【ルポ】熊本地震の被災地は、まだ何も復興していない いまだ200人が避難を続ける現実

    被災地は、まだ何も復興していない

    関連死を含め100人以上の死者を出した熊本地震から、半年が経とうとしている。

    「将来が不安」「悲しい」「思い出すのも嫌だ」

    BuzzFeed Newsは10月13日、現地を訪れ、話を聞いた。

    追いついていない解体

    震度7の地震に2度襲われた益城町。解体中の建物も目立つが、まだ、震災直後からそのままになっている家も多い。解体が追いついていないからだ。

    益城町が8〜9月に実施した全世帯アンケート(1万3097世帯、解答率39%)によれば、半壊以上だった世帯が過半数を占め、いま自宅以外に暮らしている人は1524世帯と、回答者の3割近くにのぼる。

    そんな益城町では、避難者の仮設住宅への入居が進む一方、いまだに約100人が総合体育館にある避難所での生活を続けている。県によると、熊本県全体では205人(10月13日現在)が避難しているという。

    総合体育館の委託運営をしている熊本YMCAによると、いまも体育館に残っている人たちは、家族連れから一人暮らしの高齢者までとバラバラだ。大半は、今月末に予定されている仮設住宅の入居待ち。それに合わせて避難所も閉鎖されるが、経済的な問題を抱えて行き先が決まっていない人も7世帯8人いるという。

    奇跡的に助かったいのち

    入居待ちのために避難所生活を続ける高橋英子さん(78)が、BuzzFeed Newsの取材に当時の様子を語ってくれた。

    4月16日の本震で2階建ての自宅が全壊。1階で寝ていて家屋の下敷きになって声も出せない状態だったが、直後にレスキュー隊に救助された。

    「もうだめだと思ったけれど、奇跡的に助かりました。たいせつな命、やっぱりよかったなぁと……」

    2カ月の入院生活を経て、避難所に移った。娘の家にも少しだけ身を寄せたが、「孫や旦那もおるし、気を使う。それにここなら情報が入ってきて、相談もできるから」。

    高橋さんが暮らす「一人部屋」に、許可を得て入らせてもらった。

    布で間仕切りをされているが、天井はない。話し声や物音はたてづらいという。ダンボールで作られたベッドの上には、マットレスが敷かれている。必要最低限の洋服が入った小さな棚や小物を入れる箱を置けば、大人二人が立つのがやっと、といった広さになる。

    「もっと不安になりますよ」

    食事は、弁当と炊き出しが中心。もちろんトイレは共用だ。

    「やっぱりこういう暮らしですから、言葉では言えん悩みもたくさんありますよ。それを打ち明けられないこともストレスになる」

    「調理師だったから、ご飯が作れないのは残念だけれども、しょうがないから。仮設では作れるようになるから、楽しみですね」

    今月末、ようやく避難所から出ることができる。でも、手放しで喜んでいるというわけでも、ない。

    「仮設で暮らすのも不安なんです。一人だと、地震のときの恐怖が蘇るの。余震もあるし、やっぱり怖いんですよね。皆さんと一緒にここにおれば会話ができるけど、今度はさみしくなる」

    仮設住宅の入居期限は原則、2年とされている。「お金もないし、家を建てるわけにもいかない。その後のことを考えると、もっと不安になりますよ」と、高橋さんはつぶやいた。

    「とうとう出らんといかんと思って、入居日が決まった日は寝られんかった」

    今月末に迫った避難所閉鎖

    町の委託を受けて避難所を運営する熊本YMCAスタッフで益城町総合運動公園の副所長の丸目陽子さん(39)は、BuzzFeed Newsの取材にこう語る。

    「最後まで避難をされている方は何かしらの課題を抱えていることがある。取り残されたと感じている人も多い。できる限り、寄り添うことを心がけています」

    仮設住宅の抽選に落ち続けた人、経済的な問題を抱えている人……。スタッフに相談をしてくる人には「話を聞く、共感する、励ます」ことを、第一に心がける。

    そうやって半年間、支援をし続けてきたスタッフたちも、被災者だ。もともとこの避難所にいて、いまは仮設住宅で暮らしている人もいるし、丸目さんだって、自宅アパートが一部損壊した。

    「多かれ少なかれ、みんな被災者。大変ですけれど、復興に携わっている、誰かの役に立てている、という気持ちがあったから、ここまで頑張れたのかもしれません」

    ピーク時は1500人だった避難者は、余震が減ったり、仮設住宅が建ったりするごとに減っていった。避難所の閉鎖はいよいよ、今月末に迫った。

    「当初の目標は、この避難所から死者を一人も出さないこと。幸いにもこれまでは達成できています。最後の一人が避難所から出るまで、気を抜かないで、しっかり運営をしていきたいと思っています」(丸目さん)

    仮設住宅に潜む課題

    一方、すでに入居が終わっている仮設住宅では「あたらしい暮らし」が始まっていた。

    220戸に約600人が暮らす「木山団地」。夕方、集会所には笑い声が響く。

    住民たちが集まる「お茶会」が、10月13日に始まったからだ。スタッフの宮崎律子さん(64)が「お茶どうぞ〜」と、気さくに声をかけている。お年寄りから子連れの母親たちまでが、井戸端会議に花を咲かす。

    このお茶会は、孤独死などを防ぐため、「住民をつなぐ」ことを目的にした熊本YMCAのプロジェクトだ。自身も近くの仮設住宅に暮らす宮崎さんたちがスタッフとなり、週に3回、開催する。

    仮設住宅における「人付き合い」は、おおきな課題でもある。

    産経新聞が9月、入居者157人に実施したアンケートでは、「仮設住宅入居後にできた友人の数」という問いに、「いない」と回答した人が男性81.4%、女性63.2%もいた。「近隣との付き合い方」についても、「あいさつ程度」という回答が、男女ともに2割を超えている。

    宮崎さんは、BuzzFeed Newsの取材に言う。

    「みんなが引きこもりにならないよう、輪をつくってもらいたくて。子どもがいれば元気も出るし、話をして顔見知りになれば、普段から声をかけるようになって、輪はおっきくなっていくはず」

    「やっぱり寂しいですよ」

    この日、「ママ友」とコーヒーを飲んでいた松永香奈さん(22)は、自宅が全壊。8月から家族5人でここに暮らす。

    「だいぶ落ち着いてきたけれど、あたらしい生活だけん、慣れないし大変ですね。だから、こうやって近所付き合いができるのはありがたいです。友達もできるので」

    「うちは借家だったし、お金もないので、家を建てることもできない。これからのことは不安だけれど、こうやってみんなが仲良くなれば、助けてもらうこともある。きっと、うまくいくと思います」

    お茶を飲んでいた水上千代美さん(75)も、やはり自宅が全壊し、1カ月前に引っ越して来た。もともとは子どもや孫と7人で暮らしていたが、別々の仮設住宅で暮らすことになってしまったという。

    「いま一番つらいこと? やっぱり寂しさですよ。避難所ではまだ同じ屋根の下で暮らしていたから、たまには顔も見られた。でも、いまは車で20〜30分。それだけでも、やっぱり遠く感じます」

    宮崎さんとは、避難所で暮らしていたころに知り合った。会話をすることで辛い時期を乗り越えてこられたと感じている。だからこそ、お茶会には今後も顔を出そうと思っているという。

    「宮崎さんと出会えて本当によかった。震災で悲しいこともあったけれど、良い出会いをもらえたことは、ありがたいですよ。希望をもって、進んでいこうと思えますから」

    「後戻りしても、しょうがない」

    ただ、そんな宮崎さんも、自宅が全壊している被災者だ。

    自身がスタッフをしている理由について、「自分がこうやって楽しみながら話をすれば、周りも楽しめるはず。支援しているとか、そういうのじゃなくて、みんなで頑張っていこうという気持ちですよ」と教えてくれたが、こうも語る。

    「まだまだ益城町の復興は進んでいない。壊れた建物もたくさんあるし、もう見たくもないよ。地震を思い出すのも嫌だから。更地になれば、少しだけでも気持ちに整理がつくかもしれない。うちだって、家を建てるお金はどうするのという話もある。宝くじが当たればよかばってんね」

    話しながらうっすらと目に涙を浮かべ、少しあけてまた笑顔を取り戻すと、宮崎さんは言った。

    「でもね、後戻りしても、しょんなか(しょうがない)もんね」

    熊本の復興は、これから、始まろうとしている。


    訂正

    当初、「毎日新聞が8〜9月に実施した全世帯アンケート」とありましたが、正しくは「益城町が8〜9月に実施した全世帯アンケート」でした。訂正します。