ALS患者のJリーグ元社長が、かつての「ヤンキー」たちを探している理由

    ALS患者でサッカーJ2「FC岐阜」の社長だった恩田聖敬さんが、2004年、東大阪のレジャー施設「JJCLUB100 東大阪近鉄ハーツ店」で働いていたころの「やんちゃ」だった客たちを探している。

    筋肉を動かす全身の神経細胞が侵され、体が動かなくなっていく進行性の難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」。

    この病を発症したサッカーJ2「FC岐阜」の元社長が、自らの人生の原点に再会するための「人探し」プロジェクトを進めている。

    探しているのはいまから15年前の2004年、東大阪のレジャー施設で働いていたころの「やんちゃ」だった客たちだ。いったい、なぜなのか。

    恩田聖敬さん、41歳。

    複数のアミューズメント事業会社を経て、2014年4月にJ2のサッカークラブ『FC岐阜』の社長に就任したが、同時にALSを発症。翌年11月末に「止む無く」社長を辞任した。

    いまでは自らの経験を生かし、「まんまる笑店」の社長として研修やコンサルティング事業を手がけている。

    そんな恩田さんが今回探しているのは、自身が新人時代に配属された東大阪のレジャー施設「JJCLUB100 東大阪近鉄ハーツ店」で出会った客たちだ。

    BuzzFeed Newsの取材に、こう文書で答える。

    「当時の体験は私の原点。当時のやんちゃなお客さんたちから『諦めなければ何とかなるの精神』を学び、それはALSの療養生活に間違いなく生きています」

    「生きたい」という思い

    昨年、ALSの病状の進行により呼吸困難で「死にかけた」という恩田さん。

    8月に気管切開をして人工呼吸器ユーザーとなり、いまでは介護を受けながら在宅生活をしている。

    あまり知られてはいないが、いまも日本では、ALS患者の7〜8割が人工呼吸器をつけずに「死」を選択している。24時間365日の介護を必要とすることや、意思疎通が難しくなることに対する本人の精神的負担が、背景にある。

    一方で、恩田さんは呼吸器の装着を選択した。死への恐怖と生への渇望。そして、「人生、やり残したこと」しかないと、その理由をブログに綴っている。

    人工呼吸器をつけた生活で「もがきながら」も、介護体制が確立し、iPadによる発信手段も手にした。本格的な社会復帰を考えているという。

    そうした中で膨らんでいったのが、自らの原点である当時の客たちに再会したいという思いだった。

    以前から取材を受けているジャーナリストの木村元彦さんとともに、今回のプロジェクトが始まった。

    「近鉄ハーツ」で出会った人たち

    「近鉄ハーツ」は24時間営業の店舗で、15分105円で遊び放題。地元の「ヤンキーー」たちにとっては格好の遊び場だ。

    夜の23時から朝の8時までがシフトだった恩田さんが「黄色の宇宙服のような制服」を着て接客していたという客たちは、ひときわやんちゃだった。

    「会いたいと思っているのは、私が勤務していた深夜帯のお客様です。最初はとにかくやんちゃで、ゲームを壊されたり、店の物を店外に持ち出され追いかけたり散々でした(笑)」

    そうした中でも、追い出したり、通報したりすることはなく、恩田さんはひたむきにコミュニケーションを取っていった。会話を大切にしていくと、話をするためだけに来店する人まで現れたほどだ(木村さんによるインタビューより)。

    結果として、その行動は客たちの来店頻度や滞在時間もどんどんと増え、店の売り上げアップにもつながった。

    「近鉄ハーツ店に配属されていた期間はわずか3ヶ月ですが、間違いなく人生で一番濃い3ヶ月でした。その後、私は三重県の鈴鹿店に異動になりますが、ある日ハーツのお客様が鈴鹿店に私を訪ねて来てくれたのです!その時は、シフト中にもかかわらず、カウンターで涙を流してしまいました」

    鈴鹿にも足を運んでくれた2人組の30代男性、店外逃亡した男子学生5人組、店じまいの後に来店してくれた居酒屋の店長さんとスタッフ、当時一緒に働いていた仲間たちーー。

    その10年後に、FC岐阜の社長を務めるまでになった恩田さん。「ハーツでの経験がなければ今の私はありません」と語る。

    「仕事の厳しさと面白さ、サービス業の楽しさを私はハーツで学びましたし、全ての原点となっています。また、やんちゃなお客様からご指名を頂けるようになったように、諦めなければ何とかなるの精神は、ALSの療養生活に間違いなく生きています」

    ALSだからといって…

    ALSをめぐっては、「れいわ新選組」の舩後靖彦参議院議員が患者として初めて当選。

    報酬の発生する仕事中や通勤、通学、学業などでは重度訪問介護を受けられないという制度のあり方に、大きな注目が集まった。恩田さんは、こうも語る。

    「ALSという病気や障害者に対する制度の問題点にスポットが当たったのは、大きな意味を持つことだと思います。重度訪問介護の制度において、ヘルパーさんが仕事には使えないことなど、今回の件が無ければ当事者周辺の方以外は、知る由も無かったことだと思います」

    「私も、もしALSになってなかったら、今回の件をのほほんと、他人事として見ていたかもしれません。障害者と健常者の世界はあまりに掛け離れています。今回の件をきっかけに、一過性でなく継続的に障害者理解が進んでいくことを期待します」

    そんな今、だからこそ。探している人たちと再会したら、いったい何を伝えたいのか。そう聞くと、恩田さんはこう思いを綴った。

    「私は、ALSになる前もALSになった後も、変わらず恩田聖敬です」

    「ALSになったからといって、近鉄ハーツのこともFC岐阜のことも、過去に積み上げた知識・経験・思い出は何一つ消えてませんし、有難いことに人脈も維持させてもらっています。ただ、動けなくて喋れなくなっただけなのです。他のALS患者さんも同じです。ALS=障害者と括るのではなく、人格を持ったひとりの人間として接してもらえたら嬉しいです」

    恩田さんが日々を記しているブログはこちらから。心当たりのある方は、筆者(kota.hatachi@buzzfeed.com)まで連絡をお願いします。