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熊本地震で被災した秘湯を襲った豪雨 それでも、源泉は生きていた

全国からの注目が薄れても、復興への歩みは続く

震度7の大地震から3ヶ月が経ち、新聞やテレビで熊本のニュースを見ることは、ほとんどなくなった。

6月には豪雨災害もあり、復興どころか地震直後よりもさらに窮地に追い込まれている人たちがいることを、どれだけの人が知っているだろう。

豪雨で、特に大きな被害を受けたのが、南阿蘇村の秘湯「地獄温泉・清風荘」。江戸時代から続き、5つの浴場、2つの宿泊施設を持つ、県内屈指の温泉旅館だ。

震災で営業休止になっていたところを、豪雨による土石流が襲った。地震で無事だった施設も半分以上が流され、泥に埋もれた。

再開のめどは立っていない。経営を担う3兄弟とその家族、従業員の収入は絶たれた。いまも避難所暮らしが続いている。

秘湯を襲った震災

阿蘇山の山間、曲がりくねった一本道の奥に、地獄温泉はある。

約200年前に発見され、江戸時代には細川藩士しか入浴できなかったという逸話も残る、歴史のある秘湯だ。

少し緑がかった白濁色、浸かると体に硫黄臭が染み付くほどの泉質。古くから多くの湯治客が集ってきた。

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4月16日、熊本地震の「本震」で、村にある阿蘇大橋は崩落。大学寮や別荘地などでは死者が出た。

地獄温泉へつながる一本道も崩れ落ち、宿は孤立状態に。宿泊客と従業員をあわせた約50人は、夕方に自衛隊のヘリで救出された。

副社長で次男の河津謙二さん(52)は、地震から10日ほど経って、ようやく宿を見にいくことができた。

「そこで、泉源と水の無事を確認できたんです。お湯があればどうにかなると、一安心しました」

BuzzFeed Newsの取材に、そう振り返る。

敷地内には地割れができ、明治時代に建てられた本館に歪みも出た。それでも、入浴施設は無事だった。旅館の営業はしばらくできないとしても、日帰り入浴だけでも、早く再開したかった。

行ける日はできるだけ、兄弟や従業員と宿へ足を運んだ。道を開き、手作業で直せるところから、徐々に復興への道筋を立てていった。

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追い討ちをかけた豪雨

しかし、6月20日。地震で弱り切った熊本を、豪雨が襲った。

南阿蘇村でも、雨は降り続いた。普段ならさほどの心配はない雨でも、地震で地盤が緩んでいることが、河津さんの不安を誘った。

宿までの道は再び閉ざされたが、村役場の職員が現地を視察し、写真を撮ってきた。それが、冒頭の惨状だ。

「いままでやってきたことが、全部マイナスになってしまったというショックは大きかった」

豪雨から1週間後。河津さんは再び徒歩で、宿に向かった。

大規模な土石流により、本館や泉源、さらには最も古い「元湯」も飲み込まれていた。被害を受けた施設は、全体の約3分2にまで及んでいた。

呆然と、立ち尽くした。

「どこまで阿蘇っていうのはついていないのかな、と。ここまで痛めつけられることは、なかなかないですよね」

それでも、一縷の希望があった。

土石流で2メートル近く積もった泥の上を歩き回った河津さんは、シューっという音とともに吹き出す湯気を見つけた。

そばによると、直径数センチの穴から、源泉の湯気が勢いよく噴き出していた。

コポ、コポっと、お湯も湧き出していた。温泉は、泥の海の下で生きていた。

「かろうじてお湯がありますよ、と自分に伝えてくれていたんです」

お湯がなければ諦めていた

「温泉が発見されてから200年。これからまた、100年、200年続いていく長い歴史のなかではこういうこともあるだろうし、たまたま自分たちが行き当たっただけかな、とも思っています」

先行きは決して、明るいわけではない。兄弟と従業員の家族たち11人は、いまも村内の避難所に暮らしている。

来月にはようやく仮設住宅に入れる見込みもできたが、宿が再開するまで、収入は絶たれたままだ。何か頼れるものがあるわけでもない。

状況は厳しい。しかし、河津さんはこう話す。

「悲壮感はないですよ。もう、これ以上ないほどダメージを受けた。元に戻すことに集中していますから。お湯がなければ諦めていたんでしょうけれど、そうではない。立ち直れないことはない」

熊本地震に追い討ちをかけた豪雨では、土砂崩れなどで6人が死亡。500棟以上が浸水被害に遭い、家屋も2棟が全壊した。

地震から3ヶ月。県内ではいまも約4600人が避難所での生活を続け、街中には多くのがれきが残る。生活の再建には、程遠い。

全国からの注目が薄れても、復興に向けての歩みは続いている。

Kota Hatachiに連絡する メールアドレス:Kota.Hatachi@buzzfeed.com.

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