんです。私もあの頃、自分の意見を大人たちに受け止めてほしかったからこそ、そう思える。名前の件だって、それは同じですよね。ちゃんと、子どもたちの意見を聞いたの?って」

    「このままじゃ、ずっと子どもが『家庭』の一部として消費されていっちゃうような気がします。子ども個人の権利、そして声に向き合うという姿勢が社会にないと、何もよくなっていかないんじゃないかな」

    風間さんは、2人の子どもを育てる母親でもある。子どもたちに対して常に心がけていることは、「とにかく子どもの話を聞く」ことだ。

    「個を尊重することから、すべては始まると思うんです。個を大事にされれば、自分の輪郭をしっかり把握できるようになって、自分と違う人のことを尊重しないといけないんだなって分かっていくんだと思うんです。私が大人を信頼できないまま大人になってしまって、ずっと他人との境界線が曖昧だったからこそ、そう感じています」

    虐待サバイバーとして、そしてひとりの親として。大切なことは、「個」を尊重する社会であると、強く思う。それは子どものためにもなり、ましてや親のためにもなるとも。

    子ども関連の政策に取り組む新しい官庁の名前が「こども庁」から「こども家庭庁」へ方針転換され、抗議の声が上がっています。 元々「こども庁」の名称が誕生するきっかけを作った風間暁さんは、「家庭は私の世界の全てでありながら、地獄のような場所でした」と語ります。 https://t.co/QoQWuDAQ0G

    Twitter: @BFJNews

    風間さんへのインタビュー動画はこちら。

    「変な意味じゃなくて、親子だって他人じゃないですか。親だって人間だし、子どもだって血が繋がっていようといまいと、その親とは別の人格を持っている」

    「『家庭』で一緒くたにされるんじゃなくて、子は子で、親は親で、それぞれ尊重されるようになってほしい。社会全体がそういう認識を持つようになれば、生きやすくなる人いっぱいいるはずですよね」