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本当に悲しいとき、本は人を救ってくれる 芥川賞作家の願い

柳美里さんが語る「本」とは。

福島第一原発事故により、2015年まで立ち入りが制限されていた福島県南相馬市小高区。

2年前に避難指示が解除され、新たなまちづくりが進むこの町に、ただひとつの本屋「フルハウス」がオープンする。店主は、芥川賞作家の柳美里さん(49)だ。

鎌倉から南相馬に、息子とパートナーとともに移り住んで3年。どうして本屋を開こうと思ったのだろうか。そこは、どんな場所になろうとしているのだろうか。

「ふらり」と立ち寄れる場づくり

小高区は、南相馬市のなかでもっとも、福島第一原発に近い区域だ。

事故後は避難指示区域になっていたために立ち入りが制限されていたが、除染が終わり、2016年7月に一部をのぞき解除された。

人口は約2400人。事故前の人口が約1万2800人だったことを考えれば、決して多い数字ではない。

もともと小高にあった商業高校と工業高校が統合してできた小高産業高校には、約500人の生徒が通う。商店やコンビニ、飲食店も少しずつ開き始めた。

それでも。5年にわたって閉ざされていた街にはまだ、活気があるとは言えない。

柳さんは、BuzzFeed Newsにゆっくりと、思いの丈を語り始めた。


私、避難指示が解除される前に小高や浪江の住民説明会に出ていたんです。

みなさんが、「必要最低限なものすらない」と声をあげられていました。そこで出る要望というのは、病院だったりスーパーだったり、生活に必要な最低限のものだったんです。

けれども、まちというものを考えたときに、必要最低限なものだけしかないまちは、本当に復興したことになるのでしょうか。

本屋って、用がなくてもふらりと立ち寄れる場所ですよね。魚屋さんや商店のように、何も買わないで出て行ってもいいじゃないですか。

ゆとりだったり、生活の中の伸びしろだったりするもの。そこからは、暮らしの潤いや、豊かさが生まれるはずですよね。

かなしみの沈んだ町

それにしてもなぜ、小高に本屋だったのだろう。

そもそも柳さんが福島に足を運ぶようになったのは、事故が起きたあとの2011年4月からのことだ。

母親のルーツがあったことが、そのきっかけになっているという。


母は福島県南会津郡の只見町で中高を過ごしたんですが、こちらが原発銀座なら向こうはダム銀座なんですね。

高度経済成長期に首都圏に送電するためにつくられた発電ダムがいくつもある。その話をずっと、母から聞いていた。

小さい頃はよく只見町に連れて行かれていたんですが、母がダムサイトの縁で説明してくれた。「沈んだ。すべて沈んだ」と。

母にとっての原風景は、水の底にあった。私には見えないその光景を、「家があって、墓地があって、小高い丘があって、大きな桜の木があって、川が流れていて」と説明してくれたんです。

母が「この底にはかなしみが沈んでいるので、あまり見つめすぎない方がいい。かなしみに引っ張られてしまう」と言っていたことを覚えています。

母が言う「かなしみ」は悲哀の哀。抱え込むほうなんです。でも、原発事故の悲しみは悲のほうですね。引き裂かれるという、語源からするとそういう意味があるそうです。

「半径20kmが警戒区域として閉ざされる」という発表を当時の官房長官がしたときに、自分の中ではダムの光景が頭に浮かびました。

いま、見ておかなければもう入れなくなってしまうと思い、足を運んだのです。

苦楽を知るための”距離”

そうした様子をTwitterでアップしているうちに、震災後に住民に情報を伝えるために立ち上がった臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」から出演のオファーがあった。

どうせやるのならば、住民の話を収録する番組をやりたい、と発案したのが「ふたりとひとり」という番組だ。

南相馬に縁がある、家族や恋人、友人などの親しい「ふたり」と、柳さんが話をする。報酬はなし。交通費や宿泊費も自分持ちだ。


最初のうちは、鎌倉から通って収録をしていたんです。

でも、住民の方達のその苦楽というのが生活の中にあるわけですよね。通っていたら、「本当のところ」がわからないと思って、鎌倉の家を売って移住することにしました。

人の痛みやかなしみ、楽しみの部分に触れるためには、距離が重要なんです。寄り添いたいんです、と近づくのではなく、適切な距離というか。

番組のタイトルも、距離を表したんです。2人と私の間には距離がある。3人にはなり得ない、その距離を大事にしようと。

そうして南相馬の中心部、原町に住むようになって、母親の家族が実は、只見町から原町に越して、そこでパチンコ屋をしていたと知りました。

たまたま借りた家と、もともと母たちが暮らしていた場所があるいて5分かからない場所だった。不思議な人との縁だったり、土地との縁だったりを感じてしまいましたね。

現実から逃げ込む先は本だった

これまで、南相馬に住んでいたり、生まれ育ったりする約600人の声を聞いてきた柳さん。

小高産業技術高校の設立に携わる教師が出演したことをきっかけに、校歌の作詞を任された。授業も受け持ち、20回ほど自己表現や作文などを教え、生徒たちとも交流してきた。

そんな学校に通う生徒たちの居場所をつくろうと、思いついたのが本屋だった。

小説家であるということもさることながら、柳さんは本に対して、特別な思い入れがあるという。


私、本を一番読んだのは小、中学校のときだった。なぜ読んだかというと、現実が辛かったからなんですよ。

学校では全裸にされたり、バイキンと呼ばれて周りが給食をボイコットするような、かなり激しいいじめにあっていたんです。一方の家では両親が不仲で、別れるようなこともあった。

本の名前などを記すところを「扉」というんですよね。めくることができるその扉の中は、異世界。私にとって、現実から逃げ込む場所だったんです。

南相馬に住む知人やご住職からも聞くんですけれど、ここでは自殺が増えている。福島は、岩手や宮城と比べても突出して多いんですよね。

小高におられた知り合いのお兄さんも、避難先で自殺してしまった。70代のその方は農業をやっていて、田んぼの隣が汚染土の仮置き場になってしまって。

一時帰宅をしたときにそれを見て、「もうできないんだ」と亡くなられてしまった。

小高の現実があって、避難先での現実があって。そのどちらも辛かったら、かなり生きているのが辛くなってしまうと思うんですね。

自分の子供時代だって、学校も家も辛かったから、死はリアルなものとして目の前にやってきていた。

そういうときに、本という異世界への扉があれば、違うのではないんじゃないか、という気持ちが強いんです。

また、自分の家に本を並べたい

そして、小高駅の近くでの物件探しが始まった。

先祖代々からの土地を譲りたくないという人、避難先から小高に戻るのかを決めきれていない人も多く、当初は難航していた。

そんな中、南相馬出身の大学生が「母方の実家を手放すことになった」とTwitterで連絡をくれたのだ。「せめて知っている人に買ってもらいたい」ということで、ローンを組み購入することになった。

また、小規模店だと条件的にも厳しい出版取次業者との契約の問題も、偶然が解決した。岩手県宮古市を訪れていたさなか、旅先のホテルで出会った関係者が、二つ返事で応援してくれることになった。

まさに、縁の連続だった。


ここで本屋をやると宣言してから、毎日のようにチャイムが鳴るんです。

「まだやらないんですか」というご近所の方や、浪江や双葉などへの一時帰宅の帰りに立ち寄られる方も多い。

本ひとつにとっても、いろいろな思いがあるんですよね。

避難指示が出ていたあいだ、動物や雨漏りのせいで本が手に取れないくらい傷んでしまったという方は、また手にとって一冊一冊、自分の本棚に置けると喜んでおられました。

津波で本も全て流されてしまったという方もいます。震災前は家の本の好きな箇所を手紙に書いていたけれど、家に本がなくなって、手紙が書けなくなったというお年寄りも。

もともと一緒に暮らしていたのに、自分だけが小高に戻ってきたので、孫に絵本を送りたいという方や、ラノベも置いてくださいという高校生もいる。

本当、それぞれなんです。

かなしみを「手当て」できるように

クラウドファンディングによる資金集めなどを経て、本屋「フルハウス」は4月にオープンする。

柳さんはいま、友人たちに選書をお願いしている。小説家や演出家、写真家など16人が、それぞれ1つのテーマについて、20冊ずつ選ぶ。

たとえば、歌人の俵万智さんは「ことばについて考える20冊」。小説家の山崎ナオコーラさんは「大人になっても読みたい少年少女小説20冊」。村山由佳さんは「生きるって悪くない、としみじみ思える20冊」。

そんなセレクションが、本棚に並ぶことになる。

今後は、本を借りられるブックカフェ・スペースも整える。小劇場も併設し、ゆくゆくは食事やお酒を提供する場もつくりたいと考えている。

様々なイベントを開いて、地域外からも人を呼び込むつもりだ。


処方せんのように、本を手に取ってもらいたい。深いかなしみを治癒する場になってほしいんです。本って、そういう作用があると思いますね。

かなしみはなくすのではなく、かなしみとして、抱え込む「哀」のほうに、大事にするべきものだと思うんです。

私は伴侶を亡くしているんですけれども、引き裂かれているときには、「やめなよ」「そろそろ前を向きなよと」「生きていればいいこともある」といった先回りする言葉って、響かないんですよね。

みんな、その人にとって大事なものを失ったから、かなしんでいる。だから、かなしみごと大事に抱えていくといい。

日本語の美しい言葉で、「手当て」っていいますよね。そこに触れない、なかったことにするわけではなく、そこに触れる。

「フルハウス」が、かなしみに手を当てる、あやす、そんな作業ができる場になればいいと思っています。