「青春を返してほしい」ハンセン病、家族たちの現実。裁判が終わっても

    国の隔離政策で差別を受けたとして、家族たちが起こしていた「ハンセン病家族訴訟」。熊本地裁の判決を受け、安倍晋三首相は7月9日朝、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない」と、控訴断念を発表した。

    国が控訴を断念することを明らかにした「ハンセン病家族訴訟」。

    長年にわたる隔離政策によって苦しんできた家族たちによる初めての集団訴訟は、国の責任を認め、一部賠償を認めた熊本地裁判決が確定することになった。

    今後、差別の根源をつくってきた国だけではなく、社会そのものが何をしてきたのか、改めて問われることになる。

    「ハンセン病は、一体なんであったのか。国がなぜ世界にも例を見ない隔離政策を続けてきたのか。その政策のもとに、本人ならびに家族がどんな思いを強いられたのか。どんな人権侵害、差別に耐えなければならなかったのか」

    7月9日、記者会見で原告団長の林力さん(元九州産業大教授)が言葉に力を込めた。父親がハンセン病の元患者で、「ずっと父を隠し続けてきた」といい、国に対して、こうも求めた。

    「やっていただきたいことは、この問題に対する誤った政策のもとで培われた偏見、無知ーー。無知こそ差別の始まりでありますので、そうした問題解決に全力を注いでいただきたい」

    裁判の原告は、患者が発症当時に同居していた家族や、患者の子どもたち家族561人。その多くは、いまも社会に根深く残る差別をおそれ、匿名で参加している。弁護士と会うこともできなかった原告が、少なくないほどだ。

    6月28日の熊本地裁の判決では、隔離政策が「大多数の国民らによる偏見・差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させ、家族関係の形成の阻害を生じさせた」とした。

    判決では、学校側の就学拒否や村八分、結婚差別や就労差別などの被害を認定。20人の請求は棄却されたが、541人に計3億7675万円の支払いを命じていた。

    国が期限である7月12日までに控訴をするのか、断念するのかに注目が集まっていたが、安倍晋三首相は9日朝、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上長引かせるわけにはいかない」と、控訴断念を発表した。

    まず、経緯を振り返る

    そもそもなぜ、ハンセン病患者の家族、なのか。

    日本には1996年まで存在した「らい予防法」に基づき、ハンセン病にかかった患者たちを、無理やりに社会から隔離した歴史がある。

    多くは家族の元を引き離され、塀に囲まれた隔離施設に収容された。強制的に収容する運動なども全国的に広まり、社会に差別や偏見は広がった。そのため多くの人たちは、病が治ったとしても、園の中で暮らさざるを得なかった。

    病を理由に中絶や断種をさせられる夫婦たちもいた。国の「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書によると、1949年から96年までハンセン病を理由に不妊手術をされた男女は1551人。堕胎手術の数は、7696件に及ぶ。

    元患者に対しては、「らい予防法」が廃止された5年後の2001年、元患者が起こした集団訴訟で、隔離政策の違憲性が認められ、当時の小泉純一郎首相が控訴を断念。謝罪した。

    一方、その隠れた被害を受けてきたのが、患者たちの家族だった。社会には差別が根深く広がっていたからだ。

    親と引き離されて暮らさざるをえなかった、近所や学校でいじめを受けた、結婚が破談になった、就職や進学を諦めたーー。自死に追いやられた人も、いる。

    家族たちは2016年、「国の誤った隔離政策で社会に根付いた偏見」によって差別されたとして、熊本地裁に初めて、集団訴訟を起こしたのだ。

    家族が政治を動かした

    「原告の皆さんがおひとりおひとり、厳しい状況の中で、それぞれに許された最大限の力を振り絞って被害を訴えてこられたことが、政治家を動かした」

    会見に先立って開かれた報告集会では、弁護団共同代表の徳田靖之弁護士がそう語った。

    超党派の「ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会」の森山裕会長(自民)も集会に参加。

    地元である鹿児島県鹿屋市にもハンセン病療養所「星塚敬愛園」があることに触れ、幼少期、患者の住んでいた家の前を通ったときのことを、こう振り返った。

    「我々は誰からとなく、あの家の木戸口を通るときは息をしないで通れと教えられました。私もそれをしてきた、一人であります。幼かったとはいえ やはりハンセン病問題は大きな問題を含んでいる。1日もはやく問題解決を終わらせることが大事だと思っています」

    そのうえで、「なんとしてもハンセン病問題の最終解決を達成する」と述べた。

    口紅一本塗らず生きてきた

    匿名で裁判に参加していた関西出身の80代女性は、父が岡山の療養所に収容された。

    凄まじい差別と村八分を受け、学校の先生にもいじめられ、小学3年生で学校に行けなくなった。母も病に倒れ、生活苦から家計を支えざるを得なくなったという。

    その後も学校に通うことはできず、字を書くこともできないまま「口紅一本塗らずに」生きてきたといい、こう思いを語った。

    「私の人生と青春を返せ、と大声で叫びたいです」

    両親や姉が元患者だった副団長の黄光男さんも、「ハンセン病だから、と態度を変えている人たちがそれを改めるような世の中になってほしい」と語り、こうも続けた。

    「当事者と家族が断絶されたままの人たちが、日本にはたくさんいる。判決が確定したということは、この関係性をきちっと取り戻すことに対する、国の責任が生じたということではないでしょうか」

    弁護団では今後、安倍首相と原告の面談や、偏見差別の根本的解消に向けた取り組み、さらに「一括一律」の被害回復制度の創設実現を求めていくという。