岡崎体育さんはブログの冒頭、東京のホテルの机でこのブログを記していると告げると、過去の話から書き始めた。
25歳だった岡崎体育さんは2014年、奈良県にあるライブハウスで初のワンマンライブを開催。
「当時のブッキングライブでお客さんを1人か2人呼べれば良い方だった」が、100人の客を集めるという目標を立てたという。
その目標を「KING OF 無謀」と振り返る。
目の前に広がっていた光景
ただ、成功に向けて努力し、開催1週間前に100人を呼べることに。こう喜びを噛み締めた。
「自分が公言したことを達成できた喜びは言葉にはできないものでした」
しかし、不幸にも当日に台風が直撃。それでも、公演の中止はしなかった。1人か2人の客の前でも全力を出そうと思ったから。
ライブがスタートし、勢いよくステージに飛び出すと、予想とは裏腹の光景が広がっていた。
外では台風が荒れ狂う中、目の前には70人(最終的に90人弱)を超える人たちがいた。
初のワンマンライブを成功させ、「めちゃくちゃ楽しかった」と懐かしんだ。
もっと無謀な夢
岡崎体育さんはその話を終えると、「2年前の2012年から、僕にはもっと無謀な夢がありました」と続けた。
それは、30歳までにさいたまスーパーアリーナでワンマンライブをすること。
この夢をことあるごとに、声に出して公言していたという。
「自分の夢や目標を声に出して言うことで、言霊が宿り叶えることができると信じていたからです」
大きな夢を持つ岡崎体育さんに対し、共演者や客、ライブハウスの人に馬鹿にされることもあった。
さいたまスーパーアリーナのアリーナモードで、1万6千人の客を集めるのは、「常識的に考えて無理」だったからだそうだ。
夢を持つということ。
悔しくて悲しくなったけれど、決して諦めることはなかった。計画を立て、大きな夢を叶える過程で、さまざまな目標を達成しながら、苦労をしてきた。
岡崎体育さんは次の文章を綴る。
全部とても苦労したし、しんどかったけど、楽しかった。
本当に本当に楽しかった。しんどかったけど。何回言うねん。
夢を持つということ。
僕が僕の人生の中でしたいこと。叶えたいこと。
その夢のために、何か行動を起こすということ。
僕は夢を持っている。
ひとりの音楽家として、僕は夢を持っています。
先日、僕は2019年6月9日(日)にさいたまスーパーアリーナでワンマンライブを開催することを発表しました。
僕はそのとき、29歳11ヶ月です。(あぶねぇ!ぎりぎり!)
ようやく掴んだ念願の夢舞台。ただ、「まだ夢は叶っていません。ここからが本当の勝負です」と言い、絶対に1万6千人の客を集める、と告げた。
今涙が止まらない。くそう。
ダサいし別に書かなくていいよそういうの。
でも涙が流すほどの夢が僕にはある。
応援してくれる皆が見せてくれる夢がある。
チケット完売させるために、ライブ開催日前日までがむしゃらに宣伝するし告知します。
絶対に、絶対に成功させます。
16,000人を集めます。
文章を締めくくる言葉
夢を持つということ。常識的に考えて無理なものでも、周囲に馬鹿にされてもなお、岡崎体育さんは一歩一歩進み続けた。
ブログの文章には苦労と努力を重ねた自身の思いがにじむ。締めの一文は、自らに送るもの。
「がんばれ岡崎体育。きみならできるよ。」
岡崎体育さんはTwitterでこのブログを告知すると、文章を読んだ読者からはこんな感想が寄せられた。
「泣きました。岡崎体育の音楽に出会えて体育くんの夢に立ち会えるのが幸せです。 ずっと応援させてください」
「泣いた。岡崎体育の言葉ってほんと胸を打つな」
BuzzFeed Newsに語っていた、さいたまスーパーアリーナを目指す理由
そもそもなぜ、さいたまスーパーアリーナなのか。岡崎体育さんは2017年、その理由をBuzzFeed Newsのインタビューでこう語っている。
「名前がカッコいいから。『スーパーアリーナ』ってめっちゃカッコよくないですか?」
それと同時に、インディーズ時代に友人に連れられて行った、知らない歌い手たちによるライブの思い出が理由としてあると言う。
会場は中高生で超満員。プロではない歌い手たちによるライブに衝撃を受けた。
「その時、向こうに立ってる人たちからはこの景色どう見えるんかな? と思ったのが、さいたまスーパーアリーナを目指すことにしたきっかけですね」
「たった1人で1万6000人と対峙した時にどう感じるか、音楽活動へのスタンスは変わるのか。あの場所であの空間で、今度はステージの上から知りたいんです」
さいたまスーパーアリーナでのワンマンライブの先行予約はすでに始まっている。締め切りは1月7日。