安田純平さん、拘束から解放までの経緯を明かす

    11月2日、帰国後初の会見を開いた。

    シリアで拉致、拘束後に解放され、帰国したジャーナリストの安田純平さんが11月2日、日本記者クラブで会見を開き、拘束から解放までの経緯を明らかにした。

    会見で報道陣に渡された資料によると、こういう経緯だったという(全文ママ)。

    2015年

    6月22日:深夜にトルコから徒歩でシリア入り。ホブス工場に入れられる。

    23日:近くの民家に監禁。

    26日:深夜、車で移動し、集合住宅の地下牢に入れられる。

    29日:一戸建ての民家に移動。

    12月7日:「日本に送るから個人情報を書け」と言われ書かされる

    2016年

    1月6日:家族からの質問項目の答えを書かされる。

    16日:別の一戸建て民家に移動。

    19日:同じ質問項目の答えを再び書かされる。

    3月15日:動画撮影。

    5月9日:別の民家に移動。

    14日:ジャンダルマ?(憲兵隊?)拘束。

    23日:オレンジTシャツを着て、手書きメッセージを持って写真撮影。

    7月10日:「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動。

    2017年

    10月17日:動画撮影(2018年7月22日報道)

    2018年

    3月31日:ロの字型・平屋のトルキスタン部隊の施設に移動。

    6月半ば:「ウマル」の動画撮影(7月17日報道)

    7月5日:イタリア人の囚人が同じ施設に入れられる。

    25日:「ウマル。韓国人」の動画撮影(7月31日報道)

    9月4日ころ:動画撮影(未公開?)

    29日:「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動。

    10月22日:一戸建て民家に移動。

    23日:「今からトルコ」と言われ車で移動したあと、トルコ情報機関の車に乗り換えてアンタキアの入管施設に運ばれる。

    発表された経緯は、具体的な日付まで鮮明に記されている。

    報道陣に対し、記憶に基づいて記したメモだと、資料の説明があった。安田さんは小さな文字で記録を残しており、こうしたものにも基づいているとみられる。

    会見冒頭、安田さんは次のように語った。

    「私の解放に向けてご尽力していただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにお詫びするとともに深く感謝いたします。ありがとうございます」

    「何が起こったのか可能な限り説明することが私の責任だと思っております」

    帰国後初の会見は2日午前11時から始まっている。いったい何が起きたのか、心境とは。本人の口から話される。

    追記

    どうしてここまで鮮明に日付を記憶しているのか。会見で安田さんは、この点についてこう説明した。

    「日付がどうしてはっきりしているのかと思われるかもしれないが、(2015年6月23日に)荷物を奪われてすぐ、私の衣類と本とノートを渡され、日記を書いても良いと言われました」

    「テレビで時間が分かったのと、毎日日記を書くことで日付を追っていくことができた」