2年前のエイプリルフールに、ネット上で「逆エイプリルフール」という情報が広がった。
かつて4月1日を「嘘の新年」として祝ったことで王の怒りを買い、13歳で処刑された少女に哀悼の意を表し、1594年から13年に一度ごとに、嘘をついてはいけない「嘘の嘘の新年」という風習がある、というものだ。
ちょうど2019年がその年に当たるとして、大きく拡散されたこの情報。発端は、13年前のエイプリルフールに、Wikipediaに書き加えられた「ネタ」だった。
「こんなことになるとはと思っていなかった」。実際にこの記述を執筆したという人物が、BuzzFeed Newsの取材に応じ、その思いを語った。
まず、経緯を振り返る
そもそも、エイプリルフールの起源は明らかになっていない。
有力とされているのは、フランスの国王・シャルル9世がグレゴリオ暦(太陽暦)を採用した際、旧暦の新年を祝い続けたことをきっかけとする説だ。
日本語版Wikipediaの「エイプリルフール」には2019年のエイプリルフール直前まで、その「有力とされる起源説」として以下のような記載がされていた。
時の王・シャルル9世が採用した新しい暦。反発したひとびとはこれまでの「嘘の新年」を祝い、馬鹿騒ぎをした。これにシャルル9世が激怒し、市民を片っ端から処刑した。処刑されたなかには、13歳の少女もいた。
この事件に抗議し、さらに忘れないよう、市民たちが毎年「嘘の新年」を祝ったのがエイプリルフールの始まりだ。
少女に哀悼の意を表するため、13年に一度は嘘を全くついてはいけない風習も、あわせて生まれたが、いつしか人々の記憶から消えてったーー。
もっともらしいエピソード。これこそが、通称「逆エイプリルフール」(Wikipediaでは2018年4月まで「嘘の嘘の新年」と記載)だ。
2006年のエイプリルフールに…
2019年が13年に一度の「逆エイプリルフール」(嘘の嘘の新年)に当たるとして、ネット上で広く拡散されたこの逸話は、実はソースが示されていないものだった。
250年の歴史を持つ「ブリタニカ百科事典」(英語版)にはもちろん、フランス語版や英語版のWikipediaにも記載されていない。そもそも、シャルル9世は10歳で即位しており、母親が全権を握っていたとされている。Wikipediaに「片っ端から処刑した」と書かれた1564年当時は14歳だ。
フランス大使館の広報担当者も、BuzzFeed Newsの当時の取材に「『嘘の嘘の新年』や処刑の逸話については、初耳です」と戸惑いを隠さなかった。
また、BuzzFeed NewsがWikipediaの編集履歴を確認したところ、この記述が書き加えられたのは、13年前の2006年4月1日未明(日本時間)のことであることも明らかになった。
当時、「エイプリルフール」の項目では編集合戦が小規模ながら開催されていたとみられ、事実とは異なる様々な「ネタ」を書き込む人もいたようだ。
「嘘の嘘の新年」の記述はエイプリルフール翌日に投稿者によって削除されていたことから、やはりネタであったということになる。しかし、それがなぜか後に別の人物によって「復活」させられ、2019年まで、そのままにされていたのだ。
BuzzFeed Newsは2019年3月、「逆エイプリルフール」には明確な根拠がないと報道。その後、Wikipediaの書き込みも修正され、関連する記載はなくなった。
ある男性の「告白」とは
「単刀直入に申し上げますと、当該のWikipediaエントリーに加筆を行ったのは私です」
記者のもとに読者からメールが届いたのは、昨年5月のことだった。メールの主は、30代の男性だと名乗った。
「記事内でもご推察されておりますように、この記述はエイプリルフールにおける遊びの一環としてWikipediaのエイプリルフールの項目がすでに嘘になっていたら面白いだろうと考えて編集をしたものです。後日編集前の状態に戻したのも私になります」
取材を申し込むと、匿名を条件に快諾してくれた。当時のブログの管理画面に入れることなどの証拠から、記者は男性の話は信憑性が高いと判断した。
「お騒がせしてしまい、申し訳ありません。こんなことになるとはと思っていませんでした。この内容は事実ではないので、一度でも信じてしまった方には、そう覚えておいていただければ……」
Zoomの音声通話でそう語り始めた男性。聞けば、当時は大学生だったという。エイプリルフールの冗談のつもりで、軽い気持ちで書き換えたのが、ことの始まりだった。
「4月1日で嘘や冗談のエントリーを書くことは、どこでもやっていたことでした。仲間内に向けたブログをやっていた自分もその一環で何かをしようと、Wikipediaを書き換えたんです。もともとあったシャルル9世の記載を生かして、その年から逆算して、ちょうど2006年が『嘘の嘘の新年』にあたるようにしました」
「ブログ上でネタばらしをして、次の日になってから削除をしたのですが、なぜかそのあと、記述が復活していたんです。気付いてから何度か消そうと試みましたが、すぐに戻されてしまい、そのままにしてしまいました」
なぜ、削除をあきらめてしまったのか。男性は「面倒くさくなって、あきらめてしまったのだと思います」と答えた。
「この内容自体が、そんなに重要ではないと感じていましたのかもしれません。人の生き死にや学術的に価値があるものではないですし、そもそもWikipeidaのエイプリルフールの項目は、冗談を書いては消され、書いては消されてのページになっていたので、このページを信頼している、信憑している人はそんなにいないだろうと……」
「もう止められない」とあきらめも
まさかその書き込みが、13年後に「真実」としてネットで扱われるとは、その時は夢にも思ってもいなかったと、男性はいう。
「たまたまネットで、エイプリルフールに関する話題を見かけたんです。そういえば昔、Wikipediaに書いたやつがあるからどうなっているかなと調べてみたら、『嘘の嘘の新年』に言及されているサイトがたくさんあって。自分は削除したのにという気持ちもあった一方で、えらいことになったな、と……」
「Wikipediaの世界だけで見られているというふうに思っていたものが、それをソースに転載され、再生産され、さも事実かのように扱われている。大手企業の公式アカウントでツイートされ、Twitterを盛り上がっていたことも、後で知りました」
男性のいう通り、「嘘の嘘の新年」は2006年以降、ネット上でじわじわと広がっていた。
「NAVERまとめ」や様々なブログ、企業サイトや大学のレポートなどまでに引用され、「逆エイプリルフール」などという呼び名がいつの間にかつけられていた。
そして、2019年4月1日には有名企業の公式アカウントが紹介(冒頭画像)し、一気にTwitterで広がりをみせたのだった。
「デマが広がる時と同じ流れで、ゆっくり時間をかけて広がっていったんですよね。気づいた時は、もう止められないな、と諦めを覚えました。いまさら嘘ですと言っても、誰も信じてはくれないですから……」
「お天道様はみている」
男性は「責めを負うことになるのは恐ろしいとも思いましたが、これだけ事実のように広まっていることに対して、僕自身が取れるアクションはこれを話すことだなと、(記者に)メールをしました」とも語る。
「当時はインターネットといえば、いい加減で信用できなくて、それでいてネタが許容されるような、おおらかな時代でした。でも、いまではSNSでの発信も当たり前になって、ネットをソースにする人も増えていて、そこに『正しいこと』があり、必要不可欠だと思っている人も多い。13年でずいぶん、価値観が変わったのだと思います」
ネット掲示板「2ちゃんねる」の創設者であるひろゆきさんの「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉のもとで育った世代だという男性は、当時を振り返りながら、こう語る。
「いまと当時、どっちが良い、悪いとかはない。当時はよくいうと気軽でしたけど、悪くいうと無責任でもあったわけですから。ただ、いまでも、ネットの書き込みとか、ツイッターとかのつぶやきも、消せば大丈夫、時間が経てば忘れられるとか、そういう感覚を持っている人は多いですよね」
「でも、ネットだから大丈夫、みたいなのは違っていて。社会にネガティブな影響を与えるようなことの引き金になってしまった場合に、責任を取らないといけなくなるということを想像しながら付き合ったほうが良いんだと。改めて、自分の経験からも、そう感じました。お天道様は見ているんだぞ、と……」
「ひとつだけ言いたいのは、僕のように13年経って発見されることがあるんです、ということ。偉そうにできる立場ではありませんが、自分があとで見返して『まずいな』と思うようことを書き込むのは、やっぱりやめたほうが良いのだと思います」
なお、いまではWikipediaに「嘘の嘘の新年」という項目ができ、一連の経緯がまとめられている。これもまた、インターネットのひとつの歴史と言えるかもしれない。