• zimoto-totoi badge
  • tamura-totoi badge

「お金だけを考えたらね...」数十万匹のカブトムシを育てた夫婦→その理由に心打たれる!

「昆虫の聖地」と宣言した福島県田村市。そこには、数十万匹ものカブトムシの幼虫を成虫にしてきた夫婦がいた。

今年6月に「昆虫の聖地」と宣言した福島県の自治体を陰で支えてきた夫婦がいる。

2人は、30年以上にもわたってカブトムシの養殖を続け、幼虫から成虫に羽化させてきた。本業のかたわら育ててきた数は、なんと数十万匹にのぼる。

本業をやめてもなお、養殖は続けている。夜な夜な養殖場に足を運ぶ2人は、笑いを交えながら語る。「半分ボランティアみたいなもんだな」

夏を迎えると、福島県田村市の小さなテーマパーク『カブトムシ自然王国 ムシムシランド』は、多くの親子連れでにぎわう。

「日本で唯一の虫の楽園」がキャッチコピーで、屋外に設けられた「カブトムシドーム」が施設の目玉となっている。

巨大な虫かごのようなドームには、たくさんのカブトムシが放たれており、来園者は自由に触れ、観察ができる。

毎晩、カブトムシを採る日々

ドームにいるカブトムシは、常時1000匹以上。そのほとんどを育て上げているのが、同市の樽井裕昭さん(69歳)と妻・静子さん(66歳)夫婦だ。

「いま、数えているから話しかけないで」

養殖場では、立派な成虫が元気よく飛び交い、「パタパタパタ」と羽音が響き渡っていた。

床の上を這う成虫やサナギを踏み潰さないよう、飼育床の上を慎重に歩き、成虫を探していく。周囲は暗闇で、月明かりやヘッドライト、懐中電灯が頼りになる。

オスとメスに区別するため、2人は成虫を捕まえるとテキパキとそれぞれの袋に入れていった。その度に、ガサガサと袋から無数の音が聞こえる。

多くの成虫が姿を見せる夜が、いつも決まって仕事の時間だ。ムシムシランドが営業する7月から8月にかけての約1カ月間、雨が降らない限りは毎晩欠かさず養殖場に向かう必要がある。

作業時間は、1回あたり2人で30分〜1時間ほどで終わるというが、相当な根気のいる仕事だ。

養殖を始めた当初の「失敗」

取材した日は、大雨がやんだあとの作業だった。

200匹を超える成虫が無事に羽化していた。ところが、最初からこんなにうまくいっていたわけではないらしい。

2人が養殖をスタートさせたのは、1990年。町おこしのためにムシムシランドがオープンした翌年で、施設を運営する田村市常葉振興公社からの委託を受けて続けてきた。

田村市(旧常葉町)はもともと、葉たばこの生産が盛んな地域だった。

その肥料にするため山から落ち葉を集めてつくっていた腐葉土を見ると、カブトムシの幼虫がたくさん育っていた。

これに目をつけ、カブトムシを軸とした町おこしがスタート。樽井さん夫婦ら地元民が、養殖に協力する形になったそうだ。

樽井さん夫婦の本業も葉たばこの生産で、幼虫が身近な存在だった。とはいえ、養殖について知識があったわけではない。

スタートして数年間は屋内で育て、木の葉を餌として与えていたが、「失敗だった」と振り返る。羽化率は3割と悪く、そのうちの7割が形態異常だった。

養殖に携わる他の3軒とともに頭を抱えていると、養殖事業に長年取り組んでいた茨城県の企業にノウハウを教えてもらう機会に恵まれた。

現地で指導を受け、帰ってから教えてもらった通りに実践すると、羽化率は5割以上と劇的に改善。ムシムシランドに届けられる数は驚くほど増えた。

事故が落とした暗い影

現在もそのやり方を大きく変えていない。

毎年、準備にとりかかるのは春先から。しいたけ栽培に使う原木の廃材「古ホダ」を丁寧に並べ、幼虫が食べやすいように一部は砕いて飼育床を用意する。

5月になると、大量の幼虫を入れ始める。ムシムシランドにカブトムシが常にいる状態にするため、時期と場所を変えて飼育床に幼虫を放ち、羽化する時をじっと待つ。

7月になって羽化し始めたら、成虫を集め、公社に引き渡している。

2万匹を育てた年もあり、2010年には羽化率が8割を超えた。順調に安定した納品を続けていたが、翌年に大きな問題が発生した。

東日本大震災により発生した東京電力福島第一原発事故だ。

ムシムシランドは、原発から30キロほど離れた場所にある。

事故で緊急時避難準備区域となり、その年はオープンできなくなってしまった。指定が解除されると除染作業に奮闘し、翌年の再開に漕ぎ着けたものの、事故が落とした暗い影は大きかった。

しいたけ栽培が許されず、市内の生産者が次々とやめていった。幼虫の餌に適した古ホダの確保が難しくなり、事故前と比べて羽化率は下がってしまった。

また、本業である葉たばこの休作を余儀なくされた。2015年に耕作を再開したが、継続を断念。翌年に廃作をしたという。

「来年はやめよう」と言い続けた。でも...

それでも、カブトムシの養殖はやめなかった。

今年で、33年目になる。ムシムシランドがオープンした初期に養殖をしていた人は、樽井さん夫婦しか残っていない。震災や高齢が、その理由だ。

妻の静子さんは「もう歳だしね。来年はやめよう、来年はやめよう、と言い続けてここまできたんです。今は、やめるにやめられないしね」と明かす。

こうした状況に、施設長の吉田吉徳さんは「新しく他の方に加わってもらい、今年からは自社でも養殖を始めました。来年からの幼虫確保のため、独自に産卵場も設け、安定した幼虫確保にも着手しています」と話すと、2人に感謝する。

「夏の1カ月間は晩酌も我慢し、毎晩毎晩、決まった時間に羽化したカブトムシを採集していただき、樽井さんご夫妻には心から感謝しています。元気なうちは続けていただきたいです」

田村市と公社は6月、「第1回全国クワガタサミット」を主催し、市を「昆虫の聖地」だと宣言した。

希少価値の高いミヤマクワガタやカブトムシ、チョウなど多種多様な昆虫が生息していることをアピールし、里山や生態系の保全を進めると訴えた。

ムシムシランドの存在も「聖地」のアピールとして一役買っている。

施設の老朽化もあり、公社が管理する市内の宿泊施設「スカイパレスときわ」の隣接地にリニューアル移転を計画。来年のオープンを目指して建設工事が始まった。カブトムシドームと、新設する「昆虫館」の2本柱でパワーアップを図る。

樽井さんは移転について「楽しみ」だと語る。

公社と一緒に始めた事業は、町おこしを願ってのものだった。ムシムシランドを通して、多くの人々が市内を訪れてほしいと考えている。

ずっと変わらないもののために

今年は、公社から例年より少ない1万5000匹の幼虫を預かり、多くを成虫に育て上げた。

カブトムシドームの中で、樽井さんは子どもたちに積極的に語りかけ、優しい眼差しを向ける。

「生き物にはそれぞれ命がある。子どもにはたくさん虫と触れ合ってもらいたい。そうすることで生き物との向き合い方が変わり、人の痛みも理解できるようになるんじゃないかと思っているんです」

「お金だけを考えたら、やってられないけどね。ここはカブトムシがメインだから、いなければ誰も来ないでしょ」

「それに、子どもが大きな声で喜ぶ姿を見ているとね。自分ができる限りは、もう少し頑張ろうかなと思うね」

「子どもが喜ぶから」との思いは、妻の静子さんも変わらない。「子どもがカブトムシを見て喜ぶ姿は、ずっと変わらないじゃない。だから、続けているようなもんかな」

樽井さんの趣味は、魚釣り、ミツバチの養蜂、リンゴ栽培、そしてカブトムシの養殖だ。

「虫の中で一番好きなのは、やっぱりカブトムシだね」

全国の「尊い」情報を配信中!