西日本を中心とした記録的な豪雨で川が氾濫し、5人の犠牲者が出た愛媛県西予(せいよ)市。
川が氾濫した原因の一つが、7月7日早朝にあった野村ダム(西予市野村町野村)の放流だった。放流の時間を遅らせたり、水の量を調整したりはできなかったのだろうか。
ダムを管理する国土交通省は「(その時間に)流さざるを得なかった」とBuzzFeed Newsの取材に答えた。
西予市災害対策本部によると、死亡したのはいずれも野村町内の住人。
野村ダムが放流量を増やした7日早朝から午前にかけて、下流にある肱川(ひじかわ)が氾濫。愛媛新聞によれば、浸水により、住民5人が自宅近くや、移動中の車内で死亡したとのこと。
放流は避難指示命令の後だった。
7日午前5時10分、市は川が氾濫する恐れがあるため、野村地区に避難指示を発令。
その約1時間後の午前6時20分、ダムに入ってくる水の量とほぼ同じ水量を下流に放流する操作を始めた。そして川の水位はさらに上がり、氾濫した。
市や警察、消防には連絡していた
国土交通省四国地方整備局河川管理課は、放流までの経緯をこう説明する。
当時、野村ダムは豪雨の影響でダムに入ってくる水の量が増え、満水に近づいていった。そして、ダムに流入する水量とほぼ同じ量の水を放流する必要が出てきた。
そのため、放流操作を開始した午前6時20分の3時間前、1時間前、直前の計3回、西予市と警察、消防に事前連絡を入れた。
その連絡をうけて、市は午前5時10分に避難指示を出したという。
住民への警告も
川の氾濫で犠牲者が出た野村町内には警報装置があり、避難指示の約20分後にサイレンが鳴り響いたという。大音量で、50秒ずつ3回にわけて鳴らした。
さらに、同時刻には野村ダム管理所の車が到着。
ダムを出発し、警告音声を流しながら下流に向かって走らせる車両で、川の巡視と警報装置が正常に動作しているかも確認した。
つまり、大量の水を放流するにあたり、氾濫の危険を知らせるため、事前の報告と警告は欠かさなかったという。
管理開始以来最大の流入量と放流量
避難指示命令とダムの放流は早朝だった。少しでも遅らせることはできなかったのか。担当者はこう話す。
「放流量は段階的に増やしていきました。しかし、雨の量が極端に増え、ダムの機能を越してしまう前に、その時間から放流せざるを得ませんでした」
野村ダムは今回の豪雨により、管理開始以来最大の流入量を記録した。7日午前7時40分、これまでの最大値の2.4倍となる毎秒1941立方メートルに上った。
その10分後には、同じく過去最大の毎秒1797立方メートルの水を放流した。
西予市災害対策本部の担当者は「野村ダムの放流は、氾濫の原因のひとつです」とBuzzFeed Newsに語り、「ただし」と続けた。
「肱川はすでに水位が上昇していたため、避難指示を出しました。なので、要因はダムの放流だけではなく、複数あるうちのひとつです」